先日テレビで地図から消えた秘湯との紹介がされていた。
1995年に廃業との事だが、
二十歳位の頃行っていたゎ。
県道からそれて轍の深い林道を走って、
行き止まりの車数台分のスペースに車を止めて徒歩数分。
吊り橋も渡ったなぁ~
確かちっちゃいばぁちゃんが居たような記憶があるんだが・・・
露天風呂では虻との戦いをした記憶が(笑)
懐かしいが寂しいなぁ(>_<)
大好きだった八幡平の「澄川温泉」は大雨による土石流で丸ごと無くなっちゃったし、
ここも時間の問題か・・・
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wiki先生による田代元とそこの宿「やまだ館」↓
時期は不詳であるが、東津軽郡造道村桐野沢の太田茂助という者が、狩猟の折に出湯を発見し、「茂助湯」と呼ばれる[2]。
1791年(寛政3年)、洪水のため破壊されるが、後に修復される[2]。
1902年(明治35年)の冬に発生した八甲田雪中行軍遭難事件で、行軍が目指した宿泊予定の宿であった。小屋も明治時代に建てられた。ここに到着できずに隊は遭難したが、最終的に数名がたどり着き、厳冬の中を温泉を飲んでしのいでいたが、一名のみが救助され生還した。
鉱山労働者の湯治として1963年(昭和38年)までにぎわう。
1967年(昭和42年)に建替えを行なっている。
1995年(平成7年)に宿泊施設が廃業し、廃湯となる。
駒込ダムの建設が進んでおり、2018年(平成30年)頃にはダムに沈むと言われている。
2012年6月現在、最後の渡河のための吊り橋が倒壊状態で、現在到達不可状態となっている。
やまだ館 編集
この場所にはかつて「やまだ館」という宿泊施設があった[3]。電気も電話も無い一軒宿で、当時の交通手段は県道40号線に車を停めて徒歩で30分以上掛かる場所にあり、食料品などは山道を人力で運んでいた。そのため周囲の温泉宿よりも1,000円ほど宿泊料が高かったとされる。営業期間は5月~10月末までであった[1]。上述の通り1995年に廃業。その後施設は特に撤去もされないまま放置されていたが、2003年(平成15年)から2004年(平成16年)に主な建物および内湯が倒壊し、残っていた母屋の一部も2005年(平成17年)から2007年(平成19年)の大雪で全壊した。 更に2011年(平成23年)から2012年(平成24年)の豪雪で残っていた2階建ての木造建屋および奥の湯船の柱部分が半壊。そこへ到達するための単管パイプの橋(小)が雪の重みで歪曲して渡河危険な状態になったほか、最後の単管+ワイヤーの吊り橋も素人では回復不可能な状態にまで破損して渡河不可能となった。
Posted at 2015/09/28 20:43:00 | |
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