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ハチロックのブログ一覧

2012年10月26日 イイね!

守る、ということ。(猫の恩返し編)

守る、ということ。(猫の恩返し編)ロッキーが息を引き取ったと同じ

21日の日曜日

ウチのとなりのニラ農家で可愛がられていた

白地に黒い模様の猫、ナナちゃんも

動物病院で、齢3年の命に終わりを迎えていたんだ










まだまだ3歳、遊び盛りの元気な猫だったけど


ある日突然に、後ろ足が立たなくなって


慌てて連れて行かれた動物病院では


安楽死を勧められたらしい




隣のアサコばあちゃんは、安楽死なんて!、と


分の悪い賭けにでて、ナナちゃんに手術をしてもらった




けれど、経過は悪く


二日ほど自宅に帰ってきたものの


アサコばあちゃんは、ウチのばあちゃんたちとの婦人会の旅行があったし


家の男性陣ではナナちゃんを看きれない、ってことで


また、病院で預かってもらっていたんだけど


旅行から戻り、お迎えに行く前に、ナナちゃんは旅立って行った




ここ最近の、ご近所さんの噂話は、もっぱらこの件で


去年、癌の手術をしたアサコばあちゃんは


会う人会う人みんなに、こう言われるらしい




「猫が、あんたの病気をもらって逝ったんだから


あんたは、もう大丈夫」




この話が本当か、嘘かなんてことよりも


猫に命を分けてもらったアサコばあちゃんの気持ちを思えば


こんなことを笑って言う、ご近所のおばさんたちは残酷だなぁ、と




身内が言うのと、何の事情も知らない他人が言うのとでは


また少しばかり違う気がするから





私がもし、ウチのばあちゃんとロッキーとのことを


同じように言ったとしたら?



「お義母さんの病気をもらって、ロッキーは逝ったんですね


だから、もうお義母さんは大丈夫ですよ


きっと、癌は再発しないですよ」



身内だけれども、私には言えない


身内だから言えないのかもしれない





















ナナちゃんは、アサコばあちゃんの孫が拾ってきた捨て猫


たった3年の、短い命ではあったけれども


とても可愛がられていて



アサコばあちゃんがニラのハウスに行けば、ナナちゃんも後をついていく


どこにいても、アサコばあちゃんの一声で顔を出して


トコトコと寄ってきたのに



突然、後ろ足が立たなくなったのは


背骨の一部に血液が溜まってしまったのが原因らしい


除草剤や農薬を舐めて、こうなってしまうこともあるそうだが


どうやら今回は、誰かに背中を強くたたかれて出血したのでは


動物病院の先生はそう言った、と




捨てられて、拾われて、可愛がられて、ひどい目にあって、と


ナナちゃんの3年間は、目まぐるしく過ぎて行ったけど


ご近所さんたちが言うように、ナナちゃんは


アサコばあちゃんの身代わりになって逝ったのかな


小さな体で、大きな恩返しをしていったのかな




21年前、宇都宮動物園からもらわれてきたロッキーも、また


ウチのばあちゃんに恩返しをしていったのかな




一つ一つは小さな命だけれども


こうして今日まで繋がってきたのだとすれば


自分の命もまた、誰かに


何かに分けてもらったのかも、と思える





子供たちはまだ、ロッキーのことも、ナナちゃんのことも知らない


明日の土曜日、ばあちゃんちにおはようの挨拶をしに行ったついで


犬小屋をのぞくかな




平日は私が、土日は子供たちがのぞいていった、ロッキーの小屋


今までじいちゃんとばあちゃんとの静かな暮らしだったのに


ここに私たちが引っ越してきたこの3年半は


さぞうるさく思っていたんじゃないかな


それとも、にぎやかで寂しくなかったかな





犬や猫が、ばあちゃんたちの代わりに病気をもらって逝った


それが本当なのか、嘘なのかなんてことより


そういう気持ちを守って生きたい、と思う




もしも明日、子供たちに聞かれたら


ロッキーもナナちゃんも、ばあちゃんたちにありがとうって言って


死んでいったんじゃないかな、と話したい





みんなには、一緒に遊んだ楽しい思い出があるでしょう


いつまでも、みんなの思い出の中に、ロッキーもナナちゃんも


生きてるんだよ、可愛がってあげてね


心の中の小さな命を、守ってあげてね





空っぽの小屋に、子供たちは何を思うのかな

















Posted at 2012/10/26 16:16:39 | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2012年10月26日 イイね!

守る、ということ。(21歳のロッキー編)

守る、ということ。(21歳のロッキー編)17、18、19日と、婦人会の旅行に出かけたばあちゃんと

同じく17日から、一泊二日で同窓会に出かけたじいちゃん

二人とも不在だと、さすがに寂しいのか

庭からロッキーの鳴く声が聞こえていた










ばあちゃんが帰ってくる19日の金曜日、朝のこと


次女を幼稚園バスに送り込み、庭を通って隣のばあちゃんちへ


宅配の牛乳をもらいに行くついで


門の番犬、ロッキーに声をかけてみるも


応答なし、冷たいなぁ、と





ここ最近、声をかけてもスルーされる


犬まで私を馬鹿にしてるんかな?、と苦笑いしながら


もう21歳という高齢の、だいぶ足腰が弱った体を思ってみる




















子供達も旦那も休みの土日は、あれやこれやと忙しく


わざわざ庭に出向いてロッキーに声をかけることは、まずない


20、21日と、ロッキーのことは忘れていた




22日、月曜日の朝


この日も次女を送り出し、いつもの牛乳をいただきに


ふとロッキーの小屋をのぞいて見たけれど


奥に隠れているのかな、姿は見えなくて




火曜、水曜と、中だるみの週の半ばは牛乳の宅配はなく


いつもなら一緒に次女を見送るはずの長男も


珍しく、二日連続でお寝坊さんだったから


ばあちゃんたちに、おはようの挨拶をするのを後に回して


庭を通らず、自宅へ戻った




そして、25日、木曜日の朝


幼稚園バスの時間に間に合った長男


次女を見送った後、庭を通ってばあちゃんたちにご挨拶をしに




そういえば、二日間のぞいていなかった犬小屋


「ロッキー?」と声を掛けてみたが、相変わらず返事はなく


と、いうか


姿が見えないぞ?




もしや、と思ってばあちゃんちへ走る


「あの、ロッキーさんは?」





















「うん、あのね、21日の朝は大丈夫だったんだけど


昼間、作業をしに庭へ出たときにね


私の姿は見えるはずなのに、ちっとも鳴かないから


変に思って小屋を見たら、もう息をしてなかったんだよ」




子供たちが悲しむから、と、私たち一家が外出するのを見てから


少し離れた場所に埋めたんだそうで


「ゆっくり休みなね」、とロッキーに声を掛けたんだ、って




ばあちゃんが言うには、自分が旅行から帰るのを待っていたんだろうと


19日に帰宅してから、その晩も、次の晩も、ずっと鳴いていたんだ




でも、もう21歳の老体


今さら病院へ行って、怖い思いをさせてまで治療って必要かな、と


ここ最近、足腰も立たなくなって、ずっと座ったまま


日がな一日、寝ているばかりだったし




だからと言って、老衰は、手術して治るものでもないし


もう体力も限界だろう、医者に通っても、数日命が伸びるだけ


ならば、ここで最期まで一緒の時を過ごそう


そう、じいちゃんとばあちゃんは話していたそうで




あの鳴き声は、ばあちゃんを呼ぶ声だったのだろう


それに応えられないばあちゃんもまた


眠れない週末を送っていた






















25日の夜、その話を旦那にしたのだけれども


「実はさ、ばあちゃんが旅行の間ずっと


ロッキー、夜中も鳴いていたんだよね


その声が、昔飼っていた犬の、最期の声によく似ていて


もうダメなのかな、って思ってた」、と




私は、日中の鳴き声に気付いていた


けれども、夜中の鳴き声までは気付かなかった


寝ていたわけじゃない


ドタバタ劇を演じていた




主人公すらいない劇に夢中になって



すぐそばで



助けを求める声に、気付かないでいた





私じゃ、ロッキーにとっては役不足


彼が求めるのは、ばあちゃんであって、私じゃない


私じゃないけれども


せめて、声をかけてやるとか


傍にいてやるとか


何かしら、できることがあったはず




こんなに近くで、助けて、って言っていたのに





私が傍にいたところで、ロッキーの寿命が延びるわけじゃない


何も力にはなれないけれども


気付いてやることはできたはず





悔やんでも、悔やんでも・・・


取り返しのつかないことって、こういうことだ





















仕事で疲れて帰って、いつもなら爆睡してるはずの旦那でさえ


その声に気付いていたのに


なんで、起きていたはずの自分の耳には


その声が届かなかったのだろう




届かなかったんじゃない


聞こうとしなかった


目には見えないものを追いかけて、夢中だった


手応えのないものを掴もうと、必死だった


誰の何にも、耳を貸さなかった




結果


目に見えていた、大切なものを失った


傍で助けを求めるものを、救えなかった




私、何やってたんだろう





















守る、ということ



守るべきものを持つ、ということは



たとえ人に何を言われようと



冷たい人、薄情なヤツだと思われようとも



自分と生活を共に、苦楽を共にするものだけ守っていればいい



裏を返せば、それしか守れないのだ






そんなこともわからず、他人事に夢中になる私に


強い言葉で手を引いてくれた人がいる




「やはり、人生をともにしてきた、


これからも歩んで行くであろうご主人と子どもたちが一番さ」




「関わらない、というのは冷たいようで、自分を守り、


自分と家族を守ることになるし、


遠くはその人を自戒の念に追いやらなくても済むはずです」







この言葉の意味を噛みしめる




















Posted at 2012/10/26 02:30:45 | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2012年10月25日 イイね!

守る、ということ。(シマヘビと蛙とじいちゃん編)

守る、ということ。(シマヘビと蛙とじいちゃん編)守るものを持つ人は、案外

はたから見れば

冷たい人、ひどい人

に見えるのかもしれない









気持ちよく晴れた、秋休み


10月10日の、お昼時



何処からともなく聞こえてくる音?声?


「きゅ~・・・きゅ~・・・ぅぅぅ・・・」



あぁ、これ、夏によく聞いたなぁ



耳を澄ませば、キッチンの勝手口の方から聞こえてくる


そっと勝手口を開けたら、ドアの真下で


こんなドラマが繰り広げられていた





















しばらく聞こえていた蛙の声も


次第に小さくなり、ついにはまったく聞こえなくなって


ヘビの顔は、蛙の形に変形しちゃって、三角形


もう大分飲み込んじゃって、蛙の足しか見えないし


(^▽^;)





私の後ろから、恐る恐る覗き込んでいた子供たち


お昼ご飯のミートソースで真っ赤な口のまわりも忘れて


じっと事の成り行きを見守っていると


そこに、じいちゃん登場





頭が三角だから、ヤマカガシだよ!との子供たちの声に


ヘビを一べつして、これはシマヘビだよ、大丈夫、と


そう言われて、ほっとしたけれど、でもやっぱり怖いものは怖い





納屋から戻ってきたじいちゃんの手には、ゴミばさみ


ひょい、と蛙をくわえたままのシマヘビを掴み


近くの側溝へ歩いて行ったな、と思ったら


そのままシマヘビを水の中へ沈めた





しばらくして、呼吸ができなくなったシマヘビが暴れ始め


クネクネとゴミばさみに絡みつく様子を


子供達と一緒に、少し離れた場所から見てた





もうひとつのゴミばさみを器用に使って


シマヘビを水中に沈めるじいちゃん


もう大丈夫、の声に駆け寄る子供達




部屋に戻ってきた子供たちの報告によれば


シマヘビは、蛙をくわえたまま息絶え、側溝に流された、と



じいちゃん、なにも、そこまでしなくても・・・





でも


普段はおとなしいヘビだけれども、冬籠りを目前に


今は少しでも食べておかねばならない時期


臆病な性格なのに、人家の目の前まで蛙を追ってくるということは


ヘビも背に腹は代えられない、というところだろうか





キッチンの勝手口付近は、子供達もよく通る場所


すぐそばには草のしげる畑もあるし


トンボを追って子供達も遊ぶ場所





万が一、を考えれば、一匹でも危ないヤツを生かしてはおけない


じいちゃんからすれば、孫を守るためには当たり前のこと





蛙の断末魔の声、仲間に助けを求め


また、仲間を守るために、自らの命を懸けて危険を知らせる声



シマヘビもまた、自分の命を守るために


危険をおかして、人家の傍までエサを追ってきた





何かを守る、ということ



守るべきものを持つ、ということは



危険で



必死で



そして、冷たい





シマヘビと蛙と、じいちゃん


小さな自然のドラマには、善も悪もなく


ただ、守るべきものを守る


それしかなかった






Posted at 2012/10/25 23:35:43 | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2012年10月18日 イイね!

浮浪雲(はぐれぐも)。

浮浪雲(はぐれぐも)。 
 

自分は、きっと



空にぽっかりと浮かぶ、浮浪雲(はぐれぐも)、と思う










保育園に入園してすぐの二日間は

「ママ~」と泣いていたこと、今でも覚えている



三日目には園にもなれて

あっという間に友達ができて



光代には、イチゴ模様のティッシュを取られて泣いたけど

給食の脱脂粉乳の、やけに甘ったるしい匂いは大嫌いだったけれど

悪いことして閉じ込められた押入れは、とっても暗かったけれど



どれもが全部、今になっては楽しい思い出で


そんな保育園では、女ガキ大将だった



卒園してからも、時おり街の中で遭遇した園の先生には

いつまでも「Y子ちゃん」と声をかけて貰っていて

当時の話を、先生と母親とで立ち話なんかしたりして



そんな風に、自分が人の思い出の中に生きていること

子供ながらに嬉しくて、ちょっとした自慢だった




















小学生の時だって、男子を追いかけまわして

首根っこを掴まえては、意味もなく降参させたり



親友の「かおりちゃん」が、意地悪な男子からいじめられれば

泣かせたヤツのことは、絶対に承知しなかった



体もデカかったし、声もデカかったせいで

どこにいても目立っていたかもしれない



目立つくせに、でも、大したことはしないもんだから

学級委員長、という肩書とは、無縁だった

人望ってものは、今考えても、皆無だったと思う(笑





















それが中学生になり、端から見れば、「出る杭」的存在に



中学一年の半ばごろ、たまたま席替えで隣になったのは

野球部のモテるやつ



ソイツに貸した消しゴム一つが原因で

クラス中から無視される事態になるなんて

いったい誰が想像できるってのさ



だって、クラスのヤンキー女子がソイツのことを好きで

女子は全員、ソイツと口をきいちゃダメだ、ってルール?



なんでそんな命令に従わなくちゃならないんだろう

ふざけんな、と、放課後の教室でやりあったけど



授業中に貸した消しゴムにヤキモチ妬かれて

「アイツのこと、みんなで無視するから」ってお触れが出るなんて



意味もワケもわからないまま、教室にぽつーんと・・・



消しゴムを借りたソイツは、したり顔

もしかして、ハメられた?

出る杭は、ものの見事に打たれたらしい





心配して寄ってくる、小学校時代からの友達の気持ちは嬉しかったけど

余計なとばっちりとか、絶対に迷惑はかけられないから

一人でも大丈夫だよ、って突っぱねて



友達を守るためなら、自分は一人でも平気だし

だって、そもそも、悪いことなんてしてないもん!



と、しばらく一人でいたけれども

そこはやっぱり、多感なお年頃



何日も友達と口がきけない寂しさには、我慢できなくて

「ごめんなさい」の白旗あげて



悔し涙をダラダラ流しながら、思った



自分が思う当たり前って


自分が思う正義って


集団になった人間には、全く持って通じない



それからしばらくして、元々の友達に加えて、気の合う仲間も見つかって

帰宅部やったり、水泳部のマネージャーやったり

地味だけど、それなりに楽しい中学時代を過ごし





















そんでもって、高校時代



45人中、13人が男子、残りが女子という変則のクラスで

自分の立ち位置ってやつ、試行錯誤して



一人、すんごく気の合う女の子と友達になり

いっつも二人で過ごしてた



数が集まると、あれやこれ、いろいろと面倒だし

つまんない命令には従わなきゃなんないし



大人数のグループに属するなんて

死んでもヤだね、と二人ぼっちを選んで



けど、どんだけ仲が良くても、連れションだけは行かなくて

つかず、離れず、二人はいい距離を保ってたと思う



クラスには、アイドル的女の子のグループ

運動部のマネージャーの、元気なグループ

アニメが好きな、地味目に夢見るグループ

足首まである長いスカートの、茶髪のヤンキーグループ

いろいろあったけれど



自分たち二人がどこに顔を出しても

みんな快く迎えてくれて、いろいろ話してくれたっけ



体育のグループ分けでも、こっちにおいで、と呼んでもらったり

学園祭でも、クラスからはみ出ることなく、どこかしかのグループで

好きな男子の話をしたり、あこがれの先輩の話をしたり



まるで、浮浪雲みたいな高校生活だったけど



中学の時のあの経験が、自分がずっと集団の中にいること

拒絶してた



そんな浮浪雲の自分と、学校の外でたまたま会った級友たちは

「実はさ・・・」なーんて言いながら

自分の所属するグループの、内輪もめやら

小さな愚痴

ぽろぽろとこぼしていったりして



あぁ、人の間でみんな、いろいろと悩んでるんだな、と



きっとね、グループの中では禁句なこと

誰かに聞いてもらったらスッキリするだろうな、ってこと

心の隅っこに溜め込んで



深いところまでは知らないけれど、それなりに

話しのとば口くらいまでなら、そのグループの事情を知っている

そんな浮浪雲に

「ちょっと聞いてくれる?」



微妙に、話しやすいんだろうな



特段に、何かアドバイスするわけでもなく

でも、聞き流すわけでもなくて



大した話じゃないから、その子も仲間を裏切ってる罪悪感ってなくて

でも、「誰にも言わないでね」って、一応はクギを刺してみたり



浮浪雲は、はぐれぐも同士で

小さな噂話に花を咲かせたり、そっと成り行きを見守ったり



そんな

邪魔にもされなければ、大した期待もされず

なんとも心地よいポジションの三年間はあっという間に過ぎ



同じクラスの男女8人で行った、関西方面への卒業旅行

あれが、高校三年間で唯一の、団体行動

こんな浮浪雲を誘ってくれた級友には、今でも感謝してる





















そこから少しずつ、大人へと変わっていくのだけれども



もちろん、その浮浪雲の片割れとは

今でも、年に数回、メールのやり取りはしてる



そそ、わずかな数で十分

心地よい距離なんてのは、そんなもん





っていう生き方は、今も健在で



みんカラの中でもハチロックは

どこの、どんなグループにも属さない



お友達の車種だって、ばらばらで

今、うちにあるのはウィッシュだけど、みん友さんには一人か二人?



トゥデイに至っては、皆無



唯一、たくさんお友達になってもらってるハチロクは

実車なんて、もうウチにはなくて(笑



車種なんて、いいんだ

ただ、車が好き、それで十分だと

皆さん、言ってくれる





















ふと、テレビがニュースを告げる



隣人トラブルの末、向かいに住むオバサンを、日本刀で切り付けて

その後、自分の命を自ら絶った86歳のおじいちゃん



他人から見れば、本当に些細なことで

なにも道路にはみ出した植木鉢の一つやふたつで

人も自分も、死ななくたっていいのに



元警視、というこのおじいちゃん

なんでも、そのオバサンとの口論から喧嘩になり

オバサンに馬乗りになられたことで

「自分は、人間としての尊厳を傷付けられた」、と

ご近所さんに愚痴っていたみたいだけれど



クソ真面目で、小うるさくて

オバサンからすれば、ウザったい爺だったんだろうか



それにしても、些細なことがきっかけではあったけれども

相手を成敗して、自分もその責任を取り、命を絶つなんて

86歳という歳から考えても、昔ながらの日本人

自分勝手な責任感、と言えば、それまでだけど



イマドキの人からすれば、理解できない事柄かもしれないけれども

こういうところ、今の日本人に欠けている部分じゃなかろうか?





ウチも、前のようにマンション暮らしだったらば、きっとトラブってた

なんせ元気な子供が3人も、所狭しと家中を走り回ってるんだもの



「でもさ、ウチら子供のことで怒られたって、ママは絶対に死なないよね!」



この頃、生意気な口を利くようになった長女に笑われて

つい、ムキになって言い返して



「あったりまえじゃん!

ママは絶対にこんなことしないよ

人を殺して、自分も死ぬなんて!」



ふと、見ていたテレビから目をそらし、旦那が一言



「いや、ママさんみたいな人が、一番危ないんだよ」



たかだか15年の付き合いだけど

たぶん、誰よりも自分を知っていて

誰よりも自分を心配してくれてる





















ここしばらく、自分が首を突っ込んでいた件



ともだち、ってなんだろう

仲間、ってなんだろう



いろいろな人の思惑が絡み合って、真実が見えない



全くの第三者である自分に、人はいろいろ話してくれる

みんな、こんな浮浪雲に、苦しい心の内を聞いてほしいだけ



そうと解ってはいても、黙って見てはいられなかった

一歩下がって見ていれば、渦中の人たちにはわからないことも

少しずつ、見えてくる

でも、自分には何もできない



しかしながら、関わってしまったことは事実

どうにもならないことに、頭がおかしくなりそうだった



すべての成り行きを見守って、最後に

最後に自分は・・・





そう思っていた矢先の、旦那の一言だった



「ブログなんて、文字だけの世界では強いヤツでも

外に出せば、単なる人間、神様じゃない

そういうヤツに限って一人じゃ何もできない


どこへでも出てこい

何かあれば、俺がお前を守る」



15年前のプロポーズ以来の、旦那の言葉


側で聞いていた長女が、ボソっとつぶやく



「たまには、男らしいこと言うじゃん」



あはは!

っと、元気に笑いながら、自分も晩御飯の支度に取り掛かる



この言葉で、現実の世界に戻ることに決めた

自分の力量を、はるかに上回っている



「体力の限界、また、気力の限界・・・」

目に涙を溜めた、あの日のウルフの言葉が、蘇る



勇気ある撤退

そんな言葉、自分の中にはなかったけれども



それでも、自分の命と、自分のまわりの人の気持ちを

ないがしろにするわけには、いかない





















先月、私より4か月遅れで、やっと40歳になった

浮浪雲の片割れのこと、思ってみる



5月と9月、誕生月は違うけど、お互いに月も終わりかけの

29日の日に生まれた、あの子



小さな偶然だけど、そのおかげで今も、誕生日を忘れることなく

「おめでとう」と、お祝いのメールを送ることができている



いつまでも変わらず、心の隅にいる彼女

大切な大切な、青春を分け合ったともだち





浮浪雲、はぐれぐも



白いものを黒い、と言えない自分は


やっぱり、一つ所に納まらず、大所帯には納まらず


浮浪雲が、一番似合っているんだな、と


たぶんそれが、生まれ持っての気質なんだろうから



数年後に社会復帰して、また人の間に生きる生活に戻り


その時に、何があっても、この気質は変わらないだろう



仕事、生活、お金、と、呪文のように繰り返し


いろんなシガラミに耐える自分が見える(笑



それなりに身に着けてきた協調性ってものも、少しはあるし


何より、「三人の子供の顔」


学生時代と違って、それが、一番のお守りだ


一歩引いて、自分を見ていてくれる旦那もいるし



陰になり日向になり、友達だよ、と言ってくれる人たちもいて



生涯独身を貫く、私の育ての母には、子供と自分の守り方を教えてもらった





本来の自分を見失ってまでは、生きてはいけない


それでも、雲が住む世界は、この世に空一つしかなく



その中で


羊雲のように群れたり


入道雲のように畏怖される姿に形を変え


雨や嵐を自在に操ることも出来ない





ただ、浮かんで消えて



そんな浮浪雲にしかなれない自分だけれども



自分は、浮浪雲でいいんだ、と思う















Posted at 2012/10/18 14:14:19 | トモダチ絵日記 | 日記
2012年10月12日 イイね!

ともだち。

ともだち。先日の、「何シテル?」につぶやいたことで

みなさんに心配をかけてしまいました


コメントやメッセージ、メール、たくさんの方から

励ましの言葉をいただいただけでなく

わざわざ、何シテル?を見てくださった方

ブログも上げていないのに

結構な数のPVレポートだったので、ビックリしました


優しい気遣い、心配、ありがとうございます





















ともだち、って何だろうなぁ、と思って





今は、幼い子供たちに囲まれて、それはそれは慌ただしく

毎日があっという間に過ぎてしまうけど


専業主婦で、それほど外に出ることもなく

ママ友、子供会、ご近所さん


そんな、小さな小さな社会の中に生きて

家族中心に過ごす、割と平穏無事な日々




















いずれはまた、社会復帰する日が来て

少しのパート代をいただくために、あくせく働くだろう


そこには、嫌でも人との関わりが生まれてくる


せめて今は、今だけは、子供達の成長のまぶしさに目を細め

他愛ない話に相槌を打ったり、一緒に遊んだり


人生のうちの、ほんの短い間、その最高の時間を

時計を止めて、楽しもう



だから、大人の世界のアレコレには、耳を貸さない

人のことには、なるべくなら無関心で

何があっても、知らん顔でいよう、って決めてたんだ





だぁれも、私と子供たちの時間の邪魔はしないで

ずっとずっと、そう思ってきた


そうは言っても、たとえどんなに小さな社会にだって、それなりに

くだらないいさかいやら、夫婦ゲンカ、不平や不満


山あり、谷あり、いろいろあって、乗り越えてきたけど

人に言ったら笑われてしまうほど、その悩みは小さく

本当に、平和な暮らしぶりだったと思う





















そのうちに、みんカラなんてやり始めて

久々、人との関わりを持ってみて


泣いたり、笑ったり


たかがネットの上ではあるけれど、その関わりには発見も多く

少しばかり、自分の地味な人生に色を足してくれたと思う


ついこの間まで、子供一色だった自分の時間は

人と関わることで、少しずつ変わっていったんだ





そんな折、ちょっとしたきっかけで

若いころの自分を思い出した



友達のため



そんな思いから、今の自分に持てるチカラを振り絞って

限られた時間をフルに使って


良いも悪いもない、とにかく、友達のために

人を振り回し、迷惑もかけ、それでも自分が信じる方へ

後ろも振り向かずに、突っ走った





















結果、自分の非力さを思い知ることになり

挙句、友達を傷付けたんじゃないかと思う


友達のため、は、自己満足のため、だったかもしれない



最後の最後でそれに気づき、手を引いた

それまでの私の言葉に、さんざん迷ったと思う

お節介、そんな簡単な話じゃない



後悔したけれど

手を引いた自分にできることと言えば、友達を信じて待つこと


どんな結果になったとしても、戻ってこないかもしれないけど

信じて待つしかない、と



だって

誰だって、自分でやってみなけりゃ、納得がいくはずもなく


自分だって、人が自分を思って言ってくれたこと

今まで素直に聞き入れたことなんて、あったのか?



若いころ、そんなことにも気付かないで

人の気持ちなんて考えずに、ただ自分の思うがままに・・・



と、いうことを、この歳になって久々、やらかしていた



そんな自分に疲れて、何シテル?につぶやいた

まさかこんなに反響があるとも思わず



でも、「友達」が掛けてくれた言葉に、元気をもらった



それから、足跡のように目に見えるものだけじゃなく

訪ねてくれたのは誰だかもわからないけど



PVレポート、というカタチでも、勇気をもらった



ありがとう





















馬鹿みたいに前向きだけど、これが自分


性懲りもなく、また何かやらかすかもしれないけど


それでも、そこで待っていてくれる友達に


大切なこと、また一つふたつ、教えてもらった





ただ待つ、ということも、友達だからできること


ただ友達でいること、それも友達を思う気持ちに変わらないこと





ともだち、を思う気持ちに


言葉なんてなくても、いいんだね
































Posted at 2012/10/12 02:15:20 | トモダチ絵日記 | 日記

プロフィール

「@ゼフィルス14 さん、応援ありがとうございます(*´∀`)♪ ゼフィルス14さんも、お仕事の行き帰り、どうぞお気をつけて\(^-^)/」
何シテル?   01/25 08:15
・   「日々反省堂」 というお店に勤務しておりますが 本人未だかつて、反省の色なし・・・ いくつもの過ちを繰り返し 繰り返し ...
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2016/11/10 11:28:43
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2016/02/07 05:59:51
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カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/07/15 21:52:45

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