もうアレから5年も経つんですね。
恐怖の感覚も時間の経過とともに薄れるもんですね。忘れないためにココに記録しておこうと思います。
あの日、2011年3月11日、朝から自分のクルマ、初代フィットで神奈川の倉庫まで行って、午後、都内へ向かってる途中でアレに遭遇しました。
東名から首都高3号線の用賀料金所の直前、ハンドルが取られる感じがして、パンクかと思ったら街灯がユラユラ。地震だと気付き、用賀料金所の直前で停止。
このグーグルストリートの写真では白い車の辺りの左側車線だったと記憶してます。
グニャグニャ揺れる料金所の建物の中で、徴収係の人が手振りでそこで止まってろと言ってる。
立ってるその人もグニャグニャ揺れてるし、近くのビルも奇妙なほど揺れてる。首都高は陸橋状態、どんどん揺れが増幅してくるので生きた心地がしなかった。
その時、小学生の頃からずっと言われ続けてる何時かやってくるはずの大地震がとうとう来たんだと思いました。
そして関西で起こった大地震の時の倒壊する都市高速の映像が頭の中によぎって、背中がゾクゾクっと。
揺れは更に大きくなって頭がウインドウに当たりそうな程。何が怖いってガソリンタンク内のガソリンがドップンドップンと背中を叩いてくる感じが不気味。
ここで死ぬのかなと本気で考えましたよ。
長く感じた揺れも徐々に治まって、完全に治まってから周りのクルマが徐々に動き出した。
恐る恐る料金所に入って徴収係の人に、でかかったですね〜大丈夫でしたか?って話しかけてゆっくりスタート。
余震が怖いので早く首都高から出たいんだけど、渋谷の手前まで7kmくらいは出口が無い!
ようやく三軒茶屋ランプで出て、六本木ヒルズで右折しようとして首都高の高架下ででっかい余震に遭遇。
ヒルズのメトロハットっていうらしいガラス張りの建物がガシャガシャ揺れてるし、
頭上の首都高からギーッ!ゴォ〜〜ッ!ていう不気味な音が聞こえて、またもや背中がゾ〜〜ッ!
首都高の道路の構造物は橋桁に乗ってるだけ?って聞いた事あるけど、揺れが大きいとストンと落ちる?と思ったら、ほんっと怖かった。
信号が変わった途端に前のクルマがフル加速でスタート。やっぱ怖かったんだろなあ。
高いビルの中から人がどんどん出てきて、歩道に人が溢れてた。
会社に着いてテレビを見たらあの大津波。窓から外を見たら大勢の人が歩道を歩いてる。交通機関は全てストップ。車道のクルマはほとんど動いてない。
これは尋常じゃないって事で、コンビニで皆の弁当を買って会社宿泊を覚悟。
一晩泊って翌朝無事に帰宅出来ました。
当日帰宅を試みた人達は大変だったらしいけど、あれだけの揺れの割には被害や不便は少なかったと思います。
今、改めてインフラ事業に携わっている人達の活動に感謝したいと思います。
また何時かやってくるかもしれない災害に備えておくべきですし、いざという時は落ち着いて行動できればと思いました。
ま〜運が全てかもしれませんけどね〜。
災害で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Posted at 2016/03/12 11:47:02 | |
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