
今回は、またまた車とは関係のないスマートフォンの話です。
長文ですが、良ければ読み物的な感じで読んでみて下さい。
最近車の話を書いてないので、また試乗記も書かないとな(笑)。
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無料の車は無いし、無料のタイヤもガソリンも無い。車検整備にしろ、パーツにしろ、オイル類にしろ、無料の物は無いし、無料じゃないからと言って、怒る人もいません。
至極、当たり前の話ですね。
更には、仮に誰かが自分が興味を持ったパーツをタダでくれたとして、それを付けても今一フィーリングが悪かったとして、くれた人に対して「変な物くれるな!死ね!」と暴言を吐く人なんてのは、まず有り得ないでしょう(笑)。
(気に入らなければ外せばいいだけ)
しかしながら信じられない事に、最近ではこういう人種が増えてきているんです。
ちょっとインパクトあるイントロになってしまいましたが、今日はiPhoneやアンドロイドなどの今人気のスマートフォンを中心に、パソコンのソフトの話をしてみます。
私は結構長い間、いわゆるIT系と言われる世界を見てきました。
時は遡り、2○年前(遡り過ぎ?(笑))。 小学生だった私が初めて手にしたのは、当時ヒットしていたMSXと言う規格のパソコンでした。 Macの初号機が出る少し前の事です。
当時はハードディスクなんて物は無く、フロッピーディスクですら高価で付いていませんでした。
何にデータを保存してたか知ってますか?ラジカセです!!
まあ私はその頃からプログラムを組んで遊んでいました。 と言うより、他に遊び様が無かったのです。
当時はもちろんネットなんて物は無く、ソフトはお店で買うしか有りません。
お店に行ってカセットテープで買ってくるか、ROMカートリッジを買ってくるかでした。
しかしながら、MSXは安く子供向けに近いパソコンだったので、実質ゲーム以外のソフトは販売されていませんでした。
うちは家庭の教育方針で(笑)、ゲームを買うのは禁止だったので、私は自分でプログラムを組んで遊ぶしか無かったんですよね。
頑張ってBASICと言うプログラミング言語を学んで、自分でゲームを作ったり色々と遊んだものです。
今時は小学生がパソコンやiPadを使う等は、めずらしくは無いでしょう。 中には4歳からiPadを使っているなんてツワモノもニュースで見た事が有ります。
ただ、マウスもタッチパッドもアイコンもソフトも何も無く、文字だけの世界でプログラムを組むしか遊び方のない、私の時代に生まれていればきっと不可能だったと思います(笑)。
まあとにかく、私がパソコンのプログラミングと言う物を始めたのは、そんな時代でした。
時は流れー、90年代前半。パソコンは、PC-9801全盛期。 我が家にもやっと、フロッピーディスクの付いたパソコンがやって来ました。 ちなみにこれを買うために、私はバイクを諦めています(笑)。
この頃の一般人のパソコンの用途はもっぱらワープロでした。(「一太郎」って聞いた事ありません?)
まあ多くのソフトが、色んなソフト会社から出て販売されていました。
しかしこの頃からパソコンのソフトは私にとって非常に高価で、数万円から数十万円する物が主でした。
貧乏学生だった私には、なかなか手が出ない高根の花です。
ところがこの頃に、パソコンの世界に大きな変化が起きます。
電話回線を使った「パソコン通信」と言う物が流行ってきて、色んな人と情報や自分の作ったプログラムが交換できるようになりました。(これが今で言う「ネット」ですね)
誰でも自分が頑張って作ったプログラム(ソフト)は誰かに見てもらいたいと思うのが人情ってもの。
私もすぐにパソコン通信に参加しました。
そして、とにかくいろんな人が作ったソフトをダウンロードして、ワクワクしながら見た物です。
しかし当時はネットを使うと1分10円の使用料プラス、電話料金が3分10円で掛かったので、お金を気にしながらのヒヤヒヤのダウンロードでしたが(笑)。
しかも回線速度は、2400bps!!
今のフレッツ光回線の1/41667の速さです。
しかしそこで一気に世界が広がりました。ネットの世界には、本当に凄いプログラム(ソフト)を作る人がたくさんいて、それはそれは尊敬するとともに、「自分もいつかはこんな物を作れるようになりたい!!」と思ったものです。
それもそのはず。凄いソフトの作者は本業がプログラマーの人も多く、「こんなのが有ったら便利だなー」っと思う様な物を趣味で作って、好意で皆に公開していたんです。
しかもソフトはほぼ全てが無料で、完成度こそ市販ソフトには劣る物の、非常に便利な物や良く出来ている物も多く、市販ソフトが買えない貧乏学生だった私は非常に助かりました。
便利なオンラインソフトの作者は、皆が感謝と尊敬の目で見ていたものです。
そして当時大事だった文化は、「ギブ・アンド・テイク」の精神でした。
それぞれ自分の得意なジャンルのソフトを作って、公開する。便利なソフトをタダで使わせてもらったら、自分も得意なジャンルのソフトを作って皆に公開するなどして、何らかの形でお返しをする。
ソフトが作れない人は、メールや今で言う掲示板などで作者にお礼を言い、「こいう風に使っていてとても便利だ」とか、「こういう機能が有ったらもっといいな」などと言って意見を出し合い、作者もそれでモチベーションが上がってより高機能なものへと育って行きました。
(そういったやり取りで完成度が上がっていき、中にはパッケージで市販されてしまったソフトも有りました。)
まあ、そうやって色んな種類のソフトが充実していき、皆が便利になって行ったんです。
つまり当時は、「ユーザー≒開発者」だったんです。
ユーザーは、また作者でもあったり、限りなく作者と近い存在だった訳です。
もちろん私も、自分が作ったソフトを張りきって公開して、それはドキドキしながら皆の反応を待ったものです。
お礼のメールが来た時は、それはそれは飛び上がるほどに嬉しかったものです(笑)。
でも当時から、ただひたすら人が作った物を使うだけの人も中には居て、「ダウンローダー」などと言われ、白い目で見られていました。
まあ現代とはかなり状況が違うでしょうが、オンラインソフトと言う物がここから始まった事はまぎれもない事実です。
当時は人気のある無料オンラインソフトをフロッピーディスクにたくさん収録して、それを付録とした雑誌が大人気だった古き良き時代。
90年代前半。まだWindowsが普及する前、MS-DOSと言う物がOSだった頃の話です。
その後に、時代はWindowsの方向に徐々に移って行きます。まだ、Windows3.1の頃です。
Windowsのユーザーが増えるとともに、今までMS-DOS用に作られていた便利なソフトをWindows用に作って欲しいなぁ、という要望が全体に広がって来ましたが、実はこの頃にWindows用のオンラインソフトはグッと減ってしまうんですよね。
私も中々作れませんでした。理由は主に二つあって、一つはWindowsのプログラミングが非常に難解だった事、そしてもう一つはWindowsでソフトを作るのには凄くお金が掛かった事です。
今でこそ、そこら辺の三万円のパソコンでもWindows何て問題無く動きますが、昔のパソコンはずっと性能が低く、まともにWindowsを動かすにはかなり高性能なマシンが必要だったんです。
(ちなみに今はメモリ何て何ギガも普通に積んでますが、当時は8メガ(0.008ギガ)も積んでればいい方でした。ハードディスクも高価で、500Mの物も買うのが大変でした。余談ですが私が始めて買ったハードディスクは120M(0.12ギガ)で8万円でした。)
そしてマイクロソフトの策略か(笑)、ソフトを作るには「コンパイラ」と言われるソフトを作るためのソフトが必要なのですが、Windows用は実質的にマイクロソフト社製しか選択肢が無く、こいつが98,000円もしたんです。
つまり、Windows用のソフトを作ろうと思ったら軽く50万円を超える程の、相当なお金が掛かったのです。
更にプログラミングが非常に複雑で難しくなり、同じソフトを作るにもコードを何倍も書かなければならず、手間も時間も倍増しました。
そして勉強のための書籍がこれまた高く、本当に大変でした。
そりゃあ、オンラインソフトも減る訳です。(私は当時学生でしたが、何度も挫折しかけました(笑)。)
そこで徐々に、「作者が高いお金を掛けてソフトを作ってくれたんだから、便利に使わせてもらうユーザーも、みんなで少しずつ製作費を負担しましょう。」という考え方がメジャーになって来ました。
作者の人件費は無くとも、せめて開発にかかったお金を皆で負担しようって感じです。
ソフトの制作費を皆でシェアすると言う意味で、「シェアウェア」と呼ばれていた物です。
多くは金儲け目的では無かったので、大体1000円から5000円位のソフトが殆どでしたかね。
もちろんそれでも市販ソフトよりはるかに(1桁以上)安く、皆「安くて便利で有りがたい」と喜んで使っていました。
ソフトを作るのがいかに大変かわかっていたので、それ位の金額では誰も高いだとか、使いにくいだとか、文句を言う人なんていなかったんです。
というか、「文句が有るのなら自分で作って公開すれば?」という世界でしたからねっ。
そうして 実際に自分でもっと凄い物を作っちゃった人もいました。
ましてや、自腹でクソ高いお金かけ、多くの時間と労力を掛けて開発したオンラインソフトを無料で公開してくれている神様の様な作者に対して、感謝や尊敬の気持ちも無く文句ばかりを言う人なんてのは、有り得なかったんです。
でも、、、実はこの頃から徐々に、そういった非常識な人がチラホラ出始めて来て、パソコン雑誌やネットの中で「無料ソフトの作者に文句を言うのはいかがなものか?」とかなり問題となり、そういった人が批判や注意されていたものです。
実はこういう非常識な人は、殆どのケースでは自分自身がソフトを作った事が無いんですよね。(だから大変さや、有りがたさが判らないのでしょう。)
こうして「ギブ・アンド・テイク」の文化が徐々に崩れ始めて来たのです。
やがてWindows95が販売され、プログラムなんて物を作った事のない多くの人がパソコンを買い始め、同時にこの頃からインターネットと言う物が普及し始めます。
この頃には「ユーザー≒開発者」の関係が完全に壊れ、「作る人」と「使う人」が2極化して、他人の作ったソフトを使うだけの人がグンと増えた訳です。
それはそれで別に悪い事では無いでしょう。 車でも何でも、道具が普及するってのは、そういう事ですから。
車でもバイクでも、昔の人はある程度の整備は自分でやってたんでしょうが、一般大衆に普及して、道具の性能が上がるにつれ、自分で車の勉強をして整備したりしない人が増えたでしょう?
だいたい普通の人は、そんな時間も場所も技術も有りませんからねっ。
その代わりにプロの整備士などに頼むのですから、整備代やパーツ代が無料じゃないと怒る人もいないでしょう。
ところがパソコンの世界だけは、何故かこの常識が通じないんです。
多くの人はオフィス製品等の一部のソフトは買う物の、オンラインソフトは無料が当たり前。お金を取る作者何て考えられない。それどころか、無料のソフトでも不具合がちょっとでも有れば作者に文句を言う始末です。
タダで勝手に使っておいて、まるでお客様気分です。
正に自動車のパーツや整備の工賃が無料で無い事を怒るのと同じ事をしているのです。
いや、無料で提供してくれている人にまで文句を言うのだから、ボランティアに文句を言うのと同じですかね。
車を作ったり整備をするのには、お金や時間や技術が必要で大変だけど、パソコンのソフトを作るのは安くて簡単で、楽だとでも思ってるんでしょうかねぇ?
これにより多くのオンラインソフト作者が去って行きました。
長く続いたシェアウェアの文化は実質上死んでしまったのです。
これで誰が一番損をしたと思いますか? ソフト作者じゃないですよ。 ユーザーです。
個人で作っている無料のソフトや、安いソフトがどんどん減って行ってしまったんです。
フリーソフトの数自体は現在もたくさんありますが、殆どが外国製か、会社や団体によって作られている物ですかね。だから種類や面白い物が本当に少なくなった気がします。
(そういう作者達はUNIXの世界に行ってしまったのか、あっちは盛り上がっているようですが)
長い間パソコンをやっている私から見ると、今は本当につまらない世界です。
これは声を大にして言いたいのですが、無料オンラインソフトのユーザーはユーザーであって、お客様では無いのです。
人が作った物を、勝手にダウンロードして使っているだけの人です。
なのに、根本的に「客の意識」が有る様な気がしてならないのです。
結果、客の様な態度や言動をとる人が多いのですよ。
さてさて、更に時は流れー、アップル社がiPhoneを販売すると時代はパソコンからスマートフォンの方へ移って来ました。
私は10年以上前から言っていたのですが、近い将来にパソコンは一般家庭からは恐らく消えるでしょう。
代わりに、スマートフォンやタブレット型のコンピュータがパソコンに取って代わると思います。(だって多くの人は家でパソコンを使う時に、メールとインターネットだけ出来れば問題ないでしょう?)
さて、やっとこさ本題に入りますが、、、
そして今、iPhoneを始めとしたスマートフォンの世界で、Windowsと同じ事が起きているのです。
アップル社のiPhoneの成功理由の一つに、従来のアップル特有の閉鎖的な世界を少し緩めて、一般の多くのディベロッパー(ソフト作者)に、iPhone 用のアプリの製作を許可した事が有ると思います。
実際にiPhoneユーザーで、アップル純正アプリしか使っていない人なんていないでしょう?
iPhoneのアプリ作成は非常に間口が広く、Macを買わなければ開発できないと言うオチは有りますが(笑)、それを除けば年間99ドル払えば誰でも開発できます。
公開するにはアップルによるアプリの審査は有りますが、1週間も有れば大体終わります。
(ちなみにNTT docomo のi-modeのアプリ(サービス)は個人で申請すると1年以上待たされると言われていましたし、情報も少なく、審査に通らない事が多かったようです。 まあ、結果を見ればどっちのモデルが良かったかは分かるでしょう。)
こうしてソフトを作るために、50万円以上かかっていた昔と比べれば、遥かに敷居は低い物となりました。
やがて個人で開発されたアプリの数は増え、非常に面白い物や、良く出来た物も多く出てきました。
まるで90年代前半の、私がパソコン通信を始めた頃の様に、そこには面白い、ワクワクする様な世界が生まれてきたのです。
まだiPhoneユーザーはビジネスマンが多かった時代。
iPhone3Gがメジャーで、iPhone3GSがちょうど出た頃の話です。
しばらくするとiPhoneアプリを紹介する本が膨大に出版されたり、テレビの深夜番組でiPhoneアプリの紹介をする番組が出来たり、芸能人がiPhoneアプリを紹介したり、と言った具合に、アプリの世界はより一層盛り上がって行きました。
やがて、iPhone3GSが主流となり、更にiPhone4が販売されるとiPhoneを始めとするスマートフォンが一般人にも爆発的に普及をし始めたのは知ってのとおりですね。
今では、新規に買われる携帯の半分以上はスマートフォンと言った状況です。
しかしながら、、、こうして一般大衆がiPhoneを使いだすと、パソコンが普及しだした時と同じ事が起こってきているのです。
いや、パソコンは高価だったし使うのに多少知識が必要だったため、まだ節度ある大人が多かったかな。
でもスマートフォンはガキでも(失礼!)持っているし、誰でも使えるため、節度も良識も何もないユーザーが一気に増えてきたんです。
ここで昔にパソコンの世界で問題となり、多くのソフト作者が去っていく原因となった、iPhoneアプリのユーザーの態度、と言うか、質の悪さが非常に深刻になって来ました。
個人で、無料で、好意で、アプリを作って公開してくれている人に、平気で暴言を吐くのですよ。 信じられます??
それも「ここが使いにくい」や「こんな不具合が有った!!」、と言った文句ですらありません。
「アホ、死ね」や、「こんなクソアプリ作るな、ボケ!」とか、「ダウンロードに掛かった無駄な時間かえせ、カス!」と言った具合ですよ?
しかも昔はこういった作者への意見はメールで送った物ですが、現代ではその事情も変わり、誰でも皆から見える「アプリのレビュー欄」と言う所に書かれます。
iPhoneアプリは、作者が全て実名公開を強制されているので、実名に対して皆が見る場所にこういった、レビューですらない、誹謗中傷を書きまくる人が残念ながらヒジョーーに多くなってきているのですよ。
え?信じられないって? では実際に、iTunesのある程度人気有るアプリのレビュー欄を見てみて下さい。アプリによっては半分以上はこんなのですよ。
iPhoneアプリと言えば、現代のオンラインソフトそのもの。
90年代前半、パソコン通信の世界でオンラインソフトが産声を上げて、その末路がこうなったかと思うと本当に泣けてくるほど悲しいです。
これらのアプリはアップル社とは全く関係のない、レビューを書いている人と同じ立場のiPhoneユーザーが、時間とお金を掛けて一生懸命作った物です。 アップル社製の商品では有りません。
それを勝手にダウンロードしてタダで使っているんです。
よって当然、ユーザーは作者のお客様では有りません。 だから、文句を言うユーザーはクレーマーですらありません。
人の好意をアダで返す、イカレタ人としか言いようが有りません。
自分が持っている募金箱に寄付してくれた人に、暴言を吐いている人と同じです。
明らかに常軌を逸した行為ですが、 それがこの世界だけは、何故かまかり通るのですよ。
まあこういった人達が、「正しい」と言う人はいないと思いますが、「仕方がない」と思う人が多いのに驚きます。
2チャンネル等の影響か、日本人はネットの世界は誹謗中傷の言葉で荒れて当然、と思っているのかな??
まあ、2チャンネルはみんな匿名だし、誰かが誰かに何かを作ってあげている訳ではないので、全然事情は違うんですけどね。
昔オリンピックで、水泳の女子の某選手がメダルを逃し、記者達に攻めたてられた時に残した伝説の言葉(笑)。
「お前が泳いでみろ!」
人が苦労して作った物をタダで使っておいて暴言を吐く人には、これも有る時には正論なのかもしれませんね(笑)。
そしてもう一つ、iPhoneには有料のアプリも有りますが、殆どが500円以下、と言うか、100円前後の物が多いですね。
ちなみに前に書いた様に、パソコンソフトは普通1万円以上するし、安いと有難がたがれていたシェアウェアも昔は数千円が普通でした。 スマートフォンの世界はデフレもいい所で、異常に安いと思います。
ところが見てみると分かりますが、100円でも取ると、とたんにお金を取る事に対してユーザーから文句が倍増、誹謗中傷も倍増です。
100円ですよ? レギュラーガソリン1リッターも入りません(笑)。
作者の開発コストなどを考えると、それが高いですか? それで多少でも便利な生活ができるようになるのに、高いでしょうか?
同じ物を自分で作ったら、どれ位の手間とお金がかかるでしょう?
これこそ車の整備や、工賃と同じです。 仮にタイヤ交換を100円でやってくれる人が居て、高いって言う人いますか??
メカニックに、「この強欲のボッタクリ!!」と暴言を吐く人がいますか?(笑)
まあ、言わんとしている事は分かると思うので、この辺にしておきます(笑)。
どうして日本人はソフトに対してだけは、こんなに劣悪な対応をするのか本当に不思議です。
私が憂いているのは、Windowsで起きた事と同じように、またアプリの作者が皆バカバカしくなって、去って行ってしまう事です。(まあ、私も去るつもりですが…)
きっと残るのは、企業の宣伝用のアプリやら、他の有料サービスとのタイアップアプリやら、ごく一部の超ヒットアプリだけの様な気がします。
それはきっと、とてもつまらない世界でしょう。
そしてソフトエンジニア自体も、高度な技術が必要な上大変な割に報われないとなると、日本から減って行ってしまうでしょう。
文化が発展するには、「共益」が必須です。
例えば、メーカーがいい車を作ればユーザーも幸せになるし、車が売れればメーカーも幸せになります。そしてもっといい車を作ろうとするでしょう。
こうして、双方ともに利益となって文化が定着するのです。片方だけが得をし続けるなんて事は、不可能なんですよ。
例えばトヨタが普通車で儲けているから、軽自動車をタダで配ったとしましょうか。
一時的には消費者は得をするでしょう。 でも長期的に見れば、他の自動車メーカーがつぶれて普通車の選択肢が無くなったりして、結果的に消費者も損をするんですよ。
でもこういった事は、ソフトの世界では当たり前の様に行われているのです。
「共益の世界」。 作り手と使い手がお互いに利益のある良い関係。
ソフトの世界もそう有って欲しい物です。
今はスマートフォンバブルの様な状態ですが、このままではいずれ減退するでしょう。
そろそろユーザーの意識が変わらないと、スマートフォンの世界は、お先真っ暗な気がします。
以上
もしも最後まで読んで下さった方が居たら、有難うございました(笑)。