平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ14kmを震源とするマグニチュード7.2、震度7の地震が阪神・淡路地域を襲いました。社会的、経済的な機能が集積する都市を直撃した直下型地震であったため、交通網はいたるところで寸断され、電気・水道などのライフラインが途絶。住宅の大規模な倒壊や火災が発生し、多数の死傷者が出るなど戦後史上最大の被害となりました。
■兵庫県南部地震による震度7の分布
(「平成8年版 今日の気象業務」気象庁編 1996年6月)
忘れつつある阪神・淡路大震災・・・
もう13周年なんですね。去年も似た様なブログをUPしました。
1月17日。。。忘れてはならないと思います。
今一度防災について考えてみませんか?
ちなみに我が家のキッチンにある食器棚の家具転倒対策はご覧のようになっています。
何とかしなくちゃと言ってるだけじゃなく、数年前にホームセンターへ行き買ってきました。大地震の際、家具が真横に飛んでくると聞いていましたので。。。
現場に居合わせた人達の目で、体験してみて下さい。
もし辛い過去を思い出させてしまい、不快に感じる方が居りましたらお許し下さい。
被害
(瞬時にして倒壊した家屋 神戸市灘区 1995年1月)死者 : 6,436名 行方不明者 : 3名 負傷者 : 43,792名
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 10兆円規模
大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などライフラインは寸断され広範囲で全く機能しなくなった。これ以降都市型災害及び地震対策を語る上で「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策、などが注目されるようになった。
元々日本は地震大国であり、日本の大型建築物は大地震にも堪えうる構造であるとされていたが、1986年以前に建てられたビルやマンション、病院、鉄道の駅舎などで広範囲にわたり倒壊、全半壊が多くみられた。
特に火災の被害が甚大であった神戸市長田区では、地震直後の火災に伴う火災旋風が確認されたが、消火活動が間に合わず、被害をより大きくする結果となった。地震発生直後に長田区で数十件発生した火災は火災旋風により近隣住宅に次々と飛び火し、最終的に須磨区東部から兵庫区にかけての広範囲、6000棟が焼失した。西宮市においても、住宅街に面した山腹の斜面において大規模な地滑りが起こり、多くの人々が犠牲になった。
Posted at 2008/01/17 15:14:41 | |
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地震 | 日記