
昨日の目的地は日本第四の全長を誇る天塩川の最上流部にある岩尾内湖。
丁度この時期になると岩尾内ダムの放水も終わって渇水するので昭和42年にダム建設工事が始まりその後湖底に沈んだ似峡(にさま)集落跡地まで降りられるかと思いきや、今年は雪が多く更には気温も上がらないので雪解けも進まなかった事から、タイトル画像を見て判る通り満水状態で全く降りられる気配が無かった……2週間後に浦和から高度過疎地や消滅した集落を研究している知人が来る予定なのだが、残念ながらこれでは断念せざるを得ないだろう。
ここからは去年の5月4日に撮影した似峡集落跡地の画像

タイトル画像とほぼ同じ場所から撮影
水位がかなり下がっているのが判る

かつての集落の目抜き通り(現在の道道61号旧道)を歩くとこういった遺構が至るところに見られる

建物の基礎も綺麗に残り、かつてここにも人が暮らしていた事を偲ばせる

中にはこんな船着場か何かの様な遺構や、

水道設備の様な遺構も残されていた

岩尾内湖白樺キャンプ場の真下に似峡小学校跡地がある

体育館の基礎

暫く跡地を歩くと枯れ木が密集するところの影に校舎の基礎があった

裏へ回り込むとコンクリートの構造物が

足元に気を付けて見回っていると、(お食事中の方がいたら申し訳ないが…)トイレの便槽を発見した

スマホのパノラマ撮影機能を使って撮影
かつて天塩川の支流に掛かっていた木製の橋の朽ちた橋脚等も残っている。
水没前は奥の山際の天塩川を渡ったところに愛別町へ抜ける於鬼頭(おきと)峠へ向かう現在の道道101号の旧道があった。

日が暮れそうになるまで集落跡地を歩いていると石垣を発見

こちらの基礎は間取りから商店か何かだったと思われる

草原の向こうに大きな建物の基礎が見えたので近付いてみた
位置的には似峡中学校跡地の辺りである

眼の前まで来た瞬間に中学校跡地であると確信
明らかに正面玄関だ

右の基礎の狭い部分が廊下で、左の基礎が広い部分が教室である

煙突の基礎が一教室にひとつ残されていた

渡り廊下の基礎

体育館の基礎
僻地校なのでそこまで大きくは無いが、体育館の無い僻地校もあったので存在するだけでかなりの生徒が通っていた事が判る

お食事中の方がいたら申し訳ないが、またもやトイレである
こちらは男子便所で小便器がここに列んであり、画像では見切れているが右の方に便槽がありサイズから考えると2つ便器があった模様

基礎だけになったから成し得る事
こちらは女子便所である
北海道でダムに沈んだ学校のあった集落はかなりあるけれど、基礎がこうして残りそれを目の当たりに出来るのはこの岩尾内湖位であろう。人の息吹が感じられる素晴らしい場所である。
Posted at 2018/05/05 17:59:39 | |
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