
仲道郁代のショパン:ワルツ。
まず、このジャケット。色合いや佇まいがシンプルでありながら、良い。
2枚組のハイブリッドSACD。1枚目は1842年製プレイエル、2枚目は2013年製スタインウェイによる同一曲が演奏、収録されている。当たり前だが、音色は全然違うし、もし同じに聴こえるようであれば、それはオーディオがおかしい。因みにPCオーディオでプレイエルを聴いたら、いかにも古臭いという意味での良さを伴う、美味しい音がした。メインシステムではもっと自然で、「眼前でプレイエルを弾いている」感じなのだが。
プレイエルの音は一言で言うと「ボテッ」としている。ただその「ボテッ」は現代のピアノには絶対に出せない温かみがあるのよね。
ではスタインウェイはどうかというと、これがまた(聴き比べた上で)清廉潔白な音でねぇ。これもまたプレイエルには出せない音。
それは違いとしていいんだけど、でも、プレイエルも最初は現代ピアノに慣れた耳で聴くから、うわー……ってなっても、1分も聴いてると慣れてしまうのか、心地良く普通に聴けてしまう。(これはメイン、PC問わず)
曲目としてはやはり変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」が有名だろう。プレイエルの良さを引き立たせるのがこの曲を含めた「ワルツ」という曲群ではないのかと。そういう観点からすると、スポットライトが当てられるべきなのはプレイエルでの演奏で、「おまけ」なのはスタインウェイの方になってしまう。しかし、現代のピアノでの演奏も聴きたい人の為に2枚目のスタインウェイは存在するかのようだ。どちらも素晴らしいので甲乙点け難し。とにかく、すごく意義と計らいのあるアルバムだと思う。
音は、プレイエル、スタインウェイ、通して仲道郁代がその場で弾いている。そんな音。
音が長く残らないプレイエル。そんな楽器ならそれに合わせて、それを活かす曲を創るショパンの才能が窺える。もちろんショパンからするとこの音が「普通」だったのだろうけど。
SACD層とCD層の聴き比べ。
スタイウェイでは言わずもがな、よりレンジの狭いプレイエルでもほんの少しだが、確実に違いがある。その違いとは音の骨格、輪郭感だ。もちろん、直接音だけではなく残響音のことも含む。ただ、CD層だって特に問題のある音ではなく、SACD層は更に自然に聴こえる音という話。
同じ曲でも聴き比べができる(通常、CD層で2回分、SACD層が再生できれば4回分)企画としても面白く、何より偉大な作曲家が生前愛したピアノと同じ時代のピアノを使用しているというのも素晴らしいし、よくぞやってくれたと称賛の気持ちでいっぱい。ショパンが実際にこう弾いていたんだろうな、という想いに浸れる。
ライナーノートにはショパンの生前年表とともに各作品が作曲された時系列も載っているので参考になる。
Posted at 2016/08/13 16:56:08 | |
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音楽 | 日記