
彩の国に住んでいた頃、とりわけ至福のときを供与
してくれたものにジョンレノンミュージアムと
彩玉マツダの存在があった・・・
事前連絡をすることも無くふと立ち寄る。
ワイパーを止めエンジンに休息を与えると直ぐに
傘をもって駆け出してくる。
「いらっしゃいませ」と言って『誰かが』。
『誰かが』である。
もちろん快晴の日にも同様に誰かが駆け寄ってくる。
製造番号が12000番代の愛車の実家は彩玉マツダに非ず。
忙しいときにも、5分と立たないうちに『誰かが』
心から・・・自発的に・・・全く自然に声をかけてくれる。
商談コーナーは勿論、ありとあらゆる所の清掃も行き届いて
いる。自慢のコックピット風景を望むガラスもいつも曇り
さえ無いのである。カー用品店のあれとは面持ちをことにする。
スタッフのあらゆる役割の人達がよく教育されて
その実践も成熟していて言動に不自然さが無い。
一人ひとりの人格に浸透して成熟している。
ファミレスやジャンクフード店のあの口調ではない。
あらゆる整備・整備前後の説明も顧客満足を勝ち得るに
充分だ。ホール会員50名以下のゴルフリゾートの様でさえある。
僅かに高くても「行きたい」と思ってしまう。
仕事柄、利用させて頂く機会が多かった帝国ホテルの
接客に勝る。
自動ドアをくぐって奥まで足を踏み入れても挨拶どころか
「すみません」と2度も叫ばなければ顔を上げない・・・
パソコンから目を離さない、社員同士が談笑している・・・
『どちらが顧客なのか・・・自問自答で確認を迫られる接客』
スーツ姿の営業マンも見込客のご子息であろう腕白小僧への
解りやすい『へつらい』に終始し、数人しか居ない顧客と目が
合っても『意に介さず』で、その動向はこちらの同情さえ誘引
し苦笑を禁じえない。
彩玉マツダ・・・福●マツダとは同じ商品を扱っている筈
なのだが、シンクタンクの妙味をもってしても両者を比較する為の
パラメーター抽出さえ困難で、おそらく現代の人類が持ちえる
の英知が及ぶところではない域なのかもしれない。
ビートルズとずーとるび(ネット検索にて承知願う)の違い・・・。
老婆心ながら『美しま』におけるそのマツダの存亡を危ぶむ。
他を知らないマツダファンはともかく、その実態を体験し客観的な
感想を持ちえる人達にとって、それはマジョリティ。
ロードスター、MPVなどマツダの業績向上を必然と納得させる
数々の魅力的なラインナップがなされている今日だけに・・・。
確実にオートバックスやジェームスなどのピットが繁栄栄華を謳歌
するのは容易に理解できる。皮肉にも今後のビジネスモデルの
リストラクチャリングが至上命題のデーラーが自らを犠牲にして
それらに貢献する様は痛ましくさえ感じる・・・。
私が愛用するホイールの八本スポークのワタナベ・・・。
小さいから顧客への応対がいいのだろうか・・・。
経営が苦しいから電話応対が親切なのだろうか・・・。
暇だから親身に受け答えをするのだろうか・・・。
接客教育やマニュアルがありそうな規模ではないのだが・・・。
社屋も立派ではないのだが・・・。
人の振り見て我が振り直せ・・・。『自戒』
Posted at 2007/05/03 12:09:09 | |
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