ある日の午後
みん友のRYU君から電話が鳴った。
R:「乙かれ!さん 時間ありますか?」
「時間取れれば一緒に中国を旅してもらえませんか?旅費は全額出しますから!」
「発展と古さの残る中国が見たいのと龍門石窟に行きたいのですよ」
以前、RYU君に乙が中国の事に少し詳しいと話したことを覚えていた様だ。
全額出してもらうわけにも行かないので
中国国内は乙任せろと言う事で(人民元だし・・・・
これも何かの縁と
快諾した乙は飛行機の手配と現地での手配をする。
福岡空港で待ち合わせ 香港便へ
香港からシンセンに渡り 広東省で2日RYU君の仕事の手伝いをする。
その後フリーの時間を4日間 洛陽2泊 山西省太原2泊の予定だ。
広東省から西北の端山西省まで2500キロ程度の弾丸ツアーの開始である(^^;
乙は中国は2年半ぶり
父と最後に旅をしてから3年ぶりだ。
乙の亡くなった親父は引退してから
中国人留学生の世話をするのがライフワークで
実家には絶えず中国人から連絡があり簡単な身の回りの
相談に乗っていた。
時折実家には出世した友人が公用で日本に訪れたとき
親父の家に宿泊して日本の庶民の
生活をしていると言う有様であった。
今回 RYU君の仕事と願望の『龍門石窟見学』を兼ねて
最終地を山西省太原市としたのは 親父の中国での友人達に
生前お世話になった挨拶も兼ねてであるのは言うまでも無い。
乙の親父は 戦前日本で義務教育を終えると単身中国北京に渡り
彼の地の鉄道学校に入学 その後 日本が経営していた中国の鉄道会社に就職
敗戦の色が濃くなった時期19歳で日本軍に志願
そして1年程度で8月15日を迎えた。
玉音放送は雑音が多く聞き取りに難かったそうだ。
親父が配属された派遣隊は、その後中国国内で起こる
『国共戦争』の為、数万人の中から約3000人の志願者を集め
中国国民党軍に編入される。
要するに 当時懸念されていた極東地域の防共のため
中国軍に入り中国現政権の人民解放軍と戦うのである(^^;
終戦から3年ボロボロの負け戦・・
山西省で中国人兵士と共に戦い
また多感な青春時代を戦前の北京で過ごした彼は
老後の生きる糧に 中国人留学生の世話をした気持ちは
今の乙にはよく理解出来ると言うよりも・・・
解ってあげたいと思う。
今は亡き父の思い出を携え
日中は初夏のような陽気の発展した広東省から
まだ雪の残る中、啓蟄を祝う荒涼とした山西省へ北上することにした。
Posted at 2011/03/08 00:22:33 | |
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