過去、テレビのレース中継を見て涙したことが、2回あります。
今回は、初めて涙したレースの話です。
1991年 ルマン24時間レース
もう既に語り尽くされいる感も否めません。
ロータリー参戦最後の年に、劇的な優勝を飾りました。
ですが、もしかするとこの人がいなければ優勝出来なかったかもしれません。
それは、
ジャッキー・イクスです。
ルマンは、翌年の1992年よりレギュレーションが変更されることになりました。
エンジンが3500ccのNAのみとなり、ロータリーでの参戦は出来なくなったのです。
マツダにとっては、1991年は最後のチャンスとなったのでした。
大方の予想では、優勝争いはこの2車。
ジャガー XJR-12
7400cc V12 NA
予選タイム:3分31秒912
前年1990年の覇者です。
エンジンを7000ccから7400ccに拡大し、連勝を期します。
ただ、それが裏目に出て、燃費悪化が心配なところ。
予選では、わずか0.64秒差でメルセデスの後塵を拝しています。
メルセデス C11
5000cc V8ターボ
予選タイム:3分31秒270
1989年の覇者です。
1990年のルマンはノンタイトル戦だったので、不出場。
2年ぶりの勝利を目論んでいます。
パワー、燃費でバランスが良く、1991年の最有力候補です。
マツダ787B
2600cc 4ローターNA
予選タイム:3分43秒503
マツダスピードとしての参戦から12年。
当時の2ローターから4ローターとなり、パワーも2.5倍になりました。
それでも、トップ2車から遅れること12秒。
マツダの予選タイムは、メルセデスの燃費走行時より遅い、と言われていました。
この時点では、誰もマツダが優勝するとは思っていなかったのです。
圧倒的なパワーの差は、如何ともしがたいところです。
そこでマツダが採った作戦は、こうでした。
24時間連続全開走行
果たしてこれが作戦と言えるのかどうか。
無謀としか思えないところもあります。
しかし、他の選択肢はありません。
やれるかどうかではなく、やるんです。
そして決勝スタート。
予想通り、序盤はメルセデスの1-2-3体制。
それをジャガー、マツダが追う展開です。
4時間後の順位は以下の通りです。
1〜3位 メルセデス
4位 ジャガー
7位 マツダ
マツダは作戦通り、4ローターを絶叫させながらの全開走行。
あらかたの予想では、優勝どころか完走も出来ない。
夜明けまでもてばいいところ、そんなところでした。
そして夜を迎えた頃、マツダは視界にジャガーを捉えます。
ジャガーもマツダを引き離そうとするも、燃費の悪化が心配で、思うようにペースアップ出来ません。
その頃、メルセデスも予定調和に狂いが出始めます。
午前2時頃、1台にマシントラブルが発生しリタイヤ。
迎えた午前3時頃、マツダはなんとかジャガーを抜き去り3位に浮上。
夜明け前、メルセデスの1台にミッショントラブル発生。
マツダは2位までポジションを上げてきました。
それでも、トップのメルセデスまではまだ4周差。
ここでジャッキー・イクスから、アドバイスがありました。
ラップあたり1秒ペースアップしなさい。
残り時間は13時間ほど。
ラップ1秒のアップでは、4周差は挽回出来ません。
そんなリスクを負うなら、ペースキープのままで2位狙いの方が得策では?
イクスは続きます。
私にはポルシェで数多くの優勝経験があるので、ドイツ人気質がわかります。
彼等はこちらが1秒上げれば、例え4周のリードがあっても、3秒くらいは上げてきます。
ドイツ人は僅差の勝利は望んでいません。
相手の気力を失わせる程、徹底的に叩きのめす。
それが彼等の勝ち方です。
マツダも長時間全開走行を続けてきました。
耐久力に自信はあれど、更なるペースアップにはリスクが伴います。
それはメルセデスでも同じこと。
現に3台中2台にトラブルが発生しています。
彼等の方が多くペースアップする分、リスクは高くなります。
今こそ勝負の時です。
マツダがペースアップして追撃してくるだと?
メルセデスは、予想もしていないマツダの走りに、余裕が焦りに変わり始めました。
そしてマツダ以上にペースアップをして、引き離しにかかります。
レース開始から21時間後の午後1時。
コース上で白煙を上げる車が・・・。
それは・・・・メルセデス。
オーバーペースによりオーバーヒートでした。
そして、遂にマツダが初めてトップに!
しかしマツダに同じことが起きないとは言い切れません。
大橋監督は緊張感を保つ為、ペースキープを指示します。
そして迎えた午後4時。
最初に帰ってきたのは、マツダ787Bでした。
挑戦から12年。
ロータリー参戦最後の年に、念願の優勝!
マツダの24時間全開走行に耐えられた車作りも偉大です。
ですが、非力な車を優勝に導いたジャッキー・イクスの功績も見逃せません。
これに対して、マツダはイクスにボーナスの支払いを申し出ました。
それに対してイクスは・・・。
私はマツダを優勝させる為に、アドバイザー契約をしました。
今回は、その約束を果たしただけです。
と言って、受取辞退されました。
マツダの優勝から、24年。
未だに日本メーカーで、一番高いところに日の丸を揚げられたのはマツダだけです。
しかもそのエンジンは、多くのメーカーが開発するも実用化を諦めたもの。
世界中で唯一広島でしか量産されなかった、ロータリーエンジンでの勝利です。
このブログを書くにあたり、当時のレース映像を見直しました。
今見ても、感動しますねぇ。
ブログ一覧 |
モータースポーツ | 日記
Posted at
2015/12/19 20:49:13