
こうしさまは、こういいました
「まちがいにきづいたら、すぐになおしましょう
まちがいにきづいていても、そのまちがいをなおさないこと
それがほんとうの『まちがい』です」
1年生の女の子の、凛とした声が
梅雨の明けきらぬ日の、湿った空気の体育館の中を
清々と駆け抜けていった
この日は、学校の「音楽、音読発表会」
各学年ごとに、楽器の演奏や、詩の朗読、論語の発表など
普通の授業参観とは一味違った、親子で楽しめる参観日だった
我が子は、と言えば、ピアノを担当するんだと
毎日猛練習を重ねて迎えた本番当日
「少年時代」と、「タイタニックのテーマ」の楽譜を抱きしめ
舞台に上がっていく姿が、何だか自分の子ではないような
・・・いつの間にこんなに大きくなって、と
無事に演奏を終え、ほっとした顔で舞台を降りる子供とは反対に
次第に緊張する私
というのも、発表会の後に「保護者会」が待っている
「先日の一件、学校側で調べて分かったことを
保護者の皆さんに報告したい」
そう連絡を受け、PTA会長も出席するこの会に
自分の中に、ある思いを抱えていた
担任が、子供たちに向かって言った暴言の数々
保護者の間では、いろんな噂話が飛び交い
すぐにでも担任を辞めさせてほしい
そんな雰囲気が漂う教室で
学校長より、以下のような報告があった
まず、担任の出張の日に、子供たちにアンケートを取りました
「学校は楽しいですか」との問いに
86%の子供が楽しいと答えました
「何か困ったことや、気になることはありますか」との問いには
12名が、担任について
11名が、友達について
14名が、無回答
その他、1名、という結果になりました
担任について書いた子どもには、個別に聞き取りをしました
子供たちから聞いたことは
プールの時、女子の更衣室のところで「臭い、女子はクソ」
「こんな学校、こんなクラス、腐ってる」
「うるさい、黙れ、~~やれ」などと言った
携帯電話を教室に持ち込んで、事業中にいじる
話しを聞いてくれない
何を言っているのか、わからない
話しをすり替える
変顔をする、などの行為が嫌だとのことでした
ただ、「死ね」と言われた子について聞いたところ
子ども本人は「言われていない」、と言っています
この聞き取りを基に、担任に事実を確認したところ
担任は言ったことを覚えていない、と言ったそうだが
もし、自分の言動を子どもたちが不快に思っているならば
それは本当に申し訳ない、これからは気を付ける、と
学校側の対処としては
「誰にでも優しく」という、担任が年度の最初に掲げた思い
そこから離れてしまった子どもたちの気持ちと
担任との距離を縮めていきたい
担任と子どもたちとの一緒の時間をつくり
コミュニケーションを取るようにしていきたい
担任も、自分の言葉遣いを不快に思われたことを真摯に受け止め
子どもたちの頑張りを認め、褒めるよう努めていきたいと言っている
それから、国語・算数には補助の教師が付いていたが
これからは、残りの科目について、校長か、または副校長が補助につき
担任一人での授業は行わない
携帯電話については、これからも厳しく指導していく
と、おおよそこんな内容の報告だった
PTA会長からは、学校側もこのように対処すると約束しているが
今後、何かあった場合には会長か、または学校長にすぐ連絡ください、と
ものの15分とかからずに、保護者会が終わろうとしていた
一方的に、学校側が対処するような形
自分たち保護者は、では何をしたらいいのだろう?
皆、この報告だけで納得したのだろうか?
物事の原因はどこへ?
話し合いの場、ではないのだろうか?
保護者の半分が、席をたちかけたとき
思わず手を挙げていた
「あの、一ついいですか」
面倒くさそうに席に戻る保護者の視線が、少し怖かった
「皆さん、私の話にお時間をいただいて申し訳ないです」
たがだか40人の前で、自分の意見を言うだけなのに
自分でも、声が震えるのがわかった
「子どもから聞いたことなんですけど、言ってもいいですか」
校長の目を見て、話を続けた
「国語と算数についている補助の女性の先生と、担任とが
放課後、教室でハグしていたのを、ある子どもが見ていたそうです」
校長は両手で顔を覆って下を向き、副校長は私を睨んだ気がした
少しの間があって、保護者の間から苦笑が漏れた
「皆さん、笑っちゃいますよね、私も笑っちゃいました
何を言ってんだ、って笑っちゃいました」
さっきまで張りつめていたクラスの空気が、少しだけ緩んだ気がした
「もちろん、私もこんな話は信じていません」
蒸し暑い教室が静まり返る・・・
子どもが自分や友達を大切に思う気持ち、かばう気持ちは100%信じている
けれども、自分たちを守るために、子どもだって時には嘘をつくかもしれない
子どもの心は信じても、子どもの言うことは話半分で聞く耳を私は持っている
だから、この話は信じないけれども
こんなことを言った子どもの気持ちを考えなければいけない
なにかにつけ、担任を困らそうとしているのではないか?
担任が暴言を吐いた、双方から事情を聞いた、これから距離を縮めていきたい
学校側はそう言っているけれども
どうしてこうなったのか、根本的な解決をしていない
ごまかしごまかし、どうにかあと半年を乗り越えてしまいたい、と
噂通りに、自分たちの査定ばかりを気にしているからだろうか?
ローラのものまねと、ワンピースのキャラを書くのが得意な
このちょっと子どもっぽい教師を、年頃の高学年の担任に設定した
学校長の判断ミスを認めたくないのだろうか?
そんな話を、あちこちから聞いているが、それも所詮は噂だ
噂は、自分の目と耳で真実を確かめなければいけない
うつむいていた視線を、また私に向けた校長に向かって話を続ける
新学期が始まって一日目、うちの子どもは担任がキモイと言っていました
二日目には、馬鹿にしたあだ名をつけて帰ってきました
私も最初はそれを咎めていました
自分に物事を教えてくれる人は、とても大切な人なんだ
先生を馬鹿にしてはいけないし、二度とあだ名で呼ぶんじゃない
そう言って聞かせていましたが、それでもキモイと言う子どもに
次第に注意するのも面倒になり
私まで、会ったこともない担任を馬鹿にするようになりました
子どもの話をうのみにしていたところもあります
初めての授業参観では、担任にあだ名をつける親もいました
確かに、家庭訪問の時は落ち着きのない態度だったし
学校とは関係のない話ばかりで
子どもたちが言うとおりのこの担任を
今一つ受け入れる気になれませんでした
親同士が集まれば担任の悪口を、子どもの前で平気で言っていたし
運動会で、担任が独りぼっちでいるところを見ては
やっぱり変な人なんだ、と噂もしました
親がそんな態度でいたから、子どもだって担任を馬鹿にします
親子からそんな風な目で見られれば、担任だって辛かっただろう
見掛けや行動が、少し自分たちとは違っていたからといって
面と向かってキチっと話をしたわけでもない人のことを
こんな風に馬鹿にしていいはずがない
担任と子どもの距離が空いたのは、私のような親のせいでもあります
私も悪かったですが、でも、どんな状況でも
担任は子供に向かって暴言を吐くことは許されません
生意気なことを言うようですが、担任も未熟ですよね
私も未熟です
だからこそ、互いに助け合って子どもを育てていかなければなりません
それから、こんなクラスの異変を
学校側が気付かないはずがありません
子どもたちの様子がおかしいこと
気付かないはずがありません
もし、気付いていながら見て見ぬふりをしていたのなら
学校も悪い
校長と教師、そんな上下の関係を抜きに
いち教師同士として悩みを打ち明けたり
教師同士が励まし合ったりする場がなく
担任の心の闇に気付き
手を差し伸べることができていなかったのなら
それはとても残念なことです
親は、各家庭で子どもに先生を敬う気持ちを教えなければいけないし
自分たちが、まず子どもの見本とならなければいけない
子どもも、自分たちが悪いことをしたときは
素直に謝らなければいけない
担任も、学校も、同僚の先生たちも、私も、私の子どもも
皆が皆、今回の件の原因なんだと思うんです
あらかた、こんなことを話したと思う
私の後に続いて、一人の保護者が意見を言った
「親も家庭で先生を敬う気持ちを教えなければいけませんが
先生からも、子どもたちに謝罪してほしいです」
そうだ、そう、担任が自分の罪を認めなければ
担任に歩み寄ろうとした私や子どもの反省も無になってしまう
見栄や体裁、欲を捨てて、それぞれが自分を振り返ること
それができなければ、解決は望めない・・・
と、その時
もう一人の保護者の声がした
「あの、このクラスには不登校の子どもがいますが
担任はその子どもにキチンと対応してるんでしょうか?」
学校長も、私も、ほかの保護者の顔にも、疑問符が浮かんだ
なぜ、今、その話?
あぁ、と思う
何でもいい、何かにつけ揚げ足を取っては
どうにかして担任だけを悪者にしたいんだろう
いいがかり、という言葉をごっくんと飲み込んだ
先の子どもの「ハグ」の話が、頭の中に蘇る
もしかすると、その子どもの親も、いいがかり、を
自分の子どもに聞かせているのかもしれない
「週に一度、ちゃんとその子供と担任とは顔を合わせています」
副校長がそう答えたけれども、その声は静かだった
感情を抑えきれなくなった保護者の耳に
その静かな声は、どう聞こえたのだろう
不登校の子のことは、私も自分の子どもから聞いている
心に傷を負っていたり、心根の優しい子供に対する態度や
低学年の子どもたちと接するときの担任の様子は
子どもたちから聞く限り、そんな暴言を吐くような人とは思えない
担任が暴言を吐く相手は、授業中の態度が悪かったり
注意してもきかなかったり、担任の背中にむけて
「クソジジイ」と言う子どもに限られている、ような気がする
やっぱり、全ての物事には「理由」があるのだと思う
これで解散にします、との声が聞こえた途端
体中からどっと汗が噴き出て、心臓が一段と早く鼓動を打った
不安がよぎる
「子どもも親も、こんなに傷ついているのに
どうして自分たちも悪いの?
なんで自分たちも反省しなきゃいけないの?
悪いのは担任のはずなのに!」
どこからか、そんな声が聞こえてきそうだった
私の発言が原因で、もしも自分の子どもが仲間外れにでもなったら?
イイコぶってる、偽善者ぶってる、そう思われるのは構わない
構わないけれども、そんな親の子どもだから、なんて思われたら
うちの子は、これからの学校生活において
私のせいで余計な苦労をするかもしれない・・・
「ね、教師やってたの?」
解散後、一番に声をかけてくれた人がこう聞いてきた
「え?と、とんでもない!」
「すごかったよ、よかった!」
その言葉に、ありがとう、とは素直に言えなかった
この人、一番最初に学校に乗り込んだ保護者
担任を辞めさせてくれなきゃ、教育委員会に言う!と言った人
つまり、自分も反省しなきゃ、と言う私とはまるで反対の立場の人
その人がなぜ、よかった、と言ってくれるのか
私にはわからなかった
何人かの保護者が私の横を通りすぎ、ある年上の人が声をかけてくれた
「みんな、年頃なのよぉ」
あはは、と笑ってくれる
「そっか、年頃なんですよね、難しい年頃なんですよね」
それから、いつものメンバーが声を掛けてくれた
もう誰からも無視されるんじゃないか、と思っていたから
普通に接してもらえることが、本当に嬉しかった
保護者の後ろから、学校長が現れた
「ありがとうございます」
学校側を責めた私に、ありがとう?
「あのアンケート、その他の1名とは、あなたのお子さんなんです」
他の子どもは、友達から聞いた話や
自分が聞いたことなどを書いてくれたけど
あなたのお子さんは、自分も先生をキモイと言ってしまって
きっと先生は悲しかったと思う、自分は先生に悪いことをしてしまった
そう書いてくれたんです
このことを、保護者会で話そうと思ったのですが、やめました
なぜなら、アンケートの最後に
でも、こんなことを言ったら、私はみんなから仲間外れになるかもしれない
それが怖い
と書いてあったので・・・
でも、お子さんの代わりにお母さんがそのことを話してくれました
担任も辛かっただろう、と・・・
私たちは、本当に嬉しく思います、ありがとうございます
子どもに、そんな怖い思いをさせていたのかと思うと
自分の考えを押し付けてしまったようで、申し訳なかった
あの子はあの子で、アンケートに書いたことを親にも言えないほど
悩み、苦しんでいた
私が、たかだか40人の前で自分の意見を言うことに比べたら
アンケートに自分の思いを書くことは
どれだけ怖いことだっただろう
家に帰ったら、ごめんね、と、頑張ったね、と言わなきゃ
それから、子どもに伝えなきゃならない
ママも頑張ってきたよ、と
自分の意見を言ったのは、別に他人の賛同を得たいためじゃない
自分の意見を見習ってほしいわけじゃない
皆が皆、反省しろと言っていない
この一件、誰がどう捉えようとも人それぞれの勝手だし
誰が被害者で、誰が加害者だなんてこと、そんなことは二の次だ
私はただ、自分が間違っていたことに気付き
それを正したいと思っただけ
自分の間違いを、素直に認めることができる
それを、自分の子どもに見せたかっただけ
人の前で、キチンと間違いを認めることができる
それを、自分の子どもに見せたかった
間違いと気付きながら、それを認めたくないばかりに
裏でこそこそと人を責める
自分を守るために・・・
そんなこともある、そんな人もいる
でも、本当に守るべきものは
間違いを間違いと認める心なんだよ、と伝えたかった
保護者会の少し前まで、意見を言うか言わないか
ずいぶんと悩んでいたけれども
あの1年生の女の子の、凛とした声が私の背中を押してくれた
たまたま孔子の論語を朗読してくれた、この偶然に感謝だ
それから、意見を言いながら、言い終わってからも
ずっと自分に言い聞かせている言葉がある
あるみん友さんが何シテル?に書いてくれた言葉だ
「世界中の2割の人は、あなたがどんな行動をとっても
あなたの事を嫌いになる
6割の人は、行動によって好き嫌いが分かれる
でも、残りの2割の人は、あなたがどんなヘマをしても
あなたの事を好いてくれる
世界はそういう比率でできてるらしい」
自分には、2割の人がいてくれる
どんなヘマをしても好きでいてくれる2割の人
自分には、そんな人たちがきっとどこかにいる、と信じよう・・・
この言葉をかいてくれたみん友さんには
心から感謝してる
今も私の心を支えてくれてるんだ
会ったこともないかもしれない、この2割の人たちを信じて
自分のとった行動だったけれども
そのことを自分自身が受け入れられるようになるのに
一か月かかった
この保護者会を終えて、がっくりと疲れたせいか
幼稚園の娘のプール熱、アデノウィルスをがっつりもらってしまった
まる三日、ぴくりとも動けないという経験は初めてだった
一週間かかって熱が引き、自分はこんなに弱い心の持ち主か、と
凹んでしまった精神が復活したころには、もう夏休みも半ば
8月に入っていた
子どもたちは、とうに元気を取り戻し
夏休みに入る前には、クラスはずいぶんと落ち着いて
「何だか普通のクラスになっちゃったよ」
と、子どもののんきな声に、ほっと一安心した
繊細だけれども、子どもってたくましい
そのたくましさがなければ、きっと
子どもは大きく成長できないのだろう
今回の件、子どもの心にできた傷が
子の成長に繋がればいいな、と思う
人は、人を傷つけることも
人に傷つけられることもあって
でも
その傷を治すこともできるんだと
傷を治すことができるのは
人や生き物に流れているあたたかなもの
目には見えないけれども
大切なものなんだよ、と
子どもたちに伝えたかった