
小学校6年生の時
学校でただ一人、表彰されたことがある
全学年の児童の前で、体育館のステージにあげられ
みんなから拍手をもらった
「模範児童賞」
母子家庭、または父子家庭の子どもに贈られる
「良い子」の証し
市役所にもよばれ、同じ境遇の子どもたちと
市役所の庭の一角で
市長と一緒に写真にも納まった
それが母の自慢で
未だに実家の壁にはその賞状が飾られている
今にして思えば、母にとってそれは
「母子家庭である」ことへの後ろめたさを払拭してくれた
かけがえのない賞状なのだろう
母一人子一人で頑張ってきたことが
世間に認められた「模範児童賞」は
母にとって、自分を正当化する唯一の証拠であり
母の心の支えだったのかもしれない
私は常に良い子だった
母の気を引くには、グレるよりも
良い子でいる方が簡単だったように思う
模範児童だった小学生時代
手を掛けることのなかった中学時代
学校推薦で早々に大学を決めた高校時代
「今時は女の子でも大学くらい出ていないと就職できない」
そう言われるがままに通った大学をすんなり卒業し
バブルの弾けた就職難の時代でも
母のつてで地元の会社へと、就職もあっさり決まった
ここまで順調に人生を進めてこられたのは
「育ての母」である、伯母の力も大きい
私を産んで早々に離婚をした母は
離婚後に知り合った、妻子持ちの彼氏に夢中だった
彼氏のためなら水商売で疲れた体を起こし
何時でも食事を作り、お風呂を沸かすけれど
私が泣いたところで、寝床から起きてくることは無かった
そんな私が不憫で不憫で
伯母は私の住むアパートの隣に部屋を借り
母に代って私の世話をしてくれた
伯母のおかげで、毎日手作りの食事にありつけたし
小遣いに困ることもなかった
私は、伯母のあたたかい手に守られながら
転ぶことひとつない子供時代を送った
私に、「挫折」という経験がなかったことは
傍から見れば、きっと幸せな話だろう
伯母に守られ、幸せだったはずなのに
それにもかかわらず、心のどこかでは
常に母のぬくもりを追いかけていたのだと思う
就職し、年頃になる私に
母は毎日のように同じことを言った
「うちは母子家庭だから、お前が婿をもらって
このうちを継ぐんだよ」
そういう母の言葉を守るため
お婿さんになることを条件に付き合った彼とは
結婚の直前に、私から逃げ出してしまった
それが、私の初めての
目に見える母への反抗だったと思う
母の言いつけを守れなかったことは後ろめたかった
その代り、嫁には行ったけれども
あたたかく、幸せな家庭を築くことで
良い子の私で居続けようとした
良い子の私でいること
それはすなわち、「良い母になること」
無意識のうちに思い始めたそれは
母に認められたい思いが半分と
自分の子どもには、辛かったあの頃の
自分と同じ思いはさせたくないという思いが半分で
でも
どこをどう間違ってしまったのか
自分の子どもを、「良い子」に育てたい
良い母とは、良い子を育てるものである
良い子が育てば、母に喜んでもらえる・・・
その思いがいつの間にか
我が子に負担を強いることとなった
私自身、幼少期は辛かった
ファミレスで食事をしているときも
他のお客さんの前で
「ひじをつくな!」と怒鳴られたり
生活の全て、逐一チェックされ
細かなところまで指摘されてきた
私も、それが「躾」なのだろうと思ったし
私がダメだから怒られるのだろうと思ったし
大切に思われているからこそ、怒られるのだと思ってきた
きっと、母に聞いてもそう答えが返ってくると思う
母になった私は、娘が1歳になったころから
脱いだ靴は自分でそろえること
朝昼晩のあいさつと、ありがとうと、ごめんなさい
食事のマナー、おもちゃの整理整頓
ことごとくダメ出しをしては、怒ってきた
お友だちの家でも同じ様に怒っては
まわりを引かせたこともあった
それでも、自分は正しいことをしていると
一生懸命に言いつけを守る娘をみながら
自分自身を肯定してきた
「お利口さん」な娘は、どの先生にも気に入られた
幼稚園、小学校と進級していき
娘が高学年になるにつれ
今度は勉強を強いるようになった
通信教育のテストの提出日が近づくと
私のイライラはひどくなり
娘は泣きながらテキストを埋めていった
それでも通信教育を辞めたいと言わないのは
単にあの子はそれが好きなのだと
心配する周りの人たちに言ってきたけれども
本心は、「ママに褒められたい」ためだということは
気付いていても、気付かぬふりをしてきた
1年前、ブログを自粛して子育てに専念する
そう決めて、「書くこと」を封印した
自分の好きなことを犠牲にしてまで
子どものために頑張る自分
それが良き母だと思い込んでいた
私が頑張っているのだから
あなたも頑張るのが当然
そんな理不尽な道理を、当たり前と思っていた
中学受験は失敗だったけれども
地元の中学校に入って
最初の定期テストでは6位だった
でも、次のテストは11位
その次は12位
次第に落ちていく順位に
私は、さぞ恐ろしい顔をしていたのだと思う
娘に厳しくする一方で
だんだんと自分も息苦しくなってきた
良き母になるためには
自分自身も厳しく律しなければいけない
午前中に最低限の家事をこなし
夕方には下の子どもたちを迎えに行くから
昼過ぎまでには家の中を片づけて
夕ご飯は何時までに作り
その合間に塾の送り迎え
子どもが3人もいるとなると
送り迎えだけでも1日塾を3往復したり
幼稚園、小学校、中学校、それぞれの
季節ごとの行事や部活の集まり、委員会活動
専業主婦だから、という理由で
断りきれない学校の役員に、町の役員
そんなキャパシティもないくせに
でも、私は良き母だから、と引き受けて
なんとかここまでこなしてきた
そんな生活に限界を感じ始めたころ
友だちに誘われて、ママさんバレーを始めることになった
いい気分転換にもなるし
ちょっと子育てから視線を外すのも必要かも、と
未経験者でも快く受け入れてくれ
いちからバレーを教えてもらううち
メンバーとも楽しく話ができるようになり
日々の忙しさ、ストレスから逃れる時間が出来た
やっと心に少しの余裕ができ
娘に対しても、ただ単に「勉強しろ」というだけでなく
ママも一緒に頑張るから、と
娘が勉強している間は
私も家事をして娘が終わるのを待っていたり
学校に提出する自主学習の誤字をチェックしたり
自分では、娘に寄り添っているつもりでいた
たまたま学校の駐車場で会った担任に
お母さんのおかげで、提出物もきちんと出されています
ありがとうございます、と言われ
やっぱり私は正しいんだ、と思ったりもした
そして、11月の上旬
2学期の中間テストがあった
娘が決めた目標は、5教科で450点
今にして思えば、私を喜ばせるための目標なのに
「娘が自分で決めた目標」と言わせていた
結果、460点を超え、学年2位
国語と英語は学年1位だった
塾の先生と私と、娘の前で大喜びした
でも
成績が発表される前日
娘は、学校の美術の時間に
カッターで自分の手首を切った
そのことを、私は昨日まで知らずにいた
傷は浅く、血はティッシュでふけば止まる程度で
その時は誰にも気づかれず
週末の学習発表会では、みんなの前で堂々と
食にまつわる研究の発表をしていた
娘の傷に気付いたのは家庭科の先生で
調理実習で洗い物をする際
手首に赤い傷跡を見つけたのだという
娘に話を聞いたところ
実は、5月か6月くらいから始まって
もう何度もやっていたという
娘の左腕には、24本もの跡があった
なぜ気付かなかった?
自分自身に聞いてもわからない
私は、娘の何をも見ていなかった
昨日の夕方、学校から連絡を受け
担任と学年主任がうちに来てくれ
娘の代わりに彼女の気持ちを話してくれた
お母さんの期待に応えたい
でも、お母さんに怒られるのが怖かった
そう言っていました
手首を切ったことも
お母さんに心配をかけたくないし怒られたくないから
お母さんには知られたくない
そう言われたけれども
これは大切なことだから
先生からお母さんに話をしてもいい?と聞いて
分かりました、と返事をしてくれました
この日はちょうど塾の日で
学校から直接塾に行ったとのこと
きっと、いまごろドキドキしているはずですよ
そう先生に言われ、娘の心を思う
実は、いつかこうなるのではないか
私も、父親も、祖父母もみんな
口には出さずに、そう思っていた
少し前に、コンビニに行った娘の買い物袋から
新品のカッターが見えていた
あれは、娘からのサインだったのかもしれない
わかっていたのなら、なぜ私自身を止めなかった?
家族の誰もが止められなかった?
「幼少期の不憫だった私」が、必死で良き母になろうとして
人より厳しく、誰より厳しく娘を怒ってしまうのも仕方ない
という、ゆがんだ身内の思いがある
それゆえ、身内だけでは解決できないこともある
身内の言葉には何も感じなくても
赤の他人の学年主任の言葉は、強烈に耳に残った
お母さん、「この高校に行ったら人生は幸せになる」
そんな高校なんてないんですよ
どこの高校だろうと、お子さんが選んだ学校なら
それでいいんですよ
自分で選んだ学校に入りたいと思えば
本人が自分で努力します
お母さんが手を出さなくたって、この子には
自分でやるだけの力があります
だから、お子さんを潰さないでください
お子さんを信じてあげてください
そんなこと、わかってる!
そう言いたかったけれども
何もわかっていないのは、この私だった
娘がこうなることは、なんとなくわかっていました
その原因が私であることも気付いていました
私が変われば、娘も救われますよね
変わらなくてはいけないと思いつつ
今日まで来てしまいましたが
私が変わります
お母さんがそう言ってくれるなら、よかった
お子さんが帰って来たら、ぎゅっと抱きしめてください
必要であれば、学校にスクールカウンセラーもいますよ
そう言われて、娘はカウンセリングが必要でしょうか?
と聞き返した私の顔を、学年主任がまじまじと見た
お母さんが変われば、お子さんも変わります
お子さんは大丈夫ですが
むしろ、お母さんがカウンセリングを受けてください
私が?
前に見かけた本のタイトルを思い出した
「母という病」
幼少期の辛い経験、母の呪縛から逃れられない自分
自分がされたことを我が子にやってしまう・・・
負の連鎖
やっぱり
認めたくなかったけれども
私も
母という病に苦しむ一人だったのかもしれない
塾から帰宅した娘は、真っ先に
先生から何か言われた?と聞いてきた
何もないよ、と笑った私を見て
娘が泣きながら私に飛びついてきた
ごめんね、ママが変わるからね
約束する、ママが変わるからね
もう安心してね
うんうん、とうなずく娘の身長が
いつの間にか私を抜かしていた
何年ぶりに娘を抱きしめただろう
そんなことにも気付かなかったなんて
娘の左腕は、24本の線でぼこぼこになっていた
クラスの半分くらいの子には、バレているそうで
仲の良い友達に、カッターを取り上げられたこと
それを、娘の好きな男の子が預かっていてくれること
美術室のカッターを持ったら、衝動が抑えられなかったこと
死のうとは思わないけれども
自分は悪い子だから、傷付けなきゃ、と思ったこと
娘の口から聞く言葉は、何よりも辛かった
実は私も、母親への反発から
二度ほど衝動的に死のうとうしたことがある
私が死ねば、母親は遠慮なく彼氏の元へ行ける
安全ピンやコンパスの針で腕を傷付け
流れる血を見ていたこともある
不思議と痛みは感じなかった
私の母は、彼女が生後1週間の時に
彼女を産んだ母親に風呂場で殺されかけた
父親がおらず、子どもを育てることが出来なかったからだ
伯母は、世田谷の実家から奉公に出されたが
必ず迎えに来るよ、と親に言われ、待ち続け
今でもその言葉の呪縛に取りつかれている
そんな母親に厳しくされてきたことも
必要以上に私を守ろうとしてくれた伯母の気持ちも
母という病が原因なのかもしれない
こんな負の連鎖は、ここで止めたい
苦しくて苦しくて
とっさに電話をかけた
事情を話し、私は変わる、と言ったら
今のままじゃ変われない
私がプライドを捨てて裸にならない限り
同じことを繰り返すと思うよ、と返された
母の呪縛から逃れられない弱い自分を隠すために
良き母を演じようと必死で
娘を傷付けても、何かしら言い訳をして
自分は正しい
だから、誰の話にも耳を貸さない
ごりごりに凝り固まっていた自分
弱音を吐いたら恥ずかしい、とか
弱い自分は見せられない、とか
ここみんカラでも、虚勢を張ってブログを書いてきた
だから
ハチロックさんは良い人ですね、とか
母親として頑張ってますね、とか
そう言われるたびに
自分で自分の首を絞めつけることになった
本当の自分は
母親のせいでこんな苦しい目にあってるんだ、とか
良い母って言われるたびに、見栄を張っちゃうんだ、とか
自分の心の弱さを人のせいにしかできない
悪態をつく、小さな小さな人間です
でも
もう、いい
弱くたって、ダメだって
それが自分
それでも、一生懸命に生きている
それだけでいい
そんな自分にも
私を受け入れてくれる人がいる
そんな自分を、自分が信じなければ
自分が可哀想じゃない・・・
私の心の本質を
心の奥にあるものを
知ってくれている人がいる
私の「本当」は、写真に表れるのに
言葉にしようとすると、それが表現できない
素直になれない
それが可哀想だ、と
「可哀想」
そう聞いて、思わず涙があふれた
あんたは可哀想だ
そう言われることを、頑なに拒んできたのに
可哀想と言われて、嬉しくて泣けてきた
私は、可哀想と言ってもらいたかった
頑張ってるね、よりも
偉いね、よりも
誰よりも信頼している人に
可哀想、と言われて
やっと、自分を愛せる気がします
自分を愛せない人が
人を愛せるはずがない
自分を大切にできない人が
人を大切にできるはずがない
まずは自分が
幸せになって、それから
娘たちも、伴侶も
母親も、伯母も
娘には
もうママの期待に応えようとしなくていいんだよ、と
だって
私だって、母親の期待に応えられなかったし
応える必要なんてないのだから
子どもの人生は、子どもが主役なのに
はっちゃんは、子どもの人生に主役として入ろうとする
そう言われて笑ってしまった
本当だ
寄り添うつもりが、主役を横取りしようとしていた
「良い人・ハチロック」という期待に応えなくてもいい
そもそも、誰がハチロックに期待をしていたの?
そう思うと、おかしい
誰かの期待に応えなくては
そんな自分自身にかけた呪縛も
おかしい
ひとり相撲の自分がおかしくて、笑えてしまう
母という病に気付き
今までの自分から変わろうとすること
とても大変なことなんだろう
でも、私には、こんな私を愛してくれる娘がいる
それに、いつでも傍にいてくれる人がいる
くじけたって、大丈夫
母親になったからには、大人になったからには
人に甘えてはいけないと思い込んでいたけれども
ときに、甘えてもいいんだと
それが自分を大切にする一つの方法だと
私なりに、たどり着いた
Posted at 2015/11/26 06:28:15 |
ヒトリゴト絵日記 | 日記