
5月24日
岡山上空に我がゼロ戦部隊が愚ラマン迎撃に出撃した!!
その数17騎!
それに対する愚ラマン80機。。。
これは圧倒する物量にも恐れをなさず・・
果敢に戦った・・・・
「ご苦労な仲間たち」に捧げる物語である。
阿蘇の空から2機の僚機が応援に駆けつけたことは皆さんご存知と思うが
初めての・・ましてやテンションの高いレース形式走行会とあり
彼らの勇気ある行動に敬意を表したい。
阿蘇航空隊員(構成員三十余機の期待を抱き)
やってきたのは GPZ搭乗員・RYU搭乗員の両君。
彼らが岡山で残した足跡を中心に物語を書いて見たいと思うのである。
5月16日午後・・・(乙は昼食中)
阿蘇航空隊2隊員より無電キャッチ・・・・
「ワレ宇部上空ナリ・・・発動機快調コノママ東へ進ム」・・・
高揚した無電の声からRYU搭乗員の意気込みを感じられた・・
道中何もなければ良いがと祈る乙であった。
勿論、直線240キロ コーナー180キロで安全走行を心がける様・・・
伝えたことは・・・言うまでも無い(^^;
優雅に昼飯を平らげ・・・コーヒー御代わり・・・
GPZ搭乗員には岡山県境を越えたら無電するよう連絡した。
「ワレ現在岡山県境付近を飛行中ナリ」の報を受けた乙は・・・
腰を上げた。
愛機乙2000を始動する。
「ボロォボロォボロロロ~~~」
滑走路をから舞い上がり、、、西の空を目指す乙2000・・・
岡山美作インターまで1時間ほどで到着
国道に下りてコンビニ駐車場でGPZ・RYU搭乗員と再会を果たす。
まじめなRYU搭乗員の希望で事前にコースを走行したいとのこと・・・
GPZ搭乗員の顔は・・・「えっ!コース走らず・・温泉行こうよ・・」みたいな感じではあるが・・
血気盛んな若い搭乗員の前では・・・それは言えない。
美作から30分で岡山国際サーキット到着
夕方の2本を走ることになった。
ただ、単に走るのも何なので
1本目は乙2000で同情走行をすることにする。
ヘルメットを抱えて、若干緊張した面持ちでRYU・GPZ搭乗員が
順番を待つ姿は、本番を控えた「汁男優」さんの様であった(^^;
適当に走って同情走行終了。。。
2本目は乙2000がリーダーと成り、両機を従え変態飛行である。
離陸10分前!
乙は両搭乗員に訓示!
乙:「えっ~~~~と、、全員死ぬ気で付いてくること! 以上 」
G:「ハイ!GPZ搭乗員以下1名、、死ぬ気で付いていきます!」
GPZ搭乗員は(ヨウリョウを本分)としている様だ、、返事は良い(^^)
発進・・・・1週目はゆっくりライン上を走る。
2週目からそれなりに・・・・・(その時点でGPZ機は遅れだす)
3週目にもそれなりに・・・・・(GPZ機が視界から消え・・RYU機が突っ込みで暴れだす)
4週目・・・・(RYU機が立ち上がりで暴れだし・・乙2000のバックミラーにはっきりRYU機のドテッ腹が見える)
5週目・・・・(ヘアピンを立ち上がり時に・・・遠く2コーナーを遊覧飛行するGPZ機をハケーン!)
RYU機は最後まで付いてきた。52秒くらいは出ている模様。
乙2000は途中で50秒フラット・・・
RYU搭乗員が悔しがる・・・・
明日は絶対ベストコンディションで49秒を出す!と宣言する。。。
GPZ搭乗員は・・・
いそいそとお土産の「焼酎」を差し出す・・
ケナゲな姿がいじらしい・・・
乙は功を焦り無理しなければと・・・思った。
走行終了後に到着した「よっちゃん」
それと同じ枠を走っていた「リョウヘイ」を誘い
夕食に行く。。。
(本当はリョウヘイに2人の同情走行を頼むつもりだったのだが・・・)
食事中RYU搭乗員に疲れが出てきているようなので
先にロッジへ帰し・・・元気なメンバーで温泉に行った。
翌朝・・・・(雨!!!!)
まじ??? 天気予報はずれである。
走行会当日、乙は古い知り合いGAITO搭乗員が来てくれたので
彼に車を貸しピットから両搭乗員の走りをチェックすることにした。
GAITO搭乗員
金曜日の夜・・・
乙が世話になっている「ボタクリガレージ」親方と
スナック「女郎蜘蛛」での会話・・・・
時は今・・・愚妻のカラオケ絶唱中であった。
親:「あっ!そうや!今度・・・GAITO呼ぼうや!」
「そうや!電話しょう!・・・・」
昔話で盛り上がった酒席での戯言と思ったが
当日ひょっこり来てくれた。
古いドライバーなら良く知っていると思うが・・
彼にまつわる伝説は多くある。
乙が聞いたのは・・・
「スズカの1コーナーは直線!」と言って・・・
本当にシビックで全開で進入した!!
その後2コーナーがあるので姿勢が乱れて結局1コーナーは減速したほうが
速いと・・・・なったそうである。
乙はこの山奥からやって来た無口な、ドライバーが好きである。
速いドライバーはたくさん居るが、
彼が走る前にレースに集中する姿は「悲壮感」を漂わせ、
またその走りは同じクラスを走るライバルを震え上がらせたものである。
彼はスズカのFJ上がりで苦労してF3を走り、
バブル景気がまだ残るレース界で
大抜擢を受けてF3000へ進んだ。
やっとレースで飯が食えると思ったその年
雨と霧のFSW・・・
レース当日、彼のアグレッシブルな走りが災いして不運な事故
当日のレースは天候上の理由で延期となったと記憶している。
その後、トップフォーミュラーの道を断念
N1に転向してシビックレースで活躍
シビック黄金期を築いた選手として有名である。
レースを辞めてしまってから、時折噂を聞いていたが・・
昔のレーシングスーツに昔のヘルメット
グローブ破れていたのが気になったが
元気に走る姿を見て乙は嬉しかった。
話は変わりGPZ・RYU搭乗員である。
圧倒的な台数の愚ラマンを前に武者震いする両搭乗員である。
しかし関西航空隊のメンバーは着実に愚ラマンを追い詰め善戦している。
途中体調が優れないRYU搭乗員はキッズルームへ避難。。
キッズルーム内で嫁入り前の少女2人から手厚い看護を受けたらしい・・・
RYU搭乗員には知らせなかったが・・・・幼女2名は・・・
2名は、、、、その娘の父親は・・・よっちゃんと親方である(ばく)
雨が降り出し・・・
トランクに荷物を仕舞う・・・腰の引けたGPZ搭乗員・・・
乙は荷物を降ろし出撃するよう要請したが・・・
肥後モッコスは「ガンとして聞かない」
そしてGPZ搭乗員は幼女2名に弄ばれて悪夢の中・・・
まさか・・・・漢たちがひしめく阿蘇航空隊選抜の2名が
戦線離脱か!!!
乙は阿蘇航空隊員・・・抜きで愚ラマン大部隊相手に対峙することとなった。
しかし・・・・・・
「むっくり」起き上がるRYU隊員・・・「次は乗ります!!」
GPZ搭乗員は・・・仕方なしに・・・「自分も逝きます!!」と
決断してくれて九州男児の面目を保ってくれたのである。
2名の意思を尊重し・・また心配なので、よっちゃんレーシングから拝借した
「エレガント4号銀色」に「リョウヘイ」を乗せ・・・2名を引っ張らす・・
GPZ搭乗員は必死に飛行している姿が辛そうだ。
RYU搭乗員は少しでも付いていこうと、がんばる・・・
GPZ・RYU搭乗員共に10回の練習飛行より
今回の空中戦で得たものが大きいように感じた。
阿蘇航空隊両名・・・無事着陸。。。。
雨と汗に濡れた戦闘服から湯気が立って爽やかであったのは言うまでも無い。
RYU搭乗員が別れ際に言った。
「乙かれ!さんが阿蘇で言った・・・車は気合だ!・・・が分かった気がします」
「また、必ず来ます!相手してください!」
乙が岡山でRYU君に負ける日も、そう遠くない様に思ったが・・・
笑顔で答え、二人に別れを惜しんだ。
追記、
乙の配慮が足らず、RYU搭乗員の病状を悪化させたことを心から謝罪します。
両君が岡山へ また来てくれるとの連絡を頂き、
有り難く乙の心で受け止め、
今後の反省の材料と慰めの糧とします。
みんなありがとう!! <(`^´)ケイレー