2019年09月08日
あれは大学一年生の9月初めだっただろうか。
部活の大きな道具(簡単に言えばロングのサーフボードを想像して貰えばちょうどいい)を運搬するため、西伊豆町から江ノ島までオデッセイで出かけたことがある。
2つ上の部活の先輩、REDさんとNGさん。
行きはルーフキャリアに何も載せてなかったので、スイスイ行くだけである。
西伊豆町の仁科辺りに保管していたボードを、
海岸の駐車場でルーフキャリアに括り付けた。
ボードを括り付ける時には、ストラップと呼ばれる硬い平べったいロープで固定する。ボードを傷付けないように、ロープとボードの間にボロ布を挟む。
手際よく固定作業を終えた後、軽く海で泳ぎ、帰路に着いた。なんら問題の無い順調な走行。ただちょっと風が強かったくらい。
西湘バイパスを走っている辺りで、残油量が危険ラインまで達した。
なんとかガソリンスタンドまで保ってくれ!と、我々3人はオデッセイを励ました。
目一杯アクセルを踏んだらガス欠すると思い、制限速度ジャストで走っていた。
すると後ろの車がやたらパッシングして来ていた。そんなにパッシングされるほどノロノロ走ってはいなかったので、我々は怪訝に思った。
しかし、ガス欠ギリギリだったので、それどころじゃなく、スピードを出し過ぎないように慎重に運転した。
そして何とか…ガソリンスタンドに滑り込み、ホッと胸を撫で下ろし、我々は車を降りた。
そして知る。あのパッシングの意味を。そして青ざめた。
上に括り付けてたボードが…ズルズルにずれていて、落下寸前であったのだ…
緩まったストラップに何とか助けられてるような、極めて危険な状態だった。
ガス欠を気にしてゆっくり走っていたのが功を奏して、事故は免れたが…ヒヤヒヤもんだった。
あぶねー 我々はそう呟くしかできなかった。
今度こそ強く縛り付け、江ノ島の倉庫にボードを置き、横浜関内の二郎でディナーを取り、吉祥寺で解散して各々帰宅した。
それ以来、ボードはとにかくしっかり括り付けるようにした。
その後、別の日だが、海ほたるからアクアラインで帰る途中、またもボードがズレかけて、手直しした話があるのだが、それはまた別の話。
とにかく、ボードはしっかり括り付けないと危ない。まあセリカにはルーフキャリア無いけどね。
Posted at 2019/09/08 23:42:36 | |
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2019年09月06日
あれは、2012年の9月頃。
部活の合宿で東伊豆の今井浜までライフで行った。
仲間が2人同乗していた。同期SSKと、後輩の女の子だ。
その合宿はとても厳しく、体力・気力共に限界ギリギリまで追い込まれ、ランニングの際に足が攣って倒れこむ仲間もいたほどだ。普段から鍛えていたにも関わらず、足が攣ってランニング途中に倒れるなんて異常の厳しさであった。
練習は厳しかったが、夜は大人数での民宿を貸し切ったどんちゃん騒ぎ。それはそれは楽しく、合宿最終日前夜の恒例であった。
最終日は、それまでの厳しさと打って変わって、軽めの調整とも言える内容で、昼前には各々帰路に着いた。
ところが、最終日の練習開始の時点で、
ライフで共に戦地に赴いた同期 SSKが体調不良を訴え、練習を欠席した。顔色は悪く、我々の練習が終わり、解散しても彼の体調は戻らなかった。
東伊豆から東京埼玉方面へ。急いで帰宅するべく、ライフで国道135号を北上した。
SSKが頭痛を訴えた為、ドラッグストアで頭痛薬を買い、彼に与えた。
それでも頭痛が止まず、ついに彼はライフの後部座席に横たわった。身長180cmを軽く超えるSSKだが、体を縮こまらせ、ぐったりとライフの後部座席に収まっていた。それでも窮屈そうではあったが、彼はもうそれどころではなかったのだろう。車酔いで吐き気がするとかではなかった為、そこは不幸中の幸い。
食欲も無いらしく、私たちはメシもドライブスルーで適当に買い、一刻も早く彼の家を目指した。
夕方には彼の住む都内のとある町に到着し、彼を降ろした。それまでには多少回復し、笑顔も見せるまでになっていた。
SSKがあそこまで弱ったのは、未だにあの合宿くらいしか記憶がない。
曰く、意外と寝やすかった、とのことだった。
私は運転席をMAXまで倒すのが一番いいと思うがな。
そんなSSKも、今や警察官として地域の平和を守っている。
いつかお前をスピード違反で取り締まりたいよ。
そんなことを再会した時に言っていた。
ははは。何をおっしゃいますやら。
そんな日は来ないが、万が一にもそんな日が来たら見逃してくれ。
ライフの後部座席を病床として利用させてやった恩義ということで。
Posted at 2019/09/06 23:43:15 | |
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2019年09月05日
学生の頃、深夜零時までバイトをしていた。
その日、仲の良い部活の仲間3人が、終夜営業の居酒屋を押さえており、朝方まで飲み明かすという。
私もバイト後に合流して欲しいと頼まれた。
せっかくの会だったので快諾し、当然そんな深夜に電車も走ってないため、ライフで深夜の街を走り、吉祥寺まで行った。
居酒屋行くなら俺んち来い
そんな店名だった。全体的に低価格な、学生御用達のお店だった。
若かった私達は、眠くなるまで馬鹿話に興じた。
朝。中央線の始発が動き始める頃、我々はそれぞれの日常に帰るべく、解散となった。
私はその日は授業も部活もなく、ダラダラ過ごす日だったのだが、一緒に飲んでた友人KBは、午前中に授業があるという。
かくして、吉祥寺駅近くのコインパーキングに停めた車の中で車泊する運びとなった。
私もしばらく寝てから帰らないと飲酒運転になるので、車泊前提であった。
季節は冬だった。寒風吹き荒れる、真冬の早朝。
酒であったまった体も、店の外に出れば瞬時に冷える。私は仲間2人と別れ、KBと共にライフへ向かった。
強い北風で、ライフは少し揺れている。しかし、風の凌げる車内は、人間2人の体温もあり、何とか寝れる程度の気温にはなった。
シートをMAXまで倒し、暫し寝ることに。
このシートがまた、ふわふわしており、なおかつかなりの角度まで倒れる為、酔った人間が寝るには十分だった。
KBは助手席で静かに寝息を立て始め、私は北風が車体に当たる音を聞きながら微睡んでいた。
辺りが明るくなってきた頃、KBは口数も少なく目覚め、世話になった、とかそんなことを言って大学へ行った。
冬の弱々しい日差しが、少しずつ車内を暖め、
その後もう暫く寝た後、
1時間ほどかけて、ライフと共に帰宅した。
外のあまりの寒さと北風の強さ。
しかし車内なら程度の暖かさを得られる。
そんなことが、7年くらい経った今でも思い起こされる。
Posted at 2019/09/05 23:00:54 | |
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2019年03月10日
このたび、実家で長年乗っていたオデッセイを弟の名義に移し、年老いた両親は新しくボルボv40を納車した。
2003年に新車で購入したパールホワイトのオデッセイ。この型のオデッセイはまだまだヤンチャな外見ではなく、優しいファミリーカーの顔のイメージが強い。
学生時代、このオデッセイを乗り回して、遊びもしたし、部活もしたし、このオデッセイが無かったら今の自分は居ないとまで言える。
家族も、とても大切にしていた車だった。
独立した二列目のシートの座り心地が格別で、大学の仲間からは高級車扱いだった。
そんなに燃費のいい車ではなかったが、快適な車だった。ここ数ヶ月、古いカーナビも誤作動を起こしており、日付すら間違っていた。
そして今日。オデッセイは弟の車になり、両親はボルボに乗り換える日。
ディーラーまで行こうと、父がオデッセイのエンジンをかけると、カーナビが作動した。
「今日は7月25日です」
カーナビは言った。まるで違う日付。やはり壊れている。しかし……
両親は驚いた。
だって、、
7月25日は、オデッセイを納車した日だったからだ。
長年使い込んだ物には魂が宿ると言う。
オデッセイも、両親との別れが辛くなって、
初めて会った日を思い出させようとしたのだろうか。
大丈夫だオデッセイ。
これからも弟のとこに、たまに乗りに行ってあげるよ。セリカと一緒に。
Posted at 2019/03/10 20:30:00 | |
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2018年11月26日
セリカもだいぶへたって来た…
そろそろ乗り換えかと、ぼんやり思うようになってきていた。
ミニクーパークラブマンとか、気になっていた。
そんなことを、ぼんやりと彼女に話したら
え!?
乗り換えちゃうの?
乗り換えないでほしいなー。
この車カッコいいし、快適だし、
車乗ってる!って感じがして好きなんだよね私
と言われた。
もう少し、乗ろうと思った。
Posted at 2018/11/26 22:22:50 | |
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