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2017年10月22日 イイね!

オートカージャパン編集だからなのかもしれないけど、ニスモはこの中ではなんか違くない?

オートカージャパン編集だからなのかもしれないけど、ニスモはこの中ではなんか違くない?成功? 失敗? 「サブブランド」28社 一刀両断(前編)

「サブブランド」あれこれ 一刀両断

今まさにボルボはポールスターを生み出そうとしているが、これは決して自動車業界における初の試みという訳ではない。

ボルボが独立したサブブランドとして生み出そうとしているポールスターは、ハイパフォーマンスモデル、及びEV向けのブランドとなる予定であり、これまでに数多く生み出されてきたサブブランドの最新例となる。

今回は著名なサブブランドを網羅して、それぞれが成功したかどうかを、われわれが判定を下す。

RS(フォード):1968~

2018年は欧州フォードが1968年にドイツで生み出した前輪駆動モデルのタウヌス15Mに端を発するRS(ラリースポーツ)ブランド生誕50周年記念である。

しかし、その2年後には真のRSモデル、エスコートRS1600が登場してフォードファンを喜ばせた。

1970年に発売された最初のエスコートはフォードで当時設立されたばかりのAVO(アドバンスド・ビークル・オペレーションズ)の手による仕業である。その後AVOはカプリ、エスコートやフィエスタなど数多くのホットモデルを欧州市場に送り出してきた。

何故か本国では2016年に四輪駆動のフォーカスRS(写真)が発売されるまでRSブランドは展開されなかった。

判定

大成功

ゴルディーニ(ルノー):1968~1978/2010~

アメデ・ゴルディーニは1930年代にクルマのチューニングを始め、第一次世界大戦後、少量ながら自身でも車両を製造するようになった。

1950年代のシムカからルノーへのパートナーの変更は、1960年代を通じてル・マン24時間に参戦する事となったルノー・ゴルディーニの誕生へと繋がった。

更に1957年のドーフィン・ゴルディーニから、その後の5、12、17及び8へと繋がるルノーのゴルディーニ・モデルの幕開けでもあった。

ルノーは2009年、トゥウィンゴと写真のクリオ(日本名:ルーテシア)のスポーツモデルに対して、ゴルディーニ・ブランドを復活させている。

判定

最初は大成功、今回は(これまでのところ)失敗

M (BMW):1972~

最新のMモデルである写真のG30型M5がフランクフルト・モーターショーで発表された。

サブブランドとしては興味深い事に、更には非常に珍しいことでもあるが、Mは自動車製造会社としての顔を持つ。

そのため、MモデルにはBMWの通常モデルと区別するための数字が型式の前に付いており、ドアに貼付されるバッジの表記も通常モデルの「BMW AG」ではなく、「BMW M GmbH」となる。

つまり、厳密にいえばMというのはBMWの子会社ですらないという事だ。ご存知かたも多いはずだ。

判定

おそらくサブブランドの中でも最大の成功例

アルピーヌ(ルノー):1973~1995/2018

ジャン・レデレは1955年にルノー車をベースとするスポーツカーを製造するためアルピーヌを創設した。彼は1973年のルノーによる子会社化まで、常にプラスティックボディとリアエンジンにこだわり続けた。

1995年以降、売上不振によりアルピーヌブランドは塩漬け状態だったが、今年初めのジュネーブ・モーターショーで新たなアルピーヌ・モデルが発表された。

この新型は2018年中には欧州とその他のいくつかの地域で販売が開始される見込みである。願わくば、その販売数量が十分なものであって欲しい。

判定

大成功(われわれの希望)

クワトロ/アウディ・スポーツ(アウディ):1983~

Urクワトロは自動車運転の歴史とWRCにおけるエポックメーキングな存在である。だからアウディがクワトロブランドを乱造して金儲けの道具にしているなどと責めてはいけない。

4輪駆動モデルにクワトロを名乗らせる一方、彼らはQuattro GmbHという新たな部隊を設立して、素晴らしいR8に代表されるハイパフォーマンスなRSモデルを開発している。

2016年、彼らはAudi Sport GmbHと名を変えたのだが、恐らくこれは四輪駆動以外のハイパフォーマンスカーを開発する為だったのだろう。2017年のフランクフルトショーで発表された限定バージョンのリア駆動モデルR8 RWS(写真)がその第1弾となる。

判定

大成功

ニスモ (日産):1988~

1984年に日産のハイパフォーマンスカー部門として設立されたものの、1987年のR31スカイラインが初の製造車両という事になった。

その後1988年にザウルスレース専用車両、1990年にスカイラインGT-Rを生み出し、2003年にはわずか19台のみが生産されたZ-Tune GT-Rが507psの最高出力と最高速度322km/h以上を記録してみせた。

2008年に発売された現行GT-Rがニスモのチューニングを受けるには2015年まで待たねばならなかった。写真のGT-Rは599psまで出力を高められ、価格はノーマルモデルの1.5倍となる。

判定

大成功

SVO/SVT(フォード):1981~

1981年、フォードはハイパフォーマンスカーに特化したスペシャル・ヴィークル・オペレーションズ(SVO)を立上げ、レース車両の開発支援を行うと共に、1984年にはブランド初のモデルとなるフォード・マスタングSVOを発売した。

豪州でも同様の部隊によりフォード・ファルコンなどのパフォーマンス向上が図られた。1993年にSVOはスペシャル・ヴィークルズ・チーム(SVT)と改称された。

近年で最も有名なモデルは写真の2010年式SVTラプターだろう。F-150ベースのハイパフォーマンス・ピックアップで、6.2ℓV8エンジンは417psを絞り出す。これによって2767kgのボディはわずか6.7秒で97km/hに到達する。

本国へのRSブランド導入に伴い、SVTの名は後継モデルには受け継がれておらず、このまま退役となるだろう。

判定

大成功

サターン(GM):1985~2009

1985年、米国での更なるシェア獲得のため、米国内に工場を新設する日本車メーカーに対抗するための戦略の一環として、GMは革新的な小型車がどうあるべきかを示す為にサターンを設立した。

当初の計画ではサターンのクルマは既存のGMブランドで販売される予定だったが、後にこの計画は変更されている。1990年に最初のモデルが発売された。

サターン購入者の多くは単に他のGMブランドからの買い替えであり、その販売が期待に届くことはなかった。

結果、GMは他の小型車ブランドと共に2009年にはサターンを廃止している。写真はシボレー・マリブ、オペル/ヴォグゾール・シグナム及びサーブ9-3の姉妹車種となる2008年式サターン・オーラである。

判定

失敗

アキュラ(ホンダ):1986~

1996年、ホンダは日本車メーカー初の試みとして、独立した高級車ブランドのアキュラを設立した。

当初は米国とカナダだけでの販売であったが、その後アキュラ・ブランドはメキシコ、ロシア、中国、クウェート及び香港にまで広がっている。

ホンダ車のバッジエンジニアリングモデルから、TLX、RDXやMDXといったアキュラ独自モデルまでをラインアップしている。

2005年までのレクサス同様、ホンダ・バッジを付けたアキュラと同じ中身のクルマが走り回っているにも関わらず、日本でのブランド展開は行っていない。

写真は2018年式MDXであるが、このクルマは米国で最も人気のあるアキュラであり、2016年の販売実績は55,495台に上る。製造はアラバマとオハイオの工場で行われる。

判定

大成功

HSV(ホールデン):1987~

ホールデン・スペシャル・ヴィークルズ(HSV)は豪州GMのハイパフォーマンスカー部門であり、スコットランド出身のレーサーでありビジネスマンでもあるトム・ウォーキンショーによって設立された。

最初のモデルは1988年のホールデン VLコモドアSS グループA SVであり、ヴォグゾール/オペル・セネターの姉妹車種となるホモロゲーションモデルである。

最新の最も驚愕すべきモデルはA$79,990(US$62,900)のHSV マルー R8 LSA。素晴らしく常軌を逸したこのコモドア・サルーンベースのピックアップは、カマロZL1の6.2L V8エンジンを更にチューンアップし、4.5秒で97km/hに到達してみせる。

残念ながら、豪州でのGMの自動車生産終了に伴い、今年でコモドアはその歴史を終え、マルーもまたその生涯を閉じる事となる。HSVは継続されるかも知れないが、もはや輸入車へのバッジエンジニアリングに留まるだろう。

判定

大成功

スターリング(ローバー):1987~1991

決して褒められないその組立品質にも関わらず、長年にわたり多くの英国ブランドが米国で隆盛を誇ってきた。

そのうちのひとつがローバーである。しかし、ほどなくしてアメリカ人もその見掛け倒しの品質に愛想を尽かしたため、新しいブランドが必要となったローバーが1987年に設立したのがスターリングである。

唯一のモデルが800シリーズであり、ホンダとの提携のもと生産された。

スターリング・ブランドの開始に伴い、カー&ドライバー誌が大胆にも見解を披露した。「コンコルド以外には、イングランドからこれ程素晴らしい組立品質を持った製品が輸出された事は無い」ローバーはこのコメントを大変気に入り、写真のとおり広告にも用いた。

しかしコンコルド同様次第にその評価を落とし、組立品質と信頼性の低さが明らかとなっていった。名誉ある撤退を決断し、1991年に最後のスターリングが販売されるまでの4年間で、実に4万台以上が大西洋を渡った。

遥かに素晴らしい出来栄えのアキュラ・レジェンドと多くの部品を共有していた為、今でも数百台が米国の路上を走っており、スターリング・ブランドには少数ながら謎めいたカルト的なファンがいる。

現在でもローバーは米国において憧れのブランドであり続けているが、それはローバーの前に「ランド」や「レンジ」が付く場合に限られる。

判定

失敗

レクサス(トヨタ):1989~

もし平凡な人間がひとつ上のクラスに移ろうと望むなら、唯一の成功への道は新しいブランドを立ち上げて、品質、信頼性そしてカスタマーサービスの面で他のライバル達を完膚なきまでに叩きのめす事だろう。「言うは易し」であるが、1989年、まさにレクサスは米国でそれをやってのけたのだ。

写真の素晴らしいLS400が発売されて以来、レクサスは比類なき信頼性と最高のディーラー品質への評価と共に、ハイブリッドモデルのニッチマーケットを形作ってきた。

奇妙な事にレクサスは2005年まで本国での展開を行っておらず、それまでレクサスのクルマはトヨタ車として販売されていた。

判定

大成功

インフィニティ(日産):1989~

1989年、日産は米国市場にインフィニティブランドを導入した。

コストを掛け過ぎたために、日産ブランドでは販売するのが難しい高級車を高い利益率で販売するための戦略であった。

インフィニティはそれなりの成功を収め、ホンダのアキュラ・ブランドと比肩するまでにはなったが、現在の米国市場での販売数はレクサスに大きく差を付けられている。

2016年の販売台数はレクサスの33万1228台に対して、インフィニティは13万8293台に留まる。

欧州では2009年に販売を開始した。競争の厳しい市場ではあるが未来は明るい。写真のインフィニティQ50は米国で最も人気のモデルであり、2016年の販売実績は44,000台であった。

判定

大成功

AMG(メルセデス・ベンツ):1999~

1967年、ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャーがメルセデスを更に高性能にチューンアップするべくAMGを設立した。

当初AMGの関心はモータスポーツにあったが、その後ロードーカーのハイパフォーマンス化に情熱を傾けることとなった。1999年、AMGがその素晴らしい仕事ぶりで勝ち得た名声を嗅ぎ付けたメルセデスが経営権を握った。

2005年、メルセデスはAMGを完全な子会社としたが、依然としてAMGはエンジン及びその他の技術に関して、パガーニ及びアストン マーティンと独自の関係を保っている。更には写真のAMG GTのようなAMG独自モデルの製造も行っている。

判定

大成功




成功? 失敗? 「サブブランド」28社 一刀両断(後編)

ウィル(トヨタ):2000~2005

このウィルと名付けられた風変わりなサブブランドは、パナソニック、アサヒビール、更には何故か近畿日本ツーリストといった他業界の企業との提携のもと設立された。

ウィル・ブランドのもと、お菓子、電化製品、そしてトヨタ車をベースとしたクルマが販売された。2000年からブランドがその役目を終えた2005年までに、トヨタはウィル・ブランドで3車種を自国市場向けに販売した。

判定

失敗

サイオン(トヨタ):2002~2016

トヨタはどうやら楽天家のようである。年配者の間での高い人気こそ、米国のクールな若者がトヨタ車を敬遠している理由だと気づいた彼らは、2002年に新たなブランドを導入する事にした。

それがサイオンである。サイオンのショールームにはトヨタ車の焼き直し版と、サイオン独自モデルが同居する事となった。

英国からは、サイオンの滑り出しは上手く行っているように見えた。他の市場ではGT86として販売されている写真のモデルはサイオンFR-Sとして、2006年には17万3034台のセールスを記録した。

しかし、2015年には販売台数が56,167台にまで落ち込み、サイオンブランドは2016年で廃止される事となった。

判定

失敗

マイバッハ(メルセデス・ベンツ):2002~2012/2014~

1909年、ヴィルヘルム・マイバッハは非常に高価でラグジュアリーなクルマを製造するための会社を設立したが、第二次世界大戦終結と共に一旦その歴史に幕を下ろす事となった。

1997年、メルセデスはマイバッハ・ブランドの復活を宣言し、ほどなくしてショートホイールベースモデルの57とロングホイールベースモデルである62が発表されたが、これらは全く時代にそぐわないクルマであった。

結局、栄光の時代を知る年寄りか、マイバッハを購入できるだけの余裕のないひとびと以外、ほとんどのひとにはマイバッハブランドの威光は通用しなかったのである。

マイバッハブランドは2012年に一旦塩漬けとなった後、2014年、Sクラスの更に上級モデルとなるメルセデス・マイバッハ(写真)として復活した。

ベントレー・ベンテイガやロールス・ロイス・カリナンのライバルとなるべく、GLSクラスをベースとしたマイバッハ・ブランドの大型SUVが2019年に登場する予定である。

判定

(これまでのところ)失敗

SRT(クライスラー、ダッジ及びジープ):2003~

SRTとは「Street & Racing Technology」の頭文字であり、フィアット・クライスラーグループのハイパフォーマンスカー部門となる。

最初のSRTモデルは不吉にもパッとしない2003年モデルのダッジ・ネオンだったが、ターボ過給された4気筒を積むネオンSRTは非常に速いクルマではあった。その証拠に2016年にはメイン州で警察によって235km/hの速度記録が測定されている。

現在ではSRTの名は大排気量エンジンを積んだ大型モデルによって知られていることだろう。

彼らの最も新しい最速モデルは、808psを絞り出す6.2ℓスーパーチャージャー付きHEMI V8を搭載した写真のダッジ・チャレンジャーSRT デーモンだが、僅か2.3秒で97km/hに到達する。これはブガッティ・シロンよりも早い。

判定

大成功

VXR(ヴォグゾール):2004~

英国のヴォグゾールほど退屈なメーカーはあまり無いだろう。今年の初めまでGM子会社であったこのメーカーは、品質面ではフォード同等と見做されているが、動力性能に関してフォードほどの評価は得られていない。

この状態を打破すべく、2004年、GMはVXレーシングディビジョンから分離する形でVXRブランドを創設した。当初有望視されたものの、最初にVXRバッジを授けられたのはモナーロとVXR220であった。

モナーロはオーストラリアのマッスルカーであり、VXR220は実際には軽量なロータスであったにも関わらず、このブランドには何かが欠けていた。

コルサVXR、ベクトラVXRともにVXRを名乗る資格はあったが、ザフィーラVXRと写真のメリーバVXRに至っては謎であった。欧州の姉妹ブランドであるオペルはVXRと同じモデルをOPCブランドで販売している。

判定

大成功(しかしモデル限定)

アバルト(フィアット):2007~

カルロ・アバルトは1950年代から60年代に掛けて大成功を収めた。

アバルトの手に掛かったモデルは数多いが、中でも最も有名なのはハイパフォーマンス化されたフィアット500だろう。

1971年、アバルトはビジネスをフィアットに売却、以降アバルトはフィアットにとって、フォードのRSのようなハイパフォーマンスカーのためのサブブランドとなった。

2007年、フィアットは500sとグランデプントを売り出すにあたり、アバルトをグループ内のブランドとして独立させた。

最新のアバルトモデルにはフィアット124とマツダMX-5(日本名:ロードスター)ベースのアバルト・スパイダーがある。先日この新しいラリーモデルを試乗する機会を得たので、写真のとおり思い切り走らせてみた。

£153,500($206,000)のプライスタグを掲げるが、本格的なラリーカーが手に入るのであればそれ程悪くない話である。

判定

大成功

DS(PSAグループ):2009~

シトロエンやプジョーのエンブレムを纏ったクルマを高級車市場に押し上げるのは簡単ではない。これこそがPSAグループが北米と南アジアを除く地域にDSブランドを設定した理由である。

しかし、問題はこれまでのところ全てのモデルが単にシトロエンのエンブレムを付け替えただけのクルマだという事だが、一旦独自の個性を持ったモデルでブランドの価値を築くことができれば、全ては好転するだろう。

そして今このシトロエンのサブブランドには、更にそのサブブランドと言える存在がある。DSのプラグイン・ハイブリッドモデルはE-テンスのブランドで販売されることになりそうだ。

2017年4月に撮影されたこの写真は、フランスのマクロン新大統領を乗せた近々発売予定の中型SUV DS7クロスバックである。

判定

審議中

i(BMW):2013~

EV化を進めると決めた時からBMWは本気だった。カーボンファイバーのボディシェルを製造するための工場を新設し、EV専用のブランドを立ち上げたのだ。ただ単にiと呼ばれるこのブランドの最初のモデルはi3とi8である。

iブランドに続くのが、330eや740eといったプラグイン・ハイブリッドモデルに設定されたiパフォーマンスである。

写真のiビジョン・ダイナミクス・コンセプトカーは、600kmの航続距離を誇るBMWの新たな3シリーズクラスのEVスタディモデルである。2021年の発売が予定されており、恐らくi5を名乗る事になるだろう。

判定

大成功

SVO(ジャガー・ランドローバー):2014~

2014年に設立されたジャガー・ランドローバーのスペシャル・ビークル・オペレーションズの任務は、タイプの異なる3つの究極モデルを送り出す事である。

ジャガー・ランドローバーとしては最速のロードゴーイングモデルとなるSVR、豪華さを極めたオフロードモデルであるSVX、そしてトップに君臨する頂点のモデルたるSV-オートバイオグラフィーである。

これまでのところ、SVOブランドはあまりその存在感を示す事ができていないかもしれないが、われわれは550psを発する写真のレンジローバー・スポーツ SVRを大いに気に入っている。今後数年間で更に多くのSVOモデルが発売されるはずだ。

判定

これまでは順風満帆

ヴィニャーレ(フォード):2014~

イタリアのコーチビルダーであるヴィニャーレの歴史は1948年の工房設立に始まる。

2014年、独立ブランドとしての成功を期待され、フォードのサブブランドとなった。フォードはヴィニャーレの名の下でイメージを向上させようとしており、欧州における栄光のブランドを作り出すべくヴィニャーレに夢中のようだ。

しかし、洒落たキャビンと増えたボタンも、依然としてこのクルマがフォードである事実を覆い隠す事はできていない。しばしば素晴らしいクルマを送り出しているにも関わらず、多くのひとにとってフォードは憧れのブランドではないのだ。

いくらヴィニャーレの名を冠しても、そのプライスタグを正当化し、更にはフォードをプレミアムブランドの地位に引き上げるには不十分かも知れない。最新のヴィニャーレ・モデルは写真のフォード・フィエスタである。

判定

審議中

e-トロン(アウディ):2014~

アウディは自社のEVにe-トロンというブランド名を与え、2009年発表のコンセプトカーに冠した。しかし、その後e-トロンのプロダクションモデルとなるハイブリッドA3スポーツパックがショールームに並ぶまでに更に5年の月日が流れた。

将来的には多くのe-トロンバッジを付けたモデルが発売されることになるが、それは独自のモデルではなく、単にアウディの通常モデルのEVバージョンとなるだろう。

2015年に発表されたこのSUVコンセプトカーはe-トロン・クワトロ・コンセプトと呼ばれている。

判定

時期尚早

ジェネシス(ヒュンダイ):2015~

言い古された課題である。大衆向けのイメージを覆して、消費者からの羨望を集めるにはどうすれば良いか? もちろん、高級市場向けの独立ブランドを作れば良いのだ。

2008年、ヒュンダイは最初のジェネシスのサルーンモデルを発売。2015年、$70,000のプライスタグをつけたメルセデスSクラスサイズのG90(写真)の発売に併せ、米国市場とその他いくつかの地域において、ジェネシスを独立ブランドとした。

2016年にはG80が発売され、更にはキア・スティンガーの姉妹モデルでありBMW 3シリーズ級の、より小型なG70が2018年に発売予定である。米国市場におけるジェネシス・ブランドのセールスは2016年に7,000台近くであったものが、2017年は現時点で既にその2倍以上となっている。

判定

更なる経過観察が必要

EQ(メルセデス・ベンツ):2018~

EV化は多くの自動車メーカーにとって、自社のマーケティング戦略を慎重に検討する機会をもたらしたが、メルセデス・ベンツはこの機にEQと呼ばれる新たなブランドを設立した。

最近行われたフランクフルト・モーターショーにおいて、メルセデスは写真のEQAを公開した。400kmの航続距離を持つこの洒落た小型EVのコンセプトカーは、2020年の発売が見込まれている。

判定

誰か教えて

ポールスター(ボルボ):2018~

1996年にフラッシュ・エンジニアリングとしてスウェーデンで設立されたが、2005年にポールスターに社名を変更。

4年後、ポールスターはボルボとの提携を開始し、ボルボの車両に対するパフォーマンスのアップグレードが正式に認可された。2015年、ボルボは自社のハイパフォーマンス部門とするべくポールスターを買収した。

最近、ポールスターは独立したブランドとしてハイパフォーマンスEVの生産に特化する事が発表された。写真はわれわれの予想図であるが、近日中にオフィシャル画像を入手できる見込みである。

判定

幸運を祈る!


サブブランドって言っているのだが、製造する認可を有していて一つの看板を掲げられているブランドとメーカー内での一つのブランドなのかで全然違うので主観を多分に含むこの記事は微妙だね
あと、二択なら二択ではっきりすればいいのに判定が全部バラバラで判断する事すら放棄しているようにしか見えない…
Posted at 2017/10/22 21:09:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2017年10月22日 イイね!

コレでインパクトは限定的ねぇ~

【新聞ウォッチ】日産、不正検査の「上塗り」発表、西川社長2枚目のイエローカードでも”退場”表明なし

気になるニュース・気になる内幕---今日の朝刊(朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙・東京本社発行最終版)から注目の自動車関連記事をピックアップし、その内幕を分析するマスコミパトロール。

2017年10月20日付

●日産国内出荷全て停止、無資格検査4工場継続発覚、再発防止策従わず(読売・1面)

●ライドシェア交通の革命(読売・6面)

●神鋼遠い「安全宣言」国際規格取り消しも、車各社は「アルミ板問題なし」(読売・10面)

●スーパーカブ世界で1億台(読売・10面)

●天皇陛下退位19年3月末、即位・新元号4月1日(朝日・1面)

●神鋼製の安全性確認、トヨタ・ホンダなど(朝日・11面)

●東証29年ぶり13連騰、バブル期以来歴代2位(毎日・2面)

●最上級レクサスHVモデル発売、安全機能向上(毎日・7面)

●あおり運転3057件摘発、遭遇「距離取って通報を」(産経・30面)

●エコカー新規制外資が対応苦慮、中国、19年から義務付け(日経・13面)

ひとくちコメント

サッカーでも「イエローカード」を2枚もらうと即刻、退場処分を受けるが、「お客様からの信頼を回復し、事業を正常化に戻すことが私の使命と責任」などと、相変わらず“優等生”の経営者のような答弁では、自ら身を引くようなことはないようだ。

日産自動車が、追浜工場など国内の工場で無資格従業員による検査問題の発覚後も不正行為の「上塗り」を続けていたことが判明し、再び出荷停止に追い込まれた。10月19日午後7時から横浜の本社で西川広人社長としては2回目の謝罪会見を開いて、問題の経過説明を行ったが、「大変申し訳なく、残念な報告をさせていただく」と切り出したものの、頭の下げる角度は決して”“深々”とではなhく、時間も1~2秒と短かった。

しかも、問題の背景を問われると「言い訳のしようがない」としたうえで「課長と係長とのコミュニケーションのギャップが非常に大きかった」と、「現場の不手際」を強調し、「20年以上前から慣習化していた」などと、経営の責任を逃れのような発言もみられた。

きょうの読売、毎日が1面トップをはじめ、各紙が1面、総合面、経済面、社会面などで「日産国内出荷全て停止、無資格検査、4工場継続発覚」を詳しく取り上げている。

各紙の解説記事のタイトルをみると、読売は「日産『信頼裏切った』、現場管理ずさん、ブランド価値低下必至」、朝日は「日産、社内統制きかず、経営陣の責任問題不可避」、毎日も「日産への不信底無し、西川社長法令順守甘さ認める」。

産経は「日産社長強気発言を一転」、東京は「日産、ずさんな組織管理」。日経は「日産、経営陣の指示届かず」と、各紙ともずさんな組織を指摘。「ブランド価値の低下は避けられず、消費者の信頼回復への道のりは険しい」としている。そして、共通しているのは「経営陣の責任問題への発展は避けられない」との見方だった。



日産、無資格者の検査を4工場で継続…全工場出荷停止、再リコールも検討

工場出荷前の完成検査を無資格者が行ったことで、日産自動車の西川廣人社長が19日、再び緊急会見した。

無資格者による検査が、日産車体湘南工場だけでなく、日産自動車追浜工場、同栃木工場、日産自動車九州の4か所でも継続されていた。社内調査で判明したため、国内生産拠点6か所すべての国内向け生産を止めて、法令順守した形に是正することを決めた。輸出向けは引き続き生産を続ける。国内向けはすでに完成した車両も出荷も停止する。

「再開は非常に慎重にいきたい。2週間程度かかる」と西川氏は述べたが、問題は無資格者の検査だけはなかった。

完成検査を厳格に行うために、法令では検査エリア(テスターライン)を国土交通省に届け出る必要があるが、これも怠っていた。また、完成検査の項目の一部検査を、検査エリアとまったく関係のない部署に移して実施していた。その検査を正規の検査員以外が行っていた。生産停止後にテスターラインを定めたとしても、その後に国交省の承認を得る必要があるため、目論見通りに再生産できるかは日産独自では決められない。

さらに、完成検査が正規の手続きで終了していないことから、再発防止後に生産した車両約3万4000台について、工場に差し戻して再検査を実施するほか、すでにナンバーを取得した車両についてはリコールを検討している。再検査を実施する車両は4工場で約3万台、リコールを検討している登録車は4000台を見込んでいる。

検討されているリコールは、資格を持つ検査員が正常に完成検査を終了し、正しい検査終了証を発行するための再検査。すでに届け出た116万台と同じで、販売会社の指定工場で再点検を行う。「3万4000台は116万台と全く同じで、安心してお乗りいただける」と、西川氏は呼びかけた。

再検査とリコールにかかる費用を10億円と見込み、「インパクトは限定的である」(前同)と話した。


日産に助けてもらうつもりだった三菱もこれで共倒れとかしないかな?
Posted at 2017/10/22 20:58:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2017年10月22日 イイね!

もう完成していたのか

もう完成していたのかスバル、北海道のテストコースを刷新…アイサイトを進化

SUBARU(以下スバル)は北海道・美深試験場に高度運転支援技術の開発に向けたテストコースを新設、10月20日報道陣に披露した。

スバル研究実験センター美深試験場(北海道中川郡美深町) は、冬季の雪上試験を目的に1995年に開設された試験場だ。総敷地面積361ヘクタールの中に、寒冷地走行試験のためのコース、高速周回路やハンドリング路で様々なテストを行ってきた。

運転支援システム「アイサイト」をさらに進化さめるために、スバルは美深試験場のコースを約30億円かけて改修、「高速道路のカーブ」「高速道路の分流や合流」「市街地を想定した交差点」などを新設したほか、従来からあった高速周回路や氷結路などもリニューアルし、リアルワールドの走行状況などを再現し、高度化していく運転支援技術の開発を進める。

2020年には、従来のアイサイトのステレオカメラにわずかなデバイスを追加し、自動車線変更機能などを実現するという。基幹となるアイサイトをレーダーで補完し、デジタルマップやGPSなどを活用して実現するそうだ。そのためにもクローズドコースで徹底的にテストを行った後に、リアルワールドの複雑な環境の中に持ち込むという。

車両研究実験第1部部長兼、車両研究実験第4部部長兼、スバル研究実験センター長の藤貫哲郎氏は「今までは美深も使いながら、ほかのテストコースや仮設の設備でも実験を行っていたが、美深が新しくなったことで、より集中して実験できる。より現実に近いテストができることで、実験成果がそれほど遠くないタイミングで実車に反映されるとを期待している」と語った。

また、美深試験場内に所有する森林を整備・保全する「SUBARUの森」活動に着手、地元自治体や地域社会と連携し、社会貢献活動を展開していく。試験場が整備されたことで、この活動も強化するとのことだ。



一度走ってみたいですね


自動運転技術の秘密特訓場!? スバルが新設したテストコースに潜入!

0~120km/hの速度域において先行車に追従したり、白線(区画線)を認識して操舵アシストをしたり、と自動運転技術につながる運転支援システム「アイサイト・ツーリングアシスト」をローンチしたばかりのSUBARU。

まさに自動車業界のトップランナーといえる高度運転支援技術を磨くためにテストコースを新設しました。2017年11月より運用開始予定、いまだ同社の吉永泰之社長さえ訪れたことがないというできたてホヤホヤのコースを見学することができたのです。

これまで主に冬季試験を行なっていたスバル研究実験センター美深(びふか)試験場は白樺に囲まれた美しいテストコースですが、そこに新設されたのは信号のある交差点やラウンドアバウトなどを配置した市街地路。そして、従来からの高速周回路は高速道路を模した設定にリニューアルされたのです。

全長4.2kmの高速周回路を、実際に走行することができました。

インターチェンジやサービスエリアを想定した「分合流路」やパーキングエリアのようなスペースは、たしかに「どこかにありそう」な雰囲気。また、本コースに新設されたという「緩やかなカーブ」は、車線維持支援システムの熟成に役立ちそうな微妙に変化している点が、いかにもテストコースといった雰囲気。

さらに、北米のフリーウェイを模した「コンクリート舗装路」を新設するなど、グローバル展開を目指すアイサイト・テクノロジー進化を支える重要な試験場になりそうです。

2020年には自動車線変更機能を実装することを目指しているSUBARUですが、そうした技術開発も考慮して4車線の道路を想定した「多車線路」も新設しているのも注目です。

これまで磨き上げてきた高速道路での運転支援システムとは異なるフェイズの、市街地における運転支援・自動運転技術の開発も美深テストコースの役割となります。

そのために新設されたのが、片側1車線・対面通行を想定した市街地路です。信号機や標識は日本で使われているタイプですが、左側通行と右側通行に対応できそうな配置で、信号機については雪国仕様の縦型も設置されているのが印象的。土地柄、積雪によって白線が見えない状態での試験も可能となっています。

また、信号がない交差点として今後の普及が期待されている「ラウンドアバウト(円形交差点)」も再現されています。こうしたシチュエーションでのクルマ同士の交渉など、様々なテストが行なわれうことが期待されます。

上から見ると、漢字の「田」のような形をしている市街地テストコース。現時点では道路があるだけですが、将来的には建物を置くことで、リアルワールドに近づけたテストができるようにしていきたいと話を聞くこともできました。

そのほかプリクラッシュブレーキの試験を行なうことのできる試験路(直線路)には交差点を模したデザインを追加することで、交差点での飛び出しなど様々な事故シナリオに対応した開発もできるようになっています。また、直線路を伸ばし、プリクラッシュブレーキをテストできる速度域を高めているのも「究極の安全」を目指すというSUBARUの強い意思を感じさせます。

さらに、作業や執務を行う「業務棟」を建て直すなど設備を充実させたことも開発を加速させることでしょう。

SUBARUの目指すドライバーファーストでの安全を実現する運転支援技術、その進化と高度化に期待が高まる美深テストコースのリニューアルです。

(写真:SUBARU/門真 俊 文:山本晋也)



スバルが自動運転車のテストができる試験場を開設!

 インターチェンジやサービスエリアを想定したテストも可能

 旭川市と稚内市のほぼ中間に位置する北海道美深町(びふかちょう)。昨年の平均気温5.5度、最低気温はなんとマイナス30.7度という、日本でも屈指の寒さを誇るこの町に、国内最北端の自動車試験場「スバル研究実験センター美深テストコース」がある。

 もともとは、SUBARUが1977年から美深町内で冬季試験を実施したのが始まりで、その後、寒冷地における性能評価や雪上試験などを目的とした開発拠点として、1995年に美深町の仁宇布(にうぷ)地区に美深試験場が開設された。これまでは冬季のみの使用だったが、これからの自動運転時代を見据え、同コースがアイサイトや自動運転などの開発に活用されることになり、改修がスタート。2017年11月からの本格運用を前に、報道陣に公開された。

 試験場は、全長4.2kmの高速周回路と、市街地路、その他の試験設備で構成。従来から設置されていた高速周回路に、都市間高速道路本線にある「緩やかなカーブ」、インターチェンジやサービスエリアを想定した分合流路、4車線道路を想定した多車線路、北米のフリーウェイを模したコンクリート舗装路が新設されている。写真は、サービスエリアの分合流路。長方形のアスファルト部分が、サービスエリアに該当する場所だ。

 また市街地路では、実際の交差点を模したエリアや、欧州に多いラウンドアバウトを再現したエリアを設置。信号は本物と同じように稼働していた。今後は必要に応じて建物などを設置していき、実際の街並みのようにしていくそうだが、見学会に訪れた地元・仁宇布地区の方からは「コンビニを作ってほしい」と言われたとか。リアル“トミカタウン”のようで楽しそうな気もするが、「利用するお客さんがいらっしゃらないので……」と丁重にお断りしました、とのこと。

 そのほか敷地内には事務棟があるが、あえて宿泊施設は設けず、スタッフは約1時間掛けて街から毎朝通勤している。当初は宿泊施設を作る考えもあったそうだが、この1時間の通勤においてさまざまな気候、路面状況のなかでクルマを走らせることが、クルマの評価に役立つのだという。往復2時間の通勤が、スバル車にリアルワールドでの安全、安心、愉しさに繋がっているのだ。

 今後SUBARUでは、新しいテストコースをフル活用し、2020年に自動車線変更機能、さらに交差点での衝突を防ぐ技術など、自動運転化時代を見据えたアイサイトの進化を加速させていく。目指すのは「自動車事故ゼロ=究極の安全」。さらに自動運転=無人運転ではなく、SUBARUらしく、あくまでもドライバー中心の安心で愉しい自動運転技術を開発していくということ。スバリストも納得の自動運転技術が生まれることに期待したい!




スバル 美深試験場に高度運転支援技術テストコースが完成。2017年11月より運用開始

スバルは、スバル研究実験センター美深試験場(北海道中川郡美深町)に、高度運転支援技術のためのテストコースを新設した。今後の運転支援技術の高度化に向けて、2017年11月より運用を開始する。

1995年に開設した美深試験場は、寒冷地における性能評価や雪上試験などを目的とした開発拠点となっていて、総敷地面積361ヘクタールの中に、各種試験路やハンドリング路のほか2003年には高速周回路を増設し、さまざまな試験を実施している。今回新設した美深試験場の「高度運転支援技術テストコース」は、既設のコースをベースに、より実際の道路に近づけるように見直して建設されたもの。全長4.2kmの高速周回路は既存のものをベースに高速道路本線にある緩やかなカーブを新設。またインターチェンジなどを想定した分合流路や多車線路、北米のフリーウェイを想定したコンクリート路なども新設されている。また市街地路では対面通行を想定したコースや、右折レーンの有無に加え導流帯のある交差点、ランドアバウトなどを再現。これらのテストコースを活用することでスバルは、高度化していく運転支援技術に必要な技術開発をさらに加速させていく予定だ。
Posted at 2017/10/22 20:53:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2017年10月22日 イイね!

ちょっと台風早くなった?

最初の予定では月曜の朝がやばいのかな〜って思ってたけど今の流れだと日曜の夜中には関東抜けるかもしれなくないですかね
いや、もう正直仕事だしどっちでも良いんだけどこのタイミングで台風一過でカンカン照りとかやめて欲しいかなってだけですな

連日の頭痛で睡眠時間がガチャガチャダヨ〜
Posted at 2017/10/22 01:36:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記 | 日記

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にしてもヘッドライトくすんで来たな…リフォーマーとかやるかな?」
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