2007年12月28日

またぶつけられたぞ。
こんどは右側面から突っ込まれました。
相手はおじいさん。
じいさん、一時停止もせず横から突っ込んでおきながら、
「済んだことはしょうがない」とか、「よく見えんかった」とか、「そう怒りなさんな」という。
ついぶち切れてしまったよ。
久しぶりに本気で切れた。
半年前には追突されて、今度は側面から。
狭い道でゆっくり走っおったのに。
わしゃどうすりゃええねん...
Posted at 2007/12/28 09:35:08 | |
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おっさんのぼやき | クルマ
2007年12月20日
愛しき友は何処に この身は露と消えても
忘れはせぬ熱き思い 誠の名に集いし遠い日を
あの旗に託した夢を
一昨年の正月の再放送である。
自分の記憶をたどりながらみているたけだが、よく覚えてるもんだ(笑)
内容はほとんど諳んじていた。
判官贔屓と言われればそれまでのことではあるが、それとは別に土方歳三の生き様に男として胸を打たれるわけだ。
現役時代は「鬼」と評され、野に下りては「仏」となり、まさに自分自身のすべてを動乱の時代につぎ込んだ人だった。
自ら信ずるべき正義をとことん追い詰める姿は美しいばかり。
歴史的に見た場合、敵将は世良修蔵のようなクソではなく、歴とした薩摩藩士、黒田了介清隆だったことは、見方によっては天(わしではない)が函館軍兵の命を惜しんだといいきれないこともない。なにしろ指導者であった榎本釜次郎、大鳥圭介は後に明治新政府の顕官となって、国の発展のために寄与する人たちである。天(くれぐれもわしではないw)はきっと土方の命をも惜しんだのだと思いたい。
だってぼくもろまんちのひとりだから。
さて、初放送の時も書いた記憶がある。
函館兵がクソ薩長を「官軍」と呼んでどうするか!
永井殿、そんな伝令の首ははねよっ!
Posted at 2007/12/20 21:13:28 | |
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おっさんのぼやき | 音楽/映画/テレビ
2007年12月11日
ビリーズブートキャンプなんて全然興味ないです。
この手のものはいろんな種類があると思うけど、ビリーに限ってニュースまで取り上げるのはなぜだろう。
マスゴミもビリーからいくらかもらってるのか!
うざいんです。
Posted at 2007/12/11 09:14:37 | |
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おっさんのぼやき | 日記
2007年12月11日
なんだルノーか、つまらん。
収まるところへ収まってしまったのか。
どうせならホンダとかトヨタとか、ヘンなところで暴れて欲しかったけどなぁ。
契約年数など細かい内容はまだ伝わってないけれど、たとえばフェルナンドが希望していた単年契約として、2009年にはフェラーリに移籍できる環境は用意されているのだろうか。
ジャン・トッドが現場の一線からひいたことで、フェリペ放出が現実的になったとみるべきなのか。
2年契約で、2年はオプションとか。
ルノーがおもしろいことになればいいな!
Posted at 2007/12/11 01:36:24 | |
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おっさんのぼやき | ニュース
2007年12月05日
現代日本らしい作品です。
ラルフ・シューマッハ風に言えば、「ひとりが突出するのを望まない」というトヨタ自動車的な映画。
トヨタ自動車は、「自らの意志でそれを構築した」ことであるが、椿三十郎は違う。「これしか作れなかった」のだ。
周辺は、「クロサワやミフネを真似ない」と言ってはいるが、脚本をそのまま流用していることは、「挑戦している」と解釈されても仕方ないことだと思う。
娯楽作品として、一級品ではないかと思う。
どんなシリアスな映画にでも緊張をほぐす程度の笑いは入っている日本映画。
この作品ではセンス良く上品な形で決まる。
役者や演出の力、だからおもしろい。安心していられる。
ダメなのは、織田裕二の存在である。
「椿三十郎」と銘を打ち、日本で一番金が取れる役者を主演に据えたなら、客の大半はそれを見に行くだろうし、ファンでなくともそれなりの力を見たいと思うだろう。
けれど、そんなものは全然ない。
織田裕二はOne of Themで、ちっとも主役じゃない。
青島俊作のきらめきはどこへ行ったか。
「あなたはよく切れる刀のように鋭い」とか、「ギラギラしている」と言われるが、そんな印象はまるで受けない。「なんのこと?」ってきょとんとしてしまうよ。椿三十郎はギラギラと野性的でなければならない。敵役の豊川悦司こそが、まさに「よく切れる刀でギラギラ」しているから、いっそう織田裕二の迫力のなさが目立ってしまうんだよ。でも織田裕二の力量不足というよりは、「ミスキャスト」でしょう。かといって、織田裕二に変わる役者がいるかという話しになる。
若くて、ギラギラしてて、正邪どちらでも似合い、刃物のように切れる男。
かつ、いい男で女にもてそうな男であり、加えて、他の役者を一瞥するだけで黙らせてしまうような役者....
い な い だ ろ。
つまりこの作品は、日本映画の限界なのだ。
少なくともクロサワ他によるこの脚本は、三船敏郎があってこその映画なのだ。新しい椿三十郎をつくるためには、新しい脚本を書くべきだった。織田裕二が主役と決まっているなら織田裕二に合わせて書き直すべき。
そうして成功したのが、武士の一分ではなかったか。
日本映画は盛況だ、過去最高と言われているがはっきり気付いた。
まだ日本映画は長期低落下にあると。
未だ三船を超える役者を作れていない。
椿三十郎の黒沢脚本は封印すべきである。
ちなみにぼくは三船の椿三十郎を見てはいないし、織田裕二は大好きですなんだけどね。
さて、映画の結論。
つ ま ら ん!
が っ か り し た。
Posted at 2007/12/05 02:46:56 | |
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おっさんのぼやき | 音楽/映画/テレビ