
「どうだった?」
「おいしかった」
「ん?」
話は数年前に遡る。
帰って来たヨメはんがアクセサリーを外しながら上気した顔で言った。
辺りはしばらく前からすっかり暗くなっている。今日は仲良し奥様軍団で,古都へ紅葉狩りに行って来た筈であった。こちらが知りたいのは紅葉の感動なのだが。
「凄く凝ってた。晩ご飯いらないぐらい。今晩は簡単に済ませよっ」
「・・・・」
私の飼い主であるヨメハンの帰宅に,これから貰えるエサを期待して,尻尾を振っていた私は,突然冷や水を浴びせかけられた。こっちは毎度のごとく,昼に冷凍物を食った記憶が,かすかに残っているだけだ。今日の昼はソバ飯だった。
「お皿も凄く凝ってた。年代物ので」
「食材も特別で,他のお客さん達のとは違ってたみたい」
流し台にはフライパンと木のへらのみ。古伊万里はおろか皿さえ使わずフライパンから木のへらで直接食った。ちなみに湯飲みはプリンの空きカップ。年代物ではあるが廃物利用の濁ったガラス製だ。
今回の行楽を主催してくださった方のつてで,やっと予約が取れた老舗割烹で会食もしたらしい。世の不景気も奥様軍団には通じないようだ。
そこなら今日の昼会席一食だけでも,軽くおとーちゃんの数ヶ月分の昼飯代に相当する筈だ。ひどい時には軽く一年分を,料亭の昼会席たった一食で消費するらしい。
「いくら言っても受け取ってくださらなかった」
高額すぎる場合は,誘った立場と年齢差からか,奢ってくださるのだが,やはりその後のお礼の埋め合わせは欠かせず,インパクトはでかい。
「お店に対するお土産までご用意されてたわ」
「なんでそこまで媚びなきゃいかん?」
「常連であっても,とにかく予約を取るのが大変なんだって」
「座卓も顔が鏡のように写る,大きな漆塗りで,もしお皿の扱いが悪いと,お店の人に叱られるそうよ」
「ワシも壁や天井が鏡の・・・いや記憶違い。人に聞いた話だった」
「器もそっと置かなければならないし,なんだか気を使っちゃった」
こちとら普段の昼は,もっぱら立ち食いうどんで「玉の緒」を繋ぐ身としては,全くもって別世界の話だ。予約の苦労なんざ,アスファルトの照り返しで全てが歪んで見える,炎天下の長蛇の列に比べればたかがしれている。失神寸前になる。
食べ終わった残り汁をポリバケツの上のザルに空ける。ザルにはうどんや蕎麦の麺の細切れや,飯粒がチャンポンで山となっており,見た目はゲロと何ら変らず,食後の満足感を増進してくれる。イザとなったらこれを食えばといつも思う。
勿論,プラスチック製のどんぶりを,金属網のカートンに投げ入れても,誰も叱ってくれない。
店に対するお土産も無用,回数券さえ出せば,ちゃんと食わせてくれる。
ずっと気楽でこちらのほうが私の性に合っている・・・と密かに目頭の汁を指で拭い,自分に言い聞かせた。
「で,肝心の庭と紅葉はどうだった?」
「広かった。どこが端っこだかよく分かんなかった。赤い木もあったよ」
「それだけか?」
「建物の中にも入った。縁側の梁も床板も,長~~い一本の木なんだって。ここからあそこぐらいの長さ」
ヨメハンの指先は,我が家の外のずっと先を指し示している。
例年は寺社や山を巡る奥様軍団の紅葉狩りではあるが,今回は趣向を変えて,メンバーの方が,幼少の頃かつて住まわれていたお宅で,紅葉狩りをと洒落込んだのであった。現在は誰も住んでおらず,別邸となっているそうだ。後々に分かるのだが,このような御仁にとっての「誰も住んでおらず」という表現は,いささか怪しく曲者なのだが。
「池に船も浮かんでいた」
「風呂で遊ぶガキのおもちゃか?」
「ううん。屋形船で人が乗れる」
「それに乗って夏に天ぷらでも揚げたら旨いだろうな」
隅田川の屋形船で食べた,東京湾の穴子の味を思い出す。
「無理だと思う。茶室になってたから。お月見に使うんだって」
「カセット・コンロを持ち込みゃ火力も問題ない」
「そういう問題ではなくて・・・」
ヨメハンは柔軟思考に欠ける。
「去年は傍の美術館に行った」
そういえばその前年に,そこの近傍の小さな私設美術館に,ヨメハンが連れられて行ったことを私は思い出した。あの時も老舗割烹で結構な物を食って来やがったことも,ついでに思い出した。
その時には紅葉狩りは寺社巡りで,別邸には行かなかった。割烹の近くだったとはいえ,どうして美術館に連れて行かれたのか,訳が分からなかったらしい。
別邸を訪れて初めて,美術館はセットとして存在することが,理解できたそうだ。
「展示物は昔使っていた身の回りの物とかだって」
「鍋釜,たらいやちゃぶ台並べて,有り難がる人がいるのか?」
氷で冷やす冷蔵庫,ローラーが付いた洗濯機,真空管式の丸い画面のテレビなら,私にとっても価値がある。ついでにダイハツのミゼットも。
「そういうのじゃなくて,お茶碗とか」
「他人がメシ食ってた茶碗なんぞ見たくない」
「茶道の茶器や掛け軸とか。よくわかんないけど美術品だそうよ。香炉が多かったわ」
「そんなのより千両箱や金の延べ棒のほうが,インパクトもあるし分かりやすいな」
「思い出のお雛様が見当たらないと,がっかりなさってらしたわ」
「ふーん。それにしても美術館とは大袈裟だな」
どうも断片的な説明だけで頭の中にイメージが湧かず,ピンと来なかった。
「誰も住んでいない古い別邸」=「ギーッ」と軋む,椎茸や得体の知れないキノコが生えた古木戸を開けて,草ボウボウのジャングル化した庭を抜け,戸車の動きが悪い玄関のガラス戸を,悪戦苦闘「ガシャガシャ」と罵りながら開けて,腐った雨戸を開けるのも一大作業,蜘蛛の巣をかき分けながら,かび臭い部屋を,床板を踏み抜かないよう,異様に柔らかくなった畳を,場所を選んで恐る恐る踏みしめながら,探検したのだろうと,私は勝手に廃墟探検記を思い描いていた。
それから数年経った今年のこと。
「あっ,ここから入った」
「これも見た!」
とテレビを見ていたヨメハンが叫んだ。今までマスコミにさえ非公開を貫いていたが,今年初めて取材を受け入れたのであった。しかもとんでもないお方までもが映っていらしたのだ。
つづく
Posted at 2010/10/14 05:54:52 | |
トレジャー・ハンター | 旅行/地域