特にセンチメンタルな感情がある訳ではないけど、たまにぼんやり思うこと。
私の父が以前乗っていた車が 96年式のタウンエースノアでした。
東北では普通にありがちなガソリン四駆のAT。
拾い物の画像ですが、見た目はこのまんまです。色もこれです。(ブルーイッシュシルバー だったかな?)
私の中の「ドアミラーは黒」という意識は この車からきている気がします。
これも拾い物ですが、内装も まんまこれでした。
内装色が…ムーンミストだったかな。
そして 木目調のインパネ。
ちなみに私は今乗っているエスティマのキーケースはこんな感じの木目のを使っています。
こういう色合いの木目が好きなのもやっぱりこの車から来てますね。
ところで 右側に見切れているけど、うちのタウンエースノアはドア内張りの布が 剥がれてました。この画像の個体も剥がれてるね。
さて、うちのタウンエースノアは父が新車で購入したのですが、当時の私は小学生。
父の運転で あちこちに連れて行ってもらいました。
私が中学生になり、タイヤ交換を任せられ 私がタイヤ交換をするようになりました。
高校生になり、CDを読み込まなくなったHUを交換。窓に薄いスモークも貼りました。
高校を卒業する辺りかな。
私が教習所に通い、仮免許を取得。
“仮免許練習中”という文字を付けて 運転しました。
免許を取得してからは あちこちに行きました。
夜な夜な出かけ、年間の走行距離が2万キロを超えた時もあった気がします。
保安基準で許されていたので、ヘッドライトもフォグも車幅灯も黄色にしていました。
リアフォグも付けていましたね。冬場スペシャル。
牽引ロープも乗せていたので、ハマった車を何台も救出しました。
そんなタウンエースノアも、オイル下がりがひどくなりました。
記憶の中では、1,000キロ走れば2リットル以上のオイルを補充していた気がします。
最終的には、走行中に常に青い煙を吐くようになりました。オイル上がりですね。
そして エンストが頻発。
バッテリーの劣化だったのかオルタネータの不具合か。それともISCV(だっけ?)の不具合なのか。
最終的な走行距離は34万キロ超。
「オイル上がりによる周りの車への迷惑」「消費税増」ということを主張し、修理ではなく買い替えとなりました。
私が小さい頃からそばにあった車。
今は亡き祖母も乗った車。
免許を取得して、友人を乗せて 色んなところに行った車。
手放さずに維持していても、いつかは最期が来ると思います。
でも、手放さずにいたら 今はどうなってたんだろう…と思うことが よくあります。
私は 過ぎたことを後悔する人間だと自負していますが、車に関しても そうなんだなあ…と思いました。
う〜ん、支離滅裂…
酔っ払いの戯言でした!
Posted at 2019/06/05 23:43:56 | |
トラックバック(0)