
今回は何がわかったのか・・・
スウィングやクラブの事ではなく、
正直、上手く説明が出来ないのですが
何かが見えて来た気がします。
目指すべきゴルファーとしての姿というか・・・
さっきお風呂に入って
写真の本、ゴルフダイジェスト社から発刊の
夏坂健セレクションⅣ
「ゴルファーは眠れない」を読んでました。
ご存知の方も多いと思いますが、
中身はエッセイ集のような感じで
1篇が読みきりの読みやすい内容です。
その中の「1本の古いテープの中身」という
1篇に感動と言うのか、ゴルフに対して新しい発見を感じました。
このシリーズは素晴らしいエッセイが盛り沢山な予感です。
以下、抜粋です。発刊のGD社からクレームが来たら削除します^^
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「1本の古いテープの中身」
一体ゴルフのどこが面白いのかと恋人に問われて、マービン・H・ウォードは次のように答えた。
「こいつが単なる球戯じゃない事だけは確かだ。ゲームそのものはいたって簡単、
いかに少ない打数でホールアウトするか、子供の駆けっこと同じ理屈。
ところがいざゲームに手を染めてみると、ボールを打つたびに思慮深くなる。
あるいは哲学的人間に成長するといった方が正解かもしれない。」
「何故かしら?」
彼に触発されてゴルフを始めると、5年後にはペンシルバニア州女子アマ選手権に優勝、
その翌日にウォード夫人となった恋人のマリリンは当時まだ18歳だった。
「なぜ人は、ゴルフを始めると哲学的になるのかしら?」
「誰もが敏感な訳ではない。もともと感受性と創造力に乏しい人間は、ゴルフをやっても
ショットとスコアにしか興味が持てず、結局最後までゲームの本質などわかりゃしないのさ。
この連中を“非知性派”とした場合、一方には物事から何かを学んで自分に役立てようと
考える“知性派”がいる。
彼らはいかなる動機でゴルフを始めたにせよ、ボールを打つたびに何かを感じ、反芻し
少しでもゲームの奥に宿る精神的なものを把握したいと憧れる人たちだ。つまり、
自分は本物のゴルファーになりたいと無意識のうちに勉強し始めるタイプで、
やがてはゴルフと共に歩む人生の素晴らしさを手に入れるだろう。」
「魅力的な話。私も仲間に入れてね」
これは1939年、ニューヨークのラジオ番組『恋人たちの会話』の一部。
この年、ウォードは全米アマに優勝。翌々年にも2勝目を挙げている。
このテープを発見した男性の話では、
「特に最後の5分を聞いてほしい。ウォードと言う男は、相手がうんざりするまで
粘り続けるゲームを身上としたが、これは強靭な意志がなければ出来ない芸当、
猛練習の末に全米一の座を手に入れた男のゴルフ哲学と言うのは、そりゃすごい物がある。
彼は見事にゲームの全貌を喝破したと思うよ。」と、大変な惚れ込みようだった。
そこで最後の5分間を紙上再録する事にしたのだが、数ある「ゴルフ定義」の中でも
出色の着眼点、テープこそ古いが中身はとびっきり新しいのだ。彼の声には優しさと透明感がある。
「ゴルフって心配するゲームなんだよ」
「心配?」
「そう、前の日から、いやもっと前から心配ばかりしている。
真っすぐ飛ぶだろうか?フックやスライスが出たらどうしよう。パットは大丈夫か。
実際に打ってみない事には何一つ答えが見えないから不安でいたたまれない。
特に心配するのがダウンスウィングに移る時、多くの欲が断片的に脳裏をよぎって小さなパニックが発生する。その0.5秒後にはインパクトだ、結局無我夢中で振るしかない。これがアマチュアの正体、ゲームの主役は“心配と不安”、こちらには打つ手がないというのが実際の話さ」
「でも、心配が多いほどスリルも大きいはずよ」
「君の言うとおり。ゴルフではドライバーから50cmの短いパットまでスリルとサスペンスの連続、どんなに凄い活劇映画でもゴルフの比ではない。たとえば大きな池の向こう側ギリギリにピンが立っていたとする。リスクを考えるなら大きめに打っておけばいいのだが、ゴルファーにはハンターに似た狩猟本能があって、常にピンの根元にボールを打ち込みたいのさ。そこで多少の無理は承知の上、ギリギリ届くだけのクラブを選択してイチかバチかボールをヒットする。池の上を行くボール、これを見送るゴルファーの気持ちと来たら・・・」
「祈りかしら?」
「そう、特定の信仰があろうとなかろうと、すべてのゴルファーは祈る事を知るようになる。自分は祈りとは無縁の人間だという人でも、頼む、届いてくれ!と心中で叫んでいるはずだ。ボールが飛翔している時間、ゴルファーはこの世で最も純粋かつ敬虔な人間に変身する。こうした体験を日常の中で探すとしたら、それは無心に祈る時間しかない。」
「ミスショットの瞬間、人はよく“おお、神よ(ゴッド)!”と叫んで、いかにも神が試練を与えたように言うけど、上手く行った時には黙ってるわね。あれって身勝手じゃないかしら」
「そう、祈ったのに叶えられなかった、それが残念と言うわけだ。それほど人は自分以外の何かにすがってゴルフをしている証拠でもある。この事実に気づいている人は少ないけどね。」
「心配ばかりして、その上で祈り続けるゲームだってことが少し分かってきたわ。
要するに厄介息子に気をもむ母親の心境かしら」
「父親だって気をもんでるいよ。ところで、ここからが僕の言いたい肝心な部分、ゴルフの正体だけど、さっきの池越えのボールに話を戻して・・・」
「えっ!まだ飛んでいたの!?(爆笑)まるで海みたいな池!」
「ゴルフでは結果だけに関心が集中して、クラブ選択に始まる途中のプロセスを噛みしめる人が意外と少ない。ライとスタンツの関係はどうだったか、スタンツの向きは正しかったか、ヘッドアップしなかったかどうか、ショットが誕生する以前の重大事に深く思いを巡らす人はマレ、ただ結果だけにこだわってしまうケースが圧倒的に多い。だからボールが池を超えるかどうか、サイコロの目は神の手にゆだねた方が救われるというわけさ。そこで誰もが祈る事になる。無神論者までが祈るゲーム、それがゴルフ」
「そこまで宗教的だったなんて、知らなかったわ。でも楽しそうね」
「だって、ボールを遠くまで飛ばすのは快感、狙い通りに行けば恍惚、いいスコアが出れば満足だもの、挑戦する事が楽しみでもあり苦しみでもある。つまりゴルフは自分の生き方の“擬似体験(シュミレーション)”なのだと考える。失敗したってゲームだもの、失うのはストロークだけさ。だから気の小さい人は、ゴルフを利用して大胆に攻める事を身につければいい。反対に強引な人は、あえてブレーキをかけて堅実と自制を学ぶことだ。パットが常にショートする人は、発想を変えて、自分は今から大胆な人間に変身するのだと決意する。ゴルフはシュミレーションのゲームだと言ったが、自分の欠点を克服するのに、これ以上のものはないと断言できる。まったくこいつは素晴らしいゲームだね。」
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ウォードと言う人は、なぜここまでゴルフの魅力を表現できるのか・・・
まさにゴルフ感が変わるお話でした。
夏坂健さんは、素晴らしいゴルフのエッセイを沢山残してます。
お二人みたいなゴルファーになりたいなぁ~