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2023年09月30日 イイね!

ビッグモーターとジャニーズについての感想と妄想

業界の実情も経済も全く知らないおっさんの、単なる感想と妄想である。

元クルマ好きに言わせると、最初は正直それほど驚くようなことではないと思っていた。
が、ここまで大きな問題となった理由は、それが一つの話ではなくいくつもの問題が重なりあっているからであって、ニュース等ではそれがごちゃごちゃのままなので、やはり元クルマ好きとして一応整理しておこうと思う。

そもそもことの発端は、修理代金を水増しして請求していたという事である。言うまでもなくビッグモーターは不当に利益を得ていたことになるし、修理を依頼したクルマのオーナーは修理代金を騙し取られたということになる。
こうしてみれば話は単純、単なる詐欺罪だ。

が、実際はもっと話が広がる。
クルマのオーナー、つまり客は修理代金を保険で支払う前提だったということだ。だとすれば余計に修理代を支払うのは保険会社だということになり、ここで損保ジャパンが登場する。ここからがポイントだ。
損保ジャパンは、水増しを認識しながらも見て見ぬふりをしたというのである。
これはどういう事かというと、ビッグモーターとは提携関係にあり、保険の新規契約を大量に取ってくれることと引き換えに、保険金を余計に払うことには目をつぶった、ということだ。
つまりビッグモーターは修理代金を、損保ジャパンは新規契約を得るという関係であり、当然トータルでは両者とも利益を得ていたのである。そして客はといえば、保険金で修理したのだから損はしていない。当初から専門家もそう解説しており、それが炎上したりもしていたが、自分もこの段階においては同じ認識である。
もちろん、この分を他のユーザーが保険料という形で負担したのではないかという意見は理解できるし、可能性は当然あるのだろうが、実際のところは分からないということである。おそらく保険会社がそのような資料や根拠など出すハズがないし、実際出しようもないのではないだろうか。まして対外的にそのような企業秘密をバラすわけには到底いかないだろう。もちろん自分には実際のところは全く分からないが、少なくとも保険料を見た上で契約しているのであり、騙し取られたということにもならないだろう。

最も重要なのは、保険を使わない客に対してはどうしていたのだろうかということだ。ユーザーとしてはここが最大の問題である。
もし水増ししていたのなら客にしてみれば単なる詐欺だ。だとすれば個別に犯罪として扱われるハズだが、今のところはそうではないらしい。

正直、ここまでの話であれば個人的には全く問題ないとすら思う。
というのも、車両保険の場合、保険料が高いので入っていても免責10万円などとしている人も多い。
この場合、翌年から3年間の保険料の値上げ分を考えると修理費は15万円くらいにならないと保険の意味がない。
ビッグモーターが修理費の水増しの目安を15万円に設定していたというのもこの辺から来ているのではないかと思われる。

こういう時、昔から、大抵の人は、「ちょっとこっちも一緒に壊れたことにして直してくれない?」と工場に相談するのが自然の流れだ。事故の相手が負担する場合も大抵同じである。ただ工場から返ってくるのは「保険屋の査定員が見に来るのでちょっとムリです」という言葉だ。自分にはホントところはわからないが、おそらく真実だろう。少し古い話ではあるが実際そうだったという知人もいる。
つまりこうしたユーザーの心境からすればビッグモーターは「話の分かる」業者であり、それは保険会社と特別な関係だからできることだった。
今回の話がもしこれだけだったら、不正であること自体否定のしようもないものの、ここまで非難されることはなかったに違いない。
ユーザーも分かった上で、まして新品に取り替えるまたは確かな技術で美しく仕上げた板金塗装であれば、誰も文句はないハズだ。
若干話は逸れるが、そもそも日本の医療システムなどは、診断、治療を誰が査定することもなく、病院は報酬を得、患者は保険金を得ているようなものである。当然限定された範囲内ではあり、さすがにクルマのようにわざと傷つけるなどということはないハズだが、医療機関側は好きなだけ請求できることには違いないだろう。実際無茶苦茶な診断がまかり通っているのも明確な事実だし、また一部の柔道整復師などはビッグモーターと大して違わないというのはさすがに言いすぎかもしれないが、少なくとも患者にとっても医療機関にとってもこの上ない制度ではある。

とは言え、もし客が何も知らずに、壊れてもいない箇所をゴルフボールで叩いて凹ますなどということがあったとしたら、仮に完璧に修理されていても気分は良くないだろうし、そもそもハナから保険会社が見逃してくれる前提ならわざわざゴルフボールで凹ませる必要はないのだろうから、やはり保険の有無に関わらずやられていたということであり、だとすれば到底許せるハズもない。
結局後々出てきた会社自体のヒドさから考えると、修理自体にも問題があったのは間違いなさそうである。

というかこの事はあくまで発端であり、ここから様々な悪行が次々と明らかとなった結果、ビッグモーターはとんでもないブラック企業だった訳であり、客にとって話の分かるいい業者などということは全くなかった。
損保ジャパンについても見逃し云々より、ここまでヒドいブラック企業とズブズブの関係だったということがイメージ的に最悪、ということになるだろう。

ただ、こんな話は、昔から、クルマ好きなら、ある程度は分かっていることである。
整備工場の対応にイヤな思いをしたことくらいフツーにあるし、信頼できる工場がいかに希少かということも重々承知だ。
そしてそれは大手か、町工場か、ディーラーかなどという問題ではない。

というかビッグモーター的な大手全国チェーンというのは昔はなかったように思う。
この手の業態が定着したのはこの15年か、古くても20年間くらいだろう。古いものではカーコンビニ倶楽部とかコバックだと思うが、これらは修理や車検がメインというイメージで、買取販売で言えはガリバーやラビットといった感じだろうか。
確かに買取店は急成長した分野だが、それこそ悪い噂は昔から散々あるし、自分の経験上もイメージはかなり悪いし、クルマを愛する人間などハナからいるハズもないと思っている。

この業態が増えたのはなぜだろう。やはり失われた30年と関係があるのだろうか。

バブル前後の日本車は値段は安く壊れないため部品だけでも途上国では大人気で、大量の中古車が海外に流れていると20年以上前に聞いたことがある。
バブル崩壊後それらの中古が大量に発生しただろうから、それが買取り業界成長の原動力だったのではないかと思ったりもする。おそらくはそれで充分ビジネスになり、そもそも修理や車検には手を出す必要がなかったのではないだろうか。

そして20年後、日本車の、そして中古車の国内販売台数は低下し、タマ数も減り、価格も上昇し、急拡大したこのビジネスモデルはおそらく終わりに近づいているのだろう。結果縮小の一途を辿る国内での販売や整備にやむ無くシフトせざるを得ないということになるのだと思われる。つまりもうビジネスとして先細りなのが目に見えているのである。

戦後日本のクルマ業界は目覚ましい発展を遂げた。日本全体がクルマ産業の恩恵を受けたと言っても過言ではない。言い方を変えれば、手っ取り早く稼ぐのには最適であり、そんな人間が多く集まる場所でもあった。それは社会の仕組みとして当然のことである。
クルマが好きな人間がクルマで商売して儲けているのをあまり見たことがない。あくまでクルマを、そして客を単にカネとして扱える人間だけが、クルマで儲けることができるのである。これは何もクルマに限ったことではない。
そんなことは何度も経験していれば誰でも分かることであり、この歳になればいろいろなことが全て繋がって見えてくるものである。

ただそんなおっさんでも明らかにヒドいと思うことだらけなのがビッグモーターであり、客に対してだけでなく、あらゆる者を裏切りながら巨大に成長したまさに悪の権化だったと言っても過言ではないだろう。
ただそんな組織だからこそ、そんな人間が集まるというのもまた自然の法則なのだ。

これは、今まさに問題となっているジャニーズ事務所と同じである。
テレビやマスコミは、そこから得られる利益を優先し、犯罪行為には30年もの間目をつぶってきた。彼らにとってそんなことは言うまでもない当然のことなのだ。
ただその意味では、NHKの罪は、今回の発端をBBCが担った点からも、他の民放より数段重いことは、誰も指摘していない。日本相撲協会との関係もそうだが、NHK自体が反社まがいとズブズブの腐敗組織であることは明らかである。

そもそもこの件はそれこそ30年前から皆が知っていたことである。どうみてもアイドル顔とは言えないタイプを見ては「ああ、こいつはたぶんそういうことなんだろうな」と冗談を言っていた。まして犯罪だと認識することもなかった。だいたい知っててそんな事務所に所属することが理解できなかったし、そこまでしてアイドルを目指すような人間だけが集まる世界なのだと認識していた。その頃はそんな時代だったのだ。
ただ今となってみれば、被害者の大半が未成年である。ということは既に死んだ犯人のみならず周りの大人達の責任は相当に重いハズだが、彼らにはその意識は全くないようだ。そのような組織の中で選ばれ、這い上がった人間達なのだから、当然である。

ただここまで問題になったというだけでも、とりあえず時代は変わったとも言えるのかもしれない。
が、本当の意味で時代が変わったのであればそれでいいのだが、そうでもない。

BBCより少し前に、あのガーシーが同じことをYoutubeでネタにしていたそうだが、社会はそれを無視したという。がその数ヵ月後BBCが報じたときには、モゴモゴとではあるがようやく動き出したのだ。これは結局、大半の日本人にとって問題の中身や真実などどうでもいいのであり、誰が問題視するのかが問題なのだということをまさに顕している。このことこそ問題の本質であるにも関わらずそれを誰も何とも思ってもいないのである。

これは何もガーシーを称えているわけではなく、このような人間達あるいは社会こそ、ある意味ガーシー以下であると言っても過言ではないだろう。
このこと自体、30年前と全く変わっていない社会の本質なのだ。

それでも犯人が死んだあとにようやくではあるが問題として認知されるようになったのだから、社会は一歩進んだと考えることもできる。
とにかくこれが日本人のレベルだということだけが事実であり、そういうものだと認識することが最も重要なのである。
もちろんそんなのは日本人だけだなどということでは全くないが、取り分けその性質が顕著なのは間違いないだろう。
どこぞ国の女子サッカー代表チーム監督が選手にキスをしたことが問題となり辞任したというニュースがあったが、数年前の日本では橋本聖子が高橋大輔に同じことをしたにも関わらずオリンピック担当大臣を務めたのだから、やはりこの国は他国から見れば異常であることには疑いはないハズだ。

力を持つ者同士は結託し、その力を笠に着る者がそれを取り巻き、忖度と搾取が延々と繰り返されるのである。
全てが破壊された戦後から、全てが組織の論理に収斂することで、日本の社会は成熟してきたのだ。
そしてそれが行き詰まりを見せ始める今を、一部の人が新たな戦前と呼ぶのも、それなりには理解できるように思う。

Posted at 2023/09/30 19:40:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年03月31日 イイね!

ソニーとホンダの合弁事業についての感想と妄想

今月初めに発表があって以降、ネット上には記事が溢れとりあえず多くの日本人の期待を集めているようなので感想。

「ソニー×ホンダ連合誕生に車好きが不安になる訳、「ソニーがホンダと組むなら面白い」の逆は?」
3/7(月) 11:46配信 東洋経済オンライン 島下 泰久 :モータージャーナリスト
「ホンダ×ソニーがEV開発で合意 「この先はApple×ホンダの可能性だってあり得る!?」」
モーサイ 3/21(月) 8:03 レポート●山本晋也 編集●モーサイ編集部・小泉元暉
「負け続けの「EV車」開発、ソニーとホンダの提携で「日本の黄金時代」再来がようやく見えてきた…!」
2022.03.23 週刊現代

おっさん個人的には、この内容で期待する日本人の頭の中があまり理解できない。
今現在ソニー「製品」といって思いつくものと言えばとりあえずゲーム機くらいのものであり、ゲームにあまり詳しくないおっさんとしては、ソフトはともかくその「製品」自体に何かしらの魅力があるとは全く感じていないからだ。

現在ソニーの「商品」といえば、消費者向けには主に「コンテンツ」となっているようである。今回の件についても、ネットの記事を見る限りソニー側のウリはやはり「エンターテイメント」である、ということになるだろう。
EVブームに乗っかるためにまず必要なものは何かと考えた時、クルマにゲームや音楽や映像をくっつければ商売になる、あるいは消費者向けにはそれ以外にウリにするものがない、結果こうなった、というハナシにしか見えないのはおっさんだけではないだろう。
まあこれはこれで現時点でのビジネスを必死で追い求めた結果であり当然なのだろうとは思うが、おっさん世代が期待するような昭和ソニーの、全く新しい何かを技術で実現するといったモノづくりとは全く違うものであることは間違いない。面白いかどうかで言えば、くっそも面白くないというハナシである。
そしてそれはホンダに対しても同じであり、ホンダがこれで何をしたいのかよく判らない、というか何をしたらいいか分からないからソニーと組んだ、と言っているようなものだろう。

当事者がお互いそう言っているようにこれはあくまで一つの企画であって、これからの両者のビジネスモデルとは関係ないということなのだそうだ。つまり未だEVシフトに対するビジネスモデルは、日本の大手企業にとっても完全に手探り状態なのかもしれない。
一体この発表に何の意味があるのかと言えばそれは100%大衆向けのプロモーションであり、とりあえず何かしている感をアピールするだけのものだと言ってもいいだろう。
この企画自体ハッキリ言って「アップルカー」的アプローチであり、要はパクリである。ましてアップルカーと言われれば世界中の多くの人々が何となくそれをイメージできると言っても過言ではないかも知れないが、「ソニーカー」と言われても、おっさん世代が何となく抱く漠然とした昭和のイメージに対する期待以外特に具体的なイメージは沸かないだろう。世界的なブランドとしてもとっくに世界に敗北しているのだ。

ネットによるとソニーが持つ技術のもう一つの核としてイメージセンサーがあるようだが、これは自動運転にとってはかなり重要な技術らしいので、本当の狙いはこれを世界に売ることなのだろうとは思う。だがやはりそれだけでは昭和のおっさんが期待する新しい何かということでは全く無いし、所詮モノづくりで終わった電機産業と同じである。おっさんが思うに、本当にソニーが世界と勝負するためには、ゲームとネットワークビジネスで培ったAIとビッグデータの技術を用いた、全く新しいプラットフォーム以外ないだろう。

「CASE」と言われる100年に一度の大変革の中で、C、A、Sとその大半をIT革命、IT業界が担っている。言うまでもなくIT業界が、そしてGAFAが狙っているのはEVそのものではなく、自動運転技術を核としそれら全体をコントロールする交通システム、そこから生まれるであろう全く新しい社会インフラであり、そのプラットフォームを握ることである。プラットフォームビジネスは勝者総取り、というか元締めこそが勝者であるという経済の基本原理でもある。
そして技術的にその中核となるのは、一言で言えばディープラーニング、ビッグデータといったAI技術だろう。
おそらく、というか当然ソニーの狙いもそうだろうし、そうでなければ敗北どころか土俵にも上がれないことは言うまでもない。
が、件のソニーカーについては現時点ではそこまでの形となって現れる段階には至っていないどころか、この程度でお茶を濁している、もしくはEVシフトが持つ「SDG'S」「グリーンウォッシュ」的なアピールを免罪符としてとりあえず利用しただけだといってもいいだろう。とりあえず日本の大衆には多少の効果はあったようだが、世界の投資家に何かをアピールできるとは到底思えない。そう考えるともはや世界には、絶対に追いつけないところまで離されてしまっている、つまり手遅れなのは間違いなさそうだ。

IT敗戦の二の舞は避けたい日本のモノづくり産業全体としてみれば、新たなビジネスが生まれようとしている100年に一度の変革期に、全体で共有、共存共栄できる、自由で活発な競争ができるビジネス環境が存在するのかどうかというのが最大の問題となるハズだ。
本来であればこのような変革期、黎明期こそ、新たなベンチャー、スタートアップが多数現れ、そして既存の大手企業はその中で頭角を現した企業を買収するなどして競争力を上げていくというのが本来の自由経済、市場経済におけるイノベーションのあり方であり、アメリカや中国では当然のように起こっていることである(もちろんおっさんがホントにアメリカや中国で起こっていることなど知るハズもない)。
本来なら既存の自動車メーカーは、新進気鋭のベンチャー企業をまるごと買収するなどして新しいビジネスモデルに挑んでいくのがフツーだろう。逆にもし日本に優秀なスタートアップがあれば、米中の企業に買収されるということがあってもいいハズだ。
が、日本についてはそのような形は全く見られないというか、真逆を行っているのである。日本にはこの30年、ITベンチャーすら現れなかったのだ。くどいようだがCASEの鍵を握っているのは自動車業界ではなくIT業界である。ということは、日本にEVベンチャーなど絶対に現れないだろう。
既存自動車メーカーの立場からすれば、日本にないのであれば米中のベンチャー企業を買収すればいいハズなのだが、それすらできないでいるように見える(見えなくても実際はやっていると考えるべきなのかも知れないが)。

ネット記事を見る限り、今回のニュースで中心にいるのはやはりソニーであってホンダではない。
これは前述の通りCASEを主導するのはIT企業であるということを顕している。
記事の中には、ホンダがレジェンドで実質世界初のレベル3を実現していることに技術的優位性があるとしているものもあるが、おっさん的には実際にそのレベルで運用されている実態があるのかどうかは甚だ疑問、というよりたぶんないだろうと思っているし、大衆にホンダが自動運転で世界をリードしているというイメージを持っている者もまずいないだろう(技術的にホントはどうなのかなど判るハズもないが)。このままではホンダの四輪部門は本当に組み立て、生産請負メーカーになるしかないようにしか思えない。

結局今回のニュースが顕しているのは、既存の自動車メーカーはそもそも完成車組み立て業である、それが基本的な業態であるということだろう。これまでその完成車の商品開発は当然自ら行ってきたのだが、それは他に行う者がいなかったというだけのことであり、それが新たに現れたのだから、組み立てだけやればいいという新たな道ができた、それだけのことだと考えることもできる。
CASEの中でも、特に自動運転技術についてはそれが実現するということは、これまで自動車メーカーが追求してきた「走り」や「ドライビングプレジャー」というクルマにとってその存在意義の相当な部分を失うことを意味する。
つまりクルマそのもの基本的な性能、魅力を最大限追求し競ってきたようなメーカーはもはや不要となり、生産技術、生産効率を最大限追求してきたメーカー、つまりトヨタ以外、ホンダ、マツダ、スバルなどは、これまで培った技術やブランドイメージなどの全てにおいて、その存在価値がなくなると言ってもいいだろう。
ということはやはり日本の既存の自動車メーカーは、世界のITベンチャー、EVベンチャーの組み立てを請け負う下請けになるしか道はなさそうだ。スバル、マツダは近々トヨタから米中のITベンチャー企業に売られることになるかもしれない。

というワケで件のニュースは、おっさん的には何ら面白いハナシではないということを言いたかっただけである。

よくよく考えてみると、おっさんが子供の頃、ホンダは元々アメリカ、そして世界を目指していたのであり、おっさん世代はそれに憧れていたのである。
80年代までは、日本がアメリカに、世界に追いつこうとし、追いついたと思った、そんな時代だった。
90年代からは、日本がアメリカに、世界についていけなくなっていっただけのことである。
それは日本車が、ではなく、日本経済が、日本人労働者の収入が、であり、そして日本車は、その中にあって、ついに世界に追いついた。
つまり日本のクルマ好きが日本メーカーに見捨てられてた、のではなく、日本の大衆が世界基準となった日本車を買えなくなった、それだけのことだ。
そう考えると、軽しか買えなくなった日本人にとって、NシリーズやS660は、ホンダからの最後の贈り物だったのかも知れない。
ホンダがかつての挑戦力を失っていないのなら、今更日本の大手企業などを相手にしている場合ではない。
米、中、台、韓、印、中東、とにかく世界中の気鋭のITスタートアップを買収しまくってGAFAと勝負する、そしてやるからには勝つ、そんな挑戦を見せてもらえれば、我々もあの世で浮かばれるというものである。もしその結果として四輪部門を巨大ITに売り渡し、二輪かジェットに専念するなどということになったとしても、それはそれで意味があると思うし、遥かに面白いハズである。
Posted at 2022/04/01 06:15:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2022年02月28日 イイね!

クルマの平均使用年数とウクライナ危機とEVシフトについての感想と妄想

業界の実情も経済も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。

2022年1月末、自工会会長が記者会見で現在日本人の新車から廃車までの期間が平均15年超となったことに触れ、「10年になれば市場規模は年間500万台から800万台になる」と発言したというニュースがあったので感想。
元クルマ好きにとっては「またか」という感じであり、すぐにネット上に記事が溢れると思っていたが、実際には全くと言っていいほどメディアの反応はない。
当然このことには理由があるハズであり、その辺も含めてじっくり考えてみる。

ネットによるとこの発言は岸田文雄政権が掲げる「成長と分配の好循環」に対するものである。
同時に自動車関連税制についても自動車関連税の半分を占める燃料に対する課税分が脱炭素化で減少するとし、この分を自動車に振り向けることについて「ユーザーの視点から、絶対に避けていただきたい」と発言したとのことだ。

まずこれは先の見えない日本市場に対して、自工会会長の立場での発言のであることは言うまでもなく、そしてそれは「それしか市場を拡大する方法はない」という事実を述べただけのことである(と思う)。
日本人は少子高齢化に加え、世界と比べ相対的に貧乏になる一方であり、市場は縮小するしかない。そんなことすら認識していないどこかの誰かに向かって「バカなの?」と言っただけだ(と思う)。
今は正に100年に一度の変革期だ。が、その中心であるEVや自動運転と言えど、仮に普及が進むとしても単にこれまでどおり買い替えのタイミングで入れ替わるだけであり、新たな市場となるワケではない。ましてシェアリングなどの「MAAS」が進むことは、おそらくメーカーにとっては密かに最大の脅威だろう。
また税制に関しても今後当然起こるであろうことを言っただけである。
業界側からすれば国内市場だけがその負担を大きく担っているということであり、それは牽いては日本メーカーの競争力の足かせになる、そうなればメーカーはますます日本を離れることになりかねないということなのかもしれないが、こと日本国内に限ってみれば別に今までと変わるワケではない。
どのみち政府にしてみれば自動車関連という大枠の中で取れるところから取るだけのハナシであり、何を言ったところで特に変わることもないだろう。

一方ユーザー側からすれば、貧乏になる一方、年金も医療も先細るのが見え見えの中、クルマを買い換える頻度が上がるハズもない。価格が安くなるのならまだしも、世界はインフレ、クルマの価格は上がる一方であり、それこそ「何言ってんの?」というハナシである。
ましてこれだけ再生エネルギーだのサステナブルだの言っている中、クルマの使用期間をメーカーや政府の施策によって意図的に短くするなど、正当化できる余地は一つもない。過去の例からするとトヨタが案外ホンキで10年で廃車にしようと考えている可能性も充分にあるとは思うが、今の御時世さすがに、常識的にあり得ないだろう。

だとすれば、こんな判りきったことを、なぜ自工会会長は発言したのだろうか。
この発言に対して、誰が、どのように反応すると考えたのだろうか。
自工会会長がなんとなく発言した可能性もゼロではないが、フツーはそんなことはあるハズもない。

タイミング的には、EV絡みであることは容易に想像できる。
昨年12月にはトヨタが大々的にBEV戦略を発表したところである。
EV市場はとにかく政府の補助金次第であり、おそらく現在その辺の業界と政府との攻防が大詰めを迎えている真っ最中なのだろう。
税制のハナシもセットだったことなどを考えれば、JAFからも同じようなタイミングで同じようなハナシが出ていたことからも、政府に対しての圧力であることは間違いなく、使用期間についてはあくまでそういう「ハナシ」でしかないというところだろう。
またEV化によりいずれはクルマの価格が現在の半分になるというハナシもあるが、だとすれば単純計算で保有期間が今の半分になれば市場規模は維持できることになる。BEVであればバッテリー寿命の関係もあるし、その辺のアレコレを全部引っ包めてコントロールしようということなのかも知れないとも思ったりもする。

また、これもタイミング的には政府の賃上げ要求に対して「何言ってんの?」的なことだった可能性もある。
日本市場はとっくに終わっている中、ましてコロナ、半導体不足といった混乱の中グローバルで利益を出し続けてきたトヨタ、自工会が、日本政府あるいは我々下々に対し「あ?」「賃上げ?」ということなのかもしれないとも思わないでもない。経団連としても、モゴモゴとではあるが「賃上げ」と言ってしまってる以上、自工会があまり直接的な言い方する訳にもいかないのだろう(とここまで書いた後でトヨタが春闘で満額回答というニュースがあったので念の為注釈を入れておくが、これはこれでいろいろある)。
マスコミも、そもそもその程度の中身であればどう反応していいのか判らない、反応しようがない、特に中身もないし何も言わないほうが無難という、まさに忖度そのものといったところだろう。
ニュースを見た時はまた騒ぎになるだろうと思ったのだが、よくよく考えてみると大したことはない、結局おっさん的にもこのハナシはここで終わりである。

ところで2月末現在、ガソリン価格の高騰はおっさん的に最悪だった2008年(平成20年)をついに超えたようだ。が、基本的にはいずれは下がるものであることは間違いない。
個人的にはそれよりはるかに問題なのは、電気代である。
どう考えてもここ最近の上がり方のほうが割合的には大きいし、その割にニュースでも取り上げられていないというのが個人的な印象である。
また20年前くらい前から流行りだした「オール電化」住宅にまんまと乗せられ後悔している者は、自分の周りには結構いる。
これは少し大げさに言えば、エネルギーという重要な要素にあって何か一つにコミットすることの経済的リスクを顕していると言える。
おっさんが子供の頃から、電力会社は常に「水力、火力、原子力のバランスが重要だ」とPRしていた記憶がある。その頃はまだ「オイルショック」が人々の記憶に鮮烈に残っていたことだろう(さすがのおっさんも記憶にはないが)。ちょっと前に世界から槍玉に上がっていた「石炭」から、現在フランスドイツで混乱している「原子力」に至るまで、要するに「いざ」というときに備えるにはとにかく「バランスが重要だ」という、理屈としては至極もっともなものだった(もちろんホントかどうかは知らないが)。
ただその電力会社が「オール電化」を客に売りつけるのだからタチが悪いとしかいいようがない。その当時はいろいろ優遇料金などもあったようだが、いつの間にかなくなったようだ(ちなみにこれは「日産リーフ」も同様である)。まして電気代は(石油ほど急激な変動はないものの)上がる一方だ。
そう考えるとEVについても、とりあえず購入補助金の増額やもしかしたら電気代まで何らかの優遇制度が設けられるかもしれないが、しばらくしたら剥ぎ取られるのは何となく予想できる。
ガソリン代が高騰してるからこれからはEVだなどという人間もネット上にはいるが、少なくともおっさんの周りにはそこまでのバカはほとんどいない。
フツーに行けば、電気代がこの先安くなる可能性はたぶんない。ただし欧州のように政府がコントロールする、できるものだと考えれば別である、というかそれがまさに今、これからの日本の方向性を大きく握っていると言えるだろう。

アメリカや欧州ではごく最近のインフレで電気代もかなり上がっているという。特に欧州では再生エネルギーへの移行を急激に行った結果電力不安が生じているというし、今回のウクライナ危機でこれらの動きが巨大なエネルギー利権、地政学的リスクとも直接関係していたことが、どシロウトのおっさんでも判るほど明らかとなった(逆に言えばこれまではマスコミも政府もこのようなことは一言もクチにしてこなかった)。だとすればここ数年世界で力を増してきた環境業界(という名の謎の勢力)がその力を失うのか、逆に力を増すのかという点でも状況の変化をもたらすのかも知れないとも思う。
つまりエネルギーとはインフラであり、経済であり、牽いては国防だという、環境問題などとは全く別の次元のハナシなのだ。
まあ所詮何が本当の原因なのかなどおっさんには知る由もないのだが、一つ言えることは、やはり重要なものほど何か一つに依存することは危険であるということだ。
だとすれば、仮に欧州の脱炭素と電力不安の原因がカネと権力のパワーゲームだとしても、EV絶対説はやはり詭弁だったと言っていいだろう(今までが石油にコミットし過ぎていたのだという基本的な認識は当然あるとして)。
もちろん少なくとも自動車市場としての欧米と中国は絶対であり、メーカーはそこのルールで闘う以外にない。が、逆に日本市場はメーカーと政府がコントロールできるのだから、それこそEV絶対化というコミットメントのリスクを回避する存在としての重要性を認識するべきだろう。
単なるユーザーとしても、結局後で取り返される一時的な経済的メリット以外に魅力がないBEVより、ガソリンもディーゼルもハイブリッドも含めた多様な選択肢がある方が断然いいのは言うまでもない(そう考えるとPHVが最強なのかもしれない))。ましてそんなことよりも日本の国防にまで及びかねない重大な問題なのだ、というのはちょっとハナシがトビ過ぎかも知れないのでこの辺でヤメておく。

今回の自工会会長の会見では、BEVへの本格参入を発表したソニーに対して「お待ちしている」と発言したそうだが、既存の自動車メーカーからすれば、EV化で参入障壁が下がるとすれば、それは悪いことでしかないハズだ。
だとすれば、安全性や耐久性、部品の供給年数や整備体制を厳格にすることで技術的に参入障壁を維持するということは、充分正攻法だろうと思う。ユーザーからしても、クルマは命を預けるモノであり、単に安ければいいというものでもない。
近い将来、大衆はスマホとバッテリーにタイヤが付いたような、電動カートに毛が生えたような安物EVしか乗れなくなるとすれば、極端に言えば命の格差と言っても過言ではないだろう(もちろん安全性の規制は別のハナシであり、少なくとも現時点ではそれが緩むワケではないが)。そういう意味では、ヘタに耐久性を下げる方向に市場、制度を誘導することは、既存メーカーにとっても自分の首を絞めることになるのではないかと思ったりもする。
「ソニータイマー」でその製品力が地に落ちたかつての名門企業は、凋落した電機産業を切捨て、金融、コンテンツなどの虚業に乗り換えることでグローバル資本主義で見事に復活したということのようだ(言うまでもなく相当のリストラも行っているハズである)。おそらく彼らが作るEVも、しっかりとタイマーが作動することだろう。
やはりBEV化でクルマの寿命は相当短くなる方向に向かうと考えられる、つまりここでもSDG'Sだのなんだのという環境問題とEVシフトの真実は真逆であり、詭弁であるといって間違いない。

元クルマ好きとしては、少なくとも30年前から普通車NAで20年20万キロが一つの目標だったし、若者はさておき当時でもファミリーカーであれば10年くらいは乗ってそれから買い替えを考えるという感じだったと思う。
日本車は当時から、修理して乗るものと思ってさえいれば15年くらいは当たり前に乗れたし、外車に比べればそれでさえ定期的な部品交換くらいの感覚のものだった(金額的にはそこそこ大きいものもあったが)。
ネットによるとクルマの平均使用年数は昭和50年、1979年で6.72年、1996年でようやく9年を超えた程度だが、90年代終わり頃から一方的に伸びている。このことからも容易に判るように、これは偏に消費者の経済問題、つまり所得の減少が原因であることは言うまでもない。
おっさん個人としてはこの数字、30年前で10年に届いていないこと自体が驚きではあるが、確かに「みんカラ」を見始めた頃(5、6年前)は、例えばモデルチェンジごとに乗り換えるというような人間がまだまだ大勢いることに呆然とした記憶がある。
多くの日本人は、15年も乗り続けるなんて時代は変わったなあと思っているのであり、20年は全然乗れると胸を張ったかつてのトヨタ車も今は昔かあなどと郷愁に浸っているのは自分だけのようだ。そう考えれば、ネットのニュースでこの件についてほとんど反応がないのも全く不思議ではないのだろう。

それはさておき、いずれにせよ将来的にはやはりEVが主流となるのではないかと思う。
そしてガソリン車もしばらくはなくならないと思う(ガソリンスタンド次第だが)。
どのみちこれからはただただ「彼ら」のパワーゲームに振り回されるだけのことだ。
貧乏人はEV、金持ちはガソリン車、そういう時代がある程度続くだろう(ガソリンスタンド次第だが)。
どのみちクルマ好きにとっては、クルマの時代は終わったのである。
Posted at 2022/03/01 06:20:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2022年01月31日 イイね!

2022年の正月に見たテレビ番組の感想と妄想


学歴もなく経済も社会も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。

正月ということでネットやテレビばかり見ているおっさんだが、言うまでもなくそれらを全て真に受けているワケでは決してない。「みんカラ」も、ただそれらをネタにを古くからの友人と雑談しているような気持ちで言葉にしているだけである(もちろんこんな言葉遣いで話すワケではない)。
というかそもそもみんカラはいわゆる「SNS」という、それこそ離れた友人とまるで会話のようなやり取りを可能にするためのモノなのだが、そこはやはりおっさんである。そのような「繋がり」は全く必要としていないし、実際そういった使い方は全くしていない。こうして文章にすることは自分の頭で考えることの良い練習にもなり、脳の老化防止にもなり、老後の生活の糧とするための日本語の練習にもなる(かもしれない)というだけのことである。

この正月は去年ほど家に居なかったのでそこまでテレビは見ていないが、NHKBSの「ホンダF1」は2020年1月に書いていることもあり一応ネタとしてチェックしたので、恒例として(かつ最後として)一言。

今回の番組も予想通りの出来栄えと言うか、まずは2020年に書いた文章そのままになるが、基本的に民放レベル、浅めのタイアップ番組の類であり、おっさんが真に受けるようなものでも面白がるようなものでもなかった。そもそもこの番組のターゲットはどう考えてもおっさん世代のハズだが、少なくともそこにコミットすることは全くできていなかったと言っていいだろう。もしかしたら制作責任者はブームを全く知らない若い世代なのではないかとも思うが、逆にマニュアル通りにやることで組織の評価を得る40代50代なのかもしれないとも思う。この手の番組制作コンセプトに倣っただけの表面的な番組になってしまった感があり、NHKの番組制作者としての魂が全く感じられなかった、というかやはりホンダの広報が制作の主導権を握っていたということなのだろう(当然か)。
ただ前回と違い、一番興ざめだったレース実況風のアフレコは今回は無くフツーのナレーション形式になっていたので、恐らく相当多くの人から同じような感想が寄せられたのだろうと思う。
まあこれ以外にも、制作費の関係か知らないが静止画が異常に多いとか、レースの状況説明が全く意味不明だったりとか、番組としては褒めるところが全く無かったといってもいいだろう(ホンダをホメるための番組であってF1を魅せる番組ではないことは判るのだが)。
番組の内容についても一応言えば、一番印象に残ったのはやはり、日本グランプリの中止だろう。
これについては以前も書いたのでもはや特に言うこともないが、日本人にとって如何にオリンピック「だけ」が特別だったかということ、日本政府のダブルスタンダードとホンダの政治力不足、ということでしかない。
またレースそのものについても、正直あまり書くことがないというのが今回の感想である。最終戦最終ラップはまあ勝負のアヤというやつだとも言えるが、エンターテイメントという見方もできる。まあそういうものが一切ないと考えるほうがおかしいとは思うし、ハミルトンの引退騒動などもいろいろ勘ぐったりするが、今回は特に深くは考えないことにする(というかもはやそこまで気にもならないというのが本音である)。

もう一つこの正月見たテレビは、3年ほど前に話題となった日本映画「カメ止め」である。
自分が映画館に行ったのはここ10年で2、3回、スターウォーズとPIXER作品くらいでありまして日本映画など全く興味はない(ちなみに「ククルス・ドアン」だけは映画館に足を運ぶことを今から決意している)。
が、当時相当話題だったということで一応チェックしてみたところ、評判通りの面白さだったことにはまさに驚きだった(そもそも日本映画は見ないのだから作品としての客観的な評価は全くできないということは大前提として)。
作品性としては個人的には好きなタイプだがおそらくは好き嫌いが分かれるところだろうとは思う。それでもこれほど多くの人に評価されたのは単純に面白かったからということの他に、やはりそのコンセプトに対する評価が大きかったということのようだ。
低予算、無名キャスト、アイデア勝負、だが決して低品質ではない、そしてあくまで「映画」として成立しているというところが最大の特徴ではないかと、映画のことはよく判らないおっさんは勝手に思っている。何度も見るような、あるいは数十年後も評価されるような名作というワケでは決してないが、確実に人々の記憶に残る、そういう作品だった。フランスでリメイク版が製作されているということなので、世界中の製作者側の人々にとっても刺激となる作品だったということだろう。

この十年、日本映画でヒットした作品とと言えばほとんどがアニメなのだそうだ。直近で言えば「鬼」「呪」「エヴァ」「君の名は」といったところだろうか(自分はそれすら全く見ていないが)。
アニメ以外ではほとんどがテレビドラマ、ラノベ、マンガが原作という感じだろうか。恋愛ものかミステリーもの、マンガならだいたいヤンキーもの、そして出演者はどれも同じ、事務所のゴリ押し、そんなイメージである。テレビで大々的にCMが流され、情報番組の芸能コーナーやバラエティ番組に出演者が出まくるというのもお約束のパターンだ。要するに宣伝にカネを使う方が簡単に客を呼べる、結果広告会社が一番儲かる、そういう仕組みになっているということになるようだ。その結果、逆に宣伝で呼べる客層に合わせた内容の映画を作るということにもなるのだろう。それこそまさに「作品である前に商品である」ということだ。
まあ実際はどんないい映画でも宣伝しないと客は来ないということもまた事実だし、だとしたら初めから予算上宣伝広告費ありきなのも当然である。市場とは、消費者とはそういうものであり、それはクルマも同じことだ。結果として言ってみれば粗製乱造ということになるのだが、大量生産大量販売はこれまでの資本主義経済にとって基本中の基本である。ヒットを狙って渾身の作品を作れば売れるというワケでは決してないのだから、当たり前なのだ。
市場が成熟することで供給側が市場にコミットするということも、どのような産業にも起こることであり、言うまでもなく全ての産業において「売れる」ことが最優先なのである。結果として同じような商品ばかりとなり、価格と品質が二極化するのは一つの市場の衰退期の典型である。ケータイやスマホ、デジカメ、そしてこれまたクルマも同じだろう。日本の電機産業が陥った「ガラパゴス」化とはまさにこのことであり、世界との勝負に負けたというより、一つの市場にコミットしすぎたということになるのだろう。それまでやり方でラクにガッポリ稼げたという成功体験がそうさせるのだから、どうしようもないのだ。
また一つの市場が飽和状態に近づくに連れ、競争は徐々に弱まり寡占が進むことになる。一定程度シェアを獲得した供給者の戦略は初めから市場ありき、採算性重視となり、そして結果として効率化、コストカットに向かうのが自然の法則だ。もちろんこれは飽和から衰退に向かう産業では当たり前、自動的にそうなるというハナシであって良い悪いの問題ではない。
そう考えるとそもそも日本映画がそうなった事自体も、自然の法則であり誰のせいでもないとも言える。あくまで日本の市場で商業的に成立するという大前提の上で製作される故、大多数の作品は結果としてこうなるということでしかない(これも結局日本映画がそもそも日本市場しか見ていないということでもあるのだが)。
そんな中であくまで「作品」にこだわり続けることは産業としては間違っているということになるのだが、それでも作品に、映画にこだわる製作者がいて、彼らがあくまで中身を最優先するのは、それはまさに芸術、自己表現、ということだと言っていいだろう。結果として世界からも注目されるまでのヒットとなったのだから、世界を相手にする力はあるということになるハズだ。カメ止めのような作品が製作されているということ自体新鮮だったと言うか、そういう文化がまだ日本の映画界に存在しているというだけでも僅かな希望が残っているのかなという思いである。

映画というものは100年以上前からある技術であり、元々は映画館でしか見られないものだった。その後テレビやビデオという新しい技術が登場し、一般家庭に普及し、映画を自宅で見るということが可能となり、そして更なる技術の進歩により今ではスマホで、どこにいても見ることができる。
コンテンツとしての映像作品としてみれば、時代が変わったとしても本質は変わらないハズだ。が、こと「商品」ということになれば、媒体が変わり、視聴環境が変われば、結果として消費者となるターゲットも変わり、それに合わせて製作される作品も変わっていくのである。
そして現在は、テレビが時代の変化に喘いでいる。同じような番組ばかりというのは別に今に始まったことでもないとは思うが、ネットの投稿動画をひたすら流す番組が大量にあるということ自体、まさにテレビがオワコンだということを顕しているだろう。紅白歌合戦が史上最低視聴率だったというハナシだが、これこそまさに「ゾンビ」番組である。
これも結局、市場、ボリュームゾーンを追い続ける商品である限り、逃れられない宿命なのである。

アニメを除く日本映画は完全に停滞期なのは素人でも判るが、じゃあ逆にアニメ界は順風満帆かというと、業界としてみれば決してそういうワケでもないようだ。
半年か一年ほど前、件の「鬼」アニメの制作会社の社長が脱税で捕まったというニュースがあったが、この背景にはアニメ制作会社の苦しい経済事情があるという。
「ガンダム」の歴史的成功から40年、その制作会社では彼ら自身の立場、つまり製作者側の利益と、そして牽いては労働者の地位向上に取り組んできたというハナシもあるが、日本のアニメ産業は未だに大半が搾取される側にあるということになるのだろう。ちなみにこの夏に公開された「閃ハサ」はテレビ等での宣伝はほとんどしていないが、これほどのキラーコンテンツともなれば新作情報はすぐにネットで話題となり、そして固定客だけでも充分なボリュームとなるのだろうから、もはや宣伝の必要すらないということのようだ。結果として興行収入自体はそこそこでも、「ガンダム」全体で一つの市場であるが故一劇場作品のみでその採算性を重視する必要もないのだろう。その代わり固定客からは初めから一定の水準を求められることになるだろうし、供給側もそれを判った上で制作することになるハズだが、それは作品としても産業としても健全な形であるとは思う。ただやはりこのような理想形というのは結局極一部でしかないようだ。

今の日本のアニメにはまだ、クリエイターとしての精神を持つ製作者とそれを支えるファン多くがいるという「文化」が一定程度残っていて、結果として世界から注目される産業としてまだなんとか成立している、そんな状況だろうと思う。牽いてはそれが韓国や台湾のアニメ制作者を生み育てることにも繋がっていると言ってもいいだろう。
現在では日本のテレビアニメはもはや韓国や台湾の制作会社の協力なくしては成立しないという状況だそうだ。これは日本の現場では追いつかないということの他に、CG等のデジタル技術の比率がより大きく重要になっているという部分もあるようだ。これは別に「日本ならではのセル画タッチの方がいい」とか、そういう問題ではない。デジタル化は生産効率、牽いては制作費、利益、競争力に直結するのである。その点において韓国台湾は既に日本を完全に周回遅れにしているし、いずれ、おそらく程なくして作品そのもので日本を凌ぐ実力を獲得し、日本の下請けから脱却することだろう。

モノづくりはやはりどこまで行っても底辺の仕事である。特に成熟した経済、社会では、他人の上前を撥ねる商人が全てを得るのが自然の法則だ。
自分たちの製品は自分たちで売ることができるようにならなければ、永遠にその構図は変わらない。
中抜き、ピンハネ、中間マージン等々、業界とはそういう人間の集まりである。そしていつの時代も奴隷商人は存在するし、まして現在の日本は「ハケン」と言う名の人身売買が合法化されて10数年、テレビのCMは彼らの名前で溢れている。
その意味では、ことコンテンツ産業において言えば、ネット時代の到来は今現在搾取される側にいる人間達にとってはチャンスになるかもしれない。
宣伝に大金をつぎ込むことができなかったからこそ口コミからネットでバズった、それがまさに「カメ止め現象」ということなのだそうだ。この現象が「業界震撼」と表現される所以である。
もちろん作品としてのカメ止めが全ての答えだというわけではなく、常に様々な作品、様々な作者、様々なジャンルが生まれ、それが消費者に受け入れられるというのが文化としての理想である。とにかくいろいろな人間が、いろいろな作品を作ることで、全体としてのレベルを支えるのであって、ネット社会は再びそのような時代が訪れる一つの可能性ではあるだろう。

正月恒例なのでおっさん的サブカルネタとなったが、今現在コロナ第六波で大変な状況だ。
が、その事自体はとっくに判っていた事だし、特に新しいこともない、同じことの繰り返しである。
それより何より、自工会会長の発言がまた大ニュースとなっており、個人的には(たぶん大多数のクルマ好きは)「またか」という感じだろうが、おそらくこれからネットに多くの記事が出ることになるので、次回はこれについて考えてみることにする。

Posted at 2022/02/01 06:15:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2021年12月28日 イイね!

トヨタのBEV戦略についての感想と妄想

業界の実情も経済も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。

トヨタがEVを2030年までに30車種350万台にするという目標と、16車種のコンセプトモデルを発表したというニュースについての感想。
ホンダも既に方針を発表しているが、やはり日本社会に与えるインパクトの違いは歴然である。
ネットでも関連した記事が連続して多数アップされているが、概ね予想通りというのが大勢のようだ。

「エンジンを作らないホンダなんていらない! ?いったいホンダは何処へいくのか?」 文/清水和夫 ベストカーWeb 12/27(月) 7:00配信
「今年読まれた記事と、全力で止めたい超小型EV「C+pod」」(池田直渡) ITmediaビジネスONLINE 12/27(月) 7:55配信
「「業界の救世主」だった豊田章男社長はなぜ「EV推進派」に変貌したのか」 NEWSポストセブン 12/27(月) 16:15配信

東京都知事が「脱ガソリン」宣言したのが去年2020年の12月、ちょうど一年前である。
このときも書いたが、これは結局欧州と中国が仕掛けたゲーム・チェンジを受けて立つこと、彼らの土俵で闘うことが決定しただけのことだ。
グローバル資本主義で最も重要なのは世界の自動車市場であると共に、世界の金融市場である。都が発表した、というより政府が方針を決定したのは世界に対するプロモーションであり、そしてそれは言うまでもなく業界の意向である。つまりこの時点でトヨタを含む日本メーカーの方向は決定していたのであって、あれからちょうど一年、トヨタからこのような発表があったことは極々当たり前、全ては予定通りだと言っていいだろう。

EVそのものに関して言えば、現時点では航続距離、充電時間、充電場所、価格、どれをとっても何らメリットがない、何の魅力もないと言っても過言ではない。
だからこそ「環境問題」あるいはせいぜい静粛性かむりやり高級感を最前面に押し出す以外ない(スポーツ性も意外に高いようだが大衆には不要)という状況である。
更に日本に関して言えば、少子高齢化で市場は縮小し、更に実質賃金の低下でクルマの価格は相対的に上昇し、ただでさえ軽しか売れない状況であり、そこに高い(価格が)、遅い(充電が)、走らない(長距離は)では、誰もEVなど買うはずがない。そんな中でEVを売るには、もはや誰もが判っていることだが、政府の補助金以外にないのである。
もちろん現在の欧州や中国も、基本的には全く同様に政府の補助金によって市場が形成されていると言ってもいいだろう。結局これが自動車業界にとっての新たなビジネスモデルであるというのが、現時点における世界の結論なのである。
このような結論に達したからには、環境問題に対する正論など全く無意味であり、トヨタとて抗う必要性は全く無い。全世界がEV化を正義と認め、それ以外を悪と認めたのだから、もはや議論の余地はなく、むしろ堂々とEVで勝負するだけのことだ。
ここから先は、自動車メーカーにとっては技術力の、政府にとっては補助金政策の、世界との純粋な勝負ということになり、むしろ迷いがなくなったとも言えるだろう。
ただ、内輪では根回しや忖度ばかりしているくせに世界が相手のゲーム・チェンジ、戦略的仕掛け、裏工作が全く下手くそな日本政府、日本メーカーだけに、またどこかでルール自体をひっくり返されるときのことは考えておく必要があるというのがトヨタの本心、というか当然の戦略だろう。
そもそも環境問題等々もっともらしい正義を振りかざすのは有史以来シャーマンの専売特許であり、「本当の技術」の対局にあるこれもまた重要な「技術」である、ということは今回は触れずにあくまで本当の技術が社会に何をもたらすのかを考えてみる。

少なくともおっさんがまだ子供だった40年前から、いずれはバッテリーEVか燃料電池車だと言われていた。
が、それが未だに実現しないのは、技術的には偏に「電池」の問題である。
それは必ずいつかは解決できる、いつかは500km走るのに5分で充電できる日がやって来る、そういう性質のものではあるが、それが未だに実現しないのは、一言で言えば、化石燃料が最も優れているだからだ。優れているというのはあくまで便利で安価だということであり、その点においてそれ以上のメリットがなければ、若しくは何らかのデメリットがメリットを上回らなければ、わざわざ別なものを追求する必要がない。技術とはそういうものである。
地球温暖化というデメリットは長くて20年、というよりほんの10年の間に急に取り沙汰されるようになったものであり、まして今のユーザーにはほとんど実害を感じない、無関係と言ってもいいのである。
これは今の日本で言われる脱ハンコと同じことであり、色んな意味でこの方が良いなどと言われても今特に困っていないのであれば、世の中は動かないし、誰も技術など必要としない。
自動車で言えば、いよいよ化石燃料が手に入らなくなるか、本当に地球温暖化の被害が深刻化するまで変わらないだろう。

ただ逆に言うと、そこまで追い詰められたときには、技術の進歩は一気に進むことになるのが歴史の常である。
もし仮に電池の技術が劇的に向上すれば、そもそも自動車というよりエネルギー問題のブレークスルーにもなり得ると言っても過言ではないだろう。
そういう意味では、一つの技術に全世界が集中するというのも、少なくとも技術的には、一概に悪いこととは言えないのかもしれない。
そして、単純に一つの技術を追求しようとする時、日本メーカーにはその力があると、過去の栄光を振り返れば思うことができないこともない。
またそもそもモノとしてのEVとは何かといえば、まずは自動車であることは言うまでもないだろう。勘違いしている向きもないではないようだが、スマホとバッテリーにタイヤをつければEVになるワケではないことだけは間違いない。それこそクルマとしての100年の蓄積があって、そこに10年か20年のITと、未だ特異点に至らないバッテリーの問題がその後に来る、ということになる。
もちろんこれまでに比べれば誰でも作れるようになるのも間違いではないし、そもそも日本人のようにクルマ=移動手段であれば、そしてもし価格が現在の半分になるのであれば、スマホとバッテリーにタイヤが付いたモノで充分だということになるかあるいは経済的にその程度のものしか買えなくなる可能性もある。
とは言え少なくとも欧米を基準としたこれまでの「クルマ」として考えれば、フツーに考えれば技術的には既存の自動車メーカーに圧倒的な優位性があるのは間違いない。
本気の技術勝負であれば、トヨタを中心とした日本メーカーにも当然勝算はあるだろうし、多くの日本人はそう思っていることだろう。

ただ本当の問題はそういうことではない。

自動車メーカーというものは元々一つの企業でクルマの全てを生産していたワケではない(もちろん正確には現在もそうだ)。
あまり詳しくはないが、自動車の黎明期には「エンジン屋」という概念があった。BMWやダイハツの名前の由来がそうだし、ヤマハなどもそうだ。また車体メーカーを意味する「コーチビルダー」という言葉もかつては存在したし、高級車やスポーツカー、レースの分野では今でもそのような形が残っている。それが大量生産時代の到来と自動車産業の成熟につれ、エンジンメーカー=自動車メーカーという形に落ち着いていったということになる。
これはおそらくエンジンが自動車の要であったからこそだと考えられる。なぜなら走行性能、燃費、静粛性その他の質感等々、クルマとしての重要な要素が詰まっているからであり、いいエンジン=いいクルマとも言えるからである。
当面、EVにとって最も重要なのは「バッテリー」である。
航続距離、充電時間、動力性能、そして価格と、重要な要素が全て詰まっていると言って間違いない。
今までは、自動車メーカーがバッテリーを開発することはなかった。技術的には別であるため生産するより調達したほうがコストが安いことと、クルマの性能に対してそれほど大きな影響がなかったためである。
ということは、もし自動車産業が完全にEV化すれば、バッテリーメーカーが自動車産業の上流になるのはほぼ間違いない。
現在もエンジンメーカー由来ではない自動車メーカーも存在するし、自動車産業の上に鉄鋼メーカーがあり、その上に鉱物、エネルギー産業があるように、それ自体は特段フツーのことではあるが、企業の形としてバッテリーメーカーが自動車メーカーになるといった業界の再編、というより地殻変動となる可能性も充分にあるハズだ。

もしこの流れが本当だとすれば、逆に言えば新たな時代の黎明であるとも考えられる。
そうだとしたら、本来なら、無数のエンジン屋やコーチビルダーが存在した自動車黎明期のように、無数のバッテリーメーカーが生まれ、新たな産業革命となるハズだ。もう一つの重要部品であるモーターについても、とうに枯れた技術だと誰もが思っているだろうが、もしかしたら新たな時代が来るかも知れない。
そのような時代にあって、フツー、歴史的に見て、「このピンチをオールジャパンで」などという発想になるだろうか。
勝者総取り、四騎士が生殺与奪を握るIT界といえど、そもそもその技術はどこかの国がオールなんとかで作り上げたワケではおそらくないだろう。
本来であれば、日本にいくつものバッテリーメーカーが犇めくというのが技術的にも産業的にも理想であるハズだが、どうやら現在の日本の産業界ではとてもそういう発想にはならないようである(バッテリーの技術が如何に高度であるかなどということはおっさんには全く判らないが)。
つまりこのままでは世界に勝てないという日本人の技術力、というより技術に対する発想が既に終わっているのである(バッテリーの技術が如何に高度であるかなどということはおっさんには全く判らないが)。
これは日本の企業、大学、教育、社会、全てが組織の論理に収斂した結果だろう。若しくは、というよりそもそも日本が技術で世界をリードしてきたという認識すらも、戦後日本がたまたまそうなっただけ、ただの幻想に過ぎないと言ってもいいだろう。

おそらく日本では、自動車メーカー自身が(もちろん既存の電機産業を巻き込んで)バッテリーの開発に最大限注力することになるだろう。そしてトヨタがこのような発表をしたということはおそらくその枠組みの中で一定の勝負ができる、というより勝算があるというところまで来ていると考えるのがフツーだと思われる。
ただ、仮に日本の自動車メーカーがEV化において世界との勝負に勝ち残ったとしても、それは自動車メーカーにとっての勝利であって、日本の産業や雇用、労働者の賃金の勝算ということでは全く無い。
そもそも企業は雇用を守るために存在するのではない。企業の利益を追求するために存在するのである。企業にとって、労働者は企業の利益のために存在する。それは資本主義を標榜するからには当然のことであり、現在の資本主義社会は結果として成立しているに過ぎない。現在の日本の雇用と賃金がどうなったか、日本の電機産業を見れば判ることだ。つまり自動車産業もいずれそうなることが確定したと言っていいだろう。

80年代、少なくとも日本の政治家は、労働組合を潰すことに成功した。そしてそれ以降日本は賃金が低下し続けているが、日本の企業の内部留保、そして配当は増え続けているということであり、その原因が「生産性」の問題ではないことは明らかである。
そして組織の論理が社会の隅々まで行き渡った結果、単純な論理的思考力を捨てること、組織の論理に徹すること、組織の論理に選ばれた人間が社会を動かしていること、そうではない人間は社会の運営に参加できないこと、このことを大多数の人々が当然のこととして受け入れているのである。
そのような社会にあって、人々の意識を変えることによって社会を変えようなどという期待は全く無意味であり、歴史上もあり得ない。それが社会の法則であることはこの30年間を見るだけでも充分判る通りだ。
社会が変わるには、ひたすら落ちるところまで落ちるか、物理的に破壊される、つまり戦争か疫病しかないのだが、基本的には今後はそのようなことは起こらないハズだと考えるのがフツーだろう。つまり戦後のような時代は、日本人にはもはや半永久的に訪れることはない。

クルマの一つの時代が終わるとき、ようやくトヨタというメーカーの重要性を認識することができたように思う。
今ならまだ、トヨタが動けば日本が動く、そういう力、そして責任を持った企業だと思うことはできるという部分は確かにある。
ホンダが日本を捨てようとしているのも企業の選択肢としては正解だと思うが、トヨタの姿勢は、企業としては(少なくとも現時点では、あるいは少なくとも対外的には)、とりあえずは評価に値するだろう。

クルマの一つの時代が花開くとき、確かにホンダのようなメーカーは魅力的だった。
その花が枯れるのを見るのは寂しいものでしかないし、どうせなら美しいまま儚く散ったほうがいいとすら思わないでもない(というより手の届かない高嶺の花となり、自分は捨てられたという現実を認めることが哀れなおっさんには難しいというだけだ)。
F1のドライバーズチャンピオン獲得は、ネットや新聞等では一定のニュースになったようだが、テレビではほとんど取り上げられなかったようだ。
来年発売される新型ステップワゴンでは、現行型最大のウリだったワクワクゲートはどうやら廃止され、そして廃版となったオデッセイユーザーもカバーするため高級路線、相当強気の価格設定になるだろう。
おそらくは今、ホンダにとっていよいよ日本市場に別れを告げる時が来たのである。
日本のユーザーもまたホンダとは距離ができてしまったのだから、これはお互いのためなのだ。
あとのことはトヨタに任せて、自由に羽ばたくことこそがホンダらしさだと言っても何ら問題ないだろう。
我々が求めているのは、かつてのホンダのようなメーカーがクルマ界に現れることであって、ホンダがかつての姿に戻ることなどないことは判っている。
今、元ホンダ好きのおっさんの心に浮ぶ言葉はまさに「ありがとう」、そして「さようなら」である。
Posted at 2021/12/28 06:37:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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