しょこたんの記事を読んでいて考えたこと…
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000008-withnews-soci&p=1
経験談から発せられる力強いメッセージだ。
世の中には、多かれ少なかれ「いじめ」と言う行為はあるだろう。
基本的に「生きる」と言うことは、自分自信で大切な人を守っていくことであると思っている。
自然界では、それはさながら食べるために「殺す」に等しいとも言える。
ただいじめで追い詰めるのは生きるためではない。
それはなんの意味もないこと。
自然界では、生きるためでない場合には傷つけたりはしないからね。
お腹一杯のライオンは、補職するために弱者を襲うことはない。
人間ぐらいだろうね…集団でいじめるという行為は。
それは自分自身の自己満足のために誰かを傷つけてるだけのことである。
自信の経験からすると、ひどいいじめには合わなかったが、どうしても合わない奴はいた。
今だからこそ、そう感じるが「そりが合わない」って感じだね。
当時は、なぜこんなに合わないのかと悩んでた。
お互いにそう思っているからか、会うたびに何か問題が起こる。
また、そいつは目立つグループにいてイキガっていることもあり、弱い奴をダーゲットとして狙ってくるんだな。
今でも弱いが、当時はもっとヨワヨワだったわねぇ…www
ちょっかい掛けて来てもやり返したりしないから、余計面白くなかったんだろうな。
ちょっかい掛けて来ても、逆にかまわなかったら…w
関わり合いにならないようにしていても、自然と事件が起きるのだ。
トラブリたくないから出来る限る関わらないようにして学校で行動するが、
アイスホッケー大会などでは同じ空間にいなければならないこともある。
俺は避けるが、それ自体が気に食わないらしく、奴は近づいてくる。
俺も自然と離れるように行動するが、偶然と言うものはドラマチックだ!www
やってやろうと思ってやったことではないが、突然近づいてきた奴のスケット靴の穴に俺のステックが見事に付き刺さり大クラッシュ!
大衆の面前でカッコつけるステージが大恥のステージに!www
ざまぁみろ!www
クラス対抗ホッケー大会では、格好つけのためにやっている見たいもんだから、そこで大恥をかかされたって訳…当然、怒るわな…w
恥かかせてやろうなんてコレっぽっちも思いていなかったが、潜在意識の行動だったのか…
その後はこの件で殴られたが、更に関わらないようにして中学校が終わった。
敬遠の仲のまま卒業…無事にそれぞれの道を歩むべく高校へ
卒業数年に同期クラス会で、本人曰く周囲に肩で風切って「●●●」になったと豪語している姿を見て「残念なやっちゃなぁ」と思ったことを思い出す。
高校やめたんだろうねぇ…周りについて行けなかったのは自分がだめだったと証明したようなものだ。
弱い奴ほど集団に入って弱い奴をいじめる。
根性なしは、どこの世界にいても生きてはいけない…。
そんな苦い思い出を考えながら、しょこたんのこの記事を読んでいた。
成長期の1年365日は、大人の365日とは全然スピードが違う。
本人は長く感じるが、時間軸は同じなんだけどね。
結局は、充実しているか、してないかで感じ方が違うだけ。
例えば、旅行に行ったときの時間はアッと言う間に過ぎるね。
それは、旅行することで知らない土地の新しい情報がバンバン入ってくるから、頭がフル回転。
どうでも良いことに振り回されている時間はない。
目的に向かって一直線で行動しなければならいな。
だから時間に追われることになる。
だから時間があっという間に過ぎてくんだね。
時間に追われる…何か今の生活状態にも似ているがwwww
でも悩み事は本人でしか解らないし、それが生活のすべてだもんな。
でも食べることも住むことも、命取られる程でなく生活基盤はあるから考える時間がすべてなんだよね。
将来悩むであろう悩み事は、その何百倍も厳しい事と教えてあげたいね。
将来の「いじめ」は「生きる」ことは…本当に命がけだから。
何が何でも負けるわけにはいかないんだよ。
頑張っていれば、道は開けるし、共感してくれる人も必ずいる。
強い物にまかれて、義務を果たさず権利を主張する…これも個性だね。
ただこの個性というものも厄介だ。
成長期に仲良く友人と思っていた奴が、大人になってから全然違う人間だったことがわかり驚かされこともある。
人は時間で変わってしまう。
世の中には絶対に理解できない人達がいるのも事実。
話し合いで解決できない…そういった思考回路の人。
これは、個性であり、他人にとやかく言われるべきものでもない。
病的なものから正常のものまで、そのレベルは見た目だけでは判断できない。
こう言った人には経験から関わり合いにならないことが一番であると思う。
とても残念な解釈ではあると思うが、大事なものを守るためには関わらないと言う選択も必要だ。
特に行政機関では大変だと思う。
世の中はそういった人達がいることで成り立っているから…
だから学生の時に、成長期に勉強ができるとか、社交性があるとか、気にする必要はない。
小学生高学年、中学生時代の経験は多少遅れても大した違いはない。
現代を生きるために生きる方法を導いてくれる人がいるかって事が大事だ。
経験に基づいた「尊徳感情」を教えてくれて、どう行動したら得かって教えだ。
それは親である場合もあるが、、親なんぞのことをまともに聞けるお利口ならあれこれ悩むことはないだろうね。
周囲の人が一言言ってくれる言葉に共感し、生きる目標に築き、新たな光がさすこともあるんだろうね。
そんな言葉をかけて上げれる人間になりたいね。
いじめをする人間は、自分を守ることに必死なんだよ…それは自分自信が弱いって証拠なんだね。
その点で、導いてあげるはずの親が虐待するなんて事件が多いね。
絶対に許せない。
既に親になった奴が道徳ある「強い人間」になっていないからなのだと思う。
強い人間になりたいものである。
何か知らないがやたら重いブログになったわねぇ…www