東海道 興津:水口屋
元脇本陣:老舗旅館の水口屋跡
2007年12月20日
江戸時代には興津宿の脇本陣であった、水口屋!
ご承知の通り、幕末から明治期に、参勤交代の制度が大幅に緩和されて、やがては制度
そのものが崩壊していった・・
この制度崩壊の波に襲われ、興津の町で参勤交代の大名行列の宿泊を一手に引き受け
ていた”本陣:脇本陣”は、多大な影響を受ける事になった、
転廃業が続出する中で 脇本陣であった”水口屋”の主人、望月半十郎は「古いのれん」に
未練を残さず、商売を街道を行き交う庶民を顧客相手に切り替えたと云う、
これが功を奏し明治以降も、西園寺公望、伊藤博文などの日本の政治、経済の表舞台で
活躍した人達の数多い宿泊を得て、約400年に渡って歴史の舞台となっていた。
そんな水口屋の歴史の中で最もセンセーショナルな出来事は、昭和32年の”静岡国体”
にご臨席、行啓幸の際の「天皇皇后両陛下のご宿泊」ではないだろうか、10月25日より
27日までのご滞在、、今でも当時のご使用の品、献立表などを見る事が出来る、
その後、庭園の先にあった、袖師に連なる海水浴場だった、遠浅の海岸が埋め立てられ、
巨大な清水港興津埠頭が出現するに至って、素晴しかったあの景観は消滅してしまった
景観を守る! より経済優先! の開発の波に嘆いてか、、昭和60年「一碧楼水口屋」は
400年余の長い歴史の幕を閉じた・・
現在は、一部分が”水口屋ギャラリー”として無料開放され、天皇陛下が宿泊された際に
使用された食器類の他、宿泊された重臣の年代ごとの記録などが展示されている。
関連リンク
タグ
地図
関連情報