2012年03月09日
フォードGTマークⅡ 1966ルマン・ウィナー制作進行中⑦
溶剤濃い目の第一クリアー、終了しました。このフジミのデカール、割れたので結構気を使ってクリアーを塗布していきましたが、結構耐溶剤性、ある様です。
もしくは、ボディへの追従性が高かったのもあるのかも。デカールって、きっちりボディとくっついていると、溶剤による収縮が起こらず、割れにくい様なので。
暫く乾燥させて、研磨へと移行します。
このマシンのドライバー、ブルース・マクラーレン。今では、あのマクラーレンチームの創始者として有名です。もちろん、F1でも活躍、優勝もされてます。
そして、このフォードGTには、開発の段階から、つまり、後付けの名前で云うMk.1から関わってます。というか、最初の開発ドライバー。
その当時は全く無名の、ニュージーランドから出てきたドライバーだったそうです。
フォードとの契約の関係で、F1では当時、クーパーから参戦することになったそうですが、クーパーは既に斜陽期で、活躍はなかなか難しかったとか。
しかし、セナの時代でもそうでしたから、ヨーロッパからの外様出身のドライバーが、欧州の社交場ともいえ、上流階級の人間の巣窟であるF1の世界で、差別視など、苦労されただろうことは想像できます。
ブラジル出身のフィッツバルディらも、苦労したと聞いた事が。
更にはマクラーレンは子どもの頃の病気の後遺症で、左右の足の長さが異なり、歩くのも不自由だったそうです。
そんな境遇で、F1の世界で勝利し、ルマンを制した。凄い人ですよね。
ルマンの棚ボタといいい、これらの勝利は彼への、神様からの努力に報いる御褒美だったのでは、なんて思ったりします。
しかし、そんな彼もその後、事故によって亡くなられる事に。当時、多くの名ドライバーが亡くなってますが、この頃のレース界は本当に、命懸けの危険な世界だったんですね。
Posted at 2012/03/09 23:39:54 | |
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