久しぶりの更新となりました。
雪山での遊び過ぎが祟ったのか、
いい加減身体が「休ませろゴルァ!」とスト突入。
流感をこじらせてしまって、ほぼ一週間ほどダウンしてました。
年末・年明けからずっと、仕事が切羽詰ってたもんだからね・・・
その合間で寝ないで遊んでたんだから仕方がない。
39度を超える熱で脳細胞が結構死んだのか、
ブログを書くようなこころの動きが当分無かったよ。
でもまぁ今シーズンは、回数こそ少ないものの、中身の濃い雪遊びが結構出来たよ。
これも、一緒に走ってくれた仲間達がいたからこそ、
感謝、感謝だよ。
最近は特に思うんだけどね、クルマに限らず何でもそうだけど、
やっぱ、友達と一緒に遊ぶから楽しいんだよね。
たまには独りでストイシズムに浸るのもいいかもしれないけれど、
そればっかりじゃやっぱ暗いよ。
僕は多分、一緒に走れる仲間がいなかったら、走りに行かない思う。
逆に、仲間がいるウチは走りに行きたいw
タイトルにもあるけれど、もうすぐ「卒業」シーズンですね。
新年度になり、生活や環境が大きく変わり、走れなくなる人も多いみたいです。
それは建て前的な理由であったり、経済的な理由であったりで、社会的な圧迫が増すと、
あくまで遊びで、二の次なクルマは一番のリストラ候補になりやすい。
ここでクルマ好きな馬鹿どもは、正しい風に負けまいと必死で抵抗したりするわけだが、
努力も虚しく破れていく者も多い。
それは結婚を理由にするものであったり、
借金を理由にするものであったり、
家族の反対を理由にするものであったり・・・
自分の知り合いでもたくさんの方々が、クルマに情熱を燃やし、そして卒業していきました。
僕は、学業の修了以外のことで「卒業」という言葉を使うのは好きではありませんが、
様々な理由こそあれ、「気が済んだ」と気持ちに区切りをつけられるなら、それは一つの「卒業」と言えるのかもしれない。
ただ。
それは、自分にはいまいちピンと来ないものだ。
辞めていった人たちを見ていていつも感じるのは、
もう少しのところで、自分のものに出来なかったんだなぁ・・・というトコロ。
うまく口では言えないんだけど、自分の感覚で見たある一定のラインを超えてる連中は、
どんな理由があっても、クルマを辞めるということがないだろうなという安心感があるんだよ。
この一定のラインというものは、一概に上手い下手という事ではなくて、
クルマとの向き合い方・・とでもいうのかな。
自然体で無理をしていないけれど、誰よりもこころで追求している奴ら。
クルマが好きと言うよりは、走ることをメシを食うとか、クソをするとか位にしか考えてない。
切り離せない当たり前のことになってしまっているんだ。
どんなに安普請で家を建てたって、勿体ないからトイレは割愛しようって施工主はいないだろ。
最悪二階には要らないや、とか、ウォシュレットじゃなくてもいいや、はあっても、無くてもいいにはならない。
クルマにたいしてもそういう発想だ。
辞めざるをえなくなってしまった連中に共通している事は、
クルマが大好きだってこと。
好き過ぎるが故に、自分を追い込み過ぎてしまうんだ。
自分の理想のカタチを実現できないならば、いっそ無い方がいい。
惨めな思いをするくらいなら、終わらせてしまった方がいい・・・そんな風に思うのだろうか。
中途半端が嫌と思ってしまうのか、
憧れのビジョンが大きすぎて、潰されてしまう。
結実しない恋を悲観して、片思いの相手や恋人を刺すタイプだよ。
0か100かの逆上型・・・最近多いよ、そういうの。
辞めなくちゃいけなくなるのは、まだ趣味と思っているから。
順番をつけて切り離せるからだよ。
十数年前・・友人のNA6にて。
僕は思うんだ。
クルマは遊びじゃない。
ハンドルを握る事は業務であり、仕事なんだと。
生活の一部なんだと。
職業ではないよ、自分とは切り離せないアイデンティティなんだと思うんだ。
クルマのハンドルを一生握らないと決断するなら、それを辞めると称するのも致し方ない。
でも、大概の人は生活の一部として、今日も明日もハンドルを切っていくと思う。
「走り」とは、趣味ではなくて概念なんだ。
もっとクルマを上手く操れる様になりたい。
もっと楽しく運転したい。
もっと安全に運転できるようになりたい。
こんな風に思うことも辞めてしまうのだろうか。
僕だったら、クルマを手放してしまったとしても、これらをこころから消す事は不可能だ。
走りのクルマから、ミニバンや、軽自動車に切り替えてしまったとしても、
これらを意識しなくなるのは不謹慎な事にさえ思う。
僕はね、みんな少し、見栄っ張り過ぎると思うんだ。
何に乗るって事とかに、拘りすぎてる。
フェラーリF355からインプレッサに乗り換えたら屈辱?
ワンエイティーからヴィヴィオに落としたらカッコ悪い?
大好きなRX-7を降りる位ならもう走らない?
何でなんだ・・・誰も君たちの事なんか見ていないのにw
結局走って楽しいかどうかという事よりも、
自分の拘りを通せない事が恥ずかしいと感じる方が上なんだ。
僕は多分、明日からインプレッサがプレオになっても、何の未練もない。
限られた条件の中で、目イッパイ楽しむ方法や、速くなる方法を模索するだろう。
単純にそういうことが楽しくて、クルマに対して求めている事はきっと満たされていく。
僕にとって、クルマや走りは、そういうもの。
概念であり、スタイルなんだと思う。
見栄で走るような人は、きっと走りも未熟で、
カッコつけようとして通学中の学生の列に突っ込むクチだよ。
好き過ぎるだけのクルマなら辞めていい。
周りに迷惑が掛かるから。
でも、走ることはライフスタイルであり、自分自身だと思うのなら、
きちんと自分のものにして欲しい。
時間が掛かっても諦めないで欲しいよ。
これからもハンドルを握るのならそれは義務だよ。
ミラだってトゥディだって何だっていいじゃん。
ムーヴなのに僕達より速い人だっているんだよ。
下らない見栄を捨てたら、お金なんか掛からないよ。
いつまでに、どれだけ上手くならなきゃいけないなんてない。
そんなものは、一生がかりの目標にでもしておけばいいよ。
大事なのは、いま自分がどうあるかなんだ。
どんな気持ちで目の前のハンドルを握るか、
明日には死ぬかもしれない人生のなか、今を全力で生きる事と同じ大事さで、
走る気持ちと向き合って欲しいよ。
人生と深遠なる走りの世界には「卒業」など存在しないのだから。
走りへの想いには、辞めるとか無いと思うんだ。