先日、みん友さんから古地図、航空写真のサイトを教えていただきました。
面白そうなのでちょっと自分もいろいろ閲覧したのですが。
昭和21年の米軍撮影の航空写真から。舗装していないから轍がくっきり出ているのでしょう。
ちなみに手の印の茂みから上を向いてみた図の70年後の景色がタイトル画像です。
昭和23年の航空写真から。右が国鉄彦根駅、左が護国神社。
手の印のところには、、、、
これがあったりして(笑)
過去の日記参照。
さて、ここは現在市民憩いの場、公園になっていますが
昭和21年の11月には、、、、、、畑になっていました。城跡なので個人の土地ではありませんので、非常時であることが判ります。
この小学校もグランドの大部分が畑になっています。(これが畑であるという確証はないです。推測ですが)
いままで半世紀以上生きてきて色々な戦争体験を聞いてきましたが、東京や大阪の話ではなく、極めて身近な地元の話として戦争を感じさせる写真であります。
追記)昭和23年の航空写真にはみられない畑です。
ふと思い出したことがありました。
終戦間際の7月、日本各地に「
パンプキン爆弾」というものが落とされました。原子爆弾の投下練習用の爆弾ですね。
これが近所の工場にも一発投下され、16人の死者と100人以上のけが人を出したというのが記録に残っています。20メートルの大穴があいたと記録にあります。
投下後約一年で爪痕が残っていないかと観てみたのですが、はっきりしたことは判りませんでした。関係者に社史を調べてもらったのですが。
当時この繊維工場では、魚雷を作っていたそうです。
赤丸の部分がなんとなく不自然な感じがしたのですが、皆さんはどう思いますか?
滋賀県はほとんど戦争による破壊はなかったそうですが、終戦直前には
彦根近辺では艦載機による機銃掃射が毎日のようにあったことが記録に残っています。この話は一度だけ父親からきいた記憶があります。
最後に
このサイト、広島の原爆投下前後一週間の写真もそれぞれ閲覧できます。
ある意味かなり生々しい写真ではありますが、想像力を膨らませて反戦の気持ちを新たにするのもいいのではないかと思います。
出典:国土地理院の空中写真
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Posted at
2017/09/20 21:49:06