踊る大走査線シリーズ、流行っていることは知っていましたが、これまで見たのはたぶんテレビシリーズ第一話のみだと思います。そしてそのときに挫折して以来、これまで見てきませんでした。そしてこの日、流行っていてしかも映画が第三作になるなら、という理由で見てみました。
私はストーリーものをよく見ていますので、多少分かりづらいところがあっても画面から読み取りますので、見ていて分かりづらいということはありませんでした。しかし、「これはストーリーが生きているのか?」と思えるほどひどい出来で、フジテレビ亀山千広氏もずいぶんとまあひどい邦画を作っているな、という感想でした。
このシリーズは、「太陽にほえろを徹底的に調べ上げ、それとは反対の方向で作品を作った」ということが売りなのだそうですが、ストーリーで楽しむという、太陽にほえろだとかそうでないとかいうこと以前の問題まで太陽にほえろと反対を行ったのでは、こりゃもうストーリーものとして失格と思いました。
以下ネタバレがありますので、この作品を楽しみにしている方は読まないでください。
警察署の引越しやら幹部同士の政治的争いだとか
中学生の頃、ドラマは真実を描くべき、などとえらそうなことを言ったことがあります。すなわち、画面は主人公すべてのシーンを描く、というものです。トイレに行く姿や家で寝る姿、そんなことまで映し出せ、ということですね。まあ、中学生らしい発想です。でも、そんなことを描いて、見ているほうは面白いわけがありません。
主人公がトレードマークのコートを捜し歩く
引越しのドタバタで主人公のコートが行方不明になります。しかしあるときにそのコートが出てきて、あたかもポパイがほうれ草を食べるがごとく力を出しますが、こういう幼稚な描写は見ていて疲れます。
主人公が出世する
主人公が管理職に出世したのだそうですね。そのため、総務課員?から夜勤の日程表を出してくれと何度もせがまれますが、そんな日常雑務の風景を見せられてもこっちは困ります。ドラマを見るというのは、ストーリーを見ることなのですよ。
主人公が警察署のシャッターをたたく
良くこういう音が「モールス信号」になっていて、隔離された人に伝達する描写があります。特捜最前線の津上刑事が殉職する話や、最近では日本テレビ系が製作したレスキューものにもありました。それがこの映画では、単に悔しいからシャッターをたたくだけで、それ以外の意味がありませんでした。何のための描写???演じる意味がないならまだしも、こっちはお金を払って映画を見ているのですよ。映画の時間は限られているのですから、登場人物の行動には意味をもたせてください。
主人公にガンの疑いがかかる
健康診断により、主人公にガンの疑いがかけられ、それが主人公にも伝えられます。脱力する主人公。しかし、それは間違いだったと、画面を見ている観客には早々に伝えられます。だからといって主人公が命を掛けた作戦をするでもなく、命を掛けて犯人を説得するでもなく、単に勝手に脱力するだけでした。製作者さん、えーと、「伏線」ってご存知ですか??
カルト宗教だとかインターネットだとか
フジテレビ系「SP」やTBS系「ブラッディマンデイ」もそうでしたが、最近の若者向け刑事ものは何かというとネットとカルト宗教に走りたがります。アクションもいらないしロケもそれほどいらないし、CGだけでほとんどが済むからということもあるのでしょうが、刑事ものらしい血沸き肉踊るアクションや、その名の通り不安感思わせる「サスペンス(車のサスペンションとおなじ、懸架が語源。つられたような不安定感という意味。)」もないし、全く平板に話が進みます。退屈でした。
アクションはやらないんだってね
インターネットカフェに(やっぱりこれか!!)犯人を追い詰めます。中国拳法が得意な刑事がいるのですが、犯人と対峙したときにいきなり画面が暗くなり、次の瞬間には犯人を倒しています。いくらなんでもこの描写はないでしょ。アクションシーンは刑事ものの売りなのにネ。太陽にほえろ!でジーパン刑事のテーマとともに繰り広げられるアクションや、Gメン75で倉田保昭氏が演じた激しいアクションは、子供の頃特に印象に残りました。体を張って市民の安全を守る強い刑事さん、そんな印象でした。特捜最前線ですら、他所のアクションシーンはありましたよ。早い話が、アクションをしないのなら別の展開にすれば良かったのにね。
柳葉敏郎さん?
警視だったかな?政治家と政治的やり取りをする位置づけでしたが、実際の警察に仮にそういう人がいたとしても、見ていて無駄なシーンばかりだと思いました。
会議のシーン
なんでも、「事件は会議室で起こっているのではないんだ!」がこのドラマの名台詞なんですってね。それにしては「ブラッディマンデイ」を思い起こさせる階段議場での会議がありました。退屈。。。
伊藤淳史君
故いかりや長介氏の忘れ形見だそうですが、あまりにポッと登場した上、それほど活躍しないというのも、いったい何のための登場させたのか???
犯人
犯人の小泉今日子さん、この人の動機や心意気をナントカ読み取ろうとしましたが、結局私には理解できませんでした。
まとめ
これを読んでくれた皆さん、もしかしたらあまりの文句ぶりに気分を悪くされたかもしれません。しかし、1970年代の刑事ものを見た私としては、この作品は「ドラマ以前」だと思います。ドラマというのは、登場人物の心理を描きながら、見ているこちらを主人公(または犯人)に投影し、心の葛藤などを感じさせるものだと思います。この作品はそういう点では何のストーリーもなく、ただただ目の前で場面が転換するだけのものでした。
余談
なんでも1960年代の刑事ものが、「割台詞などで刑事にストーリーの展開を説明させるだけ」の小説(七人の刑事、特別機動捜査隊)だったり、ほとんどストーリーなく荒唐無稽なアクションだったり(キーハンター、ザ・ガードマン、太陽にほえろの初めの1年、東京バイパス指令)です。この時代のドラマは旧くてもよい作品とは思いません。
10、20歳代の人へ
こういう作品がドラマ(ないしは映画)だと思ってはいけません。CATVなどの「ファミリー劇場」や「日テレプラス」では、1970年代に端を発する刑事ものが放送されています。だまされたと思って、それらの作品を見てみてください。きっと「ストーリーある物語」の楽しさが分かりますよ!
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Posted at
2010/08/14 01:23:06