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2021年11月29日

千葉県寺院巡り♪~芝山仁王尊、観福寺編

千葉県寺院巡り♪~芝山仁王尊、観福寺編 さて、11月今月最後のブログ投稿は何年ぶりかにやって来ました千葉県編になります☆

今回は北関東ではありません(笑)

駐車場から鐘楼堂が見えます。



鐘楼堂。

紅葉キレイです。

芝山仁王尊☆

千葉県山武郡芝山町にある天台宗天應(応)山観音教寺福聚院です☆

上総国薬師如来霊場第28番(結願)、新上総国三十三観音霊場第33番(結願)、東国花の寺百ヶ寺千葉6番札所の寺であります。

創建年伝天応元年(781年)だそうです!
山号の天應山は創建が天應元年(781)と云われることに由来するそうです。


山門手前にまず大黒堂。

大黒天。

そして観音教寺本坊があります。

こちらは客殿として大正2年(1913)1月18日51世静光代に起工し、大正13年(1924)7月52世静貫代に完成した100坪程の建物ですが、瓦葺きを銅板葺きに改めるなどして、次第に改修を重ね、現在は護摩堂として使用しているそうです。
(ホームページ引用)



石段を登り振り返るととてもキレイな紅葉風景ですね☆

そして仁王門があります♪

仁王門に安置される仁王尊は、火事除け、泥棒除けの仁王尊としてしられ芝山仁王尊とも呼ばれています。


現在のお堂は明治2年(1869)起工、明治4年3月4日上棟、明治7年48世全亮代に落慶、明治15年49世亮晄代に完成した総欅造り・お堂形式の建物で、実測は、五間五間半という壮大な建物です。 

大いちょう



大わらじがあります。

お寺や神社、もしくは集落などで見る大わらじは本来魔除けの意味があるそうです☆

もちろん各言い伝え等にもよりますが、この場所にはこの大わらじを履くくらいのものが守っているんだぞ!という表れです☆
仁王門の大わらじはだいたい仁王様のお履き物としての存在意義が大きいですね!
(もちろん諸説ありますが。)

仁王門内部

仁王様は、観音様のご門番として、一般には門をくぐるときに拝めるのですが、芝山仁王尊の仁王様は、畳の敷かれた堂内、内陣須弥壇の上にお祀りされている非常に珍しい仁王様です。
(撮影禁止です)

この理由は、仁王様の霊験があまりにもあらたかであるので、観音様の化身と考えられ、仏様と同じように須弥壇の上お厨子の中にお祀りされるようになったと言い伝えられています。 

火事・盗難除け、心願成就の御力を授けて下さるようです。

しばしば大火に見舞われた江戸の町では、町火消し衆の信仰を集め、「江戸の商家で仁王様のお姿を祀らないお店は無い」とまで云われました。

江戸(東京)での出開帳や町火消しの総元締め新門辰五郎の石碑などがそれを物語ります。
(ホームページ引用)



仁王門裏

立派な仁王門を参拝し、門をくぐると本堂が見えてきます。


『寺伝』

日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)から征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、観音教寺の始まりであると伝えられている。

天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられます。

その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、当山も全山灰土と化したと伝えられます。

やがて江戸時代に入りますと、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となりました。

特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられます。
(ホームページ抜粋)


本堂

ご本尊は十一面観世音大菩薩です。
厄除け観音様として信仰を集めております。

享保6年の建立、実測は、五間四方濡縁付きの密教建築で、江戸中期の優美な建物です。

元は現在の香炉辺りに建てられていましたが、参拝者の混雑を避けるために昭和54年に現在の場所に曳き上げました。

堂内には、狩野常光筆の天井画、夏枯れの松の伝説を表わす欄間、三葉葵の御紋を打った人天蓋、島村円哲の彫刻等多くの文化財が有ります。

比叡山延暦寺の根本中堂に倣い、元禄6年(1693)に薬師如来を招来しました。

薬師瑠璃光如来は、東方浄瑠璃世界の教主であり、12の誓願を発せられて私達を安楽の国土に導き給うと云われます。

左手に薬壷を持つ御像が多いので、巷間では病気を除く仏様と思われがちですが、実は薬壷の薬は心の病をも癒し、社会の歪みをも正し給う有難い仏様です。
(ホームページ抜粋)



こちらは以前来たときは『芝山はにわ博物館』でしたが令和3年1月1日に閉館になったそうです。

現在、埴輪等の遺物は町立はにわ博物館に貸し出し、令和3年4月1日より拝観できるようです☆

ちなみに入口付近下に『大護摩堂』の看板?扁額?があり改装工事中で数々の仏像を安置している最中だったことからこれから大護摩堂として拝観できるようになるかもしれません☆
(憶測ですが…。)



本堂脇には、山王社と芝山天神があります。

山王社

棟札によりますと寛政8年(1796)3月下旬の造立ですが、他に元禄13年(1700)の棟札が遺存しているようです。

ちなみにこの山王権現は日枝山(比叡山)の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神であります。

つまり天台宗の鎮守神。日吉権現、日吉山王権現とも呼ばれています。

山王様は良い子を授かる子授けの神様として、また安産の神様として、信仰を集めております。
(ホームページ抜粋)


『山王権現とは』

天台宗比叡山延暦寺の鎮守神であり、日吉大社の祭神でもある。

日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)が唐から帰国した際、唐の天台山国清寺に倣って比叡山延暦寺の地主神として山王権現を祀ったようです。

その後、山王権現は、比叡山の神として、「日吉大社を総本宮とする、全国の比叡社(日吉社)に祀られました。



『延暦寺と日吉大社の関係性』

延暦寺と日吉大社とは、延暦寺を上位にしながら密接な関係を持ち、平安時代から、延暦寺が日吉大社の役職の任命権を持ち、天台宗が日本全国に広まると、それに併せて天台宗の鎮守神である山王権現を祀る山王社も全国各地で建立された。

天台宗は山王権現の他にも八王子権現なども比叡山に祀り、本地垂迹に基づいて山王21社に本地仏を定めた。

江戸時代の初期に、大社の神主は神仏習合を認めることができず、唯一神道を行おうと、僧形の御神体を燃やすなど、廃仏毀釈を試みたことがあった。

だが、延暦寺が幕府に訴えて裁判となり、日吉大社が負けたため、神主は島流しとなり、当時の社家は断絶させられ、大社は経済的にも延暦寺の管理下となった。

しかし、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、天台宗の鎮守神である山王権現は廃された。

日吉大社では、公布されたばかりの神仏分離令が最初に実行されたとされる。

慶応4年(1868年)近江国日吉山王社は比叡山延暦寺から強制的に分離され、日吉大社に強制的に改組された。

日吉社社司、樹下茂国(神祇官神祇事務局権判事)は神威隊および雇い入れた農民100名を率いて社殿に乱入、祀られていた仏像、仏具、仏器、経巻など124点を焼き捨て、鰐口など48点を社司宅へ持ち帰り(『滋賀県百科事典』)、梵鐘等の金属部分を大砲や貨幣鋳造のために押収するなどした。

これが先例となって、廃仏毀釈が全国的に行われるようになったという。

江戸初期に既に廃仏毀釈が行われた点をみても、大社側は神仏習合をもともと快く思っておらず、神仏分離令をきっかけにすぐ廃仏毀釈が行われたのは、自然な成り行きだったという。

また、最初の廃仏のときに、仏像等を延暦寺に返せば、円満に解決したはずだが、裁判を起こされたことが、大社と延暦寺の間にしこりを残し、明治期の激しい廃仏につながったのだという。

もっとも、当時は、これまでの崇敬の対象を破壊することはできないと、仏像等を隠した神官や氏子も多くみられたという。

現在も残る山王社の多くは、大山咋神を祭神とする神道の日枝神社や日吉神社等になっている。

2008年、日吉大社は山折哲雄の提唱する「神仏同座、神仏和合の精神の復活」の精神にもとづく神仏霊場会が組織された際、これに創立メンバー125社寺のひとつとして参加、2016年からは「日吉山王大権現」と大書された「干支大絵馬」を成安造形大学に依頼して毎年作成し、参道脇に設置している。
(Wikipedia抜粋、引用)


『私見』

これは勝手な私見だが、今になって考えると神道も仏教も本来人類そしてその国や土地の平和を願うものであるはず。

日本の場合は特に仏教伝来こそが神道との対立を招き、そこが政治への権力闘争に発展している。

物部氏と蘇我氏の対立、そして丁未の乱に始まり、聖徳太子の国造りによる仏教信仰。

その後、大化の改新により豪族中心の政治から天皇中心の政治へと変わっていく。

日本という国号、天皇という称号が正式なものになったのもこの頃と言われており、奈良時代から平安時代にかけては鎮護国家という観点から仏教、そして僧侶の影響力が増していく。

政治が天皇中心からやがて天皇を味方につける将軍、すなわち幕府に変わるが仏教は政治に深く関わっていく。

しかし、日本ほど仏教と神道が深く共存共栄してきた国は少ないのではないか。

日本土着の神祇信仰、のちの神道と日本仏教信仰が融合し神仏習合していた。

当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなっていたようだ。

神仏習合は平安時代から江戸時代まで続いていた。

仏教の勢力が拡大し政治を行う上で関与してくれば、それを疎ましく思い排除する権力者は当然生まれる。

時にはキリスト教を推奨し仏教寺院や僧侶の権力を削ぎ落とそうとする権力者もいた。

更に日本仏教の各宗派の中でも権力闘争はあった。

それでも日本人の心の中には仏教も神道も大事にしてきた歴史がずっとあると思う。

だからこそ神仏習合が成り立ってきたのではないか。

しかしながら江戸後期から明治時代初頭にかけて廃仏毀釈運動は続いた。

それは神道と仏教が実は激しく対立していたことを表しており、特に神道側が仏教が主であったことを嫌ったのではないだろうか。

いずれにしろ江戸後期の水戸学や国学などからもわかるが明治政府により出された神仏分離令および大教宣布などの政策が致命的となり仏教施設の破壊に繋がった。

もともと日本政府の神仏分離令や大教宣布はあくまでも神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったとしているが、結果的に仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈運動(廃仏運動)が全国的に発生し、特に長年仏教に虐げられてきたと考えていた神職者たちは各地で仏教を排撃し、仏像、経巻、仏具の焼却や除去を行った。

ただ、このことにより多くの貴重な仏像、経巻の破壊や破棄に、数々の仏教寺院の廃寺や破却された神塔は計り知れないだろう。

もしこれらが現存していたとしたら?

計り知れない数の重文、国宝、そして世界遺産に指定、認定されていたことであろう。
…と勝手に思ってしまう(笑)

なにはともあれ、現在、我々はクリスマスになればお祝いをし、結婚式を神社や教会であげ、死後お寺でお墓に入る☆
もちろん信仰心の熱い人は別としてありとあらゆる信教を活用している。

それは日本独自の文化であるのではないか☆


……。
ん?
これは論文ではなかった(笑)
また長々書いてしまった(笑)

話を元に戻そう!





三重塔

寛政9年(1797)、当山42世秀暁代に再建を発願し、文化11年(1814)44世龍淵代素建、天保7年(1836)46世湛定代に九輪完成と、実に五代の住職40年に亘る大事業でした。

軒廻りは、初重・二重共並行垂木ですが、三重は扇垂木で、屋根を大きく見せる工夫が為されております。

昭和31年 7月13日に「千葉県指定有形文化財」に指定され、昭和46年 3月に1年4ヵ月をかけた修理工事を竣工しました。

三間四方、軒高は、初重4、60m、二重9、05m、三重13、28m、総高(側柱礎石より相輪宝珠上端まで)24、98mです。
 (ホームページ抜粋)








芭蕉句碑

黒龍大王神

この祠は、黒龍大王神をお祀りしています。その昔、当山にかかった見世物小屋の大蛇が死んだ時、夢枕に立たれた龍神様より、この地に安置せよとのお告げを蒙った興行師が奉納した、大蛇の本地黒龍大王神(観音様のお使い)を奉安致しました。

神経痛や健康回復、事業の向上など信心の誠を尽くしてお願いすると、不思議なお力を頂戴するらしいです。
(ホームページ引用)


不動堂

昭和29年、岐阜市の安田賢三氏が、子息の菩提を弔うために再建されたお堂で、ご本尊に安田家の守り本尊であった不動明王をお祀りしております。

安田氏のご子息が病に倒れ、「自分はもうこの世を離れねばならないが、不動明王の行かれる場所が決まる迄は離れられない」と言い出されたそうです。

そこで安田氏は、愛知県に住む稲荷信仰の行者野田末次郎氏に依頼をし、大神に伺を立てて頂いたところ、

「吾、上総国芝山より出しもの。疾く疾く行きて元の座に安置せよ」

とお告げがあり、当寺に奉納されました。

その昔、行者さん達はよく御分身を携え修業に出ておられたので、57世現住職もこのお不動様もその御分身の一躰であろうと合点し、御奉納頂くことに致しました。その頃ご子息の容体が急変し、他界されました。

不思議な縁の伝えられる御尊体です。
(ホームページ抜粋)

さて、芝山仁王尊の境内のお庭もとてもキレイです☆





久しぶりに訪れましたが、こんなに良いところだったのかと過去の印象が薄れていました。

また訪れてみたいと思います☆

御朱印


さて、場所を移してやって来たのは千葉県香取市です☆
香取市といえば、東国三社、香取神宮のイメージですが、私から見れば香取市といえばこちら。





千葉県香取市、真言宗豊山派妙光山蓮華院観福寺です☆

890年(寛平2年)尊海上人が開基となります。

こちらが境内図になります。

ちなみにブログ制作にあたり山門と薬師堂の写真を間違えて消してしまうという失態をおかしてしまった(笑)

本堂




紅葉キレイです☆



不動堂。





弘法大師像



観音堂に続く石段の紅葉もキレイです♪

本尊は平将門の守護仏とされる聖観世音菩薩(木像秘仏)です。

平将門公ゆかりのお寺は板東周辺にはたくさんあります。

成田山新勝寺に良く行く私はなかなか平将門公ゆかりの神社、お寺に行くのはあまりよろしくないかもしれません(..)

その辺のことは今度ゆっくり書いてみます!
芝山仁王尊の書き込みで疲れてしまった(笑)

観音堂



大師堂

観福寺は関東厄除け三大師に数えられています。

「関東厄除け三大師」の大師とは、真言宗の宗祖・弘法大師(空海)のこと。 

厄除け三大師とは、弘法大師を祀る寺の中で、一般的には神奈川県の「川崎大師 平間寺」、東京都の「西新井大師」、千葉県香取市の「観福寺」の3寺を指すことが多いです。

「関東厄除け三大師」以外に「日本厄除三大師」と呼ぶ場合もあります。

ちなみに間違えやすいのが関東三大師や関東厄除け三大不動尊、関東三大不動尊などなど。

(1)関東厄除け三大師(真言宗)

①川崎大師平間寺
②東京西新井大師総持寺
③千葉県香取市観福寺


(2)関東三大師
(天台宗)

①栃木県佐野厄除け大師惣宗寺
②群馬県青柳大師龍蔵寺
③埼玉県川越大師喜多院
東京都拝島大師本覚院、栃木県寺岡山元三大師薬師寺、栃木県足利厄除け大師龍泉寺、東京都厄除け元三大師深大寺を入れる場合もある。


(3)関東三大不動(真言宗)

①千葉県成田山新勝寺
②東京都高幡不動尊金剛寺
③埼玉県不動ヶ岡不動尊總願寺
埼玉県高山不動尊常楽院、神奈川県大山寺を入れる場合もある。

(4)関東厄除け三大不動尊(天台宗)

①千葉県千葉厄除け不動尊妙泉寺
②東京都目黒不動尊瀧泉寺
③東京都飛不動尊正宝院

です(笑)



鐘楼堂

毘沙門堂

本堂
真言宗豊山派の総本山は奈良の長谷寺なります。

智山派と豊山派の概念は何回文献を読んでも難しい(笑)


『寺伝』

中世より千葉氏の祈願所として武士の信仰を集める。

近世に入り地方の檀林(僧侶の養成所、学問所)として多くの僧侶を輩出し、やがて地元伊能家の菩提寺として厚い帰依をうけ、当家から複数の住職も輩出された。
(ホームページ抜粋)

伊能忠敬のお墓もございます。

・国指定重要文化財(鋳造懸仏4体)
鎌倉時代作(拝観要予約)

・銅造十一面観音坐像
  
・銅造釈迦如来坐像
  
・銅造薬師如来坐像
  
・銅造地蔵菩薩坐像
  
これらは明治時代の神仏分離令にともなう廃仏毀釈により香取神宮より放出されていたものを地元の旦那衆が買い上げ観福寺に安置した。
  
また、坐像の後背には鎌倉時代に起きた元寇に際し「異国降伏の為・・・」などの銘文も刻まれ、当時をうかがいしることができる。
 
・観福寺文書(寄進状、安堵状が多い)
~南北朝期、室町時代(非公開)
 
・曼荼羅(非公開)

両部曼荼羅(金剛界・胎蔵界) 
~室町時代

常光明会曼荼羅 ~室町時代
  
弥勒曼荼羅   ~室町時代
 
・多数の密教法具(非公開)

(ホームページ抜粋)

これらが文化財の数々です☆
素晴らしいですね♪

ここからは紅葉写真を。

1.

2.

3.

4.

5.

6.

7.

春の桜、牡丹、夏の緑、秋の紅葉と四季折々の美しさを境内で感じることができるそうですよ☆


御朱印です☆

今回は久しぶりの千葉県ですが良いところばかりで大変です(笑)

長々読んで頂けた方ありがとうございました!

それではまた☆

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Posted at 2021/12/06 15:34:45

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この記事へのコメント

2021年12月7日 22:00
こんばんは^_^

芝山仁王尊、仁王門は行ってみたいですね!
須弥壇に鎮座されているなんて、他の仏具などは?
普通に本堂並みに荘厳されているのかな?

それと、山王鳥居初めて見ました。
いや、修学旅行のとき比叡山で見てるのかな?
日吉神社の系統は行ったことがありません💦

様々なことを教えて頂ける素晴らしいブログ、これからも楽しみにしております!

論文?
勿論『優』判定です笑
コメントへの返答
2021年12月8日 0:28
こんばんは!
いつもありがとうございます☆
芝山仁王尊の仁王像、須弥壇まで遠く暗くてよくわかりませんでした(笑)
でも素晴らしかったですよ!
昔行ったのに全然覚えてませんでした(笑)
修学旅行、比叡山でしたか。
私、京都、奈良でしたが、ド定番の場所でした☆
実は3歳まで大阪にいて四国八十八箇所霊場も比叡山も高野山も行っているのですが全く覚えてません(笑)行ってみたいものです♪

ブログ完成まで5日かかりました(笑)
また頑張って書きますので是非読んで下さいませ☆

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