2017年12月31日

早いもので今年も暮れにさしかかりあと
もう少しで大晦日となりました
年末といえば皆さんもご存知の通り落語
「芝浜」の季節です
まず、落語とはなんなのでしょうか?
僕は、格式的高い崇高な理想をかかげる
主人公が出てくるような小説や戯曲とは
まるっきり正反対の恥も外聞もない利己
的で偽善的などうしようもない登場人物
がさらけ出すエゴイスティックなもので
あると思っています
そこには、綺麗な脚色された壮大なスト
ーリーはなくただただあるのはチープで
現実的な事実のみです
簡単に言うと前者は武士で後者は庶民と
言い換えても違いありません
もっと分かりやすく言えば日本文学史上
最も美しいとされる三島由紀夫の「金閣
寺」と真逆の正反対のものです
さらに、簡単に言えば落語とは主君への
忠義のため仇討ちを華麗に成し遂げた忠
臣蔵の「四十七士」ではなくそこに参加
せず逃げ生き延びたどうしようもない武
士たちを描いているのです
「一ト仕事を終えて一服している人がよ
くそう思うように、生きようと私は思っ
た。」
これは、主人公が金閣寺を燃やして最後
に言った言葉です
いまの僕には主人公のいえ三島由紀夫自
身のこの気持ちが痛いほどよく分かりま
す
みなさんはどうでしょうか??今の仕事
に満足していますか???それは、本当
にやりたい仕事ですか?人生に不満はな
いですか???
大人になるということは、正直さを亡く
して道化の仮面を被り偽善を演じている
ことだと思っています(これに、真正面
から戦っているから太宰治の人間失格は
大ベストセラーなのです)
いくら、理想的な夢をもっていても決し
てそれは叶うことはなくただ過ぎ行く現
実をたんたんと我々は生きていかなけれ
ばいけません(それに抗うことができるの
は「死」のみでしょう)
三島にとっての「金閣寺」は「天皇」で
あり「日本国」が「日本国」らしいもの
です
しかし、客観的にみてもまた三島自身に
とっても現実の「金閣寺」は輝きを失い
とても理想的なものとは程遠い
「私はこれからの日本に大して希望をつな
ぐことができない。このまま行ったら「
日本」はなくなってしまうのではないか
という感を日ましに深くする。日本はな
くなって、その代わりに、無機的な、か
らっぽな、ニュートラルな、中間色の、
富裕な、抜目がない、或る経済的大国が
極東の一角に残るのであろう。それでも
いいと思っている人たちと、私は口をき
く気にもなれなくなっているのである。」
(三島由紀夫の原文引用)
当然、自衛隊はあんな偽善に満ちたもの
で許されるわけがありません
だから、最後に市ヶ谷で理想を語り現実
から偽善的に目を背けず決して逃げずそ
こから抗う唯一の手段として自決をした
のではないか
(観念的な理想のあとに待っているものは
陳腐な現実のみですが三島は最後までそ
の偽善と戦いました)
で、金閣寺の最後の一文に、話を戻しま
すとつまりはこういうことです「あー、
ほんとは俺こんな仕事したくないんだけ
ど仕方ないよなあ今から転職するにして
も年だしもう給料のいい仕事なんて残っ
てないだろうしなあ。まあ、タバコでも
吸ってとりあえずまた、明日も仕事がん
ばるかなー」
これは、ある種の最極致のニヒリズムで
あると思います
当然これは、現実の否定ではなく肯定で
すから三島由紀夫の美学ではありません
(何回も言ってますが三島はこの庶民を
偽善と述べています)
そうです、もう分かってこられたと思い
ますがこの庶民こそが落語の主人公であ
り「落語」なのです
世の中なんて不条理でしょ。僕なんかは
所詮、人生なんてのは運だと思いますよ
たまたま、成功した人が綺麗事並べて語
りますが失敗も成功も紙一重でしょ。
そもそも、新興宗教の助けを借りないと
維持できない政権ってなんなんですか。
頭では悪いとわかってても「飲む、打つ、
買う」は辞められない人が多いのではな
いですかね??僕もそうですが(笑)
そんなどうしようもない、熊さん、はっ
つぁんが登場するのが落語なのです
討ち入り??
嫌だよ嫌!だって死にたくないもん!!
俺には家族も子供もいるし!
生きて楽しい人生送った方が絶対得!!
なにが、仇討ちだよ。俺は、ご面倒被る
ね(*^^*ゞ
英雄的な死を遂げたいなら勝ってにあん
たらだけでやればいいでしょ(・_・?)
くだらない現実も自分のみっともなく卑
しいところも全部さらけ出してまるっき
り全部肯定してあげる。それで、よしと
する。
聴いている方からしたら救いがあります。
そして、それは笑顔とともに、、、
だってこんなつまらない現実、笑ってな
いとやってられないでしょ(*・∀・*)ノ
Posted at 2017/12/31 01:28:03 | |
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