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ハチロックのブログ一覧

2013年08月31日 イイね!

41歳、という道のりで得たモノ。

41歳、という道のりで得たモノ。今日はこんな場所で
写真を撮ってきました♪

と、メールを投げたら、速攻で

ご飯何杯も
おかわりいける景色ですね~o(^-^)o

と、お返事

どんだけスキなんじゃ~、と
ひとり画面にツッコミ










そんな、8月も末

終わり間近な夏の

最後の悪あがき的な暑さの中



商売する気があるんだか、ないんだか

朽ち果てて、今にも土に還りそうな

そんなんばっかが並ぶ、この工場に

カメラ片手に、道場破り































前の日に(一応、人としての礼儀っぽく)

「クルマが好きで、写真撮ってます

ご迷惑でなければ、ここのクルマを撮らせていただけませんか?」



そうお願いをしておいたので

道場破り、ってのは、ちょっと嘘





快くうなずいてくれた方に

冷え冷えの、元気ハツラツ・オロナミンCを差し入れ

今日の撮影会と相成りました



実は何年か前、まだウチにハチロクがあったころ

レビンマンはここを訪ねていて

そのことを覚えていてくれたのが

何だか嬉しかったな































そんなとっかかりのおかげで

いろいろと話をさせてもらったけど

実のところ、冷や汗ダラダラ、でした



だって私、人見知りだもの



知らない人と話をするだけだって

かなりの勇気、なのに



工場に入って、写真撮らせてくれ、だなんて

ほんとうのほんとうなら

言えるはずもなかったんだけど































41歳、という長くて短い道のりの中で

手に入れた、ずうずうしさ

と言う名の、勇気



あれ

勇気、と言う名の、ずうずうしさ、か



どっちでもいいんだけれども

とにかく

自分の気持ちに素直に行動すること



少しの勇気や、少しの痛み、少しの恐怖

それを吹き飛ばす手伝いをしてくれる人たち、との出会い

(あえて、友達とか仲間っては言わないけれども)

私の心を支えてくれる人たち



大切な大切な、そんな人たちのおかげで

今までできなかったことが

ちょっとずつ、できるようになって































ねぇ、青年

心を込めたメッセージをありがとう



キミの友達や仲間を思う気持ちに触れ

久々、お腹の底が熱く感じたよ



10年、20年後

今よりいろんなムジュンを受け入れられるようになり

今よりいろんなフジョウリを流せるようになり

今よりいろんなリフジンに打ち勝てるようになったころ

今の自分を振り返るだろう



その時に

後悔の無いよう、今のうちに、青年のうちに

いっぱい凹んで

許せないモノに「許せない」と叫んで

悪態ついて

反省して

まわりに迷惑かけたと

みんなに心配かけたと謝って

気が済むまで































もう一度、言う

みんな好きで勝手に心配するんだろう

だから、そんなに謝ることもないし

気にしなくても、きっと大丈夫



自分が許せない、というまっすぐな気持ちは

青年、という年頃にぴったりだ





ねぇ、青年

私もひどい人見知りだった

今でもそうかもしれない



でも、つまずき転び

そのたびに、人見知りの自分の前に

数少ない友の、温かな気持ちが差し出され

再び立つ勇気をくれた

次は自分が誰かに手を差し出す番だという思いと共に































今はまだ、「ずうずうしさ」を

「恥ずかしいこと」と思うかもしれない

その純粋さは、もろく折れやすいかもしれない

でも、折れた骨は、折れる前より強くなるんだね

ずうずうしさは、強さでもあるんだね

強さは、優しさでもあるんだね

優しさは、柔軟さでもあるんだね



10年、20年後

強く、しなやかなキミであれ




























な~んてことを

ずうずうしくも、見知らぬ人の工場を

舐めまわすように隅々まで撮りながら

思っていた



TE27の

不思議なチカラを感じながら・・・






























次回、「TE27の声」、に続く(予定)









Posted at 2013/08/31 03:54:34 | トラックバック(0) | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2013年08月15日 イイね!

命の火。

命の火。ある方が、退会されるという

最後に丁寧なメッセージをいただき

そのまま文字だけのあいさつで終わらせるのが

何となく失礼な気がして

一言、ありがとうございました、を自分の声で伝えようと










思ったより元気そうな声が聞けて、よかった

今までのお礼と、他愛もない世間話をして電話を切ろうと

・・・ふと、以前気になっていた人のことを思い出した





その人の名を告げると、途端に声色が変わった

私とは、縁もゆかりもないその人の名前が出てきたことで

少しばかり私に警戒心を抱かせてしまったかもしれない





その人は、もういない方ですよね、と問うと

もういない、とはどういう意味ですか?、と聞かれ

亡くなられたんですよね、そう以前に聞きました、と答える





少しの沈黙があってから、低い声で、一言

「今日が、その日なんです」

「去年の、今日が、その日なんです」





全身の血が凍るような気がして

ぶるっと体が震えた





その人の亡くなった日にちを、私は知らない

その人と言葉も交わしたこともないし

その人が書いた記事を読んだこともない

その人は私の存在すら知らなかったと思う





ずっと忘れていたその人のことを

なぜだか急に思いだし、その名前を口にした

それが偶然にも、今日、と言う「その日」

その人が自らの命を絶った日と聞いて

あぁ、と思う































人は亡くなれば、肉体は滅びる

しかしながら

命の炎が消えても、なお

思いは

その人の思いは

念となって、この世に生きるのだ、と





私はその人のために、何かできるわけじゃない

何かをする気もない

私のように、ただの凡人には、何もできないし

してはいけない

そういうことは、業を積んだ人だけに許されるもの

だから私には、何もできないし、しない





ただ一度だけ、ひとつだけ

できることがあるとすれば

ここに

こうして、いまだに

その念が生きているということ

それを書き綴ることだけ

その人に代って

その人の遺志を伝えるだけ





笑うなら、笑い飛ばせばいい

バカバカしいと、笑えばいい

人の命を

命の火が燃え尽きたその日のことを

笑う





・・・私には、絶対にできない

























Posted at 2013/08/15 06:19:10 | ハート絵日記 | 日記
2013年08月14日 イイね!

歩み寄り。

歩み寄り。保護者会のあと

私の傍に寄ってきた学校長

ほんの少し、涙目だったような気がする


その眼を私に向けながら

こんな話を聞かせてくれた










「担任は、4人の子どもの父親でもあります

中学3年生、2年生、小学5年生、5歳の子の父親で

とても子供が好きな人です

年度の最初に「誰にでも優しく」と掲げた目標

それが、どうしてかこんなふうにずれてしまった」



「親や子どもたちから冷たい目で見られて

先生も辛かったですよね」



「相当に辛い思いでいました、悩んでいました」



この学校長の言葉が、なんとなく気にかかった

人から聞いたのでは、やはり真相はわからない

噂は、自分の目と耳で確かめなくてはいけない































保護者会の数日後、個人懇談会があった

この一件には一切触れない、という人と

言いたいこと、しっかり言ってくる、と言う人

保護者の中でもいろんな意見があった



とにかく、何を考えてるのは解らない人は怖い

放っておけばいいよ

前の赴任先でも「ネズミ男」って馬鹿にされていたらしいよ

子どもたちも悪いかもしれないが、火のないところに煙は、ねぇ

そんなマイナスの意見もあれば



子どもなんて言うこと聞かないし、クソだよ

先生だって大変だよ

自分の子どもだけが可哀想、そういう親が多すぎるよ

なんて意見もあって



それぞれの思うところは、でも

こそこそと噂話でしか話さないようだった































私は、もうこの話は人前では慎もう

そう決めている

誰かの噂話を聞くたび、担任への態度を変えたりしては

子どもの手前、しめしがつかない



誰が何を言おうとも、自分は担任を色眼鏡で見ない

そう決めた



疑問があれば、直接に担任と話をすると決めた

見掛けや、噂を怖がらず、自分の目で見たもの、耳で聞いたもの

それから、心で感じたことを信じようと決めている































個人懇談会の当日を迎えた

先日の保護者会には、参加させてもらえなかった担任

しばらく担任に直接会う機会がなかったので

個人懇談の日に、私は自分の間違いを謝るつもりだった



「5年生って難しい年頃ですね」と、話を切り出して

子どもと一緒に担任を馬鹿にしていたこと

そういう目で見ていたこと

ちゃんと担任の目を見て謝った



どんな人かも知らないくせに

子どもたちの言うことを鵜呑みにしていたこと

もっと早くに、担任と話をすればよかったと思ったこと

これからは、機会があるごとにいろいろと話をしていきたいと思っていること

それから、先生の心に傷を付けてしまったかもしれません、と





と、その言葉に、担任はこう返した

ちょっと会っただけで、その人のことがわかるなんて

僕から言わせれば、「浅い」です



人なんて、長く付き合わなきゃわからないことの方が多い

僕は、人にすぐにわかってもらおうなんて思ってませんから

それに、最初の印象が悪いことも、もう慣れてますから

全然平気ですから

もう20年も、こうやってきましたから

こっちも子ども4人もいて、生活かかってますから































学校長の言った、「先生も相当辛い思いをされてます」と言う一言に対して

自分は全然辛くない、そういう担任の一言、この違和感・・・

あれがどうして気にかかったのか、なんとなくわかった気がした



この人、子どもや保護者の前ではつっぱっている

馬鹿にされちゃいけないって、むきになってるんだ

必死なんだ

自分を知ろうとしてくれる人には、辛い胸の内を話せても

自分を勘ぐる人に対しては、絶対に見せちゃいけないって思ってるのかも

負けちゃいけないって思ってるのかも



心の中のもやもや、違和感が、少しだけ消えた





懇談会の終わり、もう一度担任に向かって頭を下げ

先生、本当にごめんなさい、と謝ると

担任も姿勢を正して、こちらこそ、ご心配おかけして申し訳ありませんでした、と

深々と頭を下げてくれた





まっすぐな気持ちで接すれば、この人もまっすぐに応えてくれるのではないか

今ではそんな風に思っている































「歩み寄り」

いつもこの言葉を思ってる

例え、最初は無理だと思っても

途中、いろんな横やりが入ってきたとしても

自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じたことを

大切にしたい



もし、この考えが的外れで、とんでもない悪人に出会って

自分の命を落とすことになっても

そんなことは私自身にとっては、どうでもいいような気がする































馬鹿みたい、と笑われるかもしれないけれども

自分には

私には、人を信じる、という強い気持ちが、唯一の武器



私の大切と思う人にとって

「2割」の人でいたいと思ってる

どんなヘマをしても、その人を好きでいる2割の人

信じる気持ちが、私を支えてくれている















こんな風に











Posted at 2013/08/14 17:24:45 | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2013年08月14日 イイね!

間違い。

間違い。こうしさまは、こういいました

「まちがいにきづいたら、すぐになおしましょう

まちがいにきづいていても、そのまちがいをなおさないこと

それがほんとうの『まちがい』です」










1年生の女の子の、凛とした声が

梅雨の明けきらぬ日の、湿った空気の体育館の中を

清々と駆け抜けていった





この日は、学校の「音楽、音読発表会」

各学年ごとに、楽器の演奏や、詩の朗読、論語の発表など

普通の授業参観とは一味違った、親子で楽しめる参観日だった





我が子は、と言えば、ピアノを担当するんだと

毎日猛練習を重ねて迎えた本番当日

「少年時代」と、「タイタニックのテーマ」の楽譜を抱きしめ

舞台に上がっていく姿が、何だか自分の子ではないような

・・・いつの間にこんなに大きくなって、と































無事に演奏を終え、ほっとした顔で舞台を降りる子供とは反対に

次第に緊張する私

というのも、発表会の後に「保護者会」が待っている



「先日の一件、学校側で調べて分かったことを

保護者の皆さんに報告したい」

そう連絡を受け、PTA会長も出席するこの会に

自分の中に、ある思いを抱えていた





担任が、子供たちに向かって言った暴言の数々

保護者の間では、いろんな噂話が飛び交い

すぐにでも担任を辞めさせてほしい

そんな雰囲気が漂う教室で

学校長より、以下のような報告があった





まず、担任の出張の日に、子供たちにアンケートを取りました

「学校は楽しいですか」との問いに

86%の子供が楽しいと答えました



「何か困ったことや、気になることはありますか」との問いには

12名が、担任について

11名が、友達について

14名が、無回答

その他、1名、という結果になりました



担任について書いた子どもには、個別に聞き取りをしました

子供たちから聞いたことは

プールの時、女子の更衣室のところで「臭い、女子はクソ」

「こんな学校、こんなクラス、腐ってる」

「うるさい、黙れ、~~やれ」などと言った

携帯電話を教室に持ち込んで、事業中にいじる

話しを聞いてくれない

何を言っているのか、わからない

話しをすり替える

変顔をする、などの行為が嫌だとのことでした

ただ、「死ね」と言われた子について聞いたところ

子ども本人は「言われていない」、と言っています



この聞き取りを基に、担任に事実を確認したところ

担任は言ったことを覚えていない、と言ったそうだが

もし、自分の言動を子どもたちが不快に思っているならば

それは本当に申し訳ない、これからは気を付ける、と



学校側の対処としては

「誰にでも優しく」という、担任が年度の最初に掲げた思い

そこから離れてしまった子どもたちの気持ちと

担任との距離を縮めていきたい



担任と子どもたちとの一緒の時間をつくり

コミュニケーションを取るようにしていきたい



担任も、自分の言葉遣いを不快に思われたことを真摯に受け止め

子どもたちの頑張りを認め、褒めるよう努めていきたいと言っている



それから、国語・算数には補助の教師が付いていたが

これからは、残りの科目について、校長か、または副校長が補助につき

担任一人での授業は行わない



携帯電話については、これからも厳しく指導していく

と、おおよそこんな内容の報告だった



PTA会長からは、学校側もこのように対処すると約束しているが

今後、何かあった場合には会長か、または学校長にすぐ連絡ください、と

ものの15分とかからずに、保護者会が終わろうとしていた



一方的に、学校側が対処するような形

自分たち保護者は、では何をしたらいいのだろう?

皆、この報告だけで納得したのだろうか?

物事の原因はどこへ?

話し合いの場、ではないのだろうか?



保護者の半分が、席をたちかけたとき

思わず手を挙げていた































「あの、一ついいですか」



面倒くさそうに席に戻る保護者の視線が、少し怖かった



「皆さん、私の話にお時間をいただいて申し訳ないです」



たがだか40人の前で、自分の意見を言うだけなのに

自分でも、声が震えるのがわかった



「子どもから聞いたことなんですけど、言ってもいいですか」



校長の目を見て、話を続けた



「国語と算数についている補助の女性の先生と、担任とが

放課後、教室でハグしていたのを、ある子どもが見ていたそうです」



校長は両手で顔を覆って下を向き、副校長は私を睨んだ気がした

少しの間があって、保護者の間から苦笑が漏れた



「皆さん、笑っちゃいますよね、私も笑っちゃいました

何を言ってんだ、って笑っちゃいました」



さっきまで張りつめていたクラスの空気が、少しだけ緩んだ気がした



「もちろん、私もこんな話は信じていません」



蒸し暑い教室が静まり返る・・・





子どもが自分や友達を大切に思う気持ち、かばう気持ちは100%信じている

けれども、自分たちを守るために、子どもだって時には嘘をつくかもしれない

子どもの心は信じても、子どもの言うことは話半分で聞く耳を私は持っている

だから、この話は信じないけれども

こんなことを言った子どもの気持ちを考えなければいけない



なにかにつけ、担任を困らそうとしているのではないか?



担任が暴言を吐いた、双方から事情を聞いた、これから距離を縮めていきたい

学校側はそう言っているけれども

どうしてこうなったのか、根本的な解決をしていない



ごまかしごまかし、どうにかあと半年を乗り越えてしまいたい、と

噂通りに、自分たちの査定ばかりを気にしているからだろうか?



ローラのものまねと、ワンピースのキャラを書くのが得意な

このちょっと子どもっぽい教師を、年頃の高学年の担任に設定した

学校長の判断ミスを認めたくないのだろうか?



そんな話を、あちこちから聞いているが、それも所詮は噂だ



噂は、自分の目と耳で真実を確かめなければいけない































うつむいていた視線を、また私に向けた校長に向かって話を続ける



新学期が始まって一日目、うちの子どもは担任がキモイと言っていました

二日目には、馬鹿にしたあだ名をつけて帰ってきました

私も最初はそれを咎めていました



自分に物事を教えてくれる人は、とても大切な人なんだ

先生を馬鹿にしてはいけないし、二度とあだ名で呼ぶんじゃない

そう言って聞かせていましたが、それでもキモイと言う子どもに

次第に注意するのも面倒になり

私まで、会ったこともない担任を馬鹿にするようになりました

子どもの話をうのみにしていたところもあります



初めての授業参観では、担任にあだ名をつける親もいました

確かに、家庭訪問の時は落ち着きのない態度だったし

学校とは関係のない話ばかりで

子どもたちが言うとおりのこの担任を

今一つ受け入れる気になれませんでした



親同士が集まれば担任の悪口を、子どもの前で平気で言っていたし

運動会で、担任が独りぼっちでいるところを見ては

やっぱり変な人なんだ、と噂もしました



親がそんな態度でいたから、子どもだって担任を馬鹿にします

親子からそんな風な目で見られれば、担任だって辛かっただろう

見掛けや行動が、少し自分たちとは違っていたからといって

面と向かってキチっと話をしたわけでもない人のことを

こんな風に馬鹿にしていいはずがない

担任と子どもの距離が空いたのは、私のような親のせいでもあります



私も悪かったですが、でも、どんな状況でも

担任は子供に向かって暴言を吐くことは許されません

生意気なことを言うようですが、担任も未熟ですよね

私も未熟です

だからこそ、互いに助け合って子どもを育てていかなければなりません



それから、こんなクラスの異変を

学校側が気付かないはずがありません

子どもたちの様子がおかしいこと

気付かないはずがありません

もし、気付いていながら見て見ぬふりをしていたのなら

学校も悪い



校長と教師、そんな上下の関係を抜きに

いち教師同士として悩みを打ち明けたり

教師同士が励まし合ったりする場がなく

担任の心の闇に気付き

手を差し伸べることができていなかったのなら

それはとても残念なことです



親は、各家庭で子どもに先生を敬う気持ちを教えなければいけないし

自分たちが、まず子どもの見本とならなければいけない

子どもも、自分たちが悪いことをしたときは

素直に謝らなければいけない



担任も、学校も、同僚の先生たちも、私も、私の子どもも

皆が皆、今回の件の原因なんだと思うんです





あらかた、こんなことを話したと思う































私の後に続いて、一人の保護者が意見を言った

「親も家庭で先生を敬う気持ちを教えなければいけませんが

先生からも、子どもたちに謝罪してほしいです」



そうだ、そう、担任が自分の罪を認めなければ

担任に歩み寄ろうとした私や子どもの反省も無になってしまう



見栄や体裁、欲を捨てて、それぞれが自分を振り返ること

それができなければ、解決は望めない・・・



と、その時

もう一人の保護者の声がした

「あの、このクラスには不登校の子どもがいますが

担任はその子どもにキチンと対応してるんでしょうか?」

学校長も、私も、ほかの保護者の顔にも、疑問符が浮かんだ

なぜ、今、その話?



あぁ、と思う

何でもいい、何かにつけ揚げ足を取っては

どうにかして担任だけを悪者にしたいんだろう



いいがかり、という言葉をごっくんと飲み込んだ

先の子どもの「ハグ」の話が、頭の中に蘇る

もしかすると、その子どもの親も、いいがかり、を

自分の子どもに聞かせているのかもしれない



「週に一度、ちゃんとその子供と担任とは顔を合わせています」

副校長がそう答えたけれども、その声は静かだった

感情を抑えきれなくなった保護者の耳に

その静かな声は、どう聞こえたのだろう































不登校の子のことは、私も自分の子どもから聞いている

心に傷を負っていたり、心根の優しい子供に対する態度や

低学年の子どもたちと接するときの担任の様子は

子どもたちから聞く限り、そんな暴言を吐くような人とは思えない



担任が暴言を吐く相手は、授業中の態度が悪かったり

注意してもきかなかったり、担任の背中にむけて

「クソジジイ」と言う子どもに限られている、ような気がする



やっぱり、全ての物事には「理由」があるのだと思う





これで解散にします、との声が聞こえた途端

体中からどっと汗が噴き出て、心臓が一段と早く鼓動を打った



不安がよぎる

「子どもも親も、こんなに傷ついているのに

どうして自分たちも悪いの?

なんで自分たちも反省しなきゃいけないの?

悪いのは担任のはずなのに!」

どこからか、そんな声が聞こえてきそうだった



私の発言が原因で、もしも自分の子どもが仲間外れにでもなったら?

イイコぶってる、偽善者ぶってる、そう思われるのは構わない

構わないけれども、そんな親の子どもだから、なんて思われたら

うちの子は、これからの学校生活において

私のせいで余計な苦労をするかもしれない・・・





「ね、教師やってたの?」

解散後、一番に声をかけてくれた人がこう聞いてきた

「え?と、とんでもない!」

「すごかったよ、よかった!」



その言葉に、ありがとう、とは素直に言えなかった

この人、一番最初に学校に乗り込んだ保護者

担任を辞めさせてくれなきゃ、教育委員会に言う!と言った人

つまり、自分も反省しなきゃ、と言う私とはまるで反対の立場の人

その人がなぜ、よかった、と言ってくれるのか

私にはわからなかった





何人かの保護者が私の横を通りすぎ、ある年上の人が声をかけてくれた

「みんな、年頃なのよぉ」

あはは、と笑ってくれる

「そっか、年頃なんですよね、難しい年頃なんですよね」



それから、いつものメンバーが声を掛けてくれた

もう誰からも無視されるんじゃないか、と思っていたから

普通に接してもらえることが、本当に嬉しかった



保護者の後ろから、学校長が現れた

「ありがとうございます」

学校側を責めた私に、ありがとう?

「あのアンケート、その他の1名とは、あなたのお子さんなんです」



他の子どもは、友達から聞いた話や

自分が聞いたことなどを書いてくれたけど

あなたのお子さんは、自分も先生をキモイと言ってしまって

きっと先生は悲しかったと思う、自分は先生に悪いことをしてしまった

そう書いてくれたんです



このことを、保護者会で話そうと思ったのですが、やめました

なぜなら、アンケートの最後に

でも、こんなことを言ったら、私はみんなから仲間外れになるかもしれない

それが怖い

と書いてあったので・・・



でも、お子さんの代わりにお母さんがそのことを話してくれました

担任も辛かっただろう、と・・・

私たちは、本当に嬉しく思います、ありがとうございます





子どもに、そんな怖い思いをさせていたのかと思うと

自分の考えを押し付けてしまったようで、申し訳なかった

あの子はあの子で、アンケートに書いたことを親にも言えないほど

悩み、苦しんでいた



私が、たかだか40人の前で自分の意見を言うことに比べたら

アンケートに自分の思いを書くことは

どれだけ怖いことだっただろう



家に帰ったら、ごめんね、と、頑張ったね、と言わなきゃ

それから、子どもに伝えなきゃならない

ママも頑張ってきたよ、と































自分の意見を言ったのは、別に他人の賛同を得たいためじゃない

自分の意見を見習ってほしいわけじゃない

皆が皆、反省しろと言っていない



この一件、誰がどう捉えようとも人それぞれの勝手だし

誰が被害者で、誰が加害者だなんてこと、そんなことは二の次だ



私はただ、自分が間違っていたことに気付き

それを正したいと思っただけ



自分の間違いを、素直に認めることができる

それを、自分の子どもに見せたかっただけ



人の前で、キチンと間違いを認めることができる

それを、自分の子どもに見せたかった



間違いと気付きながら、それを認めたくないばかりに

裏でこそこそと人を責める

自分を守るために・・・

そんなこともある、そんな人もいる



でも、本当に守るべきものは

間違いを間違いと認める心なんだよ、と伝えたかった































保護者会の少し前まで、意見を言うか言わないか

ずいぶんと悩んでいたけれども

あの1年生の女の子の、凛とした声が私の背中を押してくれた

たまたま孔子の論語を朗読してくれた、この偶然に感謝だ





それから、意見を言いながら、言い終わってからも

ずっと自分に言い聞かせている言葉がある

あるみん友さんが何シテル?に書いてくれた言葉だ



「世界中の2割の人は、あなたがどんな行動をとっても

あなたの事を嫌いになる

6割の人は、行動によって好き嫌いが分かれる

でも、残りの2割の人は、あなたがどんなヘマをしても

あなたの事を好いてくれる

世界はそういう比率でできてるらしい」



自分には、2割の人がいてくれる

どんなヘマをしても好きでいてくれる2割の人

自分には、そんな人たちがきっとどこかにいる、と信じよう・・・



この言葉をかいてくれたみん友さんには

心から感謝してる

今も私の心を支えてくれてるんだ































会ったこともないかもしれない、この2割の人たちを信じて

自分のとった行動だったけれども

そのことを自分自身が受け入れられるようになるのに

一か月かかった



この保護者会を終えて、がっくりと疲れたせいか

幼稚園の娘のプール熱、アデノウィルスをがっつりもらってしまった

まる三日、ぴくりとも動けないという経験は初めてだった



一週間かかって熱が引き、自分はこんなに弱い心の持ち主か、と

凹んでしまった精神が復活したころには、もう夏休みも半ば

8月に入っていた



子どもたちは、とうに元気を取り戻し

夏休みに入る前には、クラスはずいぶんと落ち着いて

「何だか普通のクラスになっちゃったよ」

と、子どもののんきな声に、ほっと一安心した



繊細だけれども、子どもってたくましい

そのたくましさがなければ、きっと

子どもは大きく成長できないのだろう



今回の件、子どもの心にできた傷が

子の成長に繋がればいいな、と思う

人は、人を傷つけることも

人に傷つけられることもあって

でも

その傷を治すこともできるんだと



傷を治すことができるのは

人や生き物に流れているあたたかなもの

目には見えないけれども

大切なものなんだよ、と

子どもたちに伝えたかった





















Posted at 2013/08/14 16:15:59 | ヒトリゴト絵日記 | 日記
2013年07月30日 イイね!

温かなもの。

温かなもの。前のブログにコメントをいただいてから4週間が経ち

昨日、すべてのコメントにお返事を書くことができました

たくさんの気持ちを寄せてくださったのに

お返事が遅くなってしまい、申し訳ない思いです










思うところがあって、このひと月

自分の時間のできる限りを、3人の子供たちに向けました



いつもの夜なら、「添い寝をしつつ、スマホでブログを徘徊」

それもやめて、子供たちが寝入るまでの間

ずっと顔を見ながら、呼吸を聞きながら

小さく、温かく、柔らかな塊が

夢の中へと落ちていく様を見ていました































子供の「プール熱」をもらってダウンした時には

私に代わって一生懸命に家事を手伝う家族の姿を有難く思い

何シテル?の呟きに応えてくれた皆さんの言葉に元気をもらい



苦しいときこそ、「生きている」ことを心から実感するもんだと

ドクンドクンとこめかみを流れる血の音を聞きながら

このひと月にあった出来事を、ずっと考えていました































自分は、この子供たちに何を伝えることができるだろうか

愛を、たくさんの愛を降り注ぐことができるだろうか



出来る、できない、そんなことより、やる、やるしかないのだと

若いころ、子供を愛するなんてありえないと思っていた自分が

今、少しずつ変わろうとしていることを

自分の胸の奥に感じています































3人の子供をレビンマンに預け

久方ぶりに実母と尋ねた、群馬のお墓

実母がこまめに手入れをしていてくれるおかげで

雑草一つ生えていないお墓に手を合わせ

忙しい仕事の合間に墓を守る実母に、改めて感謝の気持ちと

一人娘にもかかわらず、実家を捨てて嫁に出てしまったこと

ほんの少し悔やみ

それでも、私を送り出してくれた実母の愛情に

今やっと、気付くことができました































幼いころ、実母にとって借金の返済と男が

彼女の人生の全てと思っていたけれども

あの頃、放っておかれた自分は今、こうして

自分で選んだ道を歩かせてもらっている



私は実母に放っておかれたわけでなく

実母にとっては、構いたくても構えなかった現実

きっと、私の顔を見るのも辛かった日々だろう



自分の子供に何もしてやれないということ

親にとって、それほど辛いことはない



今、自分の子供たちの寝顔を、毎日傍で見ることができる自分の

幸せを、思う































墓参りの帰りに寄ったお寺

だいぶん歳を取ってしまった住職のお母さんの

「子供は本当に宝なんですよ」

との言葉に、このひと月の出来事を重ねてみる



自分の子供のあるなしに関わらず

人の子でも大切に思う人がいること

私の周りにいてくれる、心温かい人々に

どれだけの勇気と元気を分けてもらったことだろう































私は一人で子育てをしているのではなく

家族と、祖父母、血の繋がらない家族と天国のじいちゃん



それから

ここでたくさんの気持ちを分けてくれる皆さんとに

助けられ、励まされ、私の心を通して子供たちに

その温かいものを繋いでいるのだと思う

本当に、有難いことだと思っています





いただいた温かなものに、改めて感謝の気持ちを
























Posted at 2013/07/30 04:35:50 | ハート絵日記 | 日記

プロフィール

「@ゼフィルス14 さん、応援ありがとうございます(*´∀`)♪ ゼフィルス14さんも、お仕事の行き帰り、どうぞお気をつけて\(^-^)/」
何シテル?   01/25 08:15
・   「日々反省堂」 というお店に勤務しておりますが 本人未だかつて、反省の色なし・・・ いくつもの過ちを繰り返し 繰り返し ...
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2016/11/10 11:28:43
想い… 
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2016/02/07 05:59:51
考える、、、 
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2014/07/15 21:52:45

愛車一覧

ホンダ トゥデイ トゥデイ・タイプR (ホンダ トゥデイ)
オヤジの心をくすぐった一台(´∀`*)ウフフ
トヨタ ウィッシュ トヨタ ウィッシュ
子ども3人ともなると、少々手狭・・・でも!可愛い相棒なので手放せません
日産 ラシーン 日産 ラシーン
まったく同じグレードの、まったく同じ色のラシーンを2台乗り継ぎました。 初代ラシーンは新 ...
三菱 ランサーエボリューション 三菱 ランサーエボリューション
旦那様の愛車でした。 15万キロ走った頼もしいヤツ(*´∇`*) 旦那様はいまだにエボが ...

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