
お蔵入りになった封筒の山
中には学校生活に関するアンケート用紙が入っていて
「人前で話すのは苦手だけれども
言いたいことや思っていることがある」
「わざわざ学校に出向いて話をするのは面倒だけど
アンケートなら答えてもいいよ」
そんな人の意見を聞いてみたい、と思って作ったもの
でも
「そんなものは必要ないし
学校の現状なんて、知りたくもない!」
そんな一言で、このアンケートは日の目を見ることはなくなった
事の発端は、12月の音読発表会
ただ教科書に書かれている文章をみんなで読んだだけ
五年生にしては、物足りない内容で、あっという間に終わってしまった
我が子の発表を楽しみにしていった親としては
とても残念だった発表会
「これで五年生の発表を終わります」と代表の子が言ったとき
体育館の中にどよめきが起こったほど・・・
「え?これで終わりなの?」
当の五年生と言えば、目の前で発表する二年生を見ながら
「やばい、やばい~」と、みんなが口々に言っていたそうで
自分たちより下の学年の子たちの頑張りにビビっていたとのこと
イマイチな発表会が終わり、子どもたちに声をかけてみた
「あのやる気のない発表はなによ?」
「だって、先生がやる気がないんだもん」
「先生がダメなら、自分たちで工夫すればいいじゃん」
「いろいろやりたいって言っても、ダメって言われた」
「ほかの先生に手伝ってもらえないの?」
「なにかしようとしても怒られるんだもん」
「あなたたち、何を勝手なことをしてるんですか!」
そうやって、自分たちの挑戦を否定されてきた子どもたちは
今では授業や行事に、やる気のかけらも見られなくなってしまった
やる気どころか、すべてを担任のせいにしている気がする
やる気がないのも、勉強ができないのも、自分のせいじゃない
先生が悪いんだ、と
そう子供たちが言うようになったきっかけがある
算数の授業の遅れを気にした保護者が学校に問い合わせて
それを校長から指摘された担任は、2週間ほどほかの授業をつぶし
算数の授業を優先的に進めていたのだけれども
「算数が遅れたのは、あなたたちが理解しないからだ」
と、授業中に子どもたちを責めたのだという
授業で足りないところは、家庭学習で補えばいいし
自主学習は毎日やるように学校からも言われている
親も、それぞれの家庭で子どもにやらせているものの
担任は補助の教員にチェックを任せて、見ることは無い
出しても出さなくても怒られない、褒められることもない自主学習は
次第に取り組まない子どもが増え、それを親も見て見ぬふりをしてきた
そういう親にも、もちろん問題はある
でも、自主学習の進め方や、親の関わり方がわからず
家庭学習に悩む家もあったりするわけで
そういったことは、子どもの状況を見れば担任ならわかるだろう
理解しなくても、宿題をしなくても、構わない
出した課題はやらせっぱなし、チェックも把握もしない
子どもはやる気を失い、親は危機感もない
校長から指摘されれば、言い訳が先に立つ担任と
それでも動こうとしない親の背中を見て
一番つらいのは、きっと子どもたちだろう
子どもたちの思いは、どこへ向かえばいいのだろう
それが、やる気も工夫も何もない音読発表となって形に現れた
校長に聞いてみた
「あの発表を見て、どう思われましたか?」
「確かに五年生にしては物足りなかったかもしれませんが
でも、自分なりに頑張った子どももいて
あれはあれで、素晴らしかったと思います」
他のお母さんたちは、あれを見てどう思ったのだろう
さすがに、ちょっとは危機感を感じたかもしれない
みんなの意見も聞いてみたいな
そうだ、アンケートなんてどうだろう
日頃、なかなか言えないことも、みなさん書いてくれるかもしれない
賛否両論、いろんな角度からみたアンケートを作ってみよう
「校長先生、アンケートをとってみていただけませんか?」
手渡したアンケート用紙に目を通した校長の顔色がさっと変わって
「どんな答えが返ってくるか、わかっていますよね?
どんなひどい答えが返ってくるか、わかっていますよね?」
と、問い詰められてしまった
他の学年は、連絡帳に感想やお礼を書いてくる親がいたり
発表会の感想が宿題になったクラスは
宿題の用紙の端っこに、親の感想が書かれていたりと
何らかの反応があったというのに
五年生だけは、ただの一人も何も言ってこなかったと校長が教えてくれた
つまりは、感想も感動も、何も生まれなかった発表だということは
校長自身が一番よくわかっているということ
それにもかかわらず、校長の口から出た言葉
「こんなアンケートをしたら、担任はショックを受けると思います
ショックで、傷つくと思います」
何も言い返す言葉が見つからなかった
結局、そのアンケートは校長が預かることになり
クラスの様子は、一向に改善されることもなかった
望みは、最後の授業参観と、その後の保護者会
そこで、クラスのみなさんにも事情を話して
音読発表会を含めた一年間の感想や要望などを聞いてみようと思い
同じ考えの人たちと準備を進めてきた
あの発表会を見て、どんな感想を持ちましたか?
お子さんの学習の定着はいかがですか?
やる気はありますか?
生き生きと輝いていますか?
学校は楽しそうですか?
アンケートの結果をもとに、校長にもう一度話してみよう
親も子も先生も、みんな反省すべき点がある
それを今一度見直して、来年度につなげたいと思うのですが
校長は皆さんの意見を見て、どう思われますか?と
それでも、担任をかばうのですか?と・・・
そういう趣旨のアンケートだと伝えてみたものの
「自分の子どもは特に学校の話もしないし、問題もない
学校で何があったかなんて知らないし
そんなこと、知りたくもない!」
「書きたくなければ書かなくてもいいって言うけれども
書いた人の意見が、クラス全体の意見となってしまうのなら
アンケートそのものをやる必要なんてない!」
「だいたい、アンケートなんてやって、何が変わるの?
学校の事情を知らない人が答えたアンケートなんて、意味がない!」
だから、アンケートを通して、情報の交換や意見の交換をしてみては?
自分のお子さんには何もないかもしれませんが
学校で何が起きているか、知りたいとは思いませんか?
「そんなの、知りたくもない!!」
これ以上話したところで、きっと平行線だろう
アンケートは実施しないことになった
そういえば、アンケートをとるのは難しい、と校長が言っていたけれども
こういうことだったんだ
みんながみんな、同じ意見とは思っていなかったけれども
意見を話し合ったり、知らないことを知ろうとすることさえ
必要ないと思う人がいるとは、不覚ながら想定外だった
校長は自分の経験から、アンケートが実施されないことをわかっていたのだろう
大半の保護者は、面倒なことには手を出さない、ということも
学習については、塾に行かせたり、週末に親が見てやったり
足りないと思えば、各家庭ごとにいろんな方法で補うことができる
でも
学校に来て、クラスのみんなと一緒にやることは
家庭ではやってやることができない
学校という集団の中に身を置くならば
自分の周りを知ろうとすることは、決して不要なことではなく
知ろうとしないことは、ある意味、責任を放棄しているように感じる
そんなことをぼーっと考えていたとき
「親が子どもにあまり関わることは、良くないと思います」
その一言で、会はお開きになった
朝、ひとりで起きること
宿題や自主学習の提出、見直し
みんなで一つのことに取り組むこと
どれもみんな大切だよ、と教えてきたけれども
もしかすると、関わり過ぎなのかな
「アンケートをやりたい人って、子ども思いだよね~」
笑い声が聞こえた
歩み寄ろうと思って頑張ってみたけれども
向こうは背中を向けて、耳をふさいでいたなんて
そんなことにも気づかず
小さな世界で「頑張った」なんて言っている自分が
情けなく思った今日でした
この経験を活かして、もっと広い視野を持とうと思う
いろんな人に出会い、いろんな話を聞き
いろんな人がいるってことを
いろんな意見があるってことを
意見を交わすことさえ必要と思わない人がいるってことも
自分のやっていることは、所詮自己満足だってことも
知ろう、自覚しよう
そして、自分の信念を見つけて、貫こう
後悔のないように