今年の受験も終わった。
中学生たちは、今年も担当した全員を希望の公立校に受からせることが出来た。
ただ出来る子は凄く仕上がっていたので、県トップ校でも必ず受かるだろうと心配していなかったし、その他の子たちも学校の担任が前期試験での合格目当てで志望を下げさせるから、これも受かるんじゃないかなぁという感じだった。
なので、志望を下げようがない、地域で最も受かりやすい公立校への受験した子たちを落とさなかったことについては、いい「勝負」が出来たな思った。
ただそのことで、心から喜んだりしたかというと、そういうことはない。
子を持つ親の人には、
「私立じゃなければどこでもいい」
という指示の仕方ではなく、同じ内容でもより子供が達成感の得られる指示の伝え方をして欲しいと思う。
なのでそういった子たちの場合は、受かったという瞬間よりも、「小文字もあやしいことがある」状態から、
「あぁ、これってそういうことだったんすか・・・」
という言葉が出てくるようになる瞬間がなにより嬉しいし、仕事したなと毎年感じる。
高校部は他校舎での集団授業について行けない子対象なので、校舎初の国立・公立の推薦合格者を出すことが出来たことは良かった。
一方で、自分の得意分野である、
「彼らの」
を英語で書けないレベルの子を、半年弱で中堅私大に受からせる、という方は苦戦した。
大学への補助金制度が変わり、補欠合格者数を絞られたあおりをもろに受けた。
もう日東駒専は完全に準難関大、大東亜帝国は立派な中堅大だと感じた。
もしあなたの家のお子さんがこれらの大学に合格していたのなら、
「よくやったな!」
と、後からでも何度でもしっかり褒めて喜んであげてほしい。
しっかりした努力があったはずなのだから。
もう、
「ちょっとした伝説」
は作りにくい時代になったな。
それが良いことか悪いことかはわからないが。
受験生を持つ親も多いだろうから、このことはまた書こうと思う。
学生も、保護者も、そして自分自身も、新しい事態に対する備えをしなければ。
全ての結果が出て落ち着いた後も、年賀状の返事も1枚も出さなかったし、テキスト以外の文を書くことはしなかった。
そして最後の1か月、トラックの調子が悪かった。
アイドリングが安定せず、吹けず、エンストすると再始動しないわで、一時は不動状態になってしまった。
なので山への散歩もクーペで行く状態だった。
これくらい全く余裕だが。
ただこの場合は小袋以上のゴミを拾って積んで帰ることは出来ないので、梅や桜が咲くようになり、あたりを訪れて来る人が増えてくるにつれ、あちこちみるみる汚くなっていくのが堪らなかった。
年度末で主治医のスケジュールがぎっしりだったので、自分でキャブの清掃などしてみたが、かろうじてごく近所を移動出来るようになっただけだった。
ブログ一覧 |
SUBARU KT2 | 日記
Posted at
2018/04/11 02:16:51