
せいたん、きら〜、らいく〜〜ん、ただいま。ちょっと早いけど、外仕事から直帰しちゃったよ😅
きらら、伸びてるけど、そこは暑かったでしょ? 今日もよく陽が差し込んでいること。🤗
電車で移動中に、ふと思い出した「ゆきやこんこ🎵」を日記に書き残したら多くの方にコメントを頂戴しもうビックリです😱
頂戴したコメントに返事を書きながら、ケンミンショーで知り、帰省して目の当たりにした
炬燵ホースを思い出しました。(ザップさんとのやりとり🤗)
なかなか考えられたエコなアイデア商品ですww
エアコンもそうですが風が吹きつけるファンヒーターはどうにも好きにはなれませんから炬燵ホースを使うことはありませんが、私や聖羅、雲母、光たちのように炬燵好きには好い商品かもしれません。
こんなことを書き留めながら蘇ってきた昭和な暖房の歴史、記憶から消え去る前に書き残しておこう。
(著作権を侵害するといけませんし許可を得るのも面倒なので画像は付けていません。代わりに関連サイトへリンクしますが読み返す時まで残っているのやら.....)
経済白書で「もはや『戦後』ではない」と言われた年に生を受けた私は茅葺き屋根の、今風に言えば古民家に住んでいました。
戦前は村の庄屋だったそうで使用人の部屋もある大きな家でした。そんな古民家の暖房は、まずは大きな囲炉裏がどーんと幅を利かせていました。
囲炉裏のある部屋?は板の間にゴザが敷いてあるだけなので、座布団はあるとは言え居心地のいい場所ではなっかたですかね。
囲炉裏は暖を取ったり煮炊きに使ったりする他に茅葺のコーティングの意味合いもありますから、24時間薪を焼べていたように記憶します。外出時や就寝時は灰をかけて種火程度にしていたとは思いますが。
個別の部屋の暖房はというと火鉢で、炭を燃料とする火鉢と
練炭を燃料にする火鉢がありました。
前者は抱きつくように火鉢にくっついて手をかざさないと冷える日は堪らなかったように思います。
後者はヤカンをのせるのが常でしたが、時間をかけて煮炊きにするには便利な道具でもあります。こちらは厚着は必須でしたけれど、部屋全体がほんのりと暖かくなったかと思います。
とは言え、昔の日本家屋ですから断熱効果なんかあったものじゃありません。
昔の雪国の人々が我慢、辛抱強いのは、こんな過酷(言い過ぎか?ww)な環境で耐え忍んで冬を越してきたからなのです🤗 ほんとうか?
就寝時は蔵屋敷に布団を敷くのですが、夏は涼しく冬は暖かい土蔵と言ったって布団に潜って吐く息は白くなるほどですから、ラクダのシャツに股引を身につけても寒くて寒くて風邪を引いてしまいます。
今なら電気敷布や電気毛布がありますが、当時はそんなものは存在していません。
蔵には冬になると二尺四方の穴が現れ、これに櫓をかぶせます。要は足のつけない堀り炬燵ですねww
穴は灰で満たされていますまら、この中に
豆炭を入れて暖をとるわけです。寝相が悪いと足を突っ込んで大火傷しますから、焼肉屋の網とそっくりな四角い網をのせます。
自分の足が焼肉になっては大変ですから豆炭に灰をかけて温度調節をします。
両親から離れ一人で寝るようになると、豆炭あんかが冬場の友となります。
電気アンカは今も生き残ってるんじゃないかと思いますが、湯たんぽのお湯が豆炭燃料ってことですね。
娘は湯たんぽ大好きな子ですが、湯たんぽは取り扱いに注意しないと低温火傷を負って大変なことになります。
私、豆炭あんかでこれやっちゃいました😂 今でも傷跡がケロイド状に残っていますけど、豆炭あんかで脹脛の左側面をじっくり焼いて骨まで達して完治するまで随分と長いことかかりましたっけ😅
皆さんも低温火傷には気をつけましょう!
古民家は東京オリンピックの前年にアルミサッシにトタン屋根の家に建て替えられましたが、この頃から暖房事情は大きく変わります。
蔵は残しました(市から文化財にという話があったほどの蔵屋敷でしたから壊すのが忍びなかったんでしょうね。断った話ですけど)ので、両親は相変わらず豆炭炬燵を使っていましたが、小僧っ子の私には電気毛布が買い与えられたと記憶しています。
世の中に登場して何年も経っていない時代、戦争に負け没落してしまった我が家にとっては相当高価なものだったに違いありませんが、二度と火傷させないという親心だったのでしょう。今思い出しても感謝しかありません。
茶の間には練炭を燃料とした大きな掘り炬燵が設けられました。
練炭炬燵は面倒なこともありますが、質の良い温かさで電気コタツより優れているんじゃないかと思います。 これ大好きでした❣️
掘り炬燵が主要な暖房となりますと、にゃんこも含めて全員集合しますので親子の会話はもちろん家族の絆が深まる優れものです(笑)
首だけ出して🐢亀さん状態になれる掘り炬燵は最高です。
ただし、締め切った状態で一日中🐢亀さんやっていますと頭が痛くなってきます。そう一酸化炭素中毒ってやつですね。
部屋全体を温めるように練炭火鉢も現役でしたから換気をしないとダブルでもう大変😅
だからでしょうか、しばらくして石油ストーブが練炭火鉢にとって変わりました。
さらに石油ストーブから石油ファンヒーターへと替わっていきます。
ここまでくると現代と大差なくなってきます。
ただ、多摩地区に住んでいる時に大雪で送電線の鉄塔が倒壊し数日間停電したことがありました。
その時は電気コタツもファンヒーターも使えません。
湯たんぽを炬燵に入れて寒さを凌ぎましたが、その時以来火の出るストーブが我が家の暖房となったのでした。
今は炬燵とガスファンヒーターが我が家の暖房器となりましたが停電時は使えません。
今年のような暖冬なら使えなくとも充分凌げると思いますが、いざという時のために長期保存の利く練炭と火鉢を用意しておこうかしら。
でも気密性の高いマンションだから一酸化炭素中毒で危険かも。
さてどうしたものか.....