
本当に漫画実写化は難しいのか?
なんか論点ずらされていませんか?
結果として人が亡くなっています。
まずは今回の芦原先生のご訃報に接し
心よりご冥福をお祈り致します。
その気持ちを踏まえて書きます。
一連の詳細に詳しい方に失礼極まり無いのですがあえてあえてブログで悔しさを伝えさせて下さい。ご理解いたければ幸いです。ただ時系列から推論があります。あくまで個人への中傷ではなく事実の指摘ですのでその点をご考慮願います。
2024年2月5日
ダラダラ書いて長いので「結論」を先に書きます。
[結論]
漫画実写化とはテレビ局が好き勝手に作るもの
それが実写化、再現化とは書いていない。
「セクシー田中さん」の発行元の小学館は
2月6日記者会見を行わない事を社内通達しました。詳細不明となりましたが出来ないという事は
実写化許諾前から日テレへ実写化準備に入る事を
了解していたんだと思います。
事前了解でキャスティングが始まりスタッフも決まり、その後の準備でプロットもシナリオも作成されており許諾の条件が「漫画に忠実に」というある意味抽象的に考えて小学館は伝え
日テレから了解された。小学館は単にメッセンジャーだった。それが記者会見しない使いぱしりになりたいという事です。
許諾された芦原先生が出会った第1話のプロットもシナリオも10話まで出来上がっていた一部分
そこから加筆修正の日々の苦労が続きます。
ただ不幸な事は脚本が相沢友子氏という
改変脚色屋だったという事 これが違ったら…
お読み頂きありがとうございます。
あとはスルーでお願いします。
[客観性]
工業製品である車にはレースという有無を
言わせない世界があります。カテゴリーが同一で諸条件が同じであれば勝つ事が車の優位の証明であり客観的事象として記録となります。
また車の販売はマーケティングや外見や機能
好き嫌いなど知覚的作用など付加分の要素があり、メーカーの体制なども販売台数に影響しています。基本的には大勢の方に支持される車の販売台数が優位と数値としての証明です。
車でなくとも優れた物は残り、存在価値を客観的に示す事が出来ない物は、淘汰されるのが自然の流れであり摂理かも知れません。
今、優れた事を数値として証明した漫画原作が内容を改変されて実写化され世に出て来ます。原因となる脚本が低い評価を受けても同じ事が繰り返さています。駄作を乱発する自称脚本家はそのままでの実写化は難しい、変えてなんぼ!ネットでは原作者対脚本家の対立の構図に持って行こうとしてる私人逮捕系がいる!という声を上げて発信しています。
この自称脚本家は意味不明な内容改変で月9史上最低視聴率という記録を出し、敗れても破れても書き続けて生き残り、まるでゾンビの様です。
言い換えるとGT-Rに軽のエンジンを載せ
自転車タイヤで走っているのを見せられるそんな感じ
こんな澱んだ連中と優れた漫画原作が出会い何かの形態で我々は対価や時間を負担しています。
それらを踏まえ「セクシー田中さん」の原作者にして稀有な才能を発揮された芦原妃名子さんが亡くなる不幸な事案を考えてみました。
[アウトライン]
不幸にも24年1月29日 芦原先生は逝去されましたがその1年前、23年1月「セクシー田中さん」はanan漫画大賞を受賞し世間に大きく認知される作品となります。
時期は明言されていませんがバイプの矢島弘一氏が実写化のお誘いをされその際、芦原先生は物語が完結していないので実写化は無理ですと丁寧に断わられています。
[ターゲット]
ところが23年の早い時期、日テレは23年秋ドラマとして「セクシー田中さん」を勝手に候補にします。日テレ側の動機は簡単明瞭、anan漫画大賞受賞の権威付け、クランクインは23年8月ごろ
交渉経緯の情報は出ていませんがクランクイン3ヶ月前、23年5月突然ホリプロ所属の後の主演女優がベリーダンスの練習を開始します。芸能人のスケジュールから相当早い時期に主演女優等の出演者が決まっていたと思われます。ホリプロと関係性のある脚本として相沢友子氏もこの時期以前には決まっていたと思われます。
クランクインまで少ない日数、原作者意向と無関係なプロットや恋愛要素満充電の改変シナリオが動き出します。
実写化に否定的だった芦原先生は23年6月上旬
芦原先生が出された無理筋を狙ったと思われる
条件を日テレ側に提案、それを受け入れる形で大筋合意の状態に立ち至ります。
[出された条件と隠し事]
芦原先生が出された条件は未完で結末が確定していないから「必ず漫画に忠実に」にする。
ドラマオリジナルとなる終盤については「原作者があらすじからセリフまで」用意するとし
「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」と付け加え、これらが制作側に失礼にあたるとも理解して「この条件で本当に良いか」と何度も確認されたという(馬耳東風)
クランクインまであと2ヶ月、時間は圧力となり、日テレ側は裏で出来ているシナリオは刷り合わせで越えられるレベルに思っていたのは明白です。この馬耳東風対応が齟齬を産む甘い判断として後に響いてきます。2ヶ月前で何もしていないとは考えにくく馬耳東風の背景は許諾以外はすべて終わっていたと考えるのが自然です。
[伝聞による刷り合せ]
すぐ実写化は躓きます。「必ず漫画に忠実に」
は改変ありきで作成している恋愛要素満充電の第1話プロット、シナリオが登場して来ます。
作品の世界観を大切にする原作者は許容しがたく加筆修正を必要とします。ここから芦原先生の多忙なお仕事に余計な付加する生活が12月まで続きます。
ずっとこの状態が続いていく過程での
窓口小学館の対応は?
知らんぷりで日テレの御用聞状態と思えます。
芦原先生の作業時間を反映するかの様にクランクインは9月6日、その後第2話から第7話までの加筆修正を行なっており延々と続く確認作業マルチタスクは当然の様に遅れを生じると思えます。原作者者が用意する第8話以降のあらすじに遅れが発生していたかも知れません。
製作側や脚本家に嫌気がさすのか?色んな要素があったと思われますが第8話の擦り合わせは
今までと異なる展開となりました。
何度お願いしても修正されてこない第8話脚本が提出されます。製作の思惑と先生の作品に対する思いは大きな対立となります。この8話までの脚本はとっくの昔に完成されていて修正なんて全くする気なく当て擦りに出された様に思えます。
尊大な相沢氏の前に日テレ側は無力化していたと
考えます。
[修正に限界、終盤の対立]
物語終盤はあらすじからセリフまで原作者が用意する…
この条件を終盤が近くなって知った相沢氏の対応?やる気を無くして無修正で出すと考えると妙に腑に落ちます。それはそれ以降は書けよ!という事です。ここに書かざるを得ない状況が発生します。
第9話10話の脚本を芦原先生が書く状況、それは未知の脚本出筆、迫る時間の心労、書き進める苦悩は極限だったと思います。
作品に対して深い愛情は後に脚本家から
脚本を奪って書きたいに旨と情報変換脚色されます。
やっとの思いが物語る様に第10話のクランクアップは12月23日、放映日前日となっています。
[奇襲と反復攻撃]
12月24日最終回放送の6時間ぐらい前、原作者に脚本を奪われたと解釈し放送が迫り苛立つ気持ちが抑えても収まらない相沢氏は、守秘義務もなんのそのインスタにて下記のテロ投稿を行います。たっての表現に書かせた事実隠蔽が読み取れる気がします。
このテロの目的とするところは視聴者に9話、10話が尻すぼみに感じさせると同時に酷い目に遭わされたとの印象操作を行うこと、主演女優を借りるのは芦原先生に仕事の疎外感を感じさせるためや視聴者の求心…と思えます。
最終話は放送後、日テレ公式に感想コメ欄が設けられ放送に批判的コメントに対してイイねがつけられ肯定的コメントに無視という状態になっています。相沢氏の事前内部情報漏洩もスルーで高評価もスルーは高い連動性(グル)を感じます。
守秘義務違反の指摘もなく
尻すぼみの印象操作の結果に好感触を得たのか
次いで反復攻撃を12月28日に行います。
文面も執拗ですがシナリオの第1話〜8話までしか書いていないと写真でもアピールする執念深さは何? 嫌味百戦錬磨でどう映えさせるか…よりどう箔付けさせるか考えた写真
隣に恋愛要素充填改変で批判を浴びたミステリーと言う勿れが写っています。自分の手柄の様に飾られた第8話までの添削だらけのシナリオ、印象操作に手段は選ばないという事
以降、自称脚本家仲間の燃料補給も相まって
原作者批判の炎上を呈します。
[自己弁護で至難となる]
テロで炎上させられて事の経緯を説明したかったのでしょう先生の疲れた心は自己弁護に向かいます。
極限まで追い込まれて脚本を書かされて
終盤にドラマが萎んだ!と
公開の場で非難されるのはどれ程の事か?
先生の心情をお考え頂ければ幸いです。
1ヶ月後、小学館に内容確認と了承をとって
24年1月26日芦原先生はわざわざ開設した
X投稿にて丁寧に批判せずに詳細の説明をされます。当然の様に投稿で相手側非難となり炎上します。ごく自然な当たり前の出来事です。
この炎上を小学館は冷静に原作者目線で見れたのか?
小学館はニワトリにタマゴを産ませる事が
仕事です。大人しくタマゴを産むニワトリが
良いニワトリです。きっとニワトリは声を
あげようとして反対され1月26日まで日が流れた。
同28日、「攻撃したかったわけじゃなくて。 ごめんなさい。」とそれまでの投稿を消して新たに投稿、その後失踪され逝去となります。
短期間に素早く整理、旅立たれている事から
事情説明Xを書かれている間に心の整理を
された様に思えてなりません。
誠に不謹慎な推測ですがXの投稿用に経緯を
時系列に沿って整理されているうちに自分の
置かれている状況を客観的に理解したのでは?
今まで味方だと信じていた小学館から投稿用原稿への守秘義務の指摘などを通して、自分が小学館から物の様に扱われた実態が判明した気がします。推し量る事は出来ませんが、先に日テレに売り込んで許諾前に全て準備され、その修正に半年間苦悩した。その実態が判明し罠の様に感じられたら… 仕事への恫喝があったか?里中満智子さんのコメントから不謹慎な想像、お許しください。
地上波報道はネット民が追い込んだと報道ですが、日テレ側や脚色屋は26日の投稿後一切
小学館へ連絡しなかったのでしょうか?
攻撃したかったわけじゃないのニュアンスは?
丁寧な説明は攻撃ではないと思え
すべてが見えない状況です。
[なぜ原作を改変するの?]
そこにあるのはキャスティングに始まりそれに原作を合わせる変更ありきのコンテンツ作成システムでした。
高い評価や多くの発行部数を誇る人気漫画作品は実写化作品として狙われます。手取り早く視聴率や興行収入を上げるために取られる安易な手法です。
そのコンテンツ作成システムは主演俳優以下演者やその所属事務所をはじめ関係各部門に労働と利益を供与し、それは仕事を得る種として機能しています。話しは変わりますがテレビ局が違うのに同じジャンルの番組が多いのもコンテンツ作成システムが大きな影響だと思います。
製作側と出演側プロダクションの関係で俳優を売り出したいなどキャスティングありきの要求とスポンサーとの関係や視聴率などマネージメント能力を問われる現場でチーフプロデューサーが責任者として調整しているのが一般周知の内容です。
無能でサジ加減の下手なプロデューサーがいたら人気原作漫画に飛びつき、出演者の配置で余計な配役を増やし、広告代理店の後ろにいる経営者の品やモラルのかけらもない同友会代表幹事のスポンサーに多様性のある個性を消して媚びた内容へと作品を変質させてでも視聴率を取りに行くのは容易に想像させます。
その際、脚本家として選ばれるのは原作を
改変してなんぼや!みたいな、存在しない人物や無い要素を加えラブコメ路線絶対!プロデュース力を発揮する原作クラッシャー御用改変脚色屋です。
用があるのは原作の知名度だけ
内容に関して改変上等みたいな自称脚本家が
重宝され改変ゾンビが蔓延る世界がドラマ界
改変ありきは鉄の常識です。
常識は常識を呼び、硬直した物作りは
経済効率と作品知名度だけの薄ぺらい恋愛物に
改変されそんな駄作を見せられ自慢される。
この馬鹿げた仕組みに「セクシー田中さん」が
引っかかり引きずられたという事です。
[硬直した製作側の核心]
2月4日に放送された「ワイドなショー」を見て
その際、漫画家の柴田さんが涙ながらに
「脚本家を責めないで下さい!」
「よくわからない周りは黙っていて下さい。」と
お涙頂戴で情に訴えている姿をみました。
演技力を越えた悲しみ憑依で局の意向に沿う姿
嘘ではないネット民憎悪の信念の様なものを感じました…
しかし結局は黙れという事
ここまでの手を使って印象操作してくるのか?
やり切れないのですが、よく良く考えると
人として終わってる改変脚本家を責めるな!
知っているなら声を上げろ!にも聞こえます。
ネット民に殺されたと印象操作に懸命な地上波メディアはもはやキャンペーンの様相です。
メディア関係に詳しい弁護士は「改変禁止を日テレや脚本家が知らされていなかったかも」と発言
ABEMAに出てくる芸人は「スマホは人を殺します」その他多くの知識人が原作どうりの実写化は難しいとドラえもんの話と人が亡くなった改変話を混同しています。いじめた方をかばって負の連鎖は怖いから云々って日テレが真顔で言うな!
もう歪んだもの見せられていたのをヨシとする気持ちが失せました。
市場原理も通用しない淘汰されない局のコンテンツ作成システム、記者会見での経緯説明や詳細コメントも出さない日テレ、小学館や原因作って哀悼なしのとんずら脚色屋、素早い哀悼文と誹謗中傷をやめろの声明後ダンマリをいつまでも続ける冷たいフリーズ日テレは…
「最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。」
と問題がどこにあったか言い訳がましいコメントで核心を突いています。
BBCとか官房長官会見で望月氏に質問されるより先に動けないのはほんと気の毒に思えて来ました…文春は内容を知っています。
[地上波テレビ対事実を知る人]
今必要なのは真実を知りその1人が自分に
出来る事をしていく、その力が量子力学的
知見となって不要を淘汰していくと思います。
要らない物は無視して正すものは正して頂ければ幸いです。
[要約]
23年6月実写化許諾以前にシナリオ作成を行い
恋愛要素満載のラブコメ脚本が出来ていた。それをご機嫌取りながら修正という話で第7話までそまま書かせ、終盤の展開が原作者主導の基調で進む事を知って勘違い脚色屋が爆発してテロ、このインスタテロに自称脚本家が踊らされて炎上、原作者はありもしない脚色屋の尊厳みたいな虚偽虚勢虚構を信じ込まされる様に誘導される。この暗示による自責を被せられて事情説明を強いられた。
蛇足ですが芦原先生が亡くなった事件に対して
ど正論を展開されている動画のリンクを貼ります。特に最初の動画の後半にはモヤモヤを解消させられます。
「勘違いババアは去れ!」相沢氏に関して