
置戸町以外で訪れた場所の画像を紹介

滝上町白鳥に昨年まで存在した熊野神社跡地には木柱とそれを守るように鉄のフレームが整備されていた。
今まで神社跡地もかなり廻ってきたけれど、ここまでハッキリとした意思の元、こうした整備が行われているのは初めて見て非常に新鮮だった。

滝上町上雄柏に残る神社の祠。
旧版地形図では前々から確認していたけれど、まさか残っているとは思いもしなかった。周りの木々が良い具合に雨風や雪から守ってくれているのだろう。

西興部村立上藻小学校跡地の記念碑。
存在は知っていたけれど今回4度目にして初めて目にすることが出来た。
今まで見当をつけて探していたところとは全く違うところにあって非常に驚いた。

7年前に閉校した興部町立豊野小学校。
窓から中を覗くと当時のまま放置されている様な感じだった。

昨年閉校した興部町立沙留中学校。
校門が閉校記念碑として改装された。

沙留から山奥へ入っていったところにある興部町立住吉小学校跡地に残る半壊した校舎。
3年振りに訪れたが更に崩壊が進み、完全に倒壊するのも時間の問題となっている。

陸上自衛隊遠軽駐屯地裏手の電波塔や牧場のある山に残る戦後開拓集落の学校(遠軽町立新遠軽小学校)の校舎基礎。
まさか残っていたとは思いもしなかった。

灯籠と祠の基礎に山積みにされた角材(バラした鳥居)が印象的だった新遠軽神社跡地。
裏手に電波塔が見えた。

遠軽町生田原と北見市留辺蘂町の境を成す金華峠の留辺蘂側直下、旧国道と林道の分岐点に経つ上金華小学校跡地の碑。
現国道から林道入口地点には『愛媛団体入植記念碑』が建っている。

今や住む人も疎らになった金華地区の高台に立つ常紋トンネル工事殉難者追悼碑と留辺蘂町立金華小学校跡地の碑。
昭和52年の閉校後校舎は直ぐ様解体され、その校舎の建っていた位置に慰霊碑が建立されている。

金華小学校の西側の林の中に残る金華神社。
知人からの情報によると、どうやら留辺蘂神社には合祀されておらず、御神体が中にある状態で放置されてしまっている様だ。
国道から登ってくる坂が余りにも急過ぎるので高齢者しかいない現状では残念ながら致し方の無いことなのかもしれない。
Posted at 2019/07/31 21:41:51 | |
トラックバック(0)