1月から6回にもわたり長々と経緯を綴ってきたこの話。
私はそれなりに熟慮を重ねた結果、Mazda3のSKYACTIV-Xエンジン搭載車を我が家に迎え入れることにしました。
しかも、我が家で最長老の20年選手・RX-7と並び立つ、私のメインカーの1台としてです。
その座を射止めた理由は後で述べるとして、一時は放出の危機に瀕したアクセラXDの残留決定も含め、自分にも家族にも円満な導入方法が見出せたことにホッと安堵しています。
ま、唯一傷んだのは私の財布でしたが、これは自業自得ということで(^^)。
今回の画像は、それを祝って用意したお酒・・・ではなくて、地元ディーラーが企画した成約記念のくじ引きで、よりによって下戸の私が引き当ててしまった
最上級の景品^^;。
・・・その運、彼是20年も同一番号で買い続けているロト6の方に回したかったんですけどー(笑)。
さて
若き日の私とマツダという自動車メーカーを強く結び付けるキッカケとなったのが、学生時代の国内耐久レース観戦だったことは、これまで何度も書いてきました。昔からのみん友さんには耳タコな話かもしれませんね^^;。
富士の裾野に響き渡るレーシングロータリーの独特の音色と桁違いの音圧は、他のレシプロターボ勢に全く比毛をとらないばかりか、むしろド派手なCHARGEカラーと相俟って、マツダのマシンが放つ存在感に私は度肝を抜かれたのです。
折しも当時のマツダは国内メーカーのシェア争いで「3位グループ」の一角。その立ち位置を遥かに上回るサーキットでの絶大な存在感は驚きでさえあり、私には大いに頼もしく映りました。
その衝撃的な出来事を機に、あらためてマツダやロータリーエンジンに興味を抱いた私は、貪るように関連書籍や情宣誌を読み漁ることに。
この革新的エンジンに取り組んだ背景や狙い、実用化までの幾多の苦難はもちろんのこと、量産後に見舞われた数々の試練や洗礼にも屈せず、技術者の意地とプライド、時には企業としての信義にもかけ、飽くなき挑戦で幾多の壁を乗り越えてきたその孤高のエンジン史に甚く共感。
その語り部たるRE搭載車やレーシングカー、ひいてはマツダという企業そのものに、私は無類の好意を抱くようになったわけです。
その後、マツダの経営危機からの再建に米国フォードが深く関与し始め、RE開発からの撤退が噂される危機的な状況に。いち個人としてREの存続アピールに貢献できる唯一の手段として私が思い付いたのは、RE搭載車の新車購入でした。これ以来、私とRX-7との付き合いは、Ⅳ型からⅤ型への買い換えを経て現在まで、23年間にも及びます。
そのRX-7とガレージに、全てのキッカケを与えてくれた初観戦レースの情景をきっちり投影することは、私にとってマツダやロータリーエンジンとの強固な絆の証左でもあり、自らの轍とその行き先を再確認する拠り所でもあるわけです。
ただ、そこまでREやマツダへ心酔している私であっても、今後いくら自己表現の度合いをエスカレートさせていったところで、その先に絶対に超えられない壁というか、全く敵わないと思わせる大きな存在がずっとありました。
それは、コスモスポーツとそのオーナーさんたち。
西ドイツで産声をあげた夢のエンジンを実用化しようと、世界中の先駆者たちが我先にと開発に取り組んだ結果、見切り発車的なNSU社の1ローター車に遅れること2年半、世界初の2ローターエンジン車として勇躍デビューした、東洋工業のコスモスポーツ。
その未来的な形、聞いたこともない音、異次元のフィーリング、全てが革新の象徴であったこの新型車に向けられた世間の興味や関心、羨望もしくは好奇の眼差しが果てしなく大きかったであろうことは、想像に難くありません。各界の著名人数百名を招き、ホテルニューオータニで盛大な発表会を催したことも、話題の喚起に一役買ったことでしょう。
そして、抜群の話題性を誇るそのクルマのオーナーとなった方々の満足感や優越感もまた、悔しいくらいに想像できてしまうのです。
だから私は、独自の外観を持つ自慢のRX-7を所有していながらも、正真正銘の先駆者たるコスモスポーツとそのオーナーさんには、常に一目も二目も置いてきたのですね。元祖たるクルマに勝る革新性は持ち得ないと。
1967年の5月30日。その歴史的瞬間に立ち会えなかったことが、大のREファンとしては残念至極というわけですが、一方では仕方のないことでもあります。なにせ私が生まれる前の出来事なので、逆立ちしてもコスモの誕生に関わることはできなかったのです(-.-)
だからこそ私は
マツダが再び、ガソリン圧縮着火エンジンの実用化で世界を驚かせた歴史的瞬間に立ち会えたことが何よりも嬉しかったし、SKYACTIV-Xエンジン車のレスポンスとアピアランスに心踊った瞬間、このクルマを是が非でも手に入れたいと強く思ったのです。
コスモとロータリーをリアルタイムで組み合わせることは叶いませんでしたが、あれから53年経った今回こそ、革新技術が生まれた瞬間をそのまま手に入れる千載一遇のリベンジチャンスと捉えたわけですね。
これが、私がメインカーの2台目としてSKYACTIV-X搭載のMazda3を迎える最大の理由です。自らの判断には自信がありますし、きっと今回の選択を後悔することもないでしょう。
初物には付き物の人柱的なリスクも、初のSKYACTIV-G搭載車となったDEデミオを喜んで受け入れた私ですから、心構えは十分です^^;。
ただ
強いて不満を挙げるとすれば、折角のSKYACTIV-X搭載車なのに、外観上の特徴が殆んどないこと。
ホイールの塗色とマフラーカッター形状の微妙な違いを除き、区別化の要素を全く欠いていて、同じMazda3のSKYACTIV-G/D搭載車と何ら見分けが付かないのです。コスモスポーツは300m先からでも一目で革新的なクルマだとわかるというのに。
あえて先進性をひけらかさない?という美学はわからないでもないですが、SKYACTIV-Gとの約70万の価格差を考慮すると、
決して商売上手ではないと言わざるを得ませんね(爆)。