少し前からヤフオク!の絵葉書カテゴリをチェックしています。
そもそもの動機は
パウロママ山関連の調査でありまして、モンタヌス日本誌に記載のある
方形の水門というのが長命寺の古い絵画や写真に描かれていないか?あれば決定的な証拠になるのではないか?と考えて調査中であります。
さて今から100年くらい前の大正昭和初期においては写真葉書が盛んであったようで、建物の新築記念や神社仏閣など多数の映像情報がそこに残されています。
前出の長命寺についても20を超える種類の絵葉書がありますが、長命寺港に水門を見つけるまでには至っておりません。ただ、別の興味が沸いてきつつあります。本題はこから。
有名な近江八景に「粟津の青嵐」という名所があります。JR琵琶湖線石山駅付近にあった松並木なんですが、現在は見る影もありません。
(1)このあたりから左に琵琶湖を見つつ緩いS字カーブが続きます。
(2)今は両側に工場や民家が並んでいます。
(3)僅かにこの数本の松に痕跡を残すのみであります。
粟津の晴嵐 - 昭和初期には500本の松が残っていたが、その後の地域開発などにより3本が残っているだけになっている[4][5][6]。wikiより
地元のブログによるとその後1本枯れて最後の2本だとか。左は中学校の体育館。
(4)このあたりまでかな?この奥を右に曲がると石山駅や
今井兼平の墓があります。
手持ちの大正初期の古地図。まだ京阪電車が開通する以前の地図なので分かりにくいですが丸で囲んだ道が粟津の青嵐と呼ばれる場所かと思います。
ヤフオクにて粟津の青嵐で検索するとおおよそ30余りの出品があり多数の角度から撮影されています。
たとえば
こんなの。
松の形や小さな橋、カーブの形状からかなり正確な位置が割り出せないかな?とちょっと気になっています。
追記)国土地理院の古い航空写真を使うという手があったか!!
国土地理院の航空写真より引用 1946年(昭和21年)
前出の4枚の写真(1)~(4)の撮影場所と方向はこのあたり。
この2枚はおそらく昭和20年代と思われ、木製の柵が写っています。道の向こうは野球グラウンドのように見えます。(上の写真の左奥にスコアボードが、下の写真では守備をしているような位置に人が立っています)。となれは昭和24年に開校した中学校のグラウンドかと思ったのですが、航空写真では工場が既に建っており、上の写真のアングルでは撮影は不可能。謎が深まります。
Posted at 2021/07/11 16:08:12 | |
過去への旅 | 日記