2021年06月11日
人間はみんな孤独で、忘れていてもそれに気づいてしまうときがあって、、、
だからみんな寂しくて、、
でも、誰かが、自分の価値観を理解してくれたり寄り添ってくれたときに幸福を感じ、孤独から瞬間的に開放されている。
孤独感の原因とは、完全に価値観が同じ人がいないことからくる悲しみなのか?と、考えた時期があり、
では、価値観とは、どのように私につくられ絡みついているものなのかとも考えました。
遺伝子、生い立ち、関わってきた人、心動かされる出来事、、、いろんなものから価値観が出来上がってくるわけですが、
生き続ける限り、価値観とは流動的です。
そして流動的ということは他者を理解し、受け入れ、ともに生きて成長し、進化覚醒を繰り返していくからで、
流動的であったからこそ、今現在の価値観が本物であると言えます。
そしてそのように変わっていく価値観ですから、それが全く同じときに出会えるなんてかなり奇跡的なわけです。
過去を振り返ることで理解してあげられても、既に別の価値観を覚醒し始めていたら、それは本当の意味で同じではないのです。
この微妙なズレが寂しさの原因だと気づいたとき、同じことを覚醒している瞬間に出会い、行動をともにするということは究極の快楽であり、究極の幸福なのだと思ったのです。
私は春から夏の田んぼや森や海が大好きです。生物が私をわくわくドキドキさせます。
今まで、これを一緒に同じように思ってくれる人と行動したのは、小学校の頃の友達だけでした。
それからは、私のために、私が喜ぶから、私を幸せにできるから、行動を共にしてくれる人はたくさんいても、自らそれをよろこびとして共にしてくれる人はいませんでした。
ところが、子供が小学生になると、私と同じになり、私は痺れるような時間を過ごすことになります。
共感です。感情が完全に一体化していました。
毎日毎日、とても幸せでした。
もちろん子供というものは、もの凄いスピードの流動ですから、そこには戻れないのですが。
例えば、どうしても生きていけないような許せない出来事があり復讐を誓って、それでなんとか生きている人に、たくさんの愛をもち、寄り添い理解したとしても、同じ経験をもち同じように覚醒している人との共感を超えることはできない。
あまりの価値観の違いは孤独どころか相手に絶望すら与えることもあるでしょうし、
革命なども、そんな共感から起きてきたものだし、それらは、愛や命をこえてしまっている。
覚醒した価値観がもたらす共感て、出会ってしまうととめられないんじゃ?
と、ここまで考えたのには理由があって、ま、まさか、違う世界にいると思ってたのに価値観一緒?!と思えることがあったからで、、
昨日は考えすぎて、疲れて寝る、また考えすぎて疲れて寝る、と、、、
疲れてるんだか、たっぷり寝て元気なのかもわからなくなった一日でした。
だけど、共感て、相手も同じだと感じるから共感なわけで、
それはどうやって確かめるの?
よく、一方的に思い込んで「君と僕は運命なんだよ!なぜ気づかない!」なーんて怒りながらぐいぐいくるストーカーみたいなのがいたりしたけど、私も同じストーカー体質仲間ってことだったりして(・_・;)
そ、そうよね、一回試合をみただけで、大好きな選手が同じ価値観で走ってる!と思い込んで、全国観戦しに行くなんて立派なストーカー体質だわ!!(• ▽ •;)
と、冷静になる機会を与えてくれている運命の流れを感じながら、
運命の出会いの6月に入り、価値観が同じ人が存在するかもなんて、やっぱり凄く嬉しくてわくわくドキドキしちゃうのでした💘(˃͈ ˂͈ )💘←天使がひいた弓矢(晴れときどき殺人より)
でも、出会いって言葉を調べると、音楽の出会い、芸術との出会い、本との出会いとか、いろいろあるわけで、直接物理的に出会わなくても、影響をうけたり、一生関わるような忘れられない出会いもあるわけだから、難しく考える必要ないんだわ!と気づき、ちょっぴり残念なズグロンでした。
Posted at 2021/06/11 06:17:30 | |
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