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にゃんこおっさんのブログ一覧

2023年06月21日 イイね!

それは知らなかった(><)

それは知らなかった(><)ユーミンの世界にどっぷりと浸っていた青春時代。
脳みそを休めるには青春時代に思いを馳せるに限ります。
賑やかしい曲の苦手な私はこう言う曲がリフレッシュに一番です。
YouTubeは山の調べ物と懐メロを聞く時以外はまず観ることはありませんが、
ん?なんだこれ? が目に留まりました。そこで更に調べてみるとなんと、なんとまぁ〜(^◇^;)

ピアノで弾けるようになりたいと妻の指導を受けながら練習したものの、どうしても左指と右指を別々に動かすことができなくて断念したこの曲。


浜っこの妻と付き合ってる頃に横浜の夜景を観ながら何度か食事したスカイレストラン


そしてこの二つがこうなる。

違和感なく口ずさめてしまうけれど、なんかこれ変です。
今日の今日まで知らなかった.......
「スカイレストラン」の歌詞が元々は「あの日に帰りたい」のために書かれた詩だっただなんて。
その後「あの日に帰りたい」の歌詞は全面的に書き換えられ、歌詞だけが残った「スカイレストラン」は後で曲が付いたとは......
Posted at 2023/06/21 22:22:22 | コメント(7) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2020年12月22日 イイね!

大雪からの想い出

大雪からの想い出子供は風の子、大人は火の子、そうしてにゃんこは炬燵の子♫
珍しく炬燵で丸くなっている聖羅。写っていない光も炬燵inですが「みんな〜、日中は陽が差し込んでいたんだろうからそこまで寒くないでしょ」( ^ω^ )

雪が恋しいにゃんこおっさんですが、先週は一気に降りすぎましたね。
高速道路で身動きが取れなくなった方や雪かき雪おろしにご苦労されている方々にお見舞い申し上げます。これも地球温暖化の影響が大きいのでしょう。

昭和51年の年末は雪が降り続き大雪で、元旦から父と二人で屋根の雪下ろしをし、下ろした雪を裏の空き地に積み上げるという重労働をしていました。
その疲れが出たのか三が日最終日に父が倒れ救急車で運ばれたのです。通常なら車で20分もあれば余裕で到着できる病院まで、大渋滞で救急車が身動き取れなくなり2時間もかかるほどの大雪でした。実名は出ませんでしたが、この出来事が新聞に載りました。父が新聞に載ったのは後にも先にもこの一度きり( ^ω^ )
通常通り到着できれば後遺症も軽く済んだんじゃないかと思ったりもしますが、こればかりは如何ともしがたいことです。自然には勝てません(~_~;)
そんな悔しい想いもありましたがそれでも雪が恋しいww
名古屋に越してくるまでは毎年のように帰省していましたが、正月に雪のない年が多く、多く降っても2、30cmほどしか積もらなかったと記憶しています。
今日実家に電話したら先週後半で一気に60cmほど積もったそうで、今も降っているんだとか。covidー19の騒ぎがなければ雪かきの手伝いに行こうかと考えたりします。(ボランティア精神じゃなく雪に触れたいからww)
実家の車庫は村内の道路から50mほど奥まった所にありますから、この間を除雪しないと車の出入りができなくなってしまいます。ですから雪かきは欠かせません( ^ω^ )
除雪機があればいいんでしょうけどそこまでの豪雪地帯ではありませんから全て手仕事です。雪かきしてはひと休み、ひと休みしている最中にも降り積もりますから再び雪かき、この繰り返しだったそうです。
大変には違いないですが、みんな粛々と雪を始末して愚痴や文句を聞いたことがありません。
雪国ではこれが生活の一部だからなんでしょうね。大変であることには違いないですけど。
実家は蔵王の地とは言え麓ですから何メートルも降り積もることはありませんが、子供の頃はこんなことして遊べるほど降り積もっていました。

この写真は2017年2月に「にゃんこおっさんの原点」と題して綴った日記に登場した写真ですから記憶にある方がおいでかもしれません。背景に格子が見えますので建て替え前の茅葺き屋根の古い家。雪下ろしした雪を積み上げ屋根の天辺から連続した滑り台を作りそり遊びしたこともありました。冬の遊びはソリやスキーばかり。裏山は葡萄畑ですから、葡萄棚を支える支柱を競技スキーのポールに見立て、悪がき達とソリやスキーでよく競争していましたね。そうだ、支柱に激突した時、鼻血で赤い雪面作ったこともあったっけww
それから「玉割り」と呼んでいましたが、雪玉をぶつけ合って割れたら負けって遊びもよくやってましたね。まず、雪で芯を作ります。足裏で平たい石の上で雪玉を転がしてゆくとだんだん凍っていきます。これを雪で覆って繰り返してゆくと、雪玉と言うより氷に近い硬い玉が出来上がるんです。これをメンコのように相手の玉にぶつけ合って割れるまで交互に繰り返す遊びです。
じいじになってこんな遊びはもうできませんが、孫にこんな遊びを教えたいなあと思わせた先週の大雪ニュースでした。
Posted at 2020/12/22 23:36:34 | コメント(8) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2020年08月12日 イイね!

今日は何の日.....? (T . T)

今日は何の日.....? (T . T)あれから35年.....あの日も暑い日だった。
6年住んでいた横浜から都内へ越す準備も終え、やれやれとひと息ついているところへ飛び込んできた悲劇のニュース😱
日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落し多くの方が亡くなった航空事故.....
当時、家族ぐるみで仲良くしてもらっていた近所の奥様が上野村の出身という事もあり、制御不能となった航空機が御巣鷹山に激突した事故は今も忘れられない。
忘れられない理由はもう一つあって、坂本九さんが123便に搭乗されていて犠牲になっているから(T . T)

大人になってから母に聞いた話によると、小学校に上がる前から坂本九の大ファンだったらしくブロマイドを大事にしていたらしい。
米国でも有名な「上を向いて歩こう」は幼稚園児の心にも響くものがあったのだろうかよく歌っていたらしい。

はなたれ小僧のくせに何か辛いことを抱えていたのだろうか? ww
それともうひとつの私の心の曲、小学校にあがってからだったと思うけれど「見上げてごらん夜の星を」も大好きだった。

私の日記には満天の星空に逢いたいとよく登場するのもこの曲が原点なのかもしれない。
あの頃は裏山でよく夜の星を見上げていたものだ。

今晩は二曲を流して冥福を祈ろう.....

Posted at 2020/08/12 21:18:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2020年01月21日 イイね!

昭和な暖房のmy歴史

昭和な暖房のmy歴史せいたん、きら〜、らいく〜〜ん、ただいま。ちょっと早いけど、外仕事から直帰しちゃったよ😅
きらら、伸びてるけど、そこは暑かったでしょ? 今日もよく陽が差し込んでいること。🤗

電車で移動中に、ふと思い出した「ゆきやこんこ🎵」を日記に書き残したら多くの方にコメントを頂戴しもうビックリです😱
頂戴したコメントに返事を書きながら、ケンミンショーで知り、帰省して目の当たりにした炬燵ホースを思い出しました。(ザップさんとのやりとり🤗)
なかなか考えられたエコなアイデア商品ですww
エアコンもそうですが風が吹きつけるファンヒーターはどうにも好きにはなれませんから炬燵ホースを使うことはありませんが、私や聖羅、雲母、光たちのように炬燵好きには好い商品かもしれません。
こんなことを書き留めながら蘇ってきた昭和な暖房の歴史、記憶から消え去る前に書き残しておこう。
(著作権を侵害するといけませんし許可を得るのも面倒なので画像は付けていません。代わりに関連サイトへリンクしますが読み返す時まで残っているのやら.....)


経済白書で「もはや『戦後』ではない」と言われた年に生を受けた私は茅葺き屋根の、今風に言えば古民家に住んでいました。
戦前は村の庄屋だったそうで使用人の部屋もある大きな家でした。そんな古民家の暖房は、まずは大きな囲炉裏がどーんと幅を利かせていました。
囲炉裏のある部屋?は板の間にゴザが敷いてあるだけなので、座布団はあるとは言え居心地のいい場所ではなっかたですかね。
囲炉裏は暖を取ったり煮炊きに使ったりする他に茅葺のコーティングの意味合いもありますから、24時間薪を焼べていたように記憶します。外出時や就寝時は灰をかけて種火程度にしていたとは思いますが。
個別の部屋の暖房はというと火鉢で、炭を燃料とする火鉢と練炭を燃料にする火鉢がありました。
前者は抱きつくように火鉢にくっついて手をかざさないと冷える日は堪らなかったように思います。
後者はヤカンをのせるのが常でしたが、時間をかけて煮炊きにするには便利な道具でもあります。こちらは厚着は必須でしたけれど、部屋全体がほんのりと暖かくなったかと思います。
とは言え、昔の日本家屋ですから断熱効果なんかあったものじゃありません。
昔の雪国の人々が我慢、辛抱強いのは、こんな過酷(言い過ぎか?ww)な環境で耐え忍んで冬を越してきたからなのです🤗 ほんとうか?
就寝時は蔵屋敷に布団を敷くのですが、夏は涼しく冬は暖かい土蔵と言ったって布団に潜って吐く息は白くなるほどですから、ラクダのシャツに股引を身につけても寒くて寒くて風邪を引いてしまいます。
今なら電気敷布や電気毛布がありますが、当時はそんなものは存在していません。
蔵には冬になると二尺四方の穴が現れ、これに櫓をかぶせます。要は足のつけない堀り炬燵ですねww
穴は灰で満たされていますまら、この中に豆炭を入れて暖をとるわけです。寝相が悪いと足を突っ込んで大火傷しますから、焼肉屋の網とそっくりな四角い網をのせます。
自分の足が焼肉になっては大変ですから豆炭に灰をかけて温度調節をします。
両親から離れ一人で寝るようになると、豆炭あんかが冬場の友となります。
電気アンカは今も生き残ってるんじゃないかと思いますが、湯たんぽのお湯が豆炭燃料ってことですね。
娘は湯たんぽ大好きな子ですが、湯たんぽは取り扱いに注意しないと低温火傷を負って大変なことになります。
私、豆炭あんかでこれやっちゃいました😂 今でも傷跡がケロイド状に残っていますけど、豆炭あんかで脹脛の左側面をじっくり焼いて骨まで達して完治するまで随分と長いことかかりましたっけ😅
皆さんも低温火傷には気をつけましょう!

古民家は東京オリンピックの前年にアルミサッシにトタン屋根の家に建て替えられましたが、この頃から暖房事情は大きく変わります。
蔵は残しました(市から文化財にという話があったほどの蔵屋敷でしたから壊すのが忍びなかったんでしょうね。断った話ですけど)ので、両親は相変わらず豆炭炬燵を使っていましたが、小僧っ子の私には電気毛布が買い与えられたと記憶しています。
世の中に登場して何年も経っていない時代、戦争に負け没落してしまった我が家にとっては相当高価なものだったに違いありませんが、二度と火傷させないという親心だったのでしょう。今思い出しても感謝しかありません。
茶の間には練炭を燃料とした大きな掘り炬燵が設けられました。
練炭炬燵は面倒なこともありますが、質の良い温かさで電気コタツより優れているんじゃないかと思います。 これ大好きでした❣️
掘り炬燵が主要な暖房となりますと、にゃんこも含めて全員集合しますので親子の会話はもちろん家族の絆が深まる優れものです(笑)
首だけ出して🐢亀さん状態になれる掘り炬燵は最高です。
ただし、締め切った状態で一日中🐢亀さんやっていますと頭が痛くなってきます。そう一酸化炭素中毒ってやつですね。
部屋全体を温めるように練炭火鉢も現役でしたから換気をしないとダブルでもう大変😅
だからでしょうか、しばらくして石油ストーブが練炭火鉢にとって変わりました。
さらに石油ストーブから石油ファンヒーターへと替わっていきます。
ここまでくると現代と大差なくなってきます。
ただ、多摩地区に住んでいる時に大雪で送電線の鉄塔が倒壊し数日間停電したことがありました。
その時は電気コタツもファンヒーターも使えません。
湯たんぽを炬燵に入れて寒さを凌ぎましたが、その時以来火の出るストーブが我が家の暖房となったのでした。
今は炬燵とガスファンヒーターが我が家の暖房器となりましたが停電時は使えません。
今年のような暖冬なら使えなくとも充分凌げると思いますが、いざという時のために長期保存の利く練炭と火鉢を用意しておこうかしら。
でも気密性の高いマンションだから一酸化炭素中毒で危険かも。
さてどうしたものか.....

Posted at 2020/01/21 22:31:07 | コメント(7) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2019年06月11日 イイね!

昭和な玩具

昭和な玩具あれ? アルゼンチン戦、24時キックオフじゃないの?
ん! 1時キックオフだって...
じゃあキックオフまで想い出話でも綴っておくか。

みん友さんの呟きに登場していた銀玉鉄砲、実に懐かしい言葉に記憶の引き出しが開いてしまったww
‘60年代に幼少期を過ごした昭和生まれの爺じはこれでよく遊びましたっけ。
それから、火薬が仕込まれパンパン音が出る巻玉鉄砲や、平玉火薬を仕込んで投げるロケット弾、こんなんでよく遊んだっけ。癇癪玉なんてのもあったな。
お祭りの出店や駄菓子屋で普通に買えていたし、咎める大人も居なかったし(身の回りでは)ごくごく普通の玩具だった。
今の時代では考えられないでしょうね。超危険な玩具って。
今でも手に入るんだろうか?
息子にも与えてない玩具だけれど孫と一緒に楽しんでみたい。
娘が許さないだろうけれども(笑)
こんな玩具をご存じない方へ:https://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi02/21teppou/04.html

昭和な玩具と言えば、(繋がりがおかしいか(^_^;))昭和なレンズには絞り環が付いていた。

ピント合わせも手動、絞りもこれで設定していた時代。
手元にやってきたデジタル一眼レフのセットレンズで、最初に困惑したのがこの絞り環がなかったこと。
絞りの設定がカメラ本体に移ったことは操作しやすいのだけれども、未だに絞り環があれば良いのにと思う昭和な爺じww
絞り環には主なF値毎に、ピントの合う範囲の目安が直感的に分かるようになっていた。
今でも絞り環が付いているレンズは存在するけれど、所有しているレンズには一本も付いていない(T . T)
「モニターで被写界深度が確認できる」と取説に書いてあったから試してみたけれど、私の眼では今ひとつ識別できないしそもそも面倒くさい。
やっぱり直感的に目安が分かる絞り環は捨てがたい。

まだ始まらない。
どうしよう。明日は新幹線で寝ていればいいし、せっかくここまで起きていたんだから前半だけ観てから布団に入るとしましょうかね。


Posted at 2019/06/11 00:54:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記

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「@FLAT4 さん、私もお父様と一緒の口😄」
何シテル?   06/16 16:48
にゃんこおっさんです。 購入した車のアクセサリーについて検索していてここのSNSに辿り着きました。 参考になる情報が盛り沢山ですので参加することにしまし...
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