自分は、きっと
空にぽっかりと浮かぶ、浮浪雲(はぐれぐも)、と思う
保育園に入園してすぐの二日間は
「ママ~」と泣いていたこと、今でも覚えている
三日目には園にもなれて
あっという間に友達ができて
光代には、イチゴ模様のティッシュを取られて泣いたけど
給食の脱脂粉乳の、やけに甘ったるしい匂いは大嫌いだったけれど
悪いことして閉じ込められた押入れは、とっても暗かったけれど
どれもが全部、今になっては楽しい思い出で
そんな保育園では、女ガキ大将だった
卒園してからも、時おり街の中で遭遇した園の先生には
いつまでも「Y子ちゃん」と声をかけて貰っていて
当時の話を、先生と母親とで立ち話なんかしたりして
そんな風に、自分が人の思い出の中に生きていること
子供ながらに嬉しくて、ちょっとした自慢だった
小学生の時だって、男子を追いかけまわして
首根っこを掴まえては、意味もなく降参させたり
親友の「かおりちゃん」が、意地悪な男子からいじめられれば
泣かせたヤツのことは、絶対に承知しなかった
体もデカかったし、声もデカかったせいで
どこにいても目立っていたかもしれない
目立つくせに、でも、大したことはしないもんだから
学級委員長、という肩書とは、無縁だった
人望ってものは、今考えても、皆無だったと思う(笑
それが中学生になり、端から見れば、「出る杭」的存在に
中学一年の半ばごろ、たまたま席替えで隣になったのは
野球部のモテるやつ
ソイツに貸した消しゴム一つが原因で
クラス中から無視される事態になるなんて
いったい誰が想像できるってのさ
だって、クラスのヤンキー女子がソイツのことを好きで
女子は全員、ソイツと口をきいちゃダメだ、ってルール?
なんでそんな命令に従わなくちゃならないんだろう
ふざけんな、と、放課後の教室でやりあったけど
授業中に貸した消しゴムにヤキモチ妬かれて
「アイツのこと、みんなで無視するから」ってお触れが出るなんて
意味もワケもわからないまま、教室にぽつーんと・・・
消しゴムを借りたソイツは、したり顔
もしかして、ハメられた?
出る杭は、ものの見事に打たれたらしい
心配して寄ってくる、小学校時代からの友達の気持ちは嬉しかったけど
余計なとばっちりとか、絶対に迷惑はかけられないから
一人でも大丈夫だよ、って突っぱねて
友達を守るためなら、自分は一人でも平気だし
だって、そもそも、悪いことなんてしてないもん!
と、しばらく一人でいたけれども
そこはやっぱり、多感なお年頃
何日も友達と口がきけない寂しさには、我慢できなくて
「ごめんなさい」の白旗あげて
悔し涙をダラダラ流しながら、思った
自分が思う当たり前って
自分が思う正義って
集団になった人間には、全く持って通じない
それからしばらくして、元々の友達に加えて、気の合う仲間も見つかって
帰宅部やったり、水泳部のマネージャーやったり
地味だけど、それなりに楽しい中学時代を過ごし
そんでもって、高校時代
45人中、13人が男子、残りが女子という変則のクラスで
自分の立ち位置ってやつ、試行錯誤して
一人、すんごく気の合う女の子と友達になり
いっつも二人で過ごしてた
数が集まると、あれやこれ、いろいろと面倒だし
つまんない命令には従わなきゃなんないし
大人数のグループに属するなんて
死んでもヤだね、と二人ぼっちを選んで
けど、どんだけ仲が良くても、連れションだけは行かなくて
つかず、離れず、二人はいい距離を保ってたと思う
クラスには、アイドル的女の子のグループ
運動部のマネージャーの、元気なグループ
アニメが好きな、地味目に夢見るグループ
足首まである長いスカートの、茶髪のヤンキーグループ
いろいろあったけれど
自分たち二人がどこに顔を出しても
みんな快く迎えてくれて、いろいろ話してくれたっけ
体育のグループ分けでも、こっちにおいで、と呼んでもらったり
学園祭でも、クラスからはみ出ることなく、どこかしかのグループで
好きな男子の話をしたり、あこがれの先輩の話をしたり
まるで、浮浪雲みたいな高校生活だったけど
中学の時のあの経験が、自分がずっと集団の中にいること
拒絶してた
そんな浮浪雲の自分と、学校の外でたまたま会った級友たちは
「実はさ・・・」なーんて言いながら
自分の所属するグループの、内輪もめやら
小さな愚痴
ぽろぽろとこぼしていったりして
あぁ、人の間でみんな、いろいろと悩んでるんだな、と
きっとね、グループの中では禁句なこと
誰かに聞いてもらったらスッキリするだろうな、ってこと
心の隅っこに溜め込んで
深いところまでは知らないけれど、それなりに
話しのとば口くらいまでなら、そのグループの事情を知っている
そんな浮浪雲に
「ちょっと聞いてくれる?」
微妙に、話しやすいんだろうな
特段に、何かアドバイスするわけでもなく
でも、聞き流すわけでもなくて
大した話じゃないから、その子も仲間を裏切ってる罪悪感ってなくて
でも、「誰にも言わないでね」って、一応はクギを刺してみたり
浮浪雲は、はぐれぐも同士で
小さな噂話に花を咲かせたり、そっと成り行きを見守ったり
そんな
邪魔にもされなければ、大した期待もされず
なんとも心地よいポジションの三年間はあっという間に過ぎ
同じクラスの男女8人で行った、関西方面への卒業旅行
あれが、高校三年間で唯一の、団体行動
こんな浮浪雲を誘ってくれた級友には、今でも感謝してる
そこから少しずつ、大人へと変わっていくのだけれども
もちろん、その浮浪雲の片割れとは
今でも、年に数回、メールのやり取りはしてる
そそ、わずかな数で十分
心地よい距離なんてのは、そんなもん
っていう生き方は、今も健在で
みんカラの中でもハチロックは
どこの、どんなグループにも属さない
お友達の車種だって、ばらばらで
今、うちにあるのはウィッシュだけど、みん友さんには一人か二人?
トゥデイに至っては、皆無
唯一、たくさんお友達になってもらってるハチロクは
実車なんて、もうウチにはなくて(笑
車種なんて、いいんだ
ただ、車が好き、それで十分だと
皆さん、言ってくれる
ふと、テレビがニュースを告げる
隣人トラブルの末、向かいに住むオバサンを、日本刀で切り付けて
その後、自分の命を自ら絶った86歳のおじいちゃん
他人から見れば、本当に些細なことで
なにも道路にはみ出した植木鉢の一つやふたつで
人も自分も、死ななくたっていいのに
元警視、というこのおじいちゃん
なんでも、そのオバサンとの口論から喧嘩になり
オバサンに馬乗りになられたことで
「自分は、人間としての尊厳を傷付けられた」、と
ご近所さんに愚痴っていたみたいだけれど
クソ真面目で、小うるさくて
オバサンからすれば、ウザったい爺だったんだろうか
それにしても、些細なことがきっかけではあったけれども
相手を成敗して、自分もその責任を取り、命を絶つなんて
86歳という歳から考えても、昔ながらの日本人
自分勝手な責任感、と言えば、それまでだけど
イマドキの人からすれば、理解できない事柄かもしれないけれども
こういうところ、今の日本人に欠けている部分じゃなかろうか?
ウチも、前のようにマンション暮らしだったらば、きっとトラブってた
なんせ元気な子供が3人も、所狭しと家中を走り回ってるんだもの
「でもさ、ウチら子供のことで怒られたって、ママは絶対に死なないよね!」
この頃、生意気な口を利くようになった長女に笑われて
つい、ムキになって言い返して
「あったりまえじゃん!
ママは絶対にこんなことしないよ
人を殺して、自分も死ぬなんて!」
ふと、見ていたテレビから目をそらし、旦那が一言
「いや、ママさんみたいな人が、一番危ないんだよ」
たかだか15年の付き合いだけど
たぶん、誰よりも自分を知っていて
誰よりも自分を心配してくれてる
ここしばらく、自分が首を突っ込んでいた件
ともだち、ってなんだろう
仲間、ってなんだろう
いろいろな人の思惑が絡み合って、真実が見えない
全くの第三者である自分に、人はいろいろ話してくれる
みんな、こんな浮浪雲に、苦しい心の内を聞いてほしいだけ
そうと解ってはいても、黙って見てはいられなかった
一歩下がって見ていれば、渦中の人たちにはわからないことも
少しずつ、見えてくる
でも、自分には何もできない
しかしながら、関わってしまったことは事実
どうにもならないことに、頭がおかしくなりそうだった
すべての成り行きを見守って、最後に
最後に自分は・・・
そう思っていた矢先の、旦那の一言だった
「ブログなんて、文字だけの世界では強いヤツでも
外に出せば、単なる人間、神様じゃない
そういうヤツに限って一人じゃ何もできない
どこへでも出てこい
何かあれば、俺がお前を守る」
15年前のプロポーズ以来の、旦那の言葉
側で聞いていた長女が、ボソっとつぶやく
「たまには、男らしいこと言うじゃん」
あはは!
っと、元気に笑いながら、自分も晩御飯の支度に取り掛かる
この言葉で、現実の世界に戻ることに決めた
自分の力量を、はるかに上回っている
「体力の限界、また、気力の限界・・・」
目に涙を溜めた、あの日のウルフの言葉が、蘇る
勇気ある撤退
そんな言葉、自分の中にはなかったけれども
それでも、自分の命と、自分のまわりの人の気持ちを
ないがしろにするわけには、いかない
先月、私より4か月遅れで、やっと40歳になった
浮浪雲の片割れのこと、思ってみる
5月と9月、誕生月は違うけど、お互いに月も終わりかけの
29日の日に生まれた、あの子
小さな偶然だけど、そのおかげで今も、誕生日を忘れることなく
「おめでとう」と、お祝いのメールを送ることができている
いつまでも変わらず、心の隅にいる彼女
大切な大切な、青春を分け合ったともだち
浮浪雲、はぐれぐも
白いものを黒い、と言えない自分は
やっぱり、一つ所に納まらず、大所帯には納まらず
浮浪雲が、一番似合っているんだな、と
たぶんそれが、生まれ持っての気質なんだろうから
数年後に社会復帰して、また人の間に生きる生活に戻り
その時に、何があっても、この気質は変わらないだろう
仕事、生活、お金、と、呪文のように繰り返し
いろんなシガラミに耐える自分が見える(笑
それなりに身に着けてきた協調性ってものも、少しはあるし
何より、「三人の子供の顔」
学生時代と違って、それが、一番のお守りだ
一歩引いて、自分を見ていてくれる旦那もいるし
陰になり日向になり、友達だよ、と言ってくれる人たちもいて
生涯独身を貫く、私の育ての母には、子供と自分の守り方を教えてもらった
本来の自分を見失ってまでは、生きてはいけない
それでも、雲が住む世界は、この世に空一つしかなく
その中で
羊雲のように群れたり
入道雲のように畏怖される姿に形を変え
雨や嵐を自在に操ることも出来ない
ただ、浮かんで消えて
そんな浮浪雲にしかなれない自分だけれども
自分は、浮浪雲でいいんだ、と思う