2019年12月31日
さぁ〜
年越し蕎麦をゆっくりしましょう
Posted at 2019/12/31 21:31:37 | |
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2019年12月30日
ひぐらしのなく頃に「古手梨花」、MAPLUSキャラdeナビに登場
エディアは、同社が運営する徒歩・カーナビアプリ「MAPLUSキャラdeナビ」にて、アニメ「ひぐらしのなく頃に」より、キャラチェンジセット「古手 梨花(CV.田村ゆかり)」の提供を12月25日より開始した。
MAPLUS キャラdeナビは、基本利用料無料のナビアプリ。キャラチェンジセットを購入することで、声優陣の演じる個性豊かなキャラクターへ切り替えることができ、それぞれの世界観に合わせたセリフや、案内表示ボタン・背景などとともに目的地まで案内してくれる。また、車の走行中だけでなく徒歩でのナビゲートにも対応するほか、利用シーンに合わせて案内音声以外のセリフもキャラクターが話しかけてくれ、楽しくナビゲートする。
「ひぐらしのなく頃に」は、連作式ミステリーの同人ノベルゲームとして製作。やがて圧倒的な人気を得てあらゆるメディアに進出していった。家庭用ゲーム版や携帯アプリ版、コミック版、テレビアニメ版などが制作され、実写映画版では単館上映作品としては異例の2億円超の興行収入を記録した。
ボイスコンテンツでは、愛くるしい梨花が「にぱー☆ こんにちは、なのです。今日も張り切っていくのですよ」と優しく癒される声で楽しく道案内を行うほか、「私を騙したりしたら後が怖いわよ。覚えておくことね」など、時折“黒梨花“を覗かせることもある。
「夏目友人帳」MAPLUSキャラdeナビに登場決定
エディアは、同社が運営する徒歩・カーナビアプリ「MAPLUSキャラdeナビ」にて、TVアニメ「夏目友人帳」がボイスコンテンツとして登場することが決定したと発表した。
MAPLUS キャラdeナビは、基本利用料無料のナビアプリ。キャラチェンジセットを購入することで、声優陣の演じる個性豊かなキャラクターへ切り替えることができ、それぞれの世界観に合わせたセリフや、案内表示ボタン・背景などとともに目的地まで案内してくれる。また、車の走行中だけでなく徒歩でのナビゲートにも対応するほか、利用シーンに合わせて案内音声以外のセリフもキャラクターが話しかけてくれ、楽しくナビゲートする。
夏目友人帳は、緑川ゆき原作のミステリーアニメ。妖怪を見ることができる少年・夏目貴志が、祖母レイコの遺産「友人帳」を受け継ぎ、自称用心棒のニャンコ先生と共に、そこに名を縛られた妖怪たちに名を返す日々を送る。2008年よりTVシリーズ6期が放映され、2018年には劇場版が公開されている。
主人公夏目をはじめ、個性的なキャラクターが多く登場する本作において、ボイスコンテンツでは、特に個性的な人気上位キャラクターと一緒に出掛けているような感覚での道案内が楽しめるほか、限定特別ボイスも用意する予定だ。
Posted at 2019/12/30 16:08:06 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年12月30日
旧車ファン注目。横浜ゴム、ポルシェクラシックカー向けタイヤを箱根ターンパイクで期間限定展示
横浜ゴムは2019年11月より神奈川県、アネスト岩田ターンパイク箱根の終点に位置するアネスト岩田スカイラウンジ内において、ポルシェ・クラシックカー向けタイヤを2020年4月末までの期間限定で展示中だ。
この催しは横浜ゴムと、ポルシェセンター青山・世田谷クラシックパートナーが共同で、ヒストリックカーファンなど自動車愛好家の間で人気スポットとなっているアネスト岩田スカイラウンジ内のギャラリースペース“HCギャラリー”を舞台に、オールドポルシェ向けパーツを展示するもの。
横浜ゴムはこの展示コーナーに、2019年8月から販売をスタートさせた『ヨコハマA-008P』や、同年7月に発売された『G.T.スペシャル・クラシックY350』など同社のヒストリックカー向けタイヤを中心に出展している。
ヨコハマA-008Pは、1980~90年代に登場したポルシェのスポーツモデルに採用されていたポルシェ新車装着用タイヤの復刻商品だ。ドイツの名門ブランドとの共同開発によって誕生した同モデルには、ポルシェの承認を示す“N0”のマークが刻印が記されている。
一方、G.T.スペシャルY350は幅広いクラシックカーに対応するオールマイティ・ヒストリックタイヤ。1960~70年代の国産・海外車にマッチする外観が与えられた同モデルは、現代の最新技術を用いて旧車の乗り味を損なわいマイルドな乗り心地を損なわず安全性を確保したという。
2017年に復刻した『ADVAN HFタイプD』など近年、さまざまなヒストリックカー向けタイヤをリリースしている横浜ゴムは、中期経営計画“グランドデザイン2020”のタイヤ消費財戦略において『ホビータイヤ戦略』を掲げており、レースやクラシックカー、オフロードなどあらゆる自動車ユーザーの趣味に対応する新商品の開発と、既存商品のサイズラインアップ拡充を進めている。
横浜ゴム、ターンパイク箱根にポルシェクラシックカー向けタイヤを期間限定で展示
横浜ゴムは、ポルシェセンター青山と共同で、アネスト岩田ターンパイク箱根にて、ポルシェクラシックカー向けタイヤの展示を開始した。
ターンパイク箱根の終点に位置するアネスト岩田スカイラウンジは、ヒストリックカーをはじめとした自動車愛好家が集まる場として知られる。ギャラリースペースに設置した展示コーナーでは、2019年8月より販売を開始した「YOKOHAMA A-008P」や 同年7月より販売を開始した「G.T.SPECIAL CLASSIC Y350」など、ヒストリックカー向けのタイヤを中心に展示。横浜ゴムは、より多くのヒストリックカーオーナーに製品をアピールする。なお、展示は2020年4月末までの期間限定となる。
YOKOHAMA A-008Pは、1980~90年代当時のポルシェスポーツモデルに採用されていたポルシェ新車装着用タイヤの復刻商品。ポルシェ社とポルシェクラシックカー向けに共同開発したもので、タイヤサイドには同社の承認を示す「N0」のマークが刻印されている。G.T.SPECIAL CLASSIC Y350は1960~70年代の日本や欧州の歴史的な車に相応しいクラシックな外観に加え、進化した現代技術によりヒストリックカーの乗り味を損なわないマイルドな乗り心地と安全性を提供する。
Posted at 2019/12/30 16:01:28 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年12月30日
ただの旧車じゃない!? 魔改造で生まれ変わった車5選
■第一級の性能を手に入れた旧車とは!?
現在、世界的に旧車の人気が高まっています。なかでもとくに人気なのが1980年代から1990年代にかけて生産されたモデルです。
さらに古いクラシックカーもセレブに人気で、コレクター向けの投機対象としても価値が認められています。
しかし、旧車やクラシックカーの多くは維持が大変で部品も思うように手に入らず、さらに性能も現代のクルマには劣ってしまいます。
そこで、考え出されたのが、外観は古いクルマのまま、中身を最新のテクノロジーで作る手法です。そんな、旧車とハイテクが融合したクルマを5車種ピックアップして紹介します。
●光岡「ロックスター」
日本で10番目の乗用車メーカーの光岡自動車は、「夢のある自由なクルマづくり」を目標に掲げることで、自動車業界のオンリーワンの存在を目指したオリジナルのクルマを数々手掛けてきました。
そして2018年11月に発表された「ロックスター」は、1960年代のアメリカ車を彷彿とさせるデザインが特徴のオープンカーで、現行モデルのマツダ「ロードスター」をベースにしつつ外観のイメージを一新しています。
ロックスターは光岡の創業50周年を記念して限定200台で作られ、発表と同時に発売されたのですが、すでに2019年3月に完売しています。
同年7月に最初の1台がラインオフされ、初期ロットの50台は2019年内に出荷、51台目以降は2020年に75台、2021年に75台の出荷を予定しているといいます。
グレードは6速MT仕様のSとSスペシャルパッケージ、AT仕様のSスペシャルパッケージの3種類で、エンジンはロードスターと同じく1.5リッター直列4気筒を搭載。燃費向上につながる運転技術支援システム「インテリジェント・ドライブ・マスター」を全車に搭載しています。
●ホンダ「N600 Powered by VFR800」
1960年代にホンダが本格的に自動車製造を始めたころ、主力商品はスポーツカーの「Sシリーズ」や商用車でした。
そこで、さらにユーザーを獲得するために、1967年から軽自動車の「N360」の生産を開始し、安価で高性能なクルマとして大ヒットします。
その後、ホンダはN360をベースに排気量を拡大した「N600」を開発して欧米に輸出。1970年にアメリカで販売を開始し、当時の価格は1300ドルでした。このN600を改造して作られたのが「N600 Powered by VFR800」です。
エンジンはホンダ「VFR800」の800ccV型4気筒をフロントに搭載。ベースがFFなのに対し、FRとされています。また、ユニークなのが、エンジンルームにVFR800のエンジンと共にガソリンタンクが収まっていることです。
出力などは公開されていませんが、VFR800の日本仕様(2017年式)では107馬力を誇りますから、相当に速いことが想像できます。ちなみに「N600 Powered by VFR800」のレッドゾーンは1万2000rpmとのことです。
なお、この車両は、2019年のSEMAショーのホンダブースに展示されたモデルです。
●アキュラ「スーパーハンドリングSLX」
ホンダが主に北米で展開している高級ブランドのアキュラは、1986年に始まりました。当初、アキュラブランドで販売されたのは「レジェンド」と「インテグラ」で、後に「NSX」やアキュラ独自のモデルが展開されます。
今回、紹介するアキュラ「SLX」は1996年に発売されたミドルサイズのSUVで、いすゞからOEM供給された「ビッグホーン」と同型モデルです。
このSLXをベースにアメリカホンダの手によって、ドライブトレーンに最新SUV「RDX」のものが移植され、エンジンも215馬力の3.2リッターV型6気筒から、350馬力にチューンナップされた直列4気筒ターボに換装されたのが「スーパーハンドリングSLX」です。
その名のとおり、ホンダの4WDシステムである「SH-AWD(スーパーハンドリングAWD)」を用いて、優れたハンドリングを実現。
外観は一見するときれいにレストアされたノーマルにしか見えませんが、テールゲートにSH-AWDのエンブレムが取り付けられ、内装も極力ノーマルを維持していますが、10速ATのセレクターが最新のボタン式に変えられているなど、小技が光ります。
なお、SLXの当時の価格は3万3900ドルで、スーパーハンドリングSLXの価格は“Don’t even ask”(聞かないで)となっています。
■世界でもっとも美しい電気自動車とは!?
●ルーフ「CTR Anniversary」
ルーフはポルシェ「911」やフォルクスワーゲン車のチューニングによって有名となり、現在はドイツの自動車メーカーのひとつとして、コンプリートカーの製造や、部品の販売、レストアサービスなどをおこなっています。
そのルーフの名を広く知らしめたきっかけは初代「CTR」で、911をベースとしたコンプリートカーとして1987年に発表。最高速度330km/h以上を誇り、黄色のカラーリングから「イエローバード」というサブネームが付きます。
それから30年を経て「CTR2017」を製作し、それをベースとした「CTR Anniversary」が誕生しました。
CTR Anniversaryはカーボンモノコックシャシとカーボンボディを採用し、総重量1200kgという超軽量スポーツカーとして仕立てられています。
一見すると1989年まで生産された第2世代の911をベースに、モデファイしているように見えますが、独自設計によるシャシとボディを採用したCTR Anniversaryには、もはやベースとなる車両は存在しません。
911と同様にリアに搭載されるエンジンは710馬力を誇る3.6リッター水平対向6気筒ツインターボで、初代CTRとは異なり水冷エンジンとなっています。
エンジンの意匠は、かつての空冷エンジンを彷彿とさせるネオクラシックなデザインになっており、車体重量バランスの均等化の為、カーエアコン用コンプレッサー及びパワーステアリングポンプを電動化。それらをエンジンルーム外に配置した事で、エンジン出力のパワーロスを抑える事にも成功しています。
最高速度は360km/hに達し、その高速度域にも対応するRUF製7速MTを採用。また専用設計されたリアウイングなど、クラシカルな外装ながら空力性能も高められています。
●ジャガー「E-タイプ ゼロ」
伝統ある英国の高級車メーカーであるジャガーには、クラシックカーの販売やレストアをおこなう「ジャガー・ランドローバー・クラシック」という部門があります。
そのジャガー・ランドローバー・クラシックが2017年に発表したのが、「E-タイプ ゼロ」です。
ジャガー「E-タイプ」は世界でもっとも美しいクルマと評される、1961年に発表されたジャガーを代表するスポーツカーです。
このE-タイプのオープンカー(ドロップヘッドクーペ)をベースに、フロントに搭載されていた直列6気筒エンジンの替わりに、リチウムイオンバッテリーとモーターを搭載。
バッテリーはエンジンと同寸法で重量もほぼ同じに設定され、その結果前後重量配分も変わらず、オリジナルのE-タイプのような走りとハンドリング、乗り心地、ブレーキングが体験できるよう設計されました。
また、インパネまわりもオリジナルの意匠を継承しながら、液晶モニターや液晶メーターパネルを採用し、クラシカルさとハイテクを融合させています。
※ ※ ※
今回紹介したようなクルマは、なかなかお目にかかれない高額なものばかりですが、意外と人気がありそうです。
旧車の持つ魅力であるサイズ感やデザインをそのままに、最新のメカニズムで作られているというのは、理想的なクルマと思う人も多いのではないでしょうか。
ミニやフィアット「500」、フォード「マスタング」やシボレー「カマロ」などは、まさにそういうコンセプトで作られています。
しかし、たくさん売れて数が増えてしまうと、興味をもっていた人も興ざめしてしまうようで、難しいところです。
Posted at 2019/12/30 15:53:33 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年12月29日
【スーパーGT】25号車マザーシャシーが教えてくれたもの……佐藤公哉「自分に繊細さや丁寧さが身についた」
つちやエンジニアリングの代名詞的存在だった86マザーシャシーが今季いっぱいで参戦を終了することになった。チームオーナーの土屋武士氏が「若い職人」を育てることを目的に長年使い続けてきたマザーシャシー。それは同時にチームに携わったドライバーたちを成長するマシンでもあった。
これまで5シーズンにわたって、このクルマで戦い、成長してきたドライバーたちの話をもとに、改めてマザーシャシーというマシンについて振り返っていこうと思う。
第1回は2019年につちやエンジニアリング加入を果たした佐藤公哉だ。
かつてはヨーロッパで活躍し、F1のテストドライブも務めた経験を持つ佐藤。2015年からスーパーGTに活動の場を移し、それ以来JLOCに在籍していたが、今年つちやエンジニアリングに移籍。開幕戦の岡山ではクラッシュを喫してしまったものの、シーズンを通して安定したパフォーマンスを見せた。
「けっこう僕としては好きなクルマでした。もともと(自分自身の)芯の部分はフォーミュラ乗りだったので、マザーシャシーはハコ車はハコ車なんですけど、どちらかというとシングルシーターに近い動きをしてくれて、機敏だなという印象です。特に雨のコンディションとかでは勉強になる部分もありました。セットアップやタイヤなどの“モノの使い方”などをイチから勉強になりました」
そう語った佐藤は、今年25号車マザーシャシーでレースができたことで、改めてGT3車両の良さとマザーシャシーの繊細を学ぶことができたという。
「(マザーシャシーは)運転に関しても、繊細さが求められるクルマです。僕も最初乗るまでは想像がつかない部分がありましたけど、こうして1年乗らせてもらって、改めて繊細さや丁寧さが求められるクルマだと思いました。『誰でも乗れるんですよ! 速いクルマなんですよ!』というものではないです」
「逆に言うと、GT3はある意味で“よくできた”クルマなんだなと感じました。大きなメーカーが開発をして、誰でも乗れるようなクルマに仕上げてあるんだなと思いました」
さらに佐藤はドライビングだけでなくセットアップの際のコメントの“細かさ”もマザーシャシーでは求められたとのこと。その点はGT3車両ではなかなか経験できなかった部分のようだ。
「ドライバーとして鍛えられる部分もありますし、セットアップに対するコメントひとつにしても、自分なりに色々やってきましたが、その中でも細かく(状況を)伝えないといけないなと思います。チームによって求められるコメントは変わるかもしれませんけど、マザーシャシーは特に細やかで丁寧なコメントが求められるなと思います」
「孝允さんと武士さんの無線での会話を聞いていると、(コメントひとつをとっても)ハイレベルなものが求められるクルマなんだなと感じました」
こうして25号車マザーシャシーとともに戦った1年は自身をさらに成長させるものとなった佐藤。それがGT3車両のレースに出た時にも“クルマを労わる”という点で物凄く役立っているという。
「すごく活かされていますね。実際にS耐(レクサス RC F GT3で参戦)での運転も変わった気がします。一言でいうと、より丁寧なりました。ラフな操作をせずに乗りこなせるようになったなと感じています。あとはマザーシャシーはコーナーが速くて、ラップタイムも(S耐と比べると)秒単位で違います。とにかく繊細さが求められるマザーシャシーを乗った後に、S耐のマシンに乗ると楽だなと感じます。単純に良い意味で余裕が生まれるようになりました」
「(マザーシャシーは)雨のコンディションが難しいのが玉にキズでしたけど、そこでも思うことは自分のドライビングでも出来ることはあったんじゃないかなと、後悔というか思い当たる節もありました」
「そういう意味ではもっと乗りたかったなというか、これで(マザーシャシーでの参戦は)終わりなのか……という寂しい気持ちがありますね」
【スーパーGT】25号車マザーシャシーで得た“わずか数レースの経験”が今も活きる……近藤翼「メンタル面を鍛えられた」
つちやエンジニアリングの代名詞的存在だった86マザーシャシーだが、2019年いっぱいでこのマシンを使用しての参戦を終了することになった。
チームオーナーの土屋武士氏が「若い職人」を育てることを目的に長年使い続けてきたマザーシャシー。それは同時に、チームに携わったドライバーたちを成長させるマシンでもあった。
それは代役参戦や鈴鹿1000km(2017年)や富士500マイル(2018年)での第3ドライバーという形でマザーシャシーのステアリングを握った近藤翼にとっても例外ではなかった。
2017年と2018年に同チームの第3ドライバーとして携わった近藤。特に両シーズンの第2戦富士では当時のレギュラードライバーだった山下健太(2017年)、坪井翔(2018年)がGT500クラスから参戦することになったことで、代役として25号車をドライブした。
「他のクルマとバトルになった時にマザーシャシーは無理が効かないクルマでしたね。どちらかというとGT3の方が乗っていて安心感があります」
現在はアストンマーティン ヴァンテージGT3でスーパー耐久(ST-Xクラス)を戦う近藤は、パフォーマンス面での違いを感じる部分がたくさんあったと語った。
「マザーシャシーは攻めるとピーキーになる一面があるので、(コントロールが)難しくなってしまいます。特に競り合っていて、いつも以上に攻めなければならなくなった場面で、それが顕著に現れてしまいます。だからバトルがなかなか出来ないというか……競り合いになると苦しくなるクルマでしたね」
他の25号車に在籍したドライバーと比べるとマザーシャシーでの走行経験は少なかったが、その中でも近藤は、収穫できたことは多かったと言う。特にメンタル面を鍛えられたようだ。
「(収穫は)すごくありました。僕はスポットでしか乗っていないですけど、マザーシャシーは(運転するのが)すごく難しいクルマなので、タイヤの使い方だったり、ドライビングの技術だったりはもちろん、特にメンタル面が鍛えられました。携わったのは短い期間でしたけど、(土屋)武士さんや松井(孝允)さんと一緒にレースをさせていただいて、勉強になることばかりでした。あと僕が関わった時には山下選手や坪井選手もいて、ふたりの凄さも間近で感じることができて、すごい貴重な経験をさせてもらいました」
25号車での経験が活きたのか、近藤は2017年の86/BRZレース(プロフェッショナルクラス)でシリーズチャンピオンを獲得すると、2018年ポルシェ カレラ カップ ジャパンでもチャンピオンに輝いた。25号車マザーシャシーで得られたものは、今でも彼のレースシーンで役立っているという。
「つちやエンジニアリングとマザーシャシーで経験したことは非常に為になっています。僕は今86レースやポルシェカップ、あとはS耐にも出ていますが、どのカテゴリーでも非常に役に立っています。武士さんから色んなことを教えてもらいましたし、また機会があればもっと教えてもらいたいなと思うくらいですね」
【スーパーGT】25号車マザーシャシーと成長した5年間……松井孝允「このクルマがあったから今の自分がある」
“若い職人を育てる”ことをテーマに掲げ、これまで5シーズンにわたってスーパーGTの舞台で戦い続けてきたつちやエンジニアリングの25号車マザーシャシー。この1台に携わり、若いメカニックだけでなく、ドライバーたちも成長を遂げた。
振り返ってみると、山下健太や坪井翔など1年間このマシンで戦ってGT500クラスへステップアップしていったドライバーもいれば、25号車とともにキャリアを歩み続けたドライバーもいる。それが松井孝允だ。
TDPの育成ドライバーとしてトップカテゴリーを目指した松井だったが、思うように結果を残せずステップアップの道を閉ざされてしまい、一度は挫折を経験した過去を持っている。しかし、そこで土屋武士に声をかけられ、つちやエンジニアリングに加入。2014年のJAF-F4レギュラー参戦を経て、2015年に同チームからスーパーGTデビューを果たすと、翌2016年にはシリーズチャンピオンを獲得した。
そして気がつくと、誰もよりも多く25号車マザーシャシーで走り続けたドライバーとなっていた。
「マザーシャシーについて、いい部分で言うと“速いクルマ”でしたけど、悪い部分で言うと“暑い”んですよね。正直それが僕は一番辛かったですね(笑)。でも、それ以外は本当に悪い思い出はなかったです。確かにレースになれば苦しくなることはありましたけど、本当にいいクルマだなと思いましたし、色んなことを経験させてもらった1台でした」
そう語った松井。この5シーズンの間に山下健太や坪井翔など現在GT500クラスで活躍するドライバーとタッグを組み、様々な想いや経験を共有してきた。25号車を誰よりも多くドライブしてきた分、彼にしか得られなかった経験もたくさんあったという。
「僕にとっては、ドライビングを教えてくれたクルマと言いますか……(土屋)武士さんをはじめ、山下選手、坪井選手、そして今年組んだ佐藤選手もそうですけど、歴代(一緒に)乗ったドライバーのドライビングを、僕は一番近い場所で見させてもらえました」
「色んなカテゴリーを見ていると、今まで乗ってきたドライバーはそれぞれのカテゴリーで速さをみせています。そういったドライバーたちと一緒に組んで様々なことを吸収させてくれた……そういうきっかけを与えてくれたクルマでした」
スーパーGT参戦初年度の2015年当時はトップカテゴリーでの活躍経験がなく、ほぼ無名に近い存在だった松井。そこから、この25号車マザーシャシーとともに着実に力をつけ、現在ではスーパー耐久やニュルブルクリンク24時間レースなど様々な場面で活躍をみせている。
そして2019シーズンのスーパーGTでは、BoPによる追加ウエイトハンデが50kg(富士ラウンドのみ20kg)という厳しい条件下でポールポジションを3度獲得する“速さ”をみせ、今やGT300クラス屈指のトップドライバーとなった。
それは単なる偶然ではなく、これまで5シーズンに渡って多くのドライバーとともに、この25号車マザーシャシーを早く走らせようと試行錯誤してきた中で得られた“結果”だという。
「あのクルマがなかったら、僕は今このレベルでは戦えていないと思います。2019年に3回ポールポジションを獲らせてもらったのは、今まで組んできたドライバーとの経験があって、それをうまく吸収できた結果だと思います」
普段からあまり多くは語らない松井だが、このマシンに対する想いは他の誰よりも強い様子だ。2019シーズン最終戦もてぎのレース後に行なわれたサムライサポーターズのミーティングで、彼は最後にこのように語ったのが印象的だった。
「僕もレーシングドライバーとしてのスタートを切ったのはあのクルマでしたし、みなさんと出会えたのもあのクルマがあったからこそ……だと思っています。もちろんチャンピオンを獲らせてもらえたことも感謝しています。また、このクルマが見れることを僕自身もちょっと期待して……また皆さんとともに走れたらなと思います。ありがとうございました」
【スーパーGT】言葉では表現できないほど“たくさんの想いが詰まった1台”……土屋武士が語る25号車マザーシャシーとは
スーパーGT(GT300クラス)の舞台で5シーズンに渡って活躍し、多くのファンを魅了する走りを見せてきたつちやエンジニアリングの25号車マザーシャシー。しかし、FIA GT3主導という時代の流れもあり、チームは苦渋の決断の末に2019シーズンいっぱいで同マシンの使用を終了することを発表した。
”若い職人を育てる”ことをテーマに掲げているつちやエンジニアリングで、若いメカニックだけでなく、ドライバーたちもこの1台に携わって成長を遂げてきた。
しかし、チームを引っ張る存在である土屋武士自身も、このクルマから多くのことを教わり、学んだという。
マザーシャシーの使用を終了する発表をした1週間後、スーパー耐久の現場に来ていた土屋武士に話を訊くと、第一声はこのようなものだった。
「本当にたくさんのことがありましたね。あのクルマとは……」
現在は同チームのチーム監督兼エンジニアとして定着しているが、25号車マザーシャシーがデビューした2015年当時はドライバーも務め、2016年にはシーズン2勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得。奇しくも同年いっぱいで第一線を退く決意をしていた土屋武士にとっては、最後のシーズンで初めてスーパーGT王者という栄冠を掴んだ。
そんな土屋武士だが、25号車マザーシャシーを語る上で最も熱が入っていたのが2017年だ。自身の父であり、つちやエンジニアリングの創始者である土屋春雄氏が病に倒れた時だったという。
「特に2017年なんて、親父が(病気で)倒れてからオートポリスで勝つまでの間は、本当に1日も休まずにあのクルマに向き合いました。毎日ずっと何か触って、あのクルマのことを考え続けてきましたね」
そう語った土屋武士。ガレージの大黒柱であった父が現場から離れなければならないという状況で、まず考えたことが“親父を安心させたい”という想いだった。
「親父が倒れたというところが一番のきっかけでした。『親父だったら(25号車に対して)何をやるかな?』というのを考えて、思いついたことを全部やろうと考えていました」
「あの年はとにかく親父を安心させようとしていたのが一番でした。やっぱり色んなことが不安になると思うので『コイツらに任せておけば安心だな』と思ってもらえるように、まずは自分がやろうと決めました」
土屋武士は毎日このマシンと向き合い、知恵を振り絞り0.001秒を削り取るために必要なことをこのマシンに投入。文字通り“休みなく”やっていたため、開幕前のテストの結果、25号車マザーシャシーは覚醒を遂げ、これまでにはなかったパフォーマンスを発揮し始めた。それが他陣営が「マザーシャシーが速い!」と嫉妬するほどの快進撃を見せた2017シーズンだった。
それだけではなく、毎日コツコツとマシンと向き合い、数mmにも満たない僅かな“変化”も見逃さず、ひとつひとつ丁寧に対応していくことの重要さを再認識したという土屋武士。この2017シーズンを終えた時に「親父が見えていた景色が分かった気がする」と、何か自身に満ちた表情をしていたのが印象的だった。
この25号車マザーシャシーは5シーズンにわたって戦い“若いドライバーたち”、“若い職人たち”を育ててきた。ただ、こうして振り返るとチームを引っ張っていく立場の土屋武士自身も、このマシンから教わった事はたくさんあったのかもしれない……。
しかし2018シーズン、速さが際立つマザーシャシーを抑制しようという動きが起き始めた。GT300クラスに参戦するマザーシャシー勢に対して最低重量プラス50kgというBoPが課せられたのだ。
「2017年は全く1日も休まず仕事に没頭しましたが、そこでやったことは誇りに思っています。でも、その“栄光”は潰されてしまいました」
「頑張っても頑張っても、全部……潰されてしまいました。やっぱり、なんだかんだ言っても人間なので、頑張ったことに対して肯定されなくても、潰されてしまうと……やっていけないですよね。2018年の頭は本当にそういう気持ちになりました」
「でも、このままだとつちやエンジニアリングはまた消されてしまうので、なんとか消えないように踏ん張ろうと模索したのが2018シーズンでした」
実際に2018シーズンはモチベーションを維持するのも困難なくらい“どん底状態”だったという土屋武士。そんな彼に手を差し伸べたのが、この活動を理解し常に応援してくれる仲間たちだった。
「仲間のみんなが後押しをしてくれて、気持ち的にもなんとかやれるようになって……だからこそ、みんなのためにリザルトが欲しいと思って戦ったのが2019シーズンでした」
その他にも、ここでは語り切れないほどの思い出があるという土屋。自身のレースキャリアの中で携わったマシンは数多くあるのだが、その中でも25号車マザーシャシーは表現する言葉が見つからないほど、思い入れが深い1台だという。
「自分のレース史上の中で圧倒的に1番ですね。(25号車マザーシャシーでの参戦終了を)感情として何かに例えるなら……16年間一緒にいた家の猫が死んじゃった時の感情、これ以外に比べられるものがなかったです」
「あまりにも(想いが)詰まりすぎていて……こんなクルマは他にはないですよね。本当に『ありがとう!』という一言に尽きるし、感謝の気持ちしかありません」
GT300はどうなるんだろうか
スーパーGT:GT300クラスのJAF-GT車両規定に変更。エキゾースト位置変更が可能に
JAF日本自動車連盟は、12月25日で2020年のJAF国内競技車両規則の改正および追加についてホームページに掲載した。スーパーGT GT300クラスへの参戦が可能なグランドツーリングカー300についても変更が加えられている。
2019年のGT300クラスにはJAF-GT規定に沿って2台のTOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GT、そしてSUBARU BRZ R&D SPORTが参戦していた。今回の変更で大きな点としては、第3条3.3.2)のドア部分が挙げられる。
2019年まで規定として定められていたのは、「ドア外面形状は、フラットボトム底面から120mmまでの範囲を削除することができるが、それ以外の部分は当初の形状を維持しなければならない。ドアの裏面形状を変更することが認められる」というものだ。
この規定が2020年からは、「ドア外面形状は、フラットボトム底面から120mmまでの範囲を、またドア下部サイドステップ内に排気系(触媒装置含む)を設置する場合ドア外面形状は、フラットボトム底面から170mmまでの範囲を削除することが出来るが、それ以外の部分は当初の形状を維持しなければならない(以下略)」とされた。
つまり、これまで底面から120mmより上の範囲は市販車のドア形状を保たなければならなかったが、サイドステップ内にエキゾーストを通す場合は170mmまでドア形状を変更することができる。
これまでTOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTやSUBARU BRZ R&D SPORTは、フロントタイヤ後方のフェンダー下部からエキゾーストが出されていたが、この規定変更により、レクサスRC F GT3やメルセデスAMG GT3、ニッサンGT-RニスモGT3等の他のFRのGT3カーでも見られるようにサイドステップにエキゾーストを通し、ドア下部、もしくはサイド後方下部から出すことができる。
12月27日に富士スピードウェイでシェイクダウンされたGRスープラとおぼしき車両も、エキゾースト出口がドア下部にあり、サイドにはエキゾーストの排熱と思われる穴が開けられている。
また、今回の規定統一では最低重量とエアリストリクター径の組み合わせとして、これまで1100kg/1150kg/1200kgという最低重量区分だったものが、新たにこの3種類に加え1250kgと1300kgが加えられた。
スーパーGT:JAF-GTのGRスープラか!? 富士でカモフラージュ模様のマシンがシェイクダウン
12月27日、富士スピードウェイのスポーツ走行のなかで、1台のGT300マシンとおぼしき車両がシェイクダウンされた。詳細は明らかにされていないが、トヨタGRスープラのエクステリアとともに、埼玉トヨペットGreen Braveを示すと思われるカモフラージュ模様が入れられている。8時50分から14時50分までに行われた3本のスポーツ走行枠を使って、マシンは無事にシェイクダウンを終えたようだった。
『その正体は、まさかのスープラ!?』──12月27日に発売されたオートスポーツNo.1522のなかで掲載した、「2020年は新しいJAF-GTが出てくる」の噂。その車両が走るのでは……? という情報が寄せられた12月27日の富士スピードウェイで、その情報どおり見慣れぬ車両が姿を現した。
8時50分からのスポーツ走行枠で、やや時間をおいてガレージのシャッターが開けられると、姿をみせたのはGRスープラのボディをもつGTカー。ただ、すでにシェイクダウンされているGT500マシンとは明らかに形状が異なり、より市販車に近い。
さらに走り出すと、TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTと似た低いサウンドがこだまする。GT300マザーシャシーはエンジンもGTA V8エンジンに定められており、その音とは明らかに異質なものだ。当然、TOYOTA GAZOO RacingからGT3カーのアナウンスはない。「新しいJAF-GT」なのは間違いなさそうだ。
また、ボディには『GB』『GreenBrave』の文字が読み取れるカモフラージュ模様が描かれている。チームスタッフのウェア、コクピットには吉田広樹のヘルメットが見えることからも、埼玉トヨペットGreen Braveが走らせるものであるのは間違いなさそうだ。タイヤはブリヂストンを履いていることが確認できた。
この日は、早朝まで降っていた雨の影響でウエットだった走行1本目ではまず、アウトラップからそのままピットイン。チェックを終えた後、ふたたびコースインすると、まずはそのままチェッカーまで走りきった。日射しが出てドライになった10時50分からの走行2本目では、途中赤旗中断があったものの、GRスープラとおぼしき車両は順調に周回。13時40分からの走行3本目でも、非常に快調なペースで走行を終えた。
ピット内はGT500のテストかと思うほど、非常に多くのスタッフが携わっているシーンが見て取れたが、関係者によればこのマシンはJAF-GTカーではあるものの、詳細はまだ明かせないという。埼玉トヨペットGreen Braveは2020年1月10日にスタートする東京オートサロン2020に出展する予定で、このGRスープラとおぼしきマシンの詳細はオートサロンで明らかにされそうだ。
スーパーGTもてぎ戦の際にその“存在”が明かされた新たなJAF-GT車両がこのマシンなのか。そして2019年に大きな躍進を遂げた埼玉トヨペットGreen Braveのニューウェポンがこの車両なのか……!? 興味は尽きないところだ。
Posted at 2019/12/30 15:43:22 | |
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