
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
アルバイトをしていた頃は、それこそ馬車馬のように働いていました。ここのところは第二期のことを書いていますので、それに倣って書きます。
スペード社の営業日は月曜日-金曜日で、確か隔週土曜日営業だったように思いますが、繁忙期に土曜日も営業していたかどうかは記憶にありません。勤務日は午前8時30分頃までに出勤しました。タイムカードを押した後に詰め所へ向かいます。詰め所には昨日仕分けをしておいた方面別便があるために、それを当日勤務する人同士で分け合います。
多くの人が、良く行く方面や通学定期が有効な方面を選んでいたように思います。また、集配先には日本橋や大手町、港区が多かったように記憶していますが、まれに北区もあったように思います。その日に出勤する人は必ずしも決まっておりませんので、人が不足している場合は郵便や「無理」によって振り分けます。訪問にも限度があり、1時間1件の1日7件が限度だったかなあ?よほど近い訪問先が重なれば1日10件も可能でしたが、なかなかそんなことはありません。また、一人当たりの受け件数に限度はありませんが、少なく取ってもだれも非難はしませんでした。
集配業務を行うのは男性で、女性は内勤で製品検査や工程管理をしていたようです。工程管理専門の期間限定社員さんが4人いて、その4人の指示を受けながら働いていたようです。製品検査ですから、責任もあり、目も疲れたようですよ。女性の製品検査所と男性の詰め所は衝立で仕切られており、まるで男女がおしゃべりをしてはならないかのような雰囲気が醸し出されていました。とはいえ男性は定時が来たら外出してしまいますので、談笑している余裕がないのも事実です。
9時になると男性は出発します。JR線だったり地下鉄線だったり歩きだったり、男性同士が談笑する余裕はありません。中には時間指定がなされている場合もあり、10時と早い時間指定だったり、反対に17時指定と遅い時間だったりすることもあります。もちろん、時間指定なしもありますが、12-13時や17時過ぎは失礼なので訪問しません。地図を頼りに周囲を見ながら目印を探して、集配先に向かいます。現代とは異なり、スマートフォンはありませんので、地図アプリもありません。自分の位置を電柱の住所で判断し、行先を探しながら歩きます。すぐに見つけられるような大きなビルであることもあれば、細長くて探すのも大変なこともありました。時間指定がある場合の遅刻は厳禁ですから、結構時間が厳しいこともありました。私は、太陽にほえろ!の刑事のように、街中をスーツ姿で走ったこともありました。時間に余裕がある場合は集配先を特定したのちに、付近の街を散歩して時間をつぶしたこともあります。
中には午前中に出かけて昼食時間帯は会社に戻り、再度出かけていく人もいたようです。私は出ずっぱりのことが多かったですね。昼食は抜いたことが多かったかもしれません。お店の方も現代のようにファストフード店はなく、駅の周りにハンバーガーと牛丼のお店がある程度です。コンビニも少なかったように思います。記憶にあるのは、港区内の古い高層ビル付近で昼食時間帯を迎えた日のことです。そのビルには外部の人でもはいれる食堂があり、メニューを見ると「青椒肉絲飯 1100円」とあったことを記憶しています。昼食で前1時間分の時給が吹き飛んでしまうのはバカバカしかったので、抜いたりお菓子を食べたり物陰でパンを食べたりしていたのかな?
午後も午前中と同様に仕事を続けます。17時以降の時間指定はありませんでしたので、17時に集配、17時20分くらいにその集配先を出て会社に戻ると、大体18時になってしまうものです。詰め所に入ると、何と人はほとんどいません。17時まで働いて戻り、18時には退社することは理論的に難しいです。おそらく、17時に帰社できるように集配案件の「取り」を調整していたのでしょう。そして先日書いたように翌日の準備業務を行い、22時に退社していました。
これを月曜日から金曜日まで、2月初めから3月初めまで繰り返していたのです。土日は、、、パソコンの販売店でアルバイトだったと思います。平日働き土日も休んでいなかったのですから、20歳前後で1か月間とはいえ、体や心には無理がかかっていたのかもしれませんね。
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スペード社 | ビジネス/学習
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2025/03/23 23:48:03