最近はもう暑くて仕方ありませんね。エアコンを冬から使わずにずっと来ていましたが、流石にもう限界です(;^ω^)
最高気温が30℃にいかなければ、ギリギリ城巡りもできる環境なので、数日に分けてちょっとづつ行ってきました。
伊奈城(伊奈陣屋跡) 埼玉県伊奈町
江戸幕府の関東郡代、伊奈忠次の陣屋。
徳川氏が関東入りしてから、都市整備や土木事業を一手に引き受け、関東地方の基盤を築き上げたと言われる忠次。
中でも特に大きな功績として、坂東太郎と言われ度々洪水を引き起こしていた利根川の流れを変えた事。これなくして現在の関東地方の繁栄はありえないでしょう。
個人的には徳川氏もしかりですが、この伊奈忠次の功績は、歴史的にももう少し評価して欲しいところです。忠次のみならず、子孫も含めて利根川遷移事業に携わり、のちに埼玉県川口市の赤山城(陣屋)に移りました。
こちらに詳しい説明があります。
案内板右側に障子堀の発掘時の写真がありました。是非見たかったのですが、保全の為に埋め戻しされ、現在は縁石でその形を表しているのだとか。
こちらがその写真です。
北条流築城技術がこうして受け継がれていったんですかね。
現在も発掘調査中でしょうか。
その後城域を歩き回り。
本丸付近
かつてはここは曲輪を隔てる土塁と堀だった所が、現在は車道になっています。
しかし実際はこのくらいの深さであっただろうとか想像するのが楽しいんですよ。
季節的にちょっと藪が多くて、雑草がもう少し枯れた季節にまた来てみたいと思います。
日を変えて、栃木県まで所用がありドライブ。
先日取れなかった足利学校のマンホールカード。
足利学校入徳門入ってすぐのところに、デザインマンホール現物がありましたが、たまたま工事中で地面が養生されていて、しっかりと比較ができませんでした。
まぁ雰囲気は伝わるのでヨシ。
少し足を伸ばして、栃木県佐野市へ。
先日一人で佐野城と佐野厄除け大師を訪れた時に食べられなかった佐野ご当地名物。
今回は調べてありつくことができました。「いもフライ」
ご当地キャラ、さのまるの武器(剣)です(笑)
(佐野市hpより引用)
大体想像通りの味でしたが、いもは大好きなので本当にウマかったです。
一本110円。ここで一本だけ食べて、お土産用として15本買って帰りました(笑)
次に佐野市を訪れたら、また必ず食べるでしょう。
その帰路で立ち寄った長井戸城 茨城県境町
来るまで期待していなかったんですが、どうですか、すぐに土塁と空堀の様子が目に飛び込んできます。規模は小さいですが横矢が掛かっていたりして、城好きは思わずニヤリとする場面です。
堀と土塁のコンビ。これだけで大満足です。
中心にある神社。
愛車が寂しそうなのでそろそろ戻る事に(笑)
翌日、朝一で城に立ち寄り。油井ヶ島城 埼玉県加須市
なにやら以前謙ちゃんアタックを受けて、城の守備兵が鐘を衝いて救援要請したとの伝記がある地。しかし救援は来ず、城は落城したとか。
私有地の為整備が行き届いておらず、全体的にこんな有様。これでは城好きでも遺構の判別は困難です。
一応、水堀と土塁のように見えますが・・・(;^ω^)
内部にある盛り上がり。土塁跡でしょうか。
こちらのお宅の裏が城跡ですが、当然入れません。
城跡遠景。
周りを水田に囲まれている、知らなければただの雑木林にしか見えませんね。
そして以前何回か来たことのある騎西城 埼玉県加須市
ここは当時はなかった筈の模擬天守が建てられています。歴史的な価値はありませんが、目の前に駐車場があるおかげで、こうして天守とのツーショット写真が撮れるので私のお気に入りの城のひとつです。
天守内は普段は立入禁止で、特別日のみ公開されるらしく、一度は見てみたいものです。
因みに縄張り図からする以前の本丸の現在はこちら。
中央の水が張っているあたりですが、まったく痕跡がない(笑)
こちらも先ほどの油井ヶ島城と同様、北条氏の武蔵松山城を攻めあぐねた上杉謙信に、憂さ晴らしに落とされた城のひとつでした。
帰宅時、洗車場に立ち寄り愛車の汚れ落とし。
エンジンルームもふきふき。
晴天が続いていたので、思いのほか砂汚れが多かったです。
まだ例の事故の決着はついていません。私の車の修理費用の妥当性を、先方の保険屋アジャスターが現認できていないんですよね。Dに預けると代車が必要になり、そのスケジュールが6月に入ってからになるので、今しばらくの辛抱です。過失割合など分かりましたら、またみなさんに報告したいと思います。
Posted at 2024/05/26 13:39:52 | |
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