2020年07月11日
多分、お爺さんは愛情を食事にこめて育てなさいと
諭したのではないかと思う。
批判の論点が違う現代人達には
老人は口をつぐむのが正解かもしれないと思う報道を観て
昔の事を思い返した。
子供は、頃田んぼや畑を耕し米や野菜を作る親の手伝いをしていた。
5歳くらいまでは、炊事場は土間でかまどがあり羽釜でご飯を炊いていた。
魚屋さんから魚を買って、自分で調理して
父も母も勤めていて、兼業農家であったから
休日に行楽に行くこともなく僕らも農作業の手伝いをよくさせられていた。
小学生になって間もなく母は弟2人を単車に乗せていた時に砂利で滑って転倒し幼い子供を骨折させた事が切欠となり車の免許を取り父のお下がりのレックスに乗り始めた。
昭和四十年代の終わりの頃に戦後建てられた少し古い家はリフォームされ燻された黒い柱や梁は見えなくなり
母が上炊事場とよぶキッチンが出来た(今でも土間の炊事場も有って下ん炊事場と言っている)
シンクにボイラー、ガス台、椅子に座るテーブルで食事するようになり、母は便利になり調理に時間が掛からなくなったと、いつも優しい笑顔で料理を作ってくれた。
戦争を経験して芋づるで飢えをしのいだ時にこんなに便利になり飽食の時代になるとは思わなかったと言っていたのを思い出す。
母はよくポテトサラダを作ってくれていたが、僕がポテトサラダは苦手だった
でも愛情を込めて作ってくれる母に悪いから
それに入った苦手なキュウリだけ取りだし、別の皿で醤油をかけて食べた。
だからスーパーのポテサラはスルーする
苦言を言っても何の得にもならず、相手に対して真意が伝わらない世の中だから
口はつぐむしかないと思う
しかしながら
今、これだけ大変な状況になっているのに
そういう事は思っても書き込みをしないのが賢者だと思う。
昨日、やっと連絡の取れた知人は
家や車を失ったけど、生きててよかったと
涙声で話していた。
Posted at 2020/07/11 07:30:16 | |
トラックバック(0) |
仕方ない | 日記