
午後から娘が舞台に立つので、ふらり
電車に乗り京都まで出かける。
場所は東山五条の青少年活動センターというところ。
春に旅の終わりに、近くで下ろしてやったことがある。
きょうは電車だから、歩いて行く。
眼をつぶっても歩けるというのを、自慢できる町の
一番は京都だと思う。
学生時代から通算8年住んだ。
西宮にその後20年いたが、このクラスの都市は自慢でも対象でもない。
京都は奥が深くて、歴史があり、意外なところに歴史上の史跡
みたいな名所が多い。
だからでもある。
学生や若い人の舞台演劇は、私が見るようになったのは、近年のことである。
とくに関心もなかったが、子供たちのうち二人が、この分野で活動をするように
なった。
親馬鹿で見ているうちに、多少は観劇のポイントも分かるようになった。
私は子供が小さい頃は、あまり関われなかった。忙しいのと妻が熱心
だったので、顔を並べるのは気が進まなかったからである。
今は反対に、子供らの活動を見に行くのは私が中心だ。
関西にいるのが私だけであるし、近年は昔と違い時間も取れるようになった。
娘の出演している演劇は、一時間ちょっとで終わってしまった。
その後の午後の時間を、急いで帰っても中途半端なので、
東山区から歩き始めることにした。
この1、2年で関西も中国人観光客の爆発的な来日で、観光地は
昭和のような活況を呈するようになった。
とくに京都、奈良の寺院と大阪のUSJは、混雑している。
清水坂の下の横断歩道は、交差点まで人があふれていた。
それを横目に、大谷本廟で名残りの紅葉を見納める。
五条の大きな道を、信号待ちして渡り、もう少し南に歩くと馬町に出る。
この辺りから歩き始めるのが、通の散歩だろう。
京都でも、この界隈は谷と坂があり、異界の入口みたいに古代は
思われた。だからお墓と寺、神社が集まってきている。
五条坂の陶芸も、京土産になる前は、窯作業しても、近所迷惑にならない
「山の中」であったからで、今は近くで焼き物は焼いていない。
東山の樹木を燃料に出来なくなり、100年近く経つのではないか。
と思って歩いていたら、廃業した陶器屋の裏のどぶ川に、大量の陶器が
放棄してあった。木箱の年代から、結構古いもので、骨董市で売れそうだ。
だが金網のフェンスになっており、降りて行くことはできない。
バスの走る渋谷(しぶたに)通りを上がってゆく。
坂の途中に、いい雰囲気の銭湯があった。
日曜は休みなのか、営業時間が短いのか。
まだ開いていなかったが、私はタオルと石けんはいつでも持って
町歩きをする。
決して急過ぎる坂道でないのは、京都が神戸、長崎のような短期間でできた
都市でなく、大宮人の牛車が交通機関の時代からの、町だからでもある。
だから京都は町の散歩が楽しい。
東山の麓に着いた。
小松谷さんと呼ばれるお寺がある。
今は境内を持て余して、山門の中は駐車場だ。
私はこのくらいの、寂れたお寺の方が、入場料を取らないので
自由に入れるから好きだ。
赤い日産車が新しいのに朽ちていた。
こういう廃頽な情感も、古都らしくていいと思う。
散歩をしていると、気になるのは建築である。
それも新しいのではなく、寺のようなこうあるべき種類のものでもない。
視線の向こうに、1960年代くらい以降の、今ふうの建材を使っていない
建築があったりすると、ちょっと気になり、欲しいような気持ちが起こる。
私の旧車趣味の、家版が出来たら面白いだろう。
本でも書いて、お金が入ったらなんて、無理なんだけれど、空想は
お腹が空かない散歩遊びの一技である。
お寺の境内の蹲いのある池に映る紅葉を堪能し、寺を出てまた歩き始める。
実にいい感じの京風の町家が連棟で並んでいた。
長屋でなく、それぞれに主張が有り、80−90年は経っているのだろうが
手入れが良く美しい。
これならすぐに住めそうだ。
そのすぐ横に、小工場兼の事務所でもあったのか、車が前に置ける
スペースがある。
ここに850クーペを置いたら、京55ナンバーがばっちり似合う
一額の画のように思われた。
私の残された時間に見られる夢は、このように小市民レベルだ。
東山から七条までゆっくり歩いて降りて行き、豊国廟から洛中を見下ろす。
この辺りには、小駐車場を横に備える、昭和の雰囲気の洋食レストランが
坂の途中に並んでいる。
850が直ったら、真っ先に此処に来て、車を見易いように並べて
ウマくもなさそうな洋食を食べてみたいと思った。
12月は二日後からである。 完

Posted at 2015/11/30 00:42:23 | |
トラックバック(0) | 旅行/地域