
私のがんとの付き合いは2004年からのことでした。
今考えると、実際には2003年の春過ぎあたりから進行していたのでしょうけれど、
まさか自分ががんだとは思わずに、仕事の忙しさと猛烈なストレスと休みの無さに追われながら「ただの疲れでしょ?」と毎日コンビに弁当とビールと煙草で過ごして疲れを誤魔化しながら次の日の仕事をしていました。
2004年の1月中旬と2月の末に診てもらった地元の総合病院では
泌尿器科の専門医がいなかったこともあり、自分が訴えていた唯一の
自覚症状である「背中の中央から下腹部にかけての引っ張られるような張りと痛み」をエコーやCTやMRIなどによって精密検査をすることすら行われませんでした。
唯一の検査と言えば胸部レントゲン写真だけでした。
ドクターが写真を見て『う~ん何だろうこれは…何か変なものがあるんだけど?』
『もうちょっと調べてみたいんですけど時間取れますか?』
「あ~今は仕事がかなり忙しいのでちょっと無理です」
『う~ん、そうですか…』
ということで何故か次回の予約も何も無しに終了。
ちなみにそれは副腎皮質がんが肺がんに転移してる証拠でして、あとで医大の先生たちが『何だその対応は~!!』って驚いていました…通常怪しいと判断した場合には短期間で無理にでも検査をすすめて患者にとって多くの役立つデータをとるのが医療だそうです。
ちなみに2回目のあまりの背中の痛みで動けなくなり、救急車を呼んで自ら来院した際は、救急隊員の方が僕の背中を叩き、痛みで悶絶している姿を見て『腎臓結石の恐れがあるなぁ…』と的確(だけど違ってます…残念!!)な指示を出してくれました。…その地元の病院の看護婦さんは痛み止めの点滴を僕に2本セットしした後、処置室の硬いベッドの上に精神的に不安なままの僕を2時間以上置き去りにしてくれました。
点滴の終わる頃、今まで何の診察もしなかったドクターがようやく『ウチでは専門化がいなくてどうしようもないので専門医のいる隣町の病院に紹介状を書きますから月曜日にでも行ってみて下さい』と言われ、病院から自宅に帰されました。(土曜日の午前中に…)
結局、土・日と熱と寒気と痛さに一人で耐えながら自室のベッドで過ごし、月曜日の朝一番で北見の古屋病院に飛びました。正直またどうされるかわからないな…という不安の中でエコーの検査がありました。
そしてエコーかけ始めて10秒ぐらい経った頃、
『見つけた、なんだこの腫瘍?…画像に入りきらない!
腎臓の近く…だけど副腎がここまで大きくなる例はそんなにないはずだ!
何だコレ?やっぱり場所的には副腎しか考えられない!!』…と非常に的確にリアルタイムで実況していただきました。
…このセカンドオピニオンの間までに3ヶ月ですから
僕のがんはすでに体の奥まで『深く静かに潜行』していたのでしょう…
Posted at 2006/11/25 01:14:25 | |
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病気と治療 | 日記