
2代目タイガーマスク―プロレスラー三沢光晴氏が亡くなった。
ご冥福をお祈りします。
さて,この試合ですが・・・大きな問題が2点あります。
一つは,リングドクター不在で試合が行われたこと。
事故後の状況がそれを物語っています。
リングに倒れた三沢氏のもとに駆け寄ったのはドクターではなくトレーナー。
そして
“
「観客の方でお医者さんはいませんか!?」というリングアナウンサーの要請でマットに上がった医師が、自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みた。”
という記述にあるように,観客席からドクターを探したのである。
“危機管理”の欠如
三沢氏が倒れた時にリングドクターがいたら助かったのかどうか,それはわからない。
だがこの場合,その可能性があったかなかったかが問題ではない。
格闘技の試合会場にドクターがいないなんて,許されることではない。
ノアは今後も活動を存続すると言っているが,このような状況で試合が行われているのであれば,即刻中止命令が下されるべきである。
助かる命も助からなくなる。
不幸を繰り返してはならない。
もう一つの問題。
それは,頚髄損傷という病態を誰もが認識していなかったことである。
それを知っていたか知らなかったかで三沢氏の一命を取り留めることができたかどうかはわからないが,少なくとも知っているのと知っていないのでは全く対応が違う。
あちこちのニュースで流れている情報には多くの誤解が含まれている。
実は,事故の瞬間を見ていれば,それが頚髄損傷であることはスポーツドクターならば瞬時に判断できることなのである。
“
この一撃はかなりの急角度で落下。ほぼ脳天から落ちた。”
この記述にあるように,三沢ほどの巨漢がほぼ脳天から落ちた場合,まちがいなく一番のダメージは脳ではなく頚椎に来る。
はっきり言ってこれはスポーツドクターにとって“常識”である。
そしてその後の倒れ方。
“
受け身の体勢が十分取れずに、体を「く」の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。”
首から下が麻痺するのであるから,受け身なんて取れるはずもないし,体は筋肉の緊張が完全に取れて弛緩した状態になりくの字になって倒れる。
その後の記述“頭と首を強打した”というのは完全な認識間違い。
最初に頭を強打した時点で受傷しているのだ。
崩れ落ちた時ではない。
崩れ落ちた時に損傷をさらに強くした可能性は高いが,少なくとも崩れ落ちた時に強打して損傷したとするのは間違っている。
“
レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。”
当然動けるはずはなく,この時点では意識もあり,呼吸もあったと考えられるが,すぐに心肺停止状態に陥り,意識もなくなる。
典型的な経過を辿っている。
誰一人として頚髄損傷を疑わなかったのであろうか?
マスコミも・・・
少なくとも,ニュースの記述を見る限り,マスコミは“頭”しか疑っていないことがよくわかる。
それにこの記述・・・
“
時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた”
試合中の三沢のしぐさに関する記述であるが,これは全く関係ない。
三沢の死を三沢の体調不良のせいにしたいのか?
決してそうではない。
あれは一歩受け身を誤れば人を死に追いやる殺人技なのである。
そのことを,技を受ける方も仕掛ける方もトレーナーもレフリーも観客もマスコミも,知らなさすぎる。
少なくとも,ふらふらでまともに受け身が取れないであろう状態の相手に対してかけていい技ではない。
そもそも,“後頭部で受け身をする”なんて言っている奴がプロレスの報道をするなんて言語道断!!!
あれは後頭部じゃなくて両肩で受け身を取っているんだ!!!
ノアが今後,亡くなった三沢の遺志を継ごうと考えるなら,反省すべき点は大いにある。
それができないなら即刻解体すべきだ。
以下,三沢氏の事故に関するニュースを集めてみたが,誤った記述,誤っていると思われる記述は赤でチェックをしています。
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プロレスラー:三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。
試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、
頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。【加藤小夜、星大樹】
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三沢光晴さん死す:受け身取れず、体が「く」の字に
プロレスリング・ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴(みさわ・みつはる)さんが13日、試合中の事故で広島市内の病院に搬送され、同日午後10時10分、死亡が確認された。46歳。三沢さんは広島グリーンアリーナ小アリーナで行われた広島大会のGHCタッグ選手権の試合中に相手選手の岩石落とし(バックドロップ)を受けて頭部を強打。心肺停止状態に陥った。搬送先の病院では集中治療室で救命処置を受けたものの、帰らぬ人となった。
まさかの事故が起こったのは午後8時半すぎだった。三沢さんは午後8時10分ごろから、潮崎豪と組んでメーンでGHCタッグ王者の斎藤彰俊、バイソン・スミスと対戦。ともに体重120キロ近い大型選手の王者組のパワーの前に苦戦を強いられていた。そして開始25分すぎに異変が起きた。
時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、
体を「く」の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。
三沢さんはそのまま動かなくなり、レフェリーが異変に気付き試合を止めた。その後は参戦していた佐々木健介や高山善廣ら選手たちがリングに駆けつけて「社長」と声を掛けたが、三沢さんは応じなかった。すでに呼吸をしておらず、心肺停止の可能性が高いことから
観戦していた医師やトレーナーらが人工呼吸や心臓マッサージを行ったが、反応はなかった。さらに、しばらくして駆けつけた救急隊員が自動体外式除細動器(AED)で蘇生(そせい)を試みたが、心肺停止のまま広島市内の病院に搬送された。
この間、約2300人の観衆で埋まった会場は騒然とした状況になった。リングサイドのファンからは「三沢コール」がわき起こり、女性ファンの悲鳴に似た叫び声も上がった。搬送直後には、選手会長の森嶋猛がリングに上がりマイクを握って「三沢社長の状態が分かりません。選手一同無事を祈っています」などと、硬い表情で状況を説明した。
病院に到着した三沢さんは集中治療室に運ばれ、懸命な処置が施されたが、午後10時10分、帰らぬ人となった。
三沢さんは、昨年1月にも日本武道館で行われた森嶋とのGHCヘビー級タイトル戦で首を強打して病院に搬送されたことがある。また関係者によると、今年3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから「体調が悪い」と漏らしていたという。
三沢さんは81年にデビュー、全日本時代には2代目タイガーマスクとして活躍し、3冠ヘビー級王者などエースの地位を確立した。新団体のノアを設立後には社長に就任、トップ選手として活躍を続けていた。プロレス界は大きな柱を失った。
◆三沢 光晴(みさわ・みつはる) 1962年(昭37)6月18日、北海道夕張市生まれの46歳。プロレスラーを志し、レスリングの名門・足利工大付高に進学。国体優勝などの実績を引っさげ、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門し、81年8月21日、越中詩郎戦でプロデビューした。84年にメキシコ武者修行に出て、帰国後2代目タイガーマスクとして活躍。90年5月から素顔で戦い、92年8月に3冠ヘビー級選手権を獲得。その後、川田利明、小橋建太、田上明らと四天王プロレスを展開したが、00年6月に退団。同年7月に「ノア」を旗揚げし、社長としてマット界を引っ張った。1メートル85、110キロ。(スポニチ)
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ノア・三沢さん死す…プロレス試合中頭部強打
三沢、壮絶マット死!! 13日午後8時40分ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館グリーンアリーナで開催された「プロレスリング・ノア広島大会」で、同団体の社長、三沢光晴選手(46)が試合中に相手の技を受け頭部を強打。救急車で市内の病院に運ばれたが、同10時10分に死亡が確認された。ジャイアント馬場が大腸がんに倒れ、アントニオ猪木が引退した後の日本マット界をけん引したエースが、衝撃の“殉職”となった。
マット上で大の字となった三沢がピクリとも動かない。2300人、満員の観衆による「ミサワコール」にも立ち上がることはできなかった。
「社長!!」「社長!!」
選手、関係者が呼び掛けたが、三沢に反応はない。専属トレーナーが心臓マッサージを繰り返す。さらに、
「観客の方でお医者さんはいませんか!?」というリングアナウンサーの要請でマットに上がった医師が、自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みた。
すぐに救急車が手配され、広島大学病院(広島市内)に搬送。県警広島中央署は「病院から三沢選手が心肺停止状態と連絡があり、署員が向かった」と説明したが、午後10時10分、死亡が確認された。死因は不明。6月18日、47歳の誕生日を目前にしての悲劇だった。
三沢は13日夜、メーン・イベントのGHCタッグ選手権(60分1本勝負)に潮崎豪とのタッグで出場。第17代王者の斎藤彰俊、バイソン・スミス組に挑戦した。リングサイドで観戦していたという会社員男性(35)=広島市=によると「この日の三沢は精彩を欠いているように見えた」という。
そんな中で、アクシデントは起きた。ゴングから25分過ぎ、斎藤の打撃技を顔面などに受けていた三沢は、さらにバックドロップを同じ斎藤から食らう。本来、後頭部をマットに打ち付ける技だが、
この一撃はかなりの急角度で落下。ほぼ脳天から落ちた。
ダウンした三沢に、レフェリーが「動けるか」と聞くと、三沢は「動けない」と答えたが、すぐに意識を失った。
試合は27分03秒、レフェリー・ストップ。斎藤、バイソン組が3度目の王座防衛となったが、ただならぬ状況に会場の熱気は次第に冷気となり、ショックで泣き出す女性ファンの姿もあった。
三沢は全日本プロレス時代、2代目タイガーマスクとしてデビュー。捨て身のファイトで多くのファンを魅了した。本名の「三沢光晴」となって、幾度となく名勝負を演じた川田利明(フリー、足利工大付高の1年後輩)との「3冠ヘビー級選手権」では、テレビ解説を務めていたジャイアント馬場(故人)が、熱過ぎるファイトに泣いてしまった逸話もある。
「受け身の天才」と称される一方で、試合中のけがも多く、首や腰にいつも爆弾を抱えていた。13日午後11時過ぎ、「三沢死亡」の衝撃的ニュースに、病院前は報道陣でごった返した。また、県警広島中央署が団体幹部や対戦選手から詳しい事情を聴いている。
■三沢さんと親交が深く、今月4日の東京・後楽園ホール大会も観戦していたプロ野球横浜の仁志敏久内野手(37) の話
「ノアの試合が終わると携帯にノアメールが入るようになっているんですが、そこに三沢社長が倒れたことが書いてありました。少し気にしていたら、関係者から詳しい電話が入って…。ショックが大きくて、言葉がみつかりません」
■仁志とともに後楽園ホール大会を観戦した横浜の同僚、内川聖一内野手(26)の話
「言葉を失いました。ついこの前、三沢さんが元気で試合をしている姿をみて、元気をいただいたばかりだったのに。けがからそこ(他界)にいきついてしまったという現実が、今はまだ信じられません」
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三沢さんの死因に関して百田副社長「家族以外には不明」=ノア
14日開催のプロレスリング・ノア博多スターレーン大会開始前に、同団体副社長の百田光雄が13日に急死した三沢光晴さんについてコメントした。
まずシリーズ中での悲劇とあり、今大会を含め中止も検討されたのではという問いには「三沢社長は常に満身創痍でやっていた。選手全員と話して『決行するべきでは』となった。三沢社長も(中止は)望んでいない」と強行開催に至る経緯を語った。そして、死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。
三沢さんが
このような事態になる予兆はあったのかについては、「基本的に我慢強くて泣き言は言わなかった」としながらも、
「多少『肩がキツイ』と言っていた」とかすかな異変はあったようだ。
なお、遺体はすでに東京に移送されており、葬儀は家族の意向により選手・近親者による密葬となる予定。ただ、ファンにはあらためてお別れを言う場を作りたいと語った。
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<三沢光晴さん>死因は頸髄損傷 広島県警
ノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が13日に広島市中区であった試合中に死亡した事故で、死因が頸髄(けいずい)損傷だったことが広島県警広島中央署への取材で分かった。
三沢さんは13日午後8時半ごろ、県立総合体育館であったタッグマッチの最中にバックドロップを受けて頭を強打し、同10時10分に広島大学病院で死亡が確認された。【星大樹】
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三沢さん死因は頸椎の損傷 試合中、バックドロップで
13日夜、広島市での試合中に倒れ急死したプロレスラー三沢光晴さん(46)の死因は頸椎(けいつい)損傷に伴う頸髄(けいずい)離断だったことが15日、広島中央署への取材で分かった。
同署によると、検視の結果、頸椎がずれたことで中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていた。三沢さんは相手選手がかけたバックドロップで頭から落ちて心肺停止となった。広島中央署は、この技で頸椎がずれた可能性が高いとみている。
三沢さんはリングに倒れ、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージなどの蘇生(そせい)措置を施したが、搬送先の広島市内の病院で13日午後10時10分に死亡が確認された。
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