サトスケの三代目相棒。
クルマ・バイクの通算では六機目である。
やむなき家庭の事情でファミリーカー(フィット)一台体制で過ごしていたサトスケ一家。が、やはり長野は車社会。「一人に一台」が必要と言われるこの地で「一家に一台」体制では不便この上ない。家族会議によりファミリーカーのフィットをヨメ専用機にして、新たにサトスケ専用機を増車する運びとなった。サトスケの当初のもくろみではこのタイミングで弟に預けてあるレビたん(AE86レビン)を呼び戻す算段であったが、この時すでにレビたんは弟の手により葬り去られていた。
そこで新たな自分専用機の選定を迫られたサトスケ。必要とする要件は小型・MT・FRである。家族会議での建て前は「足グルマ」であったが本音は「峠で遊ぶクルマ」なのだ(笑)しかし時代と共に車業界も移り変わり、要件に該当するクルマなど皆無だと云う事も重々承知していた。もう一度ハチロク?とも考えたがこの頃すでに価格に見合うクルマでは無くなっており候補からすんなりと外れる。まずは要件の一つ、FRと云う駆動方式を諦めなければコトが進まないようだ。しかし、せめて後輪が回っていないとイヤだと云うこだわりから駆動方式はAWDで決定。そこに小型・MTと云う事を加味すると、まず候補に挙がってきたのがGCインプレッサや初期のランエボ。だがこれまた中古にしては割高感が否めずにあっさり落選。途方に暮れ始めたサトスケの頭に閃いたのはかつて国内ラリーで活躍していた軽カー、アルトワークスやヴィヴィオたちである。幸いにもこのカテゴリーの中古価格は順当に推移しており5年落ち・走行4万キロ・車検付き50万と云うヴィヴィオ(ヴィヴィたん)と出会い相棒として迎え入れる事となった。しかし正直、初の軽自動車であり大した期待は抱いていなかった。
サトスケが高校生の頃から通う峠は狭くツイスティな、いわばジムカーナ的なコース。
このコースでヴィヴィたんが見せた超軽量ボディとスーパーチャージャーで過給するトルクフルなエンジンの走りは驚く事に期待を遥かに上回る物であった。先代レビたんのベストタイムを大幅に更新してしまったのだ。
もちろんそれなりに手を加えた上での話である。倒立式サスの車高調キット・キャンバー調整式ピロアッパー・強化したブレーキ周りなどで徹底的に足回りを煮詰め、ハンドリング特性を弱オーバーステアに変更。その弱オーバー・小さなボディの特性を活かし、ジムカーナ的な峠ではコーナーのライン取りの自由度・安心度を高め圧倒的な戦闘力を誇るまでに成長する。
サトスケに取って最速・最強のクルマとの出会いであった。
この頃、サトスケは生業とする保険代理店として歩み始めており営業の相棒としてもAWDのヴィヴィたんは大活躍してくれていた。
10年続いた蜜月の期間も残念ながら寄る年波には勝てず。シビアコンディションを要求される営業車としての限界を感じたヴィヴィたんは引退。
現在はサトスケ知人の元でセカンドカー兼趣味のクルマとして大切に乗られており、悠々自適なセカンドライフを送っている。