「いた!」
鈴木千野は峠の頂上でローズ・ゴーストに追いついた。
大河内峠の水曜日のこの時間は通行量が少なくローズ・ゴーストはいつも走っている事を知っている。
「やっぱり走ってた‼︎」
先行S660、後追いカプチーノのダウンヒルのバトルが口火を切る。
「ローズ・ゴースト…………、あなたに出会わなかったらカプチーノと共にいる私はなかったかもしれない。あなたがいたから今の私がいる。川沿いの道で野良猫にご飯をあげている時にあなたが微笑んでくれた顔、髪の毛をなびかせて鮮やかにコーナーを駆け抜ける姿、群れずに媚びずに一人でストイックにタイムアタックしている姿勢……。全てを尊敬してた……だけど大切な友達をあそこまで追い込むようなドライブを私はどうにも我慢が出来ない………」
薔薇色のS660は沈着冷静な走りというよりは何の感情も無いような走りにしか見えない。
千野はぴよ八先生に言われた通りにひとつ深く呼吸をした。
「行くわよ、ローズ・ゴースト」
普段は何を考えているのかよく解らないくらい穏やかな千野だが、珍しくコックピットの中で感情を剥き出しにしている。
憧憬から闘うべき好敵手になったローズ・ゴーストのS660が軽快なエキゾーストノートを立ててコーナーをクリアしていき、カプチーノはそれに続いていく。
千野は昔のようにローズ・ゴーストにジリジリ引き離されなくなっていた。
「カプチーノの女………………、上手くなったわ。ビートのマッチョ女も速くなってたけど、あのクルマは限界領域でのコントロールがシビアそうだった。アンタ達が速くなっていくのは嬉しい。でもイラつく……何だか解らないけど凄くイラつくわ」ローズ・ゴーストという異名を持つ恵州むつみはその感情の正体が嫉妬であることに気づいてない。
姉のあずみに運転を教えてもらうのは本当は妹のむつみの筈だが、何故かあの二人が教わっていることが気にいらないのだ。
「せめて少しは私を楽しませなさいよ、カプチーノ!」
ダウンシフトする時のブリッピングの音がコックピットに反響する。
あまりにも集中しているのでアンチロックブレーキシステムやトラクションコントロールの表示が点滅しっぱなしなのにも気づかないくらいだ。
ローズ・ゴーストの頭の中でなっていたパガーニの演奏が止み、彼女は速く走る為だけの情報しか入ってこないドライバーズ・ハイの領域に静かにシフトしていく。
一方、鈴木千野のカプチーノにはABSはついているがトラクションコントロールはついていない。
千野はテールを振り出した時、脚の親指の先で繊細なアクセルコントロールを行っている。
松田AZUから「お尻を敏感にしろ!路面の情報はステアリングとお尻から感じとれ‼︎ズルッと来たら一気にアクセルをヌクな。テールがイキそうになったらゆっくりと少し緩めて様子を見ろ。一気にヌクもんじゃないわ、アクセルもオトコも」と繰り返し教わっている。
千野はその言葉に僅かな官能性を感じていたが、その意味はよく解っていなかった。
「どうせAZUさんのことだからイヤラシイ事言ってたんだろうけど!」
そんな事を考えられるくらいに千野は心に余裕があり、テールスライドをギリギリで「すんどめ」させながらのニュートラルステアでコーナーを攻めている。
その頃、本田自動車工場では「AZUさん、ウチに千野が来たんですか?大河内峠で今ローズ・ゴーストとバトルしてるんですか?」と本田美都はAZUに詰め寄っていた。
「ああ、昨日来てた……」とAZUは複雑な顔して肯定した。
「何で行かせたんですか?何で千野を止めてくれなかったんですか!? アイツは、ローズ・ゴーストは悪意を剥き出しにしたような走りをしているんですよ!まるで何かを憎んでいるかのようだった‼︎」
「何で止めなかったのよ!?」と思わず怒鳴った後に美都はAZUの顔を見て後悔した。
子供のように困ってる松田AZUを初めて目の当たりにしたからだ。
美都は深く肺に酸素を送り込んだ。
ローズ・ゴーストの悪意や憎悪は千野や美都たちに向けらているんじゃなく、もしかしたら姉のAZUに対して向けられているのかもしれない。
美都はAZUの顔を見てそう感じた。
他人の心は完全に理解出来るものではないし、また理解する必要もない。
AZUの心は想像する事しか出来なく想像している主体である美都の思考力の範疇は出られる筈もない。
それはAZUの本当の気持ちと重なるかどうかは怪しいものであるが、それでも想像してしまうのは他者への思いやりがそうさせるからだ。
「AZUさん、ちょっと付き合って下さい!」
いつか二人で虹を見た日とは逆に美都は「父ちゃん、仕事中だけどAZUさん、借りるよ!」とビートにAZUを押し込めた。
「美都!」と父親が声を掛ける。
「ん?」
「気をつけて行ってこい。無茶すんなよ」
「…………………………………………………………………………………………………、うん!ありがとう‼︎」
本田美都はホイールスピンさせ砂埃を上げながらビートを発進させる。
父親の言うことを全く聞いてないような無茶なロケットスタートだった。
つづく
Posted at 2017/10/06 19:34:06 | |
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