2011年03月24日
被災地復興の為にがんばってくれてる沢山の方々がいます。
避難所生活が続いて不自由な思いをされてる方々がまだまだ沢山いらっしゃいます。
復興の為に頑張ろうと思ってる方々が沢山いらっしゃいます。
今、皆がひとつになり頑張っていかなければならない状況でありながらも俺には関係ないと思ってる奴らも多い様ですね!
いろんな話を耳にしますが腹が立ってしょうがないです。
*震災直後仙台国文町のある店ではおにぎり2個1200円で販売(死ね!って感じですね)
*最近チェーン店が多い某ホルモン屋さん(1部だと思いますが)100g3000円で販売(二度と行きませんね!)
*震災直後仙台の港の方ではコンビニ強盗が多発!1日で30万稼いだんだって!(こんな人ほど生きてるのが納得いきません!)
*気仙沼の銀行では4000千万盗まれてるでしょ!(人じゃないね!ゴミ以下の何物でもない!)
*先日、屋台販売をしていたら遠くの方から暴走族らしきバイクが2台でシナッテ走ってきました。
目の前を通り過ぎる瞬間近くにあった椅子を投げてやろうかと思いました。(こいつら本当に馬鹿なのかな?)
*ガソリン調達も難しいので僕は時速30K~40Kで走行!回転数は登り坂以外は2000回転以上回さない様にと低燃費走行を心がけています。普段だったら迷惑かもしれませんが今はこんな走行しててもしょうがないと思うんです。
でも、そんな走行してても後ろからあおって来る車がいるんです。それが意外に緊急車両だったりもします!(車止めて説教してやろうかと思います!)
もちろんまだまだ沢山ありますよ!あれもこれもって書いてたら人間不信になりそうです!
こんなこと書いてますが俺もまともな人間じゃありませんが少なくとも善悪の見分け位はつきます!
とにかく腹が立ってしょうがない話でした!
Posted at 2011/03/24 08:56:23 | |
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日常の出来事 | 日記
2011年03月23日
震災後、まだ実家の気仙沼には帰れてないのですが両親とも元気にやっている様子です。
震災でまだ家の復旧作業が終わってない親戚が実家に何人か一緒に生活している為まだ気をまぎらわせられる状況だから元気なのかな?と思ってますが今後が心配です。
いつも強気で振舞ってる母親ですが、本当は弱いのも知ってるだけにあまり無理はしてほしくないところです。
そんな母から先日お願い事をされたんですが『自転車が欲しい』との事でした。車のガソリンも底をつきそうでこれからは自転車で移動するからという!
実際自転車を買って持って行ってあげたいのですが、仙台では自転車も売り切れ状態のお店が多く、買ったとしても持っていくガソリンも無かった為、車仲間のネットワークで何とか母からの願いをかなえて上げる事が出来たんです。
仙台から地元が一緒で車仲間の先輩が気仙沼に行って来るという事で両親達の米と食料を積んでいただき、一関経由で一関の車仲間の方に自転車2台とガソリン用意していただき気仙沼の実家まで運んで頂いたんです。
本当感謝です。自分の身内の事だけでも心配で早く戻りたいはずのなのに、嫌と一言も言わず実家まで行って来ださった先輩ありがとうございます。
そして自転車を提供して下さいました○くさん本当有難うございます。
こんな素晴らしい心のある車仲間が居て良かったと思うばかりです。
Posted at 2011/03/23 04:39:20 | |
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日常の出来事 | 日記
2011年03月19日
地震後皆様から励ましのコメントを頂きました事有難うございます。この先の希望となんか勇気が湧いてきました。本当にありがとうございます。
お一人お一人にコメントをお返しする事が礼儀かと思っているのですが、復旧の忙しさと気持ち的に少しナイーブになっていた部分がありコメントにお返しする事ができずにいました。
最近は震災のニュースを見ていて涙する事もありますが、私の知らない所では復興の為にいろんな方々が寝ずに動いて頑張ってくれてるのを見ると少し落ち込んでいた気持ちが頑張らないといけないなと行動にうつせるくらいまで復活しました。
関東、広島、九州各地の友達も俺に何にかできないかと電話や、メールを頂きました。
『いつでも言ってくれ!』と本当にありがたいお言葉です。
被災地の方でありながらもそんな言葉をかけてくれる方々も多くいらっしゃいます。
今は本当に皆さんと協力しあいながら頑張っています。人と人との繋がりがこんなにも素晴らしいものなんだと改めて実感しています。
私自身、今は頑張るという言葉しかないのですが、避難所生活をされてる方々は本当先も見えない状態で頑張るという言葉も正直出ないのではないのではなかろうかと思うんです。
そんな避難所生活をされてる方々の為にももっと勇気と希望が湧くような事がないだろうかと考えているところです。
Posted at 2011/03/19 03:38:43 | |
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日常の出来事 | 日記
2011年03月15日
気仙沼に住んでいる実家の両親と連絡がまったく取れず音信不通状態でした。
地震当日の夜に着信メールがあったので無事の返信メールをしたんですが向こうには届いてなかった様なんです。
僕の安否確認が3日間まったく出来てなかったらしく不安で不安でしょうがなく気仙沼も大変なのに安否確認の為だけに5時間かけて仙台に来てくれたんです。70近くの母親と抱き合いながらお互いの安否確認をしました。生きてて良かったと本当に思います。
でもすっかり疲れ切った様子でした。親戚の家が流されそのままおばさんとおじさんも行方不明でその娘家族も安否確認がとれない、もう2軒の親戚も結構高台にある家なのですが1階まで波が浸水したらしく想像を超えるかなりの津波で生き地獄を見ている様だと泣いていました。
仙台にしばらくいるのかなと思ってたのですが、そんな親戚が実家で皆一緒に生活してるからと30分もしないうちにまた気仙沼へ帰って行ってしまいました。
自分達が生活するだけでも大変だと思うのに、不自由してないかと、水、ご飯まで持ってきてくれたんです。
この年になっても親に愛されてる事を凄く感じます。本当ならば僕がすぐにでも実家に行かなければいけないのに俺は何やってんだろ・・・?
本当に涙が出るくらい生きていてくれてありがとう。
Posted at 2011/03/15 09:20:56 | |
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日常の出来事 | 日記
2011年03月13日
3日目少し疲れて来ました。
精神的ダメージが大きいからだとは思いますが、
被害の状況がいろんな角度から見えてくるにつれ絶望感が増してきてます
昨日は地元が一緒の知人が気仙沼まで行ってきました。写真を見せてもらいました。
頑張ろうと思って何とか気持ちをキープしていても小さい頃から慣れ親しんだ土地、道路、見る姿形がない状況を見せられると涙しか出てきません。
まだまだ私は被災者でありながらも幸せな方なんだと痛感させられます。
復興の為に何かしなければと思っても動く手段のガソリンも入れられなければ、皆に分けてあげられるくらいの水、食材もありません。無力です。
支援物資も全く足りてない状況です。
話を聞くと食べるものが不足している為、倉庫から津波で流されたカップラーメンの箱やお菓子の箱を拾いに行く人達もいるそうです。それはいい事ではないのかもしれませんが今、生きる為の手段として恥ずかしい事でもないのかなと思うしかありません。
一人でも多くの人に生きのびてほしいと願うばかりです。

Posted at 2011/03/14 10:34:06 | |
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