在庫一掃ブログ、第2弾です。
4/24に開催されたイベントのお話です。
通常、テーマとなるモデルが「○○周年」として選ばれるのですが、今回はなし。
その代わり、テーマは「ミュウジアム開館20年」
そして「櫻井眞一郎さん没後5年」です。
ミュウジアム開館までの経緯、櫻井さんのスカイライン開発への思い等がトークのお題になっていました。
今回、私が注目する方は、こちら。
一番左の方。
元日産プリンス自販 宣伝課総括 福崎隆司さん
ちなみに中央は、元日産自動車 車両実験部 中島繁治さん。
一番右は、言わずもがなのR33, R34 開発主管 渡邉衡三さんです。
渡邉さん、珍しく笑顔ですね。
さて、スカイラインといえば・・・速いハコ。
歴代GT-Rのサーキットでの活躍は、枚挙にいとまがありません。
それを支えていたのは、櫻井さんを筆頭とした技術者の方々。
では、高性能の車を作り、レースで実績を上げれば、車は売れるのでしょうか?
いい車を作っても、それをお客さんが知らなければ、売れません。
ここからが福崎さんの出番です。
実はスカイライン。
速さだけの車ではないんです。
広告展開においても、革新的なことをしています。
もっとも代表的な例は、これ。
ケンとメリーのスカイライン
最初にこのコピーを社内で発表した時は、大ブーイングだったそうで。
「メリーさんって、羊かよ!」
まぁ、言われても仕方ないですかねぇ。
なにぶん、44年前の日産ですから。
今まで築き上げたスカイラインのイメージをぶっ壊すのか?、そう見えたのでしょう。
しかし、革新とは既成概念の先にあるので、なかなか理解されません。
それでも奮闘したのが、福崎さんと当時の上司で企画立案者、細越高敏さんでした。
あまりにも社内で抵抗されるので、「至急代替案を立案せよ」との命令を、細越さんは上司から受けていたそうです。
しかし、主張を曲げず、目的に向かって邁進していました。
その目的とは・・・
販売台数をC10(ハコスカ)の3倍にして、スカイラインを日本有数のブランドに育てる
そして迎えた1972年。
あのコピーが発表されます。
櫻井さんからは、「C10は作品、C110は商品」とまで言われてしまったC110 ケンメリですが、結果は大ヒット!
その後、ブランド展開の一環でTシャツを販売したところ、これも大ヒット!
ディーラーに、車ではなくTシャツを買いに来るお客さんが、大挙押し寄せるという珍事も発生しました。
スカイラインは、一部のマニアのものでなく、広く大衆も認知するブランドになったのです。
その影響を受けたのが、小学生だった私。
このブログを書くべく、ネットを徘徊していたところ、これを見つけました。
ディーラーで配布していたポスターです。
以前ブログにも書いた様に思いますが、我が家の居間に貼ってあったのは、まさにこれです。
幼少時これを見て育った、小学生の成れの果てが私ですね。
スカイラインも、ジャパンからは福崎さんに代わります。
ジャパンで印象的だった広告は、これです。
ジャパンターボの広告です。
「スカイライン神話に、ひとりの男がいた。」
櫻井さんを前面に出しています。
思えば日本車で、設計者の名前が認知されている車というのは、ほとんどありません。
広告に設計者を出して、スカイラインの設計思想を伝える
この思想があって、結果として出てきた車が、走りのスカイライン。
そういう上質な走りの車としてのブランドを確立したい、その為の新しい試みだったのですね。
その後、R30も基本コンセプトを踏襲して、広告展開されました。
続くR31 7thスカイラインでは、世の中の流行を受けて路線変更されます。
今までの汗臭い男のイメージから、ハイソサエティへの転換です。
今まで担当されていたプリンス自販宣伝部、実務担当のライトパブリシティは、担当から外されます。
そして日産自動車本体の宣伝部門と大手代理店により展開されたのが、これです。
かの渡邉さんも、こうおっしゃておりました。
「都市工学? やわらかい高性能? どこを目指しているのか、さっぱりわからない」
販売も、その評価に呼応する様に・・・
早急に是正せねばならないと、福崎さん以下、元々のスカイライン組が再集結されて、緊急に作り上げたのがこちら。
そのとき、精悍。
GTSグレード追加で、走りのスカイラインが復活です。
今回、福崎さんにお願いして、サインを頂きました。
本当は「夢のスカGターボ」が良かったのですが、私のコレクションがなぜかNAだったので、こちらに。
またミュウジアムも開館20年でしたので、記念にこれを頂きました。
そうこうしているうちに、次回のスカイラインまつりは8/6です。
今度はここまで寝かせない様に、頑張ります。
Posted at 2016/06/19 13:59:07 | |
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スカイライン | 日記