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ハチロックのブログ一覧

2013年07月01日 イイね!

全ての物事には、理由がある。

全ての物事には、理由がある。子供のクラスの担任が

授業中に居眠りしていた児童に向かって

「死ね」と言ったらしい

クラスに衝撃が走った










何度注意してもうるさい児童には

「馬鹿」



「このクラス、腐ってる」

そう言い残して教室を出ることもあるという



ぶつぶつと、近くにいる人にだけ聞こえるような声で

馬鹿、死ね、と言うらしい



何人かの児童が、校長に「通報」しに行ったが

学校から親には、特になんの話もなかった



そんな担任、すぐに替えてほしいと

我慢できずに校長に直談判に行った保護者がいる






























元教員をしていた方に、友達がこの話をしたところ

「その先生、きっと心が病んでるから

すぐにでも教育委員会に話をあげた方がいいよ」



それを聞いて、私も慌てて副校長の元に走ったけれども

一通り話をきいた上での、学校側の答えは

「先生を替えても、また同じような人だったら、ねぇ」



こういう答えを予測していた、その元教員さんが言うには

「校長は、自分の査定ばかり気にしているから

直接教育委員会に話さなくちゃダメだよ」



今年、この学校に赴任してきた担任の

ここ最近の、アレコレ

子供たちから聞いているこんな話を

レビンマンにも聞いてもらったのだけれども

話を聞くうちに、レビンマンの顔には一面の???ハテナ???



「死ねって言われた子供の親は、直接担任と話をしたの?」

さぁ、どうだろう?



「ウチの子が悪かったのは間違いない、けれども

叱り方ってものがあるだろう、言葉遣いには注意してほしい

たとえば、こんな風に言ってほしい、とか

親は担任に自分の希望を話したの?」

いや、たぶん直接には話をしてないんじゃないかな?



「当事者同士が話をしていないのに、外野が出てくるの?

しかも、担任を飛ばして校長だとか、教育委員会だとか?

それっておかしくない?」

う~ん?



ちょっと冷静になってみなよ、とレビンマン

まずは、どうしてこうなったのか、よく考えてみて



どうして親が、担任と直接話をしないのか


それは、親が担任と距離を置いているから?


そこに、今回の問題の原因があるのだと思う・・・






























4月のこと

登校第一日目、帰宅した子供に担任のことを聞くと

「キモイ」



この時は、自分の子供を叱った

自分に勉強を教えてくれる人に向かって、キモイとはなんだ

自分が知らないことを教えてくれる人は

自分にとって、とても大切な人なんだよ



登校二日目、担任にあだ名をつけて帰ってきた

親しみを込めたあだ名はいいと思うけれども

どうも様子が違う、なんとなし、馬鹿にしている



先生を馬鹿にしてはいけない

もう二度と、そのあだ名で呼ぶのはやめなさい



はい、と返事はしたけれども

きっと学校では友達と一緒になって

そのあだ名でこっそりと呼んでいたのだろう



それからも時々、担任の行動について聞いてみたけれども

面白い時と、変な時がある、とのこと



どうやら、感情の起伏が激しいようで

ノっている時は面白いそうなのだが

テンションが下がった時は、めんどくさそうだという



何度もそんな話を聞いているうちに

まだ会ったこともない担任に、なんとなし

キモイ、ちょっと変、変わってる

そんな印象を、親も持っていたと思う



そんな折、家庭訪問があって

学校の話より世間話、家の中をきょろきょろと

何だか落ち着きのない担任の様子に

やっぱり子供から聞いた通りの、変わった人だ

心の中で、そう思い込んでしまったように思う



そのうちに、子供が担任の悪口を言っていても

親も子供をたしなめることもなくなり

次第に、学校や近所で顔を合わせては

親同士、担任のことを悪く噂するようになった



親の中には、「先生の顔も見たくない」

そう言いだす人もいた



それを、親が子供の前で話すものだから

子供だって今まで以上に担任を馬鹿にする



以前赴任していた学校での噂話や

去年の担任との比較



口には出さないけれども、私たち親の顔にも

「キモイ」、そう書いてあったのだと思う



親も子も、そんな目で担任を見れば

どんな人だって、嫌な空気を感じるだろう

心が荒れたり疲れたり、精神が不安定になって

感情をコントロールできなってしまったのかもしれない






























そんな中でも、二人の男の子は違っていた

クラスの子よりも少しだけ、ゆっくり時間の流れる子がいる



その子たちは、担任を変な色眼鏡で見ない

担任を馬鹿にするようなことを言わない、しない

担任は、その子たちにはとても優しいのだという



これが、「答え」なんだと思う



強く投げたボールが、強く自分に跳ね返ってくるように

「嫌い」と思ってボールを投げれば

当然のことながら、「嫌い」のボールが返ってくる



もしもこれが、先生でなく、例えば転校生だったとしたら?

登校一日目から、「キモイ」と言われた子供は

「イジメられた」と訴えてくるだろう



先生だって、生身の人間だもの

特に何もした覚えもないのに、児童から、親から

キモイキモイと嫌われてしまっては、心が折れる



心が折れてしまった時、担任は誰かに相談できただろうか



子供たちの話では、どうやら仲の良い先生は一人しかいないという



親が見た時には、担任から話しかけられたほかの学年の先生が

全く目を合わせずに、横を向いてしまっていた、という



クラスの異変は、きっと学校でも気付いていたんじゃないかと思う

校長も、副校長も、同僚の先生たちも

知らなかったはずはない



もちろん、担任が児童に向かって

「死ね、馬鹿」と言うことは、どんな状況でも

絶対に言ってはならない言葉だと思う

それは大前提だ



昔々の先生たちは、もっと明るく嫌味なく

もっと愛情をこめて、「馬鹿もん!」と言ってくれたけれど



ぶつぶつと、小さな声でいう「死ね」は

その声が聞こえてしまった子供たちの心に

大きなショックを与えてしまった



その心の傷は一生消すことはできないし

担任は、もう二度と、そんな言葉を口にするべきではない



だけど

だけど、こうなってしまったのは理由があった



先生を馬鹿にする子供たち

それをとがめない親たち



居眠りしている子がいれば

周りの子供たちが起こしてやればよかった

うるさい子には、みんなで注意してやればよかった

「死ね」と言った先生に向かって

「そういう言葉は、言っちゃダメだ!」って

勇気を持って言える子供がいなかった・・・



なぜなら

親が、陰でこそこそ悪口を言ってばかりで

誰ひとりとして、担任と直接向き合おうとしなかったから



そんな苦しい状況を、打ち明けられなかった担任も

何となく気付いていながら、声を掛けなかった学校側も

ここに関わる全ての人間が

この問題の、原因になっていたのだと思う






























全ての物事には、必ず理由がある



その理由を考えずに

担任がキモイ

「死ね」って言った

子供が傷ついた

そこだけを拾い上げ

「今すぐに担任を替えてくれ」

そう訴えるのは、いかがなものか



もしも担任が変わったとして

次に、「このクラスの担任になりたい」

そう言って手を挙げてくれる先生が

どこにいると思う?



今回の件は

誰もが反省しなければいけない



子供たちは、指導者への感謝を忘れてはならないし


親は、子供に感謝の気持ちを持つことを教えなければならない


教師は、人にものを教える立場を忘れてはならないし


学校は、いち教育者として上下の関係なく、互いにサポートし合うべきだし


これら全ての立場の人が、話し合いの場を持つ環境を


みんなで整えて行かねば


これからも、きっと同じことが繰り返されると思う



私の言うことは、きっと「キレイごと」だと思う

「理想論」だとも思う

誰が聞いても、無理、と思うだろうし

時間の無駄、と言われてしまうかもしれない

実際に、とても難しいことと思う



でも

私は日ごろ子供に話していることがある



「できる出来ないは関係ない

やってみる前から諦めちゃダメなんだ」



無理、無駄、そう言って

手っ取り早い方法を選択することは簡単だ



でも

理想を掲げ、そこに向かって一生懸命に努力しない大人が

子供に何を教えてあげることができるだろう?






























子供と、いろんな話をした

ママもいけなかったね、先生をキモイって言ってたこと

悪いと思うし、もう言わないよ



このまま先生が辞めちゃったら、どう思う?



子供は、しばらく考えて

「何となく、嫌だと思う」



先週、担任の出張の日に

副校長が子供たちにアンケートを取った



今、学校は楽しいですか?

最近、学校で何か気になることはありましたか?



担任から直接言われた子

それを実際に聞いていた子

友達からその話を聞いた子

校長に通報しに行った子



数人が、一人ずつ校長室に呼ばれ

詳しく話を聞かれたそうで



子供は、自分がみんなから聞いたことと

自分が実際に聞いてしまったことを話し

それから、先生をキモイって思っていたこと

自分がキモイって思っていたから、先生は辛かったかもしれない

先生には悪いことをしちゃったと思う



そう話したところ

話しを聞いていた教師は

「先生に悪いなって思ってくれたこと、嬉しいよ」

そう言ってくれたそうだ



これが、私の考えの押し付けでなく

子供が自分で考えたことなら、とても嬉しいと思う



先生によく見られたい、そんなよこしまな考えでなく

ちょっと自分も言い過ぎた、そう反省してるのなら嬉しい



人の考え方は、それぞれだ



だから、クラスの子供、その保護者みんなに

自分の意見を解ってもらおうなんて、思わない



でも、せめて自分の子供には

親だって間違っていたと気付いたその時は

ちゃんと反省しなくちゃいけないし

反省したら、そこからやり直さなくちゃいけない

そういうこと、教えたいと思う



自分の非を認めるのは、苦痛を伴う

なかなか素直に「悪かった」とは言えない

でも、未来ある子供の前では

大人のつまらない事情や意地を捨てて

裸の心で向き合いたいと思う































アンケートの後、あるクラスメートが言ったこと

「つまり、先生のことは放っておけばいいんでしょ」



それに対して、子供は

「違うよ!」



このことで、子供とクラスメートの関係が

どうなっていくかは、今はまだわからない



正直、私は怖い



その昔、自分勝手なルールをクラスに強要したヤンキーグループに

真っ向から正論でぶつかっていった結果

クラス中から無視された経験がある



私や子供の意見が正しくて

みんなの意見が間違っている、そうは思っていはいない

人それぞれ、考え方は違うから



でも、群衆の心理は怖い



勇気をもって言った「違うよ!」の一言が

はたしてクラスに受け入れられるだろうか

それとも、気にも留められないだろうか

はたまた、クラスから追い出されてしまうだろうか・・・



子供には、こう言ってある



ママがクラス中から無視された時もね

それでも、ママを心配して声をかけてくれた子が二人いたんだ

今でも、その子たちの名前は忘れない



最初は独りぼっちになったとしても

必ず、あなたが言っていることを解ってくれる人がでてくる



だから、もしもみんなとこの話をするようなことがあったら

自分の思っていること、一生懸命に話してみて



でも、みんなにはみんなの意見があるから

自分と反対のことを言ってる人がいても

それを間違ってると言ってはいけないよ



「自分は、こう思うんだ」



みんなには、賛成か反対かなんて聞かなくていい

それはみんなの自由だからね



もしも、自分と同じ意見の人がいたら

ありがとう、そう言えばいいと思うよ



子供には、ちょっと難しい話だろうか?



もう五年生、まだ五年生

少し大人っぽくなってきた子供

子供の心を信じようと思う



自分の思っていることを

学校や保護者に言えない自分が情けない



頭の中は、今でもグルグルと考えが廻る

言った方がいいのか、言わない方がいいのか



子供のこと、自分のこと、それから、小さな兄弟たちのこと

グルグル考えは廻るけれども

やっぱり言い出せない



でも、ひとつだけ決めたこと



自分と子供だけでもいい

担任に偏見を持つのは、もうやめよう

それだけ

それだけを、貫こう



誰にだって、心がある

言葉にしなくても、心を持って接すれば

相手には、きっと伝わると信じてる





























Posted at 2013/07/01 04:31:46 | コドモ絵日記 | 日記
2013年06月20日 イイね!

龍安寺の歌。

龍安寺の歌。京都のお寺 龍安寺

石のお庭を 眺めれば

小さく 広く 静まって

置かれた石の数 十五



吾れ 唯だ 足ることを 知る

知足の蹲踞の四字

水を湛えて



京都 右京区 龍安寺

池の南に来てみれば

水分石(みくまりいし)が向き合って

お池の水の嵩を見る






























恥ずかしながら、「龍安寺」を心に留めたのは

ここ最近のこと

NHKのテレビプログラム、「2355」に紹介される

龍安寺の歌、それがきっかけだ





龍安寺の石庭には、石が15個ほど置かれており

しかしながら

どの角度から見ても15個すべてを見ることはできず

必ず、一度に14個しか数えられないとのこと





これは、一度にすべてを見ることができなくても

それを不満に思うことなく

満足する心を持つように

との戒めだとか






























その庭の片隅に置かれた、「知足の蹲踞」

この、「ちそくのつくばい」に書かれた四つの文字









われ、ただ、たるを、しる

と読み、そのまま訳すれば

私は、満足することを、知っている

これは

満足を知る者は、貧しくとも心豊かであり

不満を言う者は、富んでも心貧しい

と、禅の精神を唱えたものだそうで

つまり

自己の本分に安んじて、貪りを捨てなさい
































我が生涯に一片の悔い無し

そう、堂々といえる人というのは、きっと

知足の人なんだと思う





一度きりの人生、限りある時間の中で

そうそう自分の思うすべてを

手に入れたり

やってのけることは難しい





数ある欲望のなかから、自分が本当に欲するもの

心から望むことを見付け

そこに向かって努力し

結果、得たものに対して満足を覚える

それには、まず

自分、というもの

身の丈を知ることが大切なのだろう





なかなかに難しいことと思うけれども

我が生涯に一片の悔い無し

そう最期を迎えられる人と言うのは

なにもかも、手当たり次第に貪ることをしないのだろう






























もっと!もっと!もっと・・・・・!!

その思いが、自分を締め付ける





上を向いても、下を向いても、きりはなく

ただただ

前を向いて歩くのみ





時折うしろを振り返っては

また、歩く






























「身の丈にあった車弄り」

そんな題材のブログを読んだとき

なぜだか、ふふふ、と口元が緩んでしまう

そのわけを

龍安寺の歌、に見付けた思いだ





若かりし頃、がむしゃらに

突き詰めようとした思い



盲滅法(めくらめっぽう)手当たり次第

挑んではくじけ、くじけては

また挑んだ、あのころの

面影を今も残しながら



少しずつ、少しずつ

あるがままの自分に気付くとき

その人の姿は

輝くのだと思う






























たとえどんなに地味な人生だとしても

どんなにか、苦しい今でも

見失わない

なにかひとつでも、夢中になれること

大切と思う人が、たとえ一人だとしても

思い貫くこと






























満足、とは、「諦めること」ではなく

今、を

大切に生きる、ということと思う













































ほどほどで我慢することと

ほどほどで満足することとは

似ているようでいて

全く違うものと思う





ほどほど、の線引きも

身の丈の量り方も、ひとそれぞれで

上限を決める意味ではなく





自分の決めた「ほどほど」、と思ったところまで

やりぬくこと

貫くことで

満足を得るのだと思う





我が生涯に一片の悔い無し


それは

人より多くを望み

人より上を見上げ

人をかき分けかき分け

我を見失うことではなく


ひたすら、「自分」との闘いではないか


自分の決めた「自分」であること

そこにたどり着いたとき

悔い、はないのかもしれない





























Posted at 2013/06/20 03:11:07 | トラックバック(0) | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2013年06月08日 イイね!

この世に生きるのはつかの間だけど。

この世に生きるのはつかの間だけど。生涯ナンバーワンの映画と言えば?

との問いに

自分の母国でもあるスウェーデンの映画で

「喜びを歌にのせて」

これが一番だと、LiLiCoは答える





























さびれた村の、冴えないコーラス隊が

歌に出会い

胸に希望を

心に夢を

両の手に勇気と自信とを

困難を乗り越え、前向きに人生を進む

そんな映画だそうで

ぜひ私も見てみようと





























映画の中に登場する

ガブリエラ

彼女の歌に、心ほどけていく


夫からのDVに怯え

人生を耐え

自分を無くしていく毎日から

彼女は何を望み

何を掴んだのだろう































As It Is In Heaven 歓びを歌にのせて





私の人生は今こそ私のもの


この世に生きるのはつかの間だけど


希望にすがってここまで歩んできた





私に欠けていたもの、そして得たもの


でも それが私の選んだ道





言葉を超えたものを信じ続けて


ほんの少しだけそれを垣間見た





天国は見つからなかったけど


生きている歓びを心から感じたい





私に残されたこれからの日々を思うままに生きよう





生きている歓びを心から感じたい


私はそれに価すると誇れる人間だから





自分を見失ったことはない


今までそれは胸の奥で眠ってた





チャンスに恵まれない人生だったけど


生きたいという意思が私を支えてくれた





今の私が望むのは日々の幸せ





本当の自分に立ち戻って


何にも負けず強くそして自由に


夜の暗闇から光が生まれるように





ここまでたどり着いた私


私の人生は私だけのもの





探し求めていたまぼろしの天国


それは近くにある、どこか近くに





私はこう感じたい 「私は自分の人生を生きた!」と





























心に受けた傷は消えないかもしれない


けれど、下手な化粧でそれを誤魔化し

消したつもりになるよりは


人に指さされようとも

人になんと言われようとも

ありのままの自分で


小さな一歩からでも

前に進みたい






























そんな自分を、自分自身で

認められる時が来たら

きっと、誰かも

素顔の自分を好きと言ってくれるだろう



悪いところも含めて、あなたが

素のあなたが好きだ、と



なぜなら、過去は

あなたが歩いてきた歴史、だから


過去を、自分を悔やむくらいなら

そのエネルギーを前に向けて

ひたすらに歩いていくしかないのだと思う






























ふと立ち止まってみれば

いつでも

手を差し伸べてくれる人がいるはず



涙で曇った瞳をぬぐって

前を見て

気付かないふりはしちゃいけない






























心の奥で震える、小さな自分を


自由にして・・・


あなたは決して悪くないんだと





























優しさは、弱さ



優しさは、強さ



ひとつの体に、ふたつの心



人の心は、ふたつでひとつ



裏も表も、ふたつでひとつ



だから、間違ってなんか、いないんだよ




肉体が滅びて、死を迎え



そこからの時間は、遥か永く



この世に生きるのはつかの間だけど



自分が、自分であるように



今を、生きたい
























Posted at 2013/06/08 11:58:04 | トラックバック(0) | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2013年05月30日 イイね!

明日の自分へ、今日のあなたへ。

明日の自分へ、今日のあなたへ。4月下旬から5月いっぱい、昨日まで

とんでもなく忙しかったぁ


ブログも二つしか書けなくて

撮った写真は手つかずで


いっそ、この世から消えちゃいたい!

なんて思ったりもして・・・































ばあちゃんの入退院に始まって

連休には田植えがあって

掛け持ちの役員の仕事に

年度初めの集まりと会議

子供達の授業参観に親子遠足

おまけに家族が一人ずつ体調を崩したと思ったら

回復と同時に子供たちは予防接種の嵐

ついでに幼児健診が待っていて





冗談か!!と突っ込みたくなるくらい

次から次へとカレンダーが埋まっていって

でも、一つもさぼることなく予定をこなしていった

め、珍しく頑張ったぞ、私





他所の人から見れば、どれもみんな

大したことのない用件かも、だけど

自分にしてみれば、どれもこれも

「今夜が山だ!」的案件で

「なんで自分だけが大変?」と

ついつい悪いクセ

悪い考え方になっちゃったり





落ち込んだり凹んだり下を向いたりと

イライラな毎日が続いていたのだけれども





そんな中にも

やっぱりイイコトってのはあるもんで

子供たちの成長ぶりを見ることができたり

ママ友達のありがたさに感謝したり






























ネットの上の友達に助けられたり

救われたり

レビンマンの存在が温かだったり






























毎日が大変だった分、そのどれもがすべて

漢方薬みたいに、即効性はなくても

足元からぽかぽかしてくるように

じんわりじんわりと心に沁みてきて





今度は自分が誰かのチカラになる番!

と思ってみるものの

私に何ができるんだろう?





アレコレ考えを巡らせてみるけれども

そんなに力まずとも

ふつう通りでいることが一番かな、と






























そんな昨日のこと

三歳児健診を無事に終えて

スーパーによってウチに帰り

ホッと一安心したせいか、偏頭痛でダウンしちゃって

子供達を放ってリビングでぐったりな夕方





仕事帰りのレビンマンから

「コンビニケーキでもいい?」とメール





そういや誕生日だった

みん友さんやリアル友達からも

日付が変わったころから

メールやメッセージをもらっていたのに

お返事するどころか

誕生日そのものを忘れてたっていう・・・





慌てて、「晩ご飯をこれから作る」と

お詫びのメールを書いて

「コンビニプリンが食べたい」と

わがままも添えて返信

ほどなくして、私の手元に6個のプリンが届きました





有名店の、どんな高価なプリンより

めっちゃンマかった!






























でね

去年の誕生日に

「女40歳の一人旅」宣言をしたのだけれども

結局のところ、どこにも行けず仕舞いで

とうとう41歳になっちゃいました





心に決めた、「行きたいところ」には行けなかったし

一人旅どころか

ろくろくサーキットに出向くことも無くて

オフ会どころか

誰かに会うことさえままならなかった





自分の努力が足りなかった結果

と言えばそれまでだけど

やっぱりどうしても

小さい子供を置いて・・・

というのは、私には出来なかった





何より

だいぶ短くなってしまった命のろうそくの灯から

一瞬たりとも目を離せない・・・

目を離したくない人がいたから






























そんなこんなで迎えた41歳ですが

40歳の終わりに、実は

すてきな贈り物をいただいていました






























きっと私の誕生日が今月だったなんて

何も知らずに送ってくれただろうけれども

その贈り物には

「チャンス」が添えられて届きました





40の最後に贈られたチャンスを掴んで

60の未来に向けて、一歩ずつ

これからの20年を大切に生きたい






























いろいろある


生きていれば、いろいろあるんだ





もうダメだと思うことも


消えてなくなりたいと思うことも


生きていればこそ、いろいろ





悲しみも、憎しみも、嫉妬も、妬みも


自分が悪い人間と思うこともある





でもそれは、自分の裏側じゃないんだ


いいところばかりが、自分の表側じゃない





いろんな自分がいて、いろんな部分があって


そのどれもが自分を作る部品であって


一個たりとも、欠けちゃいけない





どの側面から見ても、自分は自分


悪い自分も、ダメな自分も否定しない





そんな部分を含めて


誰かが自分を友達だと言ってくれる


自分を家族と言ってくれる人がいる






























裏も表もないんだよ、と


ひとことだけ、伝えたい





大丈夫だよ、と


伝えたい





明日の自分へ


今日のあなたへ






























フィアットの向こうは

水色のK11マーチ





このさびれた町工場には

いろんなクルマが集まってくる

人とクルマと、いろんな思いを乗せて





この鉄の塊

その価値は、誰が勝手に決めるものでもなく

今日まで走ってきた時間そのものが

歴史になり、価値になるのだと思う





一台のクルマを囲んで、みんなで笑えるってことが

そのクルマに与えられた価値なんじゃないかなぁ

って、思うんだ





もしも自分が

とても価値のない人間に感じたときには

自分の愛車の声を聞いたらいいと思う





あなたの鉄の塊は、嘘はつかないだろう

精一杯の声を振り絞り

精一杯にココロを震わせて

あなたの気持ちに応えようとすると思うんだ
























Posted at 2013/05/30 16:41:04 | トラックバック(0) | アタシ絵日記 | 日記
2013年05月23日 イイね!

小さな財産。

小さな財産。レビンマンの実家

ここの田んぼを手伝って

「農家の人」になってもいいかな

と思ったのには

ちょっとした理由があって





手元に届いた、自分の名前の載った

地域の役員名簿を見た時に

自分の知らないところで、自分も、自分の子供たちも

多くの役員さんにお世話になっていることを知って



その役員の多くが、古くからの農家や自営の方々





ごく普通のサラリーマン家庭から比べれば

農家や自営のお宅の方が

時間の都合がつけやすいだろう



だから私も農家の仕事をしていれば

今後も何らかの係を依頼されるだろうし

引き受ければ地域のお役にも立てるかもしれない



そこに住む皆が、順番に

係りを持ちまわるのが本当かもしれないが

それぞれの家庭に事情や都合もあることだし

なるべくなら、引き受けられる家から率先して係を



そんな風に思い、「農家の人」という選択肢も

頭の片隅で考え始めた矢先のこと






























私の受け持つ子供会の

あるご家庭からメールをいただいた



自分たちは共働きで、勤務地も遠いし

祖父母も離れている


普段の放課後、子供は「学童保育」に預けてある


子供会の決まりに、集団下校の旗当番というのがあるが

自分の子供が集団下校に参加しないのに

親が仕事を休んでまで当番を引き受けるのは

義務なのか?





ごもっともなご意見であって

誰もがそう思うだろう

自分の子供の事だけを考えれば





ここ最近の学校事情、防犯上の理由から

子供一人での登下校は認められておらず

集団登校、集団下校が基本で

それができなければ、親が送り迎えをする決まり



つまり

登校班に参加しているということは

皆が自分の子供と一緒に登校してくれるおかげで

私たち親は、忙しい朝にわざわざ

子供を学校まで送らなくて済む、ということ





























その登校班の子供たちに

「ありがとう」の気持ちをもって

それぞれの親が交代で、皆と一緒に下校しながら

危険個所の確認や、不審者情報を交換する



それが、集団下校の旗当番なんですよ、と

「自分の子供が集団下校しないのに」

という考え方ではなく

持ちつ持たれつ、互いに支え合っての子育て

そう思ってもらえると有難いです



そうお話ししてみたけれども

のこり少ない有給を、このために使うのは痛手だ、と

残念ながら、賛同してはいただけないようで





「ウチの子と一緒に登校してくれてありがとう」

私も初めは、そういう意味とは知らずにいて

面倒だし、防犯の効果なんて

たいしてないだろうと思っていたけれど

真意を知って、無駄に見えることにも

ちゃんと意味があるもんだ、と



物事の価値観、考え方は人それぞれだし

自分と違うからと言って

否定はしない



ただ、同じ地域に住まい

同じ会に席を置くならば

少しずつでもお互いに

歩み寄る気持ちや努力は

あるといいなぁ、って思う






























ちょっと前のこと

子供の喧嘩が発端で、子供会を抜けたお宅があって

それ以来その子は、卒業までの毎日

親が送り迎えする車に乗り

子供会にちなんだイベントは一切不参加



小学校を卒業し、中学に入って

よその地域の生徒と机を並べるようになるまで

友達と遊ぶ機会もなかったそうで



もしも親同士が歩み寄れば

そんなことは避けられたかもしれない

その子たちの仲直りの機会は

もう二度とないかもしれない






























親が送り迎えする車の中

学校までの道のり



その子の目に、窓の外を流れる景色は

どう映ったのだろう



学年が上がるたび、少しずつ重くなる

ランドセル



移り変わる季節、風の匂い

肌を焦がす太陽、道草の帰り道



そんなものを、感じることができただろうか



生きていく上では、無駄にも思える

そんな子供の時間



「子供でいられる時間」を

親の都合や泣き言で

奪っていいのかな






























ふと、そんな過ぎた話を思い出し

「引き受けられる家から率先して係を」

そうは言ってみたけれども



年に一度や二度の、ささやかな奉仕

出来る、できない、の

都合や事情の二択で割り切らず

もう少し、お子さんの目線で考えてもらえると

私も嬉しいな、なんて思ったり






























年度初めから、そんな愚痴を言ってますが

こんな小さな苦労?だけれども

そのひとつひとつが、私の財産



自分の子供たちが、この小さな財産を

私の背中を見ながら

いつか受け取ってくれたら、と思う



子供に小さな財産を遺すこと

それが私の子育て、だ





お年寄りと子供には、「次」はないんだよ

だから、「今」やってあげるんだよ


というあの人の言葉を思い出す


血は繋がっていないけれども

やっぱり私は

あの人の子供なんだ、と思う



あの人の背中を見ながら

育ってきたんだ、って思うんだな






























「ありがとう」

そういうと、決まってあの人は言う


「その、ありがとう、は

あなたの子供たちに言って」


自分が親からもらった「ありがとう」は

自分の子に返すんだよ、と






























遅咲きの八重桜の下

笑顔がよっつ並んで咲いた



今年の4月13日、春爛漫の日のお話しです



















Posted at 2013/05/23 01:41:54 | トラックバック(0) | ヒトリゴト絵日記 | 日記

プロフィール

「@ゼフィルス14 さん、応援ありがとうございます(*´∀`)♪ ゼフィルス14さんも、お仕事の行き帰り、どうぞお気をつけて\(^-^)/」
何シテル?   01/25 08:15
・   「日々反省堂」 というお店に勤務しておりますが 本人未だかつて、反省の色なし・・・ いくつもの過ちを繰り返し 繰り返し ...
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心のままに -秋桜とともに- 
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2016/11/10 11:28:43
想い… 
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2016/02/07 05:59:51
考える、、、 
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2014/07/15 21:52:45

愛車一覧

ホンダ トゥデイ トゥデイ・タイプR (ホンダ トゥデイ)
オヤジの心をくすぐった一台(´∀`*)ウフフ
トヨタ ウィッシュ トヨタ ウィッシュ
子ども3人ともなると、少々手狭・・・でも!可愛い相棒なので手放せません
日産 ラシーン 日産 ラシーン
まったく同じグレードの、まったく同じ色のラシーンを2台乗り継ぎました。 初代ラシーンは新 ...
三菱 ランサーエボリューション 三菱 ランサーエボリューション
旦那様の愛車でした。 15万キロ走った頼もしいヤツ(*´∇`*) 旦那様はいまだにエボが ...

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