
ちょうど7年前の今日、嫁と一緒に歩むと誓った記念すべき日。当時を振り返ってみることに。
当日は大型台風が接近する中、海辺の式場の控え室で挙式開始を待っていた。その時、式に参列予定のkirihata氏から一本の電話が入った。『二次会の会場に来てるんやけど予約されてないよ!』と。私の頭の中はパニック。そして、挙式の事が一瞬にして頭の中から消えてしまった。実はkirihata氏に2次会の取り纏め&司会をお願いしており、場所や料理は私が3ヵ月前にそこの店長と話をして確保していた。どうもその3ヶ月の間に店長が店を辞め、きちんと引き継ぎがなされていなかったようだ。
時間がないぞ!こちらに非はない事をkirihata氏に伝え、後の事を彼に託した。ちなみにkirihata氏は学生時代に生徒会長や論文発表なども経験、ネゴシエーションやディベートの能力はピカイチであり、私はその能力をかった上でお願いした。余談だが、彼は現在、食の6次産業化をゼロから立上げた起業家である。
挙式が始まるとハプニングの事も忘れ、あっという間に挙式も終わり列席頂いた方々からフラワーシャワーの祝福を受けていた。その時、kirihata氏から交渉成立の言葉を貰い、私自信安堵した。
実は交渉には裏話が存在する。本命の場所だけでは流石にリスキーだとkirihata氏は考え、他のお店もあたってくれた。流石、出来る男。しかしここはアウェーの地。近隣のお店の情報は無し。その時、式場の受付に『hotpepper』が置いてある事にkirihata氏は気がつく。急いで受付に走り、手に取った。それは『chokkoto pepper』。そう、私達の披露宴で使用する席次表、食事メニュー、新郎新婦の紹介などが記載されたオリジナルの書き物で、パッと見は本家と見間違える程のクオリティー。この書き物、私の叔父が印刷会社を経営しており、企画を持ちかけたところ快く引き受けてくれた。その結果、kirihata氏のナイスボケが生まれ、少し凝った甲斐があった。
さて、2次会会場の心配もなくなり披露宴かスタートした。披露宴の司会は私の熱望により『DJButch』氏にお願いした。某地区に住んでいた時にラジオから聞こえたあの独特な語り口調、私の中では世界一のディスクジョッキーである。また、中学生の参加者は学生服のシャツにサインしてもらっていた。果たして学校に着て行っても問題にならなかったのか今も不思議だ(笑)
DJButch氏が得意なモノマネも交え披露宴も中盤に。余興では又もやkirihata氏にお願いし素敵な曲(世界で1つだけの花)をプレゼントして貰った。
ただ、その後には現在東京で活躍するプロのミュージシャン(私の友人で彼の父上はカーネギーホールでライブを行った有名なミュージシャン)に演奏して頂き、kirihata氏達の笑いに溢れる余興から静寂を取り戻した余興へと移った。
式も終盤、新郎新婦を代表して私が挨拶した。実は何を喋ろうか事前に考えてきたが、いざその場に立つと考えて来た言葉が出てこない。正確には挙式、披露宴を通して感じた事が無意識に私の口から言葉として発していた。喋り終ると親父が目に涙を浮かべ手を差し伸べた。男同士の熱い握手。今もあの瞬間は忘れられない。
そんな親父も本日CX5を契約。若い頃はスカイラインに憧れていたようだが大卒でも手が出せない高級車。ブルーバードを購入し何度もドライブに連れて行ってもらった。何故か親父の運転だけは酔わなかった。私のドライビングルーツはここにあるのかもしれない。
ブルーバード、カムリ、ジェッタと乗り継ぎ、現在は20年、20万㎞オーバーの初代オデッセイ。祖父の介護の為に購入し、祖父の他界後もトラブル無く親父の相棒として活躍している。思い出の詰まったクルマを買い換えにあたり何か寂しい気もするが、新しい相棒でまた楽しい思い出作ろうや!さあ、年末は温泉旅行だあ!
結婚記念日に予約したランチを食しながら親父の契約報告を電話で聞き、我が家にとって9月16日は切り離せない運命の日なのかもしれない。
来年の記念日もこのお店を予約することに。
Posted at 2013/09/16 23:32:50 | |
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