
小学校に上がってから五年半
長女と一緒に我慢してきたことがある
これからも我慢するつもりだったし
この我慢にもいずれ終わりが来ると思っていた
でも、今日の長女の顔を見て
自分を抑えていたいろんなモノが吹っ飛んだ
今日こそ・・・
今日こそ、あの子と、その母親に言ってやる
「ウチの娘が何をしたって言うの?」
それは6時間目の途中
担任が席を外したほんのわずかな時間に起きた
長女のペンケースから文房具を取り出したあの子は
長女の首元から背中に手を突っ込み
文房具を肌に押し付け、その部分を叩いたという
突然の出来事と、背中に感じた痛みに驚き
長女は泣き出した
事のてん末を担任に告げると
担任は双方から事情を聞き出し
あの子は長女に謝ったという
いつも、それで話は終わり
たまにはやり返したら?という私の言葉に
「何倍にもなって返ってくるから怖い
それに、やられたら痛いだろうし、可哀想だから」
「可哀想だから」
その言葉を、最初のうちは長女の優しさと思ってきたけれど
もう五年半もこんなことを繰り返すうち
単なる逃げのセリフにしか聞こえなくなっていた
可哀想と言うけれども、このままでは
あの子のためにならないんじゃない?
二人で取っ組み合いのケンカでもしてきなよ
と、レビンマンも呆れ顔をしている
どれどれ、と長女の服をめくりあげ
背中を見た
プールの日焼けがまだ残る、健康そうな背中に
青いペンのインクが二か所、点々とついていて
そのすぐ近くに、小さなひっかき傷が二か所
きっと、シャープペンの先か
プラスチックの定規の角が刺さったのだろう
その傷を見た瞬間
堪忍袋の緒が切れた、気がする
今まで散々嫌がらせはされてきたけれど
傷を負うことは無かった
本当に小さなひっかき傷だけれども
これを許せば、エスカレートするかもしれない
今日こそ、ガツン!と言ってやらねば
先週の修学旅行だって、嫌な思いをしたんだし
このまま同じ中学に上がる前に
なんとか止めさせないと・・・
と、そこに担任から別件で電話をもらった
お願いしてあった書類の件だけ伝えると
そそくさと電話を切ろうとする担任を引きとめて
今日の話を切り出した
「そうそう、そうなんです、すみません
よく話を聞いたのですが、お宅のお子さんは
何も悪くなんです、一切悪くなんです」
あの子は、長女のペンケースの口が空いているのを見て
突発的にイタズラをしてやりたくなったのだという
軽い気持ちで、ふざけ半分だった、と
それだけのことを聞くのに、大分時間はかかりましたが
ちゃんと謝りました、と話す担任に背中の傷を説明し
あの子の母親に連絡してくれるよう頼んだ
ついでにこの五年半の我慢のことも話したけれども
「それについては学校は介入しなくて良いですか?
お母様方の方で話し合ってください
今日は、背中の傷の事だけ連絡します」
・・・イマドキの学校だなぁと思う
昔の先生なら、相手の首根っこを摑まえて
ウチの前まで連れてきただろう
子どもと一緒に先生も頭を下げていっただろう
乱暴だったけれども
愛情に溢れた先生たちを、心から懐かしく思う
ほどなくして、あの子の母親から電話をもらった
最初に長女が電話に出て、しばらく話すと
背中の傷を心配してくれた、と言って私に代った
「このたびは申し訳ありませんでした
傷の具合はいかがですか?
修学旅行で迷惑をかけたものについては、買ってお返しします
本当に申し訳ありませんでした」
その声は、思いのほか真摯に聞こえたと思う
「あの子はお母さんの前ではイイコだから
お母さんはあの子の本当の姿を知らないんだよ
ウチの子に限って、ってお母さんは思っているよ」
そんなウワサを聞いていた私の耳に
母親の声は、必死の謝罪に聞こえた
でも、そんな声にはダマされないぞ、と
この五年半の我慢を、いくつかかいつまんで話した
その都度、担任が話してくれたらよかったのに
ひとつひとつ、きちんと謝ったのに・・・
という母親に、仕返しが怖くて我慢してきたことを伝える
それから、「可哀想だから」という長女の言葉も
「そんな優しい気持ちでいてくれたのにウチの子は・・・」
相当、ショックを受けているようだった
本当に何も知らないんですか?という問いに
申し訳ありません、と繰り返すばかり
あの子は、ウチの長女ばかりを狙うわけでなく
弱そうな子を見つけると、男女関係なく「イタズラ」をする
イタズラを真に受けて、イベント前に熱を出した児童もいれば
給食の時間イヤミを言われ続け、ずっと泣いていた児童もいる
そのたびに、母親は相手方に土下座をしてきたそうだ
「こんなことを言っては、いけないのかもしれませんが・・・実は」
そう切り出した母親の言葉に
ふと思い当ったことがある
きっとあのことに違いない
あれは二年生の夏、暑い教室で
落とした消しゴムを拾おうと、しゃがんだ長女
その長女を馬に見立てて、あの子がまたがった
そのまま、近くの友だちとおしゃべりが始まり
あの子のパンツが頭に乗っかったまま
長女は休み時間が終わるのをじっと待ったという
あの子に腹を立てるよりも、我慢する長女に腹が立った
仕返しが怖い、やり返したら可哀想だから、と
べそをかく長女を連れて担任に相談に行った
「どうしてあの子は、そんなことをするんでしょうか?」
担任は困り顔をしながら
あの子が他の子どもと起こしたトラブルのことで
母親と面談をしたときのことを話してくれた
「この子は、ときどき感情のコントロールが出来なくなるんです」
そうお母様が話しておられました
そういうわけなんです
それ以上、何も動こうとしない担任に呆れ
長女は我慢することを選んだのだった
数年前の、その話を聞いた途端
母親の声がガラッと変わった
「なぜ二年生の時の担任が、あなたにそれを話すんですか
個人的なことを、どうして話してしまうんですか」
母親の語気が荒くなったかと思うと
次の瞬間には、低い声でこう言った
「・・・実は、障害があると診断されていたんです」
突発的に何かに夢中になると、周りが見えなくなる
衝動を抑えられなくなる、というものだそうだ
担任にはそれを伝えてあったが、まさか他人に話すとは、と
母親の声は怒りに震えていた
この症状は、成長するにつれ
次第に落ち着いてくることもあるそうだけど
あの子の場合は、投薬治療が必要な程度だという
でも、副作用を考えると、怖くてできない
皆さんに迷惑をかけてしまうとわかっていても
投薬治療を受けられないでいるという
「この話をするのは、あなたが初めてなんです」
12年間ものあいだ、ずっと一人で抱えてきたのだそうだ
いろいろな話のつじつまが合う気がした
さっき、担任がしきりに強調していた言葉
「あなたの子さんは、何も悪くないんです」
あぁ、そうか、そうなんだ、病気のせいなんだ
「時間はかかりましたが、謝りました」
なんとかして、あの子に自分のやっていることを
しっかりと理解させようとしているんだ
そうとわかれば、もういい
ね、お母さん、もっとラフに話をしてもいい?と話しかけると
「はい」と素直な返事が返ってきた
私の知っている子が、幼稚園時代のトラブルを根に持って
中学に上がったら仕返しをしてやる、と言っているの
でも、できることなら私もそんな場面を見たくはない
今からでも、少しでも、なんとかそうならない方法がないものかと
機会があったらあなたにお話したいと思っていたの
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
何度も繰り返し、打ち明け話にお礼を言ってくれた
あの子の周りのいろんなウワサを聞いているけれど
この仕返しの話は、その本人から長女が実際に聞いてきたことだ
「そのお子さんは、そんな風に思われているようですが
ウチの子も、幼稚園時代にはいろいろありました
上履きに砂を入れられていたり
死ね、消えろ、と言われ続けたり・・・
なので、片方だけの話しを聞いて判断しないでください」
母親の切なる願いに、私の見方も変わっていく
本当なら、事情を話して、クラスのみんなで支えられれば
きっと今までとは違うあの子でいられるだろう
迷惑と思っていた行為も、みんなで受け止められるかもしれない
でも
去年、クラスで起こった出来事について相談したところ
「ウチは関係ないので、巻き込まれたくない」
そんなことを平気で言ってのける保護者のいるクラスだもの
今さら事実を話したところで、誰も味方になんてならないだろう
人の痛みや悲しみや悩みを、自分のものとして感じ
支え合って・・・
それが当たり前でない、そんなクラスで
あの子の母親が誰にも話せなかったという気持ちが
なんとなくわかるような気がした
なかなか言い出せないよね
わかってもらえたら、いいのにね
でも、私は話してもらえたから、わかったから
はい、はい、とうなずく母親の声が
ほんの少しだけ、明るくなったような気がした
「ウチは片親なので、そういう家の子だと思われたくなくて
ずっと厳しくしつけてきたんです
でも、それがいけなかったのかもしれません・・・」
自分を責める母親に
私の中の同じ気持ちを言い当てられたようで
とても耳が痛かった
私も、農家の長男坊の嫁として
当時一人っ子だった長女を
誰よりも立派に育てなければ、と
きつく、厳しく、時には手をあげて叱ったこともあった
そのせいで、長女は「指示待ちっ子」になってしまったのだと
取り返しのつかないことをしたと
今でも深い泥沼の中から這い出せないままでいる・・・
厳しくしつけたい気持ちも、よくわかる
でもね、私も実は片親のもとで育ったから
あの子の気持ちも、少しだけわかるような気がするの
厳しくされることが母親の愛情とわかってはいても
本当は、甘えたいんだよね
お母さん、お仕事一生懸命に頑張っているでしょう?
「生活がかかってますから・・・」
もちろん、生活していくことは大切なことだし
働かないわけにはいかないよね
でも、何のために働くのか
誰のためなのか・・・
お子さんのために、でしょう
子どものためにと思って、仕事を優先し
子どもとの時間を削ってしまっては
本末転倒になってしまう
経済と愛情とを天秤にかけることはできないし
本当に難しいことだと思うけれども
もう少しだけ、あの子が母親の愛情を感じることが出来たら?
私もね、小さいころ、母親が働きに出てしまって
少しだけ寂しかったんだ
他所のお宅の事なのに、余計なことを言ってごめんね、と
私より10歳は若いであろう、あの子の母親に謝り
その若さで子どもを育てる大変さを思った
「今日は、きつく叱らないで
優しく、ゆっくり話を聞いてみようと思います」
そう話す声が、柔らかく聞こえた
今日、初めて口をきいた、私と、あの子の母親
「話が聞けて、良かった」
「話せて、良かった」
今度会ったときは、顔見て話しましょ?
はい!
さっきまでの私の怒りはどこへやら・・・
話してみなければ、やはり何もわからないし
ウワサは、ウワサに過ぎない
話しを聞いたからと言って
今すぐ、何かの役に立てるとは思えないし
何も変わることは無いかもしれない
それでも
他人がひしめき合うクラスの中
たった一人でも
自分たちのことを知っていてくれる人がいるということ
わかってくれる人がいるということは
誰かを孤独から救えるのかもしれない
人の痛みや悲しみ、悩みを
自分のものとして感じられるような
そんな人間でありたい
「やり返しては、相手が可哀想だから」
そういう長女の言葉を、単なる逃げ、ではなく
優しい心の持ち主なんだと
大切な私の子どもなんだと
今一度、思えた日だった
五年半の我慢は
我慢した甲斐・・・それ以上のものを
私と長女にもたらしてくれたと思う
思ったことを、思ったままに吐き出すことは、簡単
でも
吐き出したい気持ちをこらえることは、とても難しい
言うのは、簡単
でも
我慢することは、本当に難しい
心の奥底に思ったことは
最後の最後まで、言わない
その時が来るまで、言わない方がいい
言うことは、いつだってできる
でも
我慢は
今
今しかできないということを
心に刻んだ一日だった
Posted at 2014/10/29 02:37:26 |
ヒトリゴト絵日記 | 日記